「もう治った。」
といって、私たちの気も知らずに病室を去ろうとする神田さんには、いつか必ず腹にきつく蹴りを入れてやろう、と思って、最近リナリーさんにキックの鍛錬に付き合ってもらい始めた。
「なまえって、そんなに神田のことむかつくの?」
「むかつきますよ。だって、人の命救おうとしている私たちからすれば、自分の身を省みらない人間ほど歯がゆいものはないから。戦争だからって皆、感覚がマヒしてる。少し傷があったって、こんなの傷じゃないとか、平気で放置するんですよ。破傷風になったらどうするんだっていう話です。」
つい、蹴りを止めて熱く話し込んでしまう。だって本当にむかつくのだ。命を大切にしたい私たちと、命を省みない神田さんたち。これじゃあ私たちはから回る。そうしたら、から回ってる間に助けれたはずの誰かでさえ、助けれない。一分一秒を争う中で、から回らなければ助けれた命だってあるはずなのだ。
「ごめんね。私もちょっと感覚マヒしてるかも。」
申し訳なさそうに苦笑するリナリーさん。
「リナリーさんは、室長を悲しませないように自身を大切にしてますよ。私たちの全力に全力の意思で返してくれる。でもあの人は・・・」
私は怒りを込めて蹴りを繰り出した。
「大切な人もいない。よくわかんないけど、治癒力が人より優れてるからって胡坐をかいてる。だからむかつくんですっ!」
「それで蹴りを入れてやるって発想が、ちょっと飛躍してるけど、そうね。」
「今度『もう治った』とか言って、医療班の制止も聞かず去ろうとしたら、この特訓の成果を身をもって知らせてやります。」
リナリーさんは「そうしてやって」となぜだか嬉しそうに言った。
*
食堂での出来事。
「『もう治った』」
トレイを持っている時に、後ろから声をかけられて、首だけぐるんとまわして振り返った。そこには神田さんがいる。
トレイを持っていることをきちんと認識していたおかげで反射的に蹴りを繰り出すのを抑えれたが、きっと私の目が持つ殺気はエクソシストにも匹敵したはずだ。神田さんは私と目が合うや否や、すぐさま取り繕った。
「って言ったら蹴られるって聞いた。どうやら本当みたいだな。」
「誰ですかそんなこと言ったの。」
「ラビ。」
誰ですか、と聞いたがリナリーさんだと思っていたので私は不意打ちを食らった。あの話はリナリーさんと私だけの間でしか交わされていないことだと思っていたのだ。
「あいつは、気づかないところで人の話聞いてるときあるからな。」
私はトレイにジェリーさんの料理を受け取って、歩き出す。神田さんも後からついてきた。いつもだったら一人を好みそうだが、どうやら私のキックの話に興味があるみたいだ。
「理由知らねぇんだけど、なんでだよ?」
「言ったら、これからそうならないよう回避しようとするから言いませんよ。」
「本当は分かってるけどな。」
適当に席を見つけて座ろうとすると目の前に神田さんも腰を下ろす。トレイを置いた瞬間に聞こえた言葉に私は、下ろしかけた腰を一瞬止めた。
「意外。私、神田さんがKYって言われてるの知ってるんですけど。」
「おい。」
あのくそモヤシ、ぼそりとつぶやいた神田さん。でも私はそのこと、ラビさんから聞いた。どうやら彼は拡声器の役割を果たしている。
「で、本当にわかってるんですか神田さん。」
「どうせ、本当に治ってるかどうか疑ってるんだろ。」
「あ、ごめんなさいやっぱり神田さんはKYです。」
「あぁ?」
「答えわかるまで話しかけないでください。」
わかってるというから期待したのに。結局わかってない。危うくぷっつんしそうだったので座ったばかりだけど、トレイを持って別の机に向かった。待てよと言われたが、無視だ。
本人に気が付いてほしい。神田さんには自分の立場を理解してもらわねば。もちろん私たちの立場も。
*
神田さんはめったに医療班にくることはない。神田さんがけがをするときというのは本当に大きなものが多くて、大体は急を要するから任務先の病院を利用するからだ。たまに来るときは、(神田さんにとって)命に別状はないけど、そこそこ元気が保てる傷のとき。私たちはその時は慌てて神田さんをベッドに押し付けて、異常はないかとか検査する。
「相手がどんな態度でも、やっぱり治療はしてあげるのね。」
医療班の事情をリナリーさんに聞いてもらいながら、私はキックを繰り出す。
「当たり前です。患者は患者だから。」
リナリーさんの前だからそう言ったけど、本当の理由はちょっと違う。神田さんも、リナリーさんも大事な大事な「エクソシスト様」だからだ。もし医療班に訪れるのがファインダーとかだったら、トリアージしてる。エクソシストは怪我の重度に関係なく、優先的に治療する。
だからこそ私は歯がゆい。神田さんのように駄々をこねて大人しく治療に専念しない患者がいたら、優先されない命が落ちるかもしれないのだ。
そのことを知りもしないで横柄な態度で医療班から出ようとする。私は神様に祈りたくなる。この男にいつか罰を与えてくれと。相手は神の結晶に選ばれた使徒だから、神様は罰なんて与えるはずないけど。
「なまえ、一度言ってみたら?」
「なにを、ですか?」
足を蹴り上げながら問う。
「なまえの正直な気持ち。」
「むかつくってことですか。」
「それだけじゃないでしょ?」
リナリーさんが私を見透かすような発言をした。私はよくわからなくて首を傾げる。
「なんですか?」
「心配してるって。」
「そんな感じでは・・・」
「でも、なまえは患者さん皆に対してそうでしょ?」
「まあ・・・」
気のない返事とともに空を蹴ったら、へなちょこな蹴りになった。
「あ、神田。」
「えっ。」
修練場に神田さんがやってきた。私はわざわざ神田さんが修練場に来ない時間帯を狙っていたのに。私はあわてて上げかけていた足を下ろした。
「なんで、ここに。」
「ここまでして、俺のことが蹴りてぇんだな。」
鼻で笑われる。今、体全体の血が一度上がった気がする。
「・・・蹴りたいですよ。」
「じゃあ今蹴るか?」
「私は、理由もなしに蹴りたくはありません。」
「俺はその理由が知りてぇ。」
「だから、言ったら回避しようとするから言いませんって。」
「まあ俺にはどうでもいいんだがな。」
神田さんがそのまま踵を返す。
この人一体何をしに来たんだ、って思ったそのとき、むっと血の匂いがした。
「ちょっと!!」
「ぐっ、」
慌てて追いかけて、神田さんの左腕を引っ張った。神田さんがうめき声をあげる。
私は神田さんの団服を脱がした。左上腕と右腹部に赤い血が滴ってる。
「なんで・・・!!」
私は一気に取り乱していった。私のところへからかいに来たのかと思ったら、本当はこんな傷を抱えていたなんて。
なんで早く言わなかった。なんで、そのまま医療班に行かなかった。なんで傷口の止血すらしていない。
「リナリーさん、神田さん上の階まで運べますか!?」
「うん!」
私は慌ててリナリーさんに黒い靴で神田さんの輸送を頼んで、医療班へ向けて駆け上がった。
エレベーターを待って使うという発想も思いつかず、私はひたすら走った。階段を駆け上って、神田さんの治療のために医療班を目指した。
*
荒い息も整えぬまま、すぐさま治療を始めた。思ったよりも傷が深かった。失血死してもおかしくなかった。
傷口を縫うために麻酔を使って、神田さんは今病室で安静にしている。傷を縫ったのだからもう大丈夫だという神田さんを押し込んだ。
私は治療道具を片付けるために治療室に戻って一人片づけをしている。看護婦さんたちに任せてもよかったけど、情けなさとか怒りとか悔しさとかいろいろとあって、一人で何か気を紛らわせれるものが必要だった。
神田さんの付き添いはリナリーさんに任せた。リナリーさんは神田さんをベッドで安静にするよう監視している。
「何やってんだ私・・・」
自分でこぶしを作って、頭を思いきり叩いた。ごっ、ごっ、と頭に鈍い音が響く。
一人片づけをしていても、気は紛れなかった。ずっと、悔しさが頭の中をループしていた。
神田さんが現れたとき、顔は青白くなかったか、いつもより具合が悪そうだったのではないか。すぐに気が付けなかった自分が情けなく、腹立たしい。
神田さんに少なからず敵対心のようなものを持っていたせいで気づくのが遅れてしまったのではないか、自分は医者失格ではないかとさえ考えた。
「・・・大丈夫なまえ?」
「リナリーさん。」
「神田は寝たわ。」
私はうなずいた。神田さんに限って言えば、ここまでで一安心だ。
「なまえも走って、疲れたでしょ。休んだら?」
「この片付けが済んだら。」
「わかった。それじゃあ、いったん私は部屋に戻るね。」
「神田さんを運んでくれてありがとうございました。」
「ううん。私にはそれくらいしかできなかったし。それじゃあ。」
リナリーさんは開いていたドアを閉めていってくれた。ドアが閉まる瞬間、完全に一人の空間になって、私は脱力した。
ひどく気持ちが落ち込んでいた。むかつくむかつくと口にはしていても、そんな感情を一切捨てて、神田さんに接するべきだったと後悔している。
神田さんがけがをしても放置してしまうのは、きっと治癒力に胡坐をかいているからじゃない。今更になって気づき始めた。自分には治癒力があるけど、他の人にはないから、他を優先させようとした結果なのだ。
でも教団の人間にとって、何より大切なのはエクソシストたちなのだ。ファインダーたちだって、どれだけエクソシストの性格が悪かろうが、エクソシストに希望を感じて、自分の希望を託そうと、エクソシストを自ら優先させる。結果、自分が助からなくても。
思わずうずくまった。泣き出してしまいそうなのをこらえる。ここで泣くのは違うのだ。泣いたら、自分自身を甘やかすことになる気がした。
「・・・大丈夫か。」
「っ!!」
ドアがいつの間にか開いていて、神田さんがいた。
「なんで!病室で安静にってあれほどっ」
「もう治った。・・・なんて言ったら今でも蹴るか。」
試すように鼻で笑う姿を見て、頭に本当に血が上った。
蹴ったのは先ほどまで片付けていた医療器具の台だった。
「馬鹿じゃないの!?」
「さすがに蹴らねぇか。」
神田さんは静かな態度だった。対して私は、怒りの頂点だった。
「そうやって、私たちがどんな思いか知らないで!教団にいる人は、エクソシストに希望を託して、目を閉じていくの!この聖戦に勝ってほしいと願って!そういう思いを踏みにじるようにあんたは自分を大切にしない・・・!!」
泣き出してしまいそうだった。しかし人の心など意に介さない神田さんの前で泣いてしまうのは嫌だった。
「・・・出てって。病室に戻ってください。」
私は大きく息を吸って、自分を抑え込んでいった。蹴り飛ばした台を立て、散乱した医療器具をまた片付け始める。
「言っているでしょう。病室に戻ってください。」
神田さんが出ていく気配がないのでもう一度言ったら、逆に近づいて、抱きしめられた。
まだ血の匂いがする。
「なんなんですか。」
「心配してるのか。」
「なに馬鹿なこと・・・!心配しない医者がどこにいると思ってるんです!?」
「そうか。」
「そうか、って・・・とにかく、離してください。」
怪我をしていない胸板を押す。すると衝撃が響いたのかうめき声が聞こえて、押すのをやめた。
「私を離してください。」
「一回こっちみろ。」
仕方なく私は顔を上げる。
瞬間、引き込まれた。
そこには真剣な瞳をした神田さんがいた。今まで、横柄な態度ばかり見てきた神田さんが違って見える。まっすぐとした瞳は、今は優しくて・・・情熱的だった。
神田さんが目を伏せる。釣られるように目を伏せた。
熱くキスが絡まった。一瞬にして神田さんへ感じていた怒りが消え失せて、ただその熱さばかりに気が行った。硬化していた態度さえ柔らかくほぐし、私は、くっついているだけのそのキスと、抱きしめられて包まれているその温度に身を委ねるようになった。漂う血の匂いが、神田さんの命を生々しく輝かせ、力強いエネルギーを私へ伝える。
むき出しの命に抱きしめられている。
このとき、私は彼の存在に恋に落ちた。
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