「ミューちゃんって、可哀想な人だよね。」

スタジオの廊下を歩く俺の後ろから寿の無情な声が聞こえた。
何の前触れもなく、突然だった。

「何のことだ。」

そう問うと、ひらりと軽い身のこなしでそいつは俺の目の前に現れる。俺より低い身長だから自然と上目遣いになるこの男は、フフッと口角を上げ


「後輩の子、裏切ったんでしょ?」


楽しそうに笑った。
その口調が苛立たしくて眉間に皺を寄せ、くだらん、と足を進めようとするのにお喋りな口は止まらない。


「お国の、女王陛下のためなんだって?その女王陛下もシャイニーさんが好きって話じゃない。ミューちゃんはさ、その話聞いてどう思ったの?」

無視してしまえばいいものを、俺はその戯れ言に耳を傾けてしまった。

「女王陛下のこと、どう思ってたの?ただ使命とか主従関係とかそんなくだらないものにすがってでしか接せられなかったんでしょ?その方が楽だもんね。君の口から語られる陛下の話はどれもこれも尊敬だけじゃない感情が溢れていたから、わかるよ。」


好きだったんでしょ、その言葉が頭の中で反響する。
俺が、女王陛下を…?


「何を馬鹿な……誇り高い我が陛下を慕うなど当たり前だろう!」

「それ以上意味も込めて。一人の人間として好きだったんでしょ?」

「だから馬鹿か、と言ったんだ。そんな感情、俺は持ち合わせておらん。」

「強情だなー」

ふと、いつもの寿のように茶化した態度に戻った。一瞬安心してしまったのはなぜか。
別にそれならそれでいいけどね、と言葉をまた1つ紡ぐと先程の飄々として妖しげな雰囲気に戻る。この男は何を求めているんだ、俺に。油断ならない男だとは常々思っていた。できるだけ関わらないようにしようとするのに、どの人間に対しても馴れ馴れしく接してくる。黒崎ほど世話を焼かれているわけではないが、勿論俺にもだ。

ミューちゃんはいつも肩肘張って辛くないの?
一度だけ問われたことがある。なぜそこまで他人を心配できるのか、自分より他人を優先するのかわからなかった。見返りなんてあるはずがないのに。

寿に疑念が膨らんでいく。それは微かに興味にも似たものだった。
この男は俺にどんな感情を抱いているのだろう。そんなこと俺にはどうでもいいことなのに、一つ考え出すと止まらなくなる。

「辛くないのかな、ってそう思っただけなんだ。」

「辛いのは、女王陛下であろう。」

「僕はこんな堂々巡りな会話はしたくないよ。ミューちゃんだって、賢いんだから僕が言いたいことぐらいわかるでしょ?それを誤魔化して、……そんなに認めたくないの?」


じりじりと壁に追い詰められる。冷たい目で見下ろされているわけでもないのにこの圧迫感。それは奴の纏う雰囲気のせいか。それとも、言われたことが図星だったのか。

そんなはずはない。確かに陛下は気高く美しい。国民のことを第一に考える尊敬すべき人物だ。個人的な感情を抱く人物ではない。
会って会話したこともないこの男に、一体何がわかるというのだ。
考えれば考えるほど、腹が立ってくる。そう考えてしまうことが奴の罠にかかってしまったとも知らず。

「僕はね、ミューちゃん。ミューちゃんが好きなんだよ。」

「……」

「自分の感情もわからない。可哀想で救ってあげたくなる。」

「……」

「愛してるよ。」

「…………好き者め…」


拒むことなんて簡単だったはずだ。近付いてくる唇など、殴ってやめさせることぐらい。
だが、できなかった。いや、しなかった。
触れるだけの唇は先程の寿の言葉に潜む刺とは裏腹に、慈しむような優しさに溢れていた。だから調子が狂う。いざというときに、この男はおどけて何もなかったかのように振る舞う。誤魔化しているのはどっちだ、と鼻を鳴らすと何。と問われる。

「自分に聞け。」

「ええー、わからないから聞いてるのにー。」

いい加減うんざりしてきた。同じようなやり取りに。だから聞いてやる。


「俺にどうしてほしいんだ、貴様は。」


すると寿は目をぱちくりと瞬かせ、

「僕も可哀想な子だからさ、ミューちゃんに救ってほしい、なんて言ったら、救ってくれる?」

「………貴様の言う事実が本当なら、…傷の舐め合いだな。」

「僕ちんさみしがりやだからー、誰かに支えてもらわないと生きていけないのー。」

「何故俺なんだ。」

「似た者同士だから。」

黒崎でもいいだろう、と言う前に透かさず寿は答えた。
似た者同士か。
俺が陛下に恋心を抱いているならば、ならこいつにもそういう人間がいるのか。言葉にするのが不可能なそんな相手が。
ひどく滑稽だ。
だが、

「ふん、くだらん。だが、たまにはそんな茶番にも付き合ってやるのも悪くない。」

「ふふ、ミューちゃん、ノリノリだね。」

にこにこと嘘臭い笑顔を浮かべ、好きだよ、と手の平に口付けを落とされる。
手のひらへのキスの意味をこの男は知っているのだろうか。
知った上でそんなことを言ってくるのか。こんなにこいつは弱い人間だったのか。誰かに傍にいてほしいくせに、まわりくどい方法しか取れないこの男こそ"可哀想"なのではないか。

哀れな男だ。


「ミューちゃん、愛してるよ。」

虚言ばかりつくこの煩わしい唇をそっと塞いでやった。
どうせなら嘘もつけないほどにのめり込ませてやろう。



はてさて、喰われるのはどちらかな。





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