そのあと、いくら皆が説得しても、美風は考えを変えようとはしなかった。シャイニングのおっさんはひとまず美風は休職、という形を取ったらしい。らしい、というのは俺が嶺二から聞いただけで当人からは何も聞いていないからだ。

「アイアイどうしちゃったんだろうねー。」

たまたま楽屋が同じになり、嶺二がそう話しかけてきた。

「俺が知るかよ。」

「そうなの?てっきりなにか知ってるのかと思ったよ。ランランと仲良いじゃない?」


僕やミューちゃんとはまた違う態度な気がする。とニコニコと笑みを絶やさず言う。

「…それは知らねえけど、よく見てんだな。」

「んー?そうかなー?」

底が見えない奴だなと思う。いや、見せないと言えばいいのか。
たまに確信をつく言葉はやはり年長者か。
だが俺が美風のことをなにも知らないのは事実だ。
少し前なら、何かわかったのかもしれないけれど。

思考の波に飲まれそうになったところに、楽屋の扉が開き出番だ、と俺たちは呼ばれた。今はこちらに集中しなくては―。



収録が終わり、楽屋に戻れば一息つける。

「お疲れ。ねえ、ランラン。今日飲みに行かない?」

「いや、そんな金ねえから…」

「ボクの奢りでいいよー!だから、ね?」

奢りという言葉に弱い俺だ。首を縦に振り、嶺二のあとをついていった。
顔馴染みなんだよ、と向かった先はスタジオ近くの居酒屋だった。
出てきた生ビールのジョッキで乾杯し、一気に煽れば、久々のアルコールだからか、顔が瞬く間に熱くなった。

「ランラン、お酒弱かった?」

「…いや」

「真っ赤っかだよー。かーわいー!」

「…うるせえ」

頭がふわふわとして、自分でも何を言っているのかわからない。
頭をポンポンと撫でられたような気がする。いつしか俺が美風にしたように。
こんな気分だったのだろうか、美風も。
滑るように指先が髪の毛をくすぐる。心地よさに瞼を閉じれば、意識はすぐに遠退く。



「…アイアイなんか忘れればいいのに。」



嶺二が呟いたであろう言葉は遠く霞へ沈んだ。







鳥が囀ずる声が聞こえて、目を冷ます。薄ぼんやりと瞼を開くとそこはいつもの低い天井ではなく見知らぬ場所だった。白くて高い、清潔感というよりどこか硬質な印象を受ける。
目が覚めると別の場所にいることは少なくなかった。嫌な記憶が甦る。ぞわりと悪寒が走り、冷や汗がタラリと頬を伝う。

「………ああ、起きてたの。」

いつの間に扉が開いていたのか、顔をあげるとそこには美風が立っていた。

「…な、んで、……お前…ここに」

「なんでって、ここ僕の家だからだけど」

「…は?」


何も覚えてないんだね。とため息を吐いて美風は俺が寝ていたベッドの端に腰かける。

「昨日嶺二が蘭丸をおぶりながら、突然押し掛けてきたんだよ。店から一番僕の家が近かったからだとか、嶺二も何か用事あるから任せるだとか言って、そのまま蘭丸を僕に押し付けて帰ったってわけ。」


蘭丸酔いつぶれてて大変だったんだよ、と心底迷惑そうに言われる。


「僕、準備で忙しいんだよ、目覚めたんなら帰ってほしいんだけど。」

「準備って何のだよ…?」

「引っ越しだよ、この部屋引き払うからね。」


あまりにも唐突に出た話題に頭が追い付かない。

「どこに…行くんだよ」

ポロリと思わず出た言葉に自分も驚いてしまう。ただの仕事仲間な関係なのに、言う義理なんてないだろうに、それでも、俺には言ってほしかった、だなんて、散々美風を騙してきた人間の言える台詞ではないとわかっていても。


「蘭丸…」

「あんな場面見せて会わせる顔なんてないけど、俺は、」

「な、に…言って…」

「離れたくねえんだよ…!」


振り絞った声に、美風は数度瞬きをし、曖昧に笑う。


「……僕もさ、蘭丸がいなくなったら、どうなるのか、考えたことがあるよ。答えなんか出なかったけど、でも今はそれと関係ない。僕に蘭丸の横に立つ資格がない。」


だって歌えなくなったんだ、と美風は今にも泣き出しそうな辛い表情で、それでも毅然と言い放った。




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