ジェリーさんは本当に職人さんだ。料理のレパートリーの多さは当たり前で、一つ一つの料理の完成度が超一級。ジェリーさんを神様としたジェリー教を立ち上げたいくらいだ。
私なんて足元にも及ばない。でもジェリーさんは言う。
「あたしだってなまえちゃんみたいな修行の時期があったわよん」
そうは言うけど、私は一生ジェリーさんを越せる気がしない。最近肉じゃがを作るお許しはもらったものの、ジェリーさんとならんで肉じゃがを作ればジェリーさんのほうがおいしい。
それでも、肉じゃがだけは神田に私が作ったもののほうがいいと心の底から思ってもらえるように、日々研鑽中だ。
肉じゃがだけじゃない。いつかは蕎麦だって作りたい。神田が毎日食べる蕎麦を、私が作って、そして任務に送り出したい。神田が早く帰ってきたいと思う理由になりたい。
肉じゃがを認められてからはその思いが強くなった。
神田は一番に肉じゃがを食べてくれたけど、任務前に食べるものはやっぱりジェリーさんの天ぷら蕎麦だから。
「……どうした?」
今日、神田が任務へ発つ日だ。これからニ、三週間神田は帰ってこない。任務に行く前はいつだって調理場の入り口で神田を抱きしめる。
神田の帰ってくる理由にまだ私の蕎麦がはいっていないのが、今日はなぜかすごく不安で、つい長く強く神田を抱きしめた。
「ううん。怪我なく帰ってきてね」
抱きしめていた腕を解き、いつものように同じ言葉をかける。神田は頷いて、私の額にキスを落とす。
背中が見えなくなると、ちょっとだけため息が漏れた。
「悩み?」
「わあっ、ジェリーさん!」
「あんまりため込まない方がいいわよ?」
ジェリーさんが見ていると思わなくて、飛び上がった。肩口からのぞき込まれるような感じでジェリーさんがいた。
「悩み、ってほどの悩みじゃないんですけど……」
私はジェリーさんに自分の思いを全部話す。
「蕎麦はすぐにOKは出してあげらんないわね……でもそれって、なまえちゃんが不安ってことじゃないの?」
「え?」
「なまえちゃんは神田ちゃんの帰ってくる理由よ」
「そう、ですかね……」
「ほらそこ。そこが不安なんでしょ」
ジェリーさんに指摘されると、そうかもと思い始めてくる。
「私って、神田の気持ちを疑ってるんでしょうか……」
「んもう、そうじゃないわよ!」
ジェリーさんは私の背中をばしっと叩いた。
「人間は、欲深い生き物よ。あたしたちがおいしい料理を求めるみたいに、人の気持ちだって求めちゃうもんじゃないの。なまえちゃんは、神田ちゃんのこと独り占めしたいのねん」
そういわれると、一理あると思った。
「そうかも、しれません」
「煮え切らないわね、もう!」
ジェリーさんはまたばしっと背中を叩いた。
「神田ちゃんの任務明け、どっかいってらっしゃい。お休みはあげるから」
「ジェリーさん……!!」
「それでちゃんと、神田ちゃんの気持ち確かめてくんのよ!あっ、でもせっかくだから、おつかい頼むわよ?」
「ありがとうございます!」
ジェリーさん、やっぱり愛のお師匠様。
*
教団の近くに、夕方から深夜までのわずかな時間しか開かないお店があるという。そこが取り扱っているのは、お手頃価格なお菓子たち。短い時間の営業の割に、客足はギリギリまで耐えることがないという。毎日、夕方ごろになると列ができて、深夜には全て完売してしまうらしい。
おつかいの内容は、そこにいき、いくつか私がおいしそうだと思うお菓子を買ってくること。ジェリーさんはそのお菓子を食べて、それを参考になにか新作を作りたいと考えているそう。新しいものにチャレンジしているジェリーさんさすがだ、とまた一つ見習うべきところが増えた私である。
「というわけなので、今日は一日、もしかすると深夜まで一緒に過ごしてもらうよ」
「わかった」
「せっかく、今日一日休みなのに、つき合わせちゃってごめんね」
「いや、別に……」
教団を出発。それから商店が広がる町にまで降りてきた。
神田は買い物など大して好きではないのは分かっていて誘ったので、少しだけ申し訳なかった。
でもそれは杞憂だったらしい。
「こうやって、外に出るのなんて初めてだろ」
手を握られながらそういわれる。つい手に視線を落とし、それから神田を見上げると口元は無表情だったけれど目が優しかった。思わず握られた手を握り返す。
思えば、神田は額にキスしたり、抱きしめたりよくしてくれるけど、一緒に歩くということがほとんどなかった。初めてだ。今更ながら、手をつなぐことに相当ドキドキさせられる。手の大きさとか、握る強さとか、あったかさとか、それだけでドキドキしたり安心したりする。
「最初はどこに行くんだ?」
「あ、あの、夕方までは散歩っていうか……いろいろ見て、買いたいものがあったらその都度買っていくって感じのことすると思う」
「わかった」
神田は文句ひとつ言わない。前、ラビが話していたのを聞いたことがある。女の買い物に付き合うのってちょっとしんどいみたいなこと。神田は、つまらなくないだろうか。
買い物をすると言っておきながらこんなこと言うのも、気分を下げてしまうと思って言わないけれど。
「それじゃあ、いこっか」
歩き出せばすぐに、そんなこと忘れた。神田は何かを考えながら歩いているようで、時折自分から入りたい店があったらいってくれた。手でもって食べられる軽食を売る店だったり、雑貨屋だったり、思えば私のことを気遣ってくれているような節のあるお店だった。
「疲れた。どっか座るぞ」
疲れを感じ始めると、神田の方から休みを勧めてくれたりもした。
初めて二人で出かけたから、神田がこんなにも気遣ってくれるとは予想していなかったので、驚きと嬉しさでいっぱいだ。
「……どうした」
「今、絶賛神田に惚れ直し中」
思わずにやけながら神田を見ていたら尋ねられたので、正直に答える。神田は驚いたように目を開いてから、照れ隠しなのか額にキスをしてくれた。
「少し、驚いてる。神田がこんなに私のこと気遣ってくれて」
「別に、そこまで気遣ってない」
「そうかな?でもありがとう」
無意識でも意図的でも、どちらにせようれしい。
ゆったり神田にもたれかかると、神田が肩を抱いてくれる。そういう一個一個のほんの小さな、でもとても重大なもので、愛されているってことが安心とともに伝わってくる。
自分の悩みが霧散していくのが分かった。こんなに愛されてるのに、悩む必要なんてどこにもなかった。
目的のお菓子は、列には並んだものの、すんなりと買えた。私たちはすぐに教団に戻って、ジェリーさんに手渡しに行く。
「あらん、こんなに早く帰ってきちゃったの」
といいつつ買ってきたお菓子の見た目とにおいを確認したジェリーさんは、早く受け取れてうれしそうな顔をしていた。
「今日はおつかい以外仕事なーんにもしなくていいから、神田ちゃんといちゃいちゃやってなさい。あたしは早くこれ食べて試作作らなくちゃ」
ジェリーさんは鼻歌を歌いながらさっそくお菓子を厨房の調理台に並べていた。
「あ、そうだなまえちゃん」
厨房から去ろうとした私たちを、ジェリーさんが引き止め、私だけ手招きした。
「悩みは晴れた?」
「はい。……なんだか、愛されてるなあって改めて実感しました」
「そ?」
「今はそれで十分です。神田って、口より行動で示してくれてるみたいで。私が気づいてなかっただけですね」
ジェリーさんは私の様子と言葉で満足そうにしていた。
「また悩んだらいつでも言ってよ?お休みあげるから」
「ありがとうございます。その時はまた、なにかおいしいお菓子買ってきますね!」
私とジェリーさんは和やかに笑った。
そのとき神田に「なまえ」と名前を呼ばれる。
「あっ、それじゃあジェリーさん、また明日からよろしくお願いします」
私はジェリーさんにあいさつをして、すぐさま神田のところに飛んでいく。
「ごめん待たせて」
「待った、つーか……今日は俺がお前を独占する日だからな」
「え?」
最後ぼそぼそとだが聞こえた声に私は首を傾げた。
神田に意味を聞こうとしたが、
「お前は、今日は俺にだけ構ってればいいんだよ」
肩を引き寄せられ、耳元にささやかれたので、驚き、真っ赤になって私は固まるしかなかった。言葉はかわいいけれど、声と行動がかっこよすぎて、しかも不意打ちときたら誰だってそうなる。
「明日の朝まで、もう他の奴と話すのなしな」
そうやって私を虜にしていくのが上手な神田は、私の手をからめとって、自分の部屋へと向かうのだった。
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