7.やきもち


せっかくのデートが風邪で潰れてしまったものの、結果としてリヴァイとまた少し距離が縮まった事はマホからしたら嬉しい誤算だったが、ここに来てまた新たな悩みが舞い込んできていた。
“次はちゃんと地下街に連れてってやる”
と、確かにリヴァイはマホにそう言った。だが、果たしてそれはいつになるのか、その約束は取付てはいない。あの日から5日、すっかり身体も回復したが、だからといってリヴァイにすぐ会える関係では無い。前回のような偶然に出くわすか、リヴァイからのアクションが無ければ、一兵士のマホはただ指を咥えて待つ事しか出来ないのだ。
そして今日もまた、変化の無い単調な1日が始まる。
朝1で仕上げた書類を手に小走りで廊下を掛けていたマホは、前方からのんびりと歩いて来ている人物に気付き更に歩調を速めた。

「ピクシス司令!先日の補強工事の報告書です!」
「おお。ご苦労だったの」

敬礼をしてから書類の束をピクシスに手渡すと、彼がペラペラと流し見ているのを微動だにせずに待っていた。
既に酒の臭いを漂わせている目の前の上官がちゃんと内容をチェックしているのかは些か疑問ではあるが、とりあえずは自分自身の任務はやり遂げた。ピクシスからのOKが出ればこの後は久々に立体機動装置の点検をしようか……と思い巡らせていた時、書類をパタンと纏め直したピクシスが、含みのある目でジロとマホを見据えてきた。

「何か、不備がありましたか?」

疑問符を浮かべるマホに「いいや」とピクシスは首を振る。そうしてから、オホンと咳払いをしてみせた。

「スマンが、また頼まれてくれるかの?」
「はい……?」
「この間お前さんに案内を頼んだ古城まで、書類を届けてほしいんじゃ。調査兵団のハンジを知っとるじゃろ?そヤツが今、古城で巨人の実験をしとるんじゃ。それでの……」

ピクシスが説明してる途中で、側近の兵士が筒型を手にやって来た。「ん……」と小さな頷きをして、それを受け取ったピクシスはそのまま流れ作業のようにまたマホにズイと突き出した。

「急ぎ、頼まれてくれるかの?」

書類が入ってるのだろう筒型は、口の部分に駐屯兵団の刻印が押されていた。

「かしこまりました」

両手で大切そうに受け取って、ペコリと頭を下げる
マホを見て、ピクシスはしたり顔で片眉を下げた。

「今なら、リヴァイも古城におるらしいぞ」

大切に受け取ったはずの筒が、トトンッと軽やかな音を立てて床に転がり落ちた。

「しっ失礼しました!」

慌ててそれを拾い上げるマホの頭上から、「ふぉっふぉっ」と、愉快そうな笑い声が降ってくる。

「隅に置けないのぅ」

腰を屈めたままのマホを残してピクシスは側近の兵士と一緒にその場を離れて行った。
遠ざかる足音を聞いて、ホゥとマホは息を吐いた。
確認せずとも自分の顔が赤くなっている事が分かる。再び手に取った筒をギュッと強く握り締めて、高鳴りを抑えるようにそれを胸に押し付けた。


案内でやって来た時以来の古城は、その時とは随分と外観が変わっており、雑草は綺麗に刈り取られ、門の前には自由の翼のエンブレムが描かれた団旗が立てられていた。以前の廃墟と化した姿は微塵も感じられなかった。
今此処にリヴァイも居るのかと思うと早く会いたいと逸る気持ちが暴れ出す。
とりあえず早くハンジに書類を手渡してしまおうと城内へ足を踏み入れかけた時、裏庭の方から賑やかな声が近付いて来て、マホは思わずそちらへとヒョイと視線を向けた。

「待てっ待てリヴァイ!!私はまだアルベルトとチカチローニへの弔いがっ……」
「くだらねぇ事言ってねぇでさっさと報告書を書け。また予算を減らされてぇのか」
「だけど!あの子達はあんな最期を迎えて……可哀想じゃないか」
「ピーピー煩ぇな。そもそもアイツ等の首を削ぎ落としたのはてめぇだろぅが。クソ眼……ー」
「……ん?」

裏庭の方からやって来たリヴァイと、彼にジャケットの襟首を掴まれて半ば引き摺られているハンジが、ほぼ同時に古城の入口の前に立ち尽くしているマホに気付いた。
いつもと同じポーカーフェイスのリヴァイ、涙目のまま不思議そうにしているハンジ、そんな2人を呆然と見つめるマホ。それぞれの視線が交わり合い数秒の沈黙の後、最初に口を割ったのはハンジだった。

「ああっ!えーっと、駐屯兵団の……」
「……マホだ。マホ・ネーム」

マホが答えるより先にリヴァイがそう言い、それを聞いたハンジは驚いた様に目を丸くする。

「あれ?リヴァイ知り合いなの?」
「まぁな。そんな事より、お前に用があるんじゃねぇのか」

言って、リヴァイはマホの手に持たれた筒をチラリと見た。
2人のやり取りに完全に萎縮していたマホも、そこでようやっと要件を口にする。

「ピクシス司令より、ハンジ分隊長への書類を預かって参りました」

敬礼をしてから、その筒をハンジに向かっておずおずと差し出した。
つい今しがた、泣きじゃくりながらリヴァイに引き摺られていた姿は何処へやら、落ち着いた所作でマホから筒を受け取ると、すぐに蓋を開き中身を確認しだした。
その隙に、というわけでもないが、ハンジの傍らに立つリヴァイに視線を向けてみて、依然彼の手がハンジの襟首をしっかりと掴んでいる事に気付き、すぐに視線を逸らした。

「マホ。申し訳無いんだけど、少し待っててくれないかな?私からもピクシス司令に渡したい書類があるんだ」
「おぃクソ眼鏡。てめぇどれだけ書類を溜め込んでやがる」
「忙しかったんだって色々と!悪いリヴァイ。ちょっと手伝って!!どうせ君も私の書類待ちだろ?……そういう訳で、悪いねマホ。急ぎ仕上げるから!!」
「チッ……めんどくせぇ」

書類を手に持ったままハンジはマホに向かってパチンと両手を合わせてみせた。

「は、はい。待たせてもらいます」

そう答えるのがやっとで、城内へと消えて行く2人の背中を見送ってから、ヘナヘナとマホはその場にしゃがみ込んだ。
1人だけ取り残されたような感覚に、モヤモヤと胸奥が渦巻く。
此処に辿り着くまでは、リヴァイに会えるという事だけでワクワク出来たのに、2人の様子に圧倒されて、マトモに言葉も交わせずに終わってしまった。
それでもまだ、ハンジからの書類を受け取るまでは此処に居られる事がせめてもの救いだが、マホの心はさっきので完全に萎縮していた。

「仲……良さそうだったな」

2人のやり取りを思い出しながら独り呟いた言葉はそのまま自分に返ってきてギュンと胸を締め付けた。
まるで子供染みたくだらない感情だ。
そう分かっているのに、無駄に胸を傷ませる。

「もしかして、マホ?」

不意に背後から聞き覚えのある声を掛けられて、力無く振り向いたマホの瞳がパッと見開いた。

「あれ!?モブリット!?」

そこに居たのは、かつて厳しい訓練兵時代を共に乗り越えた同期の姿で、その懐かしさに自然とマホの表情は綻んだ。

「やっぱりマホか。どうして此処に?」
「ハンジ分隊長に書類を届けに来てて……そうか。モブリット、調査兵団だったね」

訓練兵時代から正義感が強く、面倒見も良かったモブリットは皆からも頼られる存在だった。成績も優秀で座学の試験の前にはよくマホも、モブリットの臨時講師のお世話になったものだった。

「今は分隊長に振り回される毎日だけどね」

ハハハッと困ったように笑ってみせているけれど、その顔は何だかとても楽しそうだ。

「ハンジ分隊長って、少し変わってるってよく聞くけど……」
「調査兵団自体が変わり者の集団だからね。まぁ確かに分隊長は色々と強烈だけど、凄く、熱心な人なんだよ」

そう言ったモブリットの瞳はキラキラとしていて、やはりとても楽しそうで、下らないヤキモチを妬いてしまっている事が酷く恥ずかしく思えたが、それでもそんなちっぽけな感情が胸を傷ませるのだ。

「ハンジ分隊長とリヴァイ兵士長って、仲良し、なんだね?」

こんな事を聞いて何になる、とは思っても、懐かしい頼れる同期を前にしては、弱い心と探究心は抑えられなかった。
突然の質問にモブリットはキョトンとするものの、そこは彼の生真面目で面倒見の良い性格で、素直に
マホの問いに応えてくれた。

「仲良し、というか、お互い認め合ってる仲間だろうね」
「こ、恋仲だったりとか……」
「えぇ!?それは無いよ。きっと兵長は分隊長の事を女としても見てないんじゃないかな。あの人、滅多に風呂に入らないから……って、何で急にそんな事……」

不思議そうにマホを見たモブリットは、彼女の頬が薔薇色に染まっている事に気付き、「ああ……そういう事か」としたり顔で微笑んだ。

「そういえば昔からマホは分かり易かったね」
「いやぁ……はは」

旧知の仲といったら大袈裟かもしれないが、3年間苦楽を共にした間柄、マホにとっては頼れる仲間だった存在は久々の再会でも変わらず、そしてこれまで他人には話せなかった鬱憤もあったのか、マホはリヴァイとのこれまでの経緯を一からモブリットに説明していた。

「……と、まぁ、ただの私の片思いなんだけどね。って言ってもなかなか会えないし、よくよく考えたらリヴァイ兵士長の好きな物一つ知らないんだけどさ……」

古城の外壁に背を持たせ、自嘲気味に笑ってみせたマホは、コンコンとブーツの踵を壁に当てている。
マホに並んで外壁に凭れ、興味深そうに話を聞いていたモブリットは考える仕草で顎に手を置いた。

「兵長の好きな物、か。紅茶ぐらいしか俺も分からないな」
「……紅茶が好きな事すら知らなかったよ私……」

ガックリと項垂れるマホに優しく笑ってモブリットは続ける。

「でも、俺が見知る限り、兵長に女性の影は無いし、そもそもが寄ってくる女性は邪険にするような人だから……。デートに誘って貰えるのは、ちょっとは期待していいんじゃないかな」
「そうなのよ!しちゃうんだよ、期待。でも、話してても何ていうか全然普通だし、私の事何とも思ってないって感じで……私1人浮かれてるみたいなんだよね」
「それは……分からないけど、兵長は無駄な事はしないだろうし、マホとデートの約束をするのは、兵長の中で意味があるからだと思うよ」
「意味……」

ボソリとマホが呟いた時、入口の扉が開き先程ハンジの手に渡った筒型を持ったリヴァイが1人、出てきた。外壁に並んで凭れているマホとモブリットを見て、一瞬だけ意外そうに瞳を瞬かせたが、すぐにいつもの表情に戻りマホにズイと筒型を差し出した。

「ハンジからだ。じいさんに渡せと……ああそれからモブリット。さっきからハンジが探してるぞ」

そのリヴァイの言葉に、モブリットは軽く飛び上がる。

「すみません、すぐに行ってきます。あ、マホ。会えて嬉しかった。また……」

ニコリと笑ってから急ぎ城内へと走って行くモブリットはやはり何処か楽しそうで、マホにはそれが微笑ましくも羨ましくも思えた。

「モブリットと、馴染みだったのか」

そう聞いてくるリヴァイから筒型を受け取りながら、マホはコクリと頷く。

「訓練兵時代の同期なんです」
「そうか……」

サアァと生温い風が通り抜けていって、妙な沈黙が2人を包んだ。
今この時しかチャンスが無い。早く次のデートの約束を取付なければと、分かっているのに、喉奥が引き攣って上手く言葉が出て来ない。
その、妙な沈黙を先に破ったのはリヴァイだった。

「何を話してたんだ」

その声に若干棘があるような気がした。

「モブリットと、随分仲が良さそうだったが」

リヴァイへの想いの丈をぶちまけていたとは言えず、口篭るマホをギロリと睨んだリヴァイの眼は、ゾクリとする程鋭かった。

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