「命令」だと言ったら?
「早くしないと休憩時間が終わってしまうよ。」
「うぅ、わかってます。わかってるんですけど・・・!!」
誰もいない水のみ場で、私と赤司先輩は至近距離で見つめ合っていた。休憩時間があと2分で終わる。私にとってはその2分はとてつもなく長くて、気が遠くなった。赤司先輩の手は私の腰に回され、私は赤司先輩とぴたりと体をくっつけていた。これだけでも心臓は破裂してしまいそうで顔を真っ赤にする私を見て、赤司先輩は楽しそうに目を細める。
ほんの数分前の自分を私は恨めしく思うと同時に恥じた。
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秋に入って比較的涼しくなったけれど、昼はやっぱりまだ汗が出るほど暑かった。
太陽はまだ日焼けするほどの暑さを持っていて、日陰に入らないとぜんぜん涼しくない。屋内は外からの太陽の熱を受けて、外よりか少しだけ暑かった。
今日の練習はいつものハードな練習よりかは軽めだけれど、バスケみたいな激しいスポーツをしていたら滝のように汗がでる。それはもう汗だっくだく。彼らほど動かない私でさえも汗をかくのだから、相当な量だ。
今日の練習は夏真っ盛りのときみたいに休憩をこまめに入れて、水分補給をさせることや部員の体調には普段以上に気を使った。
顔色が悪い人などいたらすぐに声をかけて休憩に入ってもらったり、保健室に行ってもらったりとそんな誘導をしながらマネージャーとしての仕事も怠らないようにと今日は忙しかったのだ。
忙しいせいで休憩時間でさえ赤司先輩と一言も喋ることができず、私には赤司先輩が不足していた。付き合う以前、中学生のときは遠くから見ているだけで満ち足りた気持ちだったけれど今じゃもっと私は欲深くなって赤司先輩と話したいって思うし、それに・・・ときどき、赤司先輩に触れたくなる。こんなこと赤司先輩に言ったら絶対に嫌われちゃうからいわないけれど、無性に抱きついたり私からキスをして見たいと思うときがあるのだ。
無論、自分からそんなこと一度たりともしたことない(抱きついたことはあるけれど)。付き合い始めてから一年半くらい経っただろうか。私が消極的だからいけないのだとわかってはいても、どうしても恥ずかしくて恥ずかしくてとてもできそうにない。
キスってどういう風にするのかわからない私は、赤司先輩のしてくれるやり方を真似るしかない。赤司先輩はいつも私の唇にはむ、と食べちゃうみたいに吸い付いてから、それから少し角度を変えて今度は唇のおうとつをあわせるみたいに唇をくっつけたり、下唇の感触をあむあむと唇で確かめるみたいにはさんだりするのだ。
こんなこと、私にできるだろうか?いや、できるわけないじゃないか。
でも一度でいいから、自分から赤司先輩へキスをしたい。好きだよって伝えたい。いつももらうばっかりでお返しをしたことがないから。
ああ、でも無理だ、きっと心臓爆発してしまう。
ぶつぶつとつぶやきながら、悶々と考えをループさせていたら休憩時間がやってきていた。
早く練習終わりますように。早く赤司先輩を補充したい。そう思いながら笑顔だけは絶やさずに周りの部員のみんなと接した。
と。
「なまえ。」
「は、はいっ!」
待ち望んでいた声に思わず返事をする声がどもった。勢いよく振り向いたらもちろん赤司先輩がいて。
「はい、ドリンクです!」
「ああ、ありがとう。」
そんな些細な言葉にも満たされて、私は満面の笑みを浮かべた。
「そういえば、なまえ。」
「なんですか?」
「君もそろそろ休憩したほうがいい。少し顔色が悪いよ。」
「え、そうですか?私大丈夫ですよ。」
自分の中ではあまり疲れてもいないし、まだまだ大丈夫だと思っていたけれど赤司先輩が言うのならそうなのだろう。
「僕もついていくよ」赤司先輩の嬉しい申し出もあって私は休憩することにした。
他愛もない会話をしながら水のみ場へと向かう。ほかのマネージャーの子は私よりも先に休憩をとっていたので部員たちの世話を任せてきた。だから休憩時間ぎりぎりまでゆったりすることができる。赤司先輩と二人っきりで、さらに赤司先輩がまだまだ不足しているので思いっきり補充ができると思うと嬉しかった。
「ふぅ、ありがとうございます、赤司先輩。」
水を飲み、口をぬぐうと思わず息をつく。自分で思ったよりか疲れたようなため息で気がつかないうちに疲れがたまっていたことに気づいた。
「もう少し、ここにいようか。」
赤司先輩が優しく笑みを向けてくれる。
「はいっ。」
もう少し二人きりでいることができるのが嬉しくて私は元気に返事をした。
「さっきまで忙しくて先輩と話す時間もなかったから、嬉しいです。」
「それは僕もだよ。」
赤司先輩がそういってくれるのがとても嬉しい。いろいろなことが嬉しくて、私は抱きつきたくなったけれど、まだ休憩時間中でいつ誰が来てもおかしくないので自重した。
しかし。
「あ、赤司先輩?」
赤司先輩がそんなことも気にせずに私を抱きしめた。思わずびっくりして腕の中で先輩を見上げようとする。
「やっぱりこうしていると落ち着くね。」
赤司先輩がそういいながらさらに私を抱きしめた。心臓の音がうるさくてドキドキするけれど、それと同時に心が温かくなった。不足していた赤司先輩がじわじわ満タンに向かっていく。もう少し、こうしていたい。
あとちょっとで満たされる。そのときだった。
あ、と思ったときにはもうするりと赤司先輩が離れていた。
あとちょっとで満タンだったのに、お預けを食らったみたいだ。
「赤司先輩?」
赤司先輩を見ると、何かをたくらんだように笑みを浮かべている。
少しだけ嫌な予感を感じながら私は先輩を呼んでみる。
「そういえばね、さっき興味深いことを聞いたんだ。」
「え?」
急に何の話だろうと首をかしげる。赤司先輩が笑みを深めると私の手をするりと握っていった。
「"でも、一度でいいから赤司先輩へキスをしたい"」
「ええっ!?」
なんで、赤司先輩がそのことを・・・!!
素っ頓狂な声を上げて私は固まった。まさか、まさかまさか。私がつぶやいていた言葉が聞こえるなんて、赤司先輩はなんて地獄耳・・・。
「だから君にキスをしてもらおうと思っているんだが。」
「無理ですよ!無理!」
「でもいってたじゃないか"でも、一度で"」
「ああああ!!何度もいわないで!!」
恥ずかしさで顔が熱い。自分でいったことなだけになお恥ずかしい。
「とにかく、無理ですから!恥ずかしくてできません・・・!!」
嫌だ嫌だと駄々をこねること三十秒。急にキスをしてくれといわれたってできるはずもない。心の準備も何もかもできていないというのに。
しかし赤司先輩は私の腰にするりと手を回し体をぴたりとくっつけ至近距離から私を見つめるといった。
「"命令"だといったら?」
いつもより何倍も何十倍も何百倍も色っぽくてかっこいい、妖艶な笑みを見せられ私は不覚にも魂を抜かれかけた。そんな表情と甘い声音でいわれて従わない女性はどこにいるだろう。赤司先輩は人を従わせる力があるということは重々承知であったけれど、いざそれが自分に向けられると思わず感嘆してしまう。
言葉にせずうなずいて、キスをするということをあらわすと赤司先輩の目が優しく細まる。この表情が好きだということは今は言わないでおこう。
「ほら、早く。」
そういって赤司先輩が目を瞑る。長い睫毛が影を落とし、先輩が無防備に目を瞑ったことにドキリと心臓がはねた。人前で目をつぶるというのがなんとなく苦手な私からすればそうやって無防備に目を瞑ってくれることがなんだか信用されているようでじんわりと心に来るものがある。
そっと、両手で先輩の頬を包む。こうやって目をつぶっているときの先輩を見るのは初めてだ。
そっと、顔を近づけていく。吐息と吐息が触れ合うくらいまで顔を近づける。それから唇を合わせようと私はさらに顔を近づけたのだが。
・・・・ここまできて、急に恥ずかしさがこみ上げてきてしまった。
赤司先輩が目を瞑りながら小さく微笑む。目を瞑っていても私の心が手にとるようにわかっているようだ。
「早くしないと休憩時間が終わってしまうよ。」
「うぅ、わかってます。わかってるんですけど・・・!!」
いじわるなことをいう赤司先輩の声がちょっとばかり恨めしい。余計恥ずかしくなってきてしまって、私はますますキスできないような気がしてきた。
休憩時間はあと2分。時間がもうなくなるから早くしなければと思うのに体が固まる。
ほんのあと数センチ。
今しなければ、私はきっと赤司先輩に嫌われてしまう。赤司先輩のことだから表に出しはしないだろうけれど、きっとそうだ。
そう思い込んで私は自分を奮い立たせた。
目をつぶる。
思い切って、唇を合わせた。
はじめは、はむって食べるみたいにあわせる。それから、角度を変えて、唇のおうとつを合わせる。下唇をあむあむとするのは、恥ずかしすぎてできなかった。
先輩の頬を包む手が、少し震えていた。それにキスの合間にもれる吐息も。
どうか伝わりませんようにと願いながら終えたキスは、終わった瞬間にどんなものだったか忘れてしまった。
ゆっくりあけた視界には、少し驚いたような赤司先輩がいた。
そのときちょうど休憩が終わる。
「せ、先輩っ休憩時間終わったので私、先に行きます!」
恥ずかしすぎて私はその場から逃げた。
「命令」だといったら?
なんだか、何がなんだかわからない。
(玲央。)
(どうしたの征ちゃん。)
(なまえに何か吹き込んだのか?・・・たとえば、キスの仕方とかだが。)
(え?なにも私は言っていないけど。)
((じゃあなんであんなにキスがうまかったんだ・・・?))
※ただ赤司さまのキスの仕方をまねしただけです