6.カゼ
熱い、怠い、苦しい……
全身が訴える不調に、ぼんやりと意識が覚醒されていく。それでもまだ眠っていたいと、目を閉じたままでいれば、ピタリと額に冷たさを感じ、反射的にパッと瞼を開けた。 見慣れた天井に、寝慣れたベッドに使い慣れた布団。そこは、毎日生活している自分の部屋だった。 一体自分は何をしてたのか、寝ぼけ眼のままゆっくりと上体を起こそうとした時、
「起きたか」
すぐ隣から飛んできた声にぼんやりしたままそちらを見遣れば、ベッドのすぐ脇に、小さな丸椅子に足を組んで腰掛けたリヴァイが無表情でこちらを見下ろしていた。
「!!??リヴァイ兵士長!!」
ボーッとしていた脳内が一気にシャキンと覚醒し、マホはようやく今日はリヴァイとデートをしていたのだという事を思い出した。 確かサンドイッチ店の行列に並んでいたはずで、それが何故自分の部屋に帰っているのか、そこからがどうしても思い出せなかった。 オロオロと辺りを見廻すマホに、痺れを切らしたようにリヴァイが口を開く。
「ひでぇ熱がある。まだ寝とけ」 「ね、熱……」
確かに身体は熱いし、額をに手をやれば、リヴァイがしてくれたのだろう冷たく濡らしたタオルが乗っていてそれがひどく心地良い。
「リヴァイ兵士長が運んで下さった……んですよね?」 「流石に馬車を使った。……勝手に部屋に上がるのは気が引けたが、風邪でぶっ倒れてる人間を放って帰るわけにもいかねぇだろ」 「風邪……」 「それにお前の顔色が悪い事は気付いていたのに、連れ出した俺にも責任はある」 「そんな……」
そういえば朝からぼんやりとはしていた。寝不足と緊張のせいだと思い込んでいたが、よくよく考えれば風邪らしき症状は色々とあった。元々滅多に風邪を引かない体質というのもあるが、デートに浮かれてしまっていたのだろう。そうだとしてもリヴァイに迷惑をかけてしまっている現状に、マホは酷く後悔した。 額のタオルを手に取り、ヨロヨロと身体を起き上がらせるとベッドの上で正座になり、リヴァイに向かって徐に頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしてしまってすみませんでした」
今出来る限りの謝罪の意を示した形だったが、それがリヴァイにはどう映ったのか、体を折り畳むようにして下げられたマホの頭をトンと軽く指で叩いた。
「妙な真似してねぇで寝ろ」
確かな風邪の手応えを感じてる手前、“大丈夫です”等とはとても言えず、すごすごとまたマホはベッドに横たわった。「貸せ」と言って彼女の手から濡れタオルを奪い取ったリヴァイは、それを再び絞り直して額に乗せてやった。モソモソとお礼を言って、虚ろな瞳を瞬かせるその顔は少し寂しげだった。 そんなマホからフイと視線を逸らしてリヴァイは立ち上がると、テーブルの上の紙袋をガサリと持ち上げた。
「サンドイッチは買えなかったが、近くの惣菜屋でスープを買った。食えそうか?」
言いながらリヴァイが、紙袋の中からボゥル型の木の器を取り出した瞬間、甘いミルクと玉葱の香りがフワリと室内に広がった。
たっぷりの野菜が煮込まれたミルクスープは、風邪で気怠い身体にも優しく、それ程食欲が無くとも綺麗に飲み干す事が出来た。 食事を済ませた後、リヴァイに断って寝巻きに着替え、「寝ろ」という圧力に逆らえずにまたすぐベッドに舞い戻ったマホは、やはり何処か寂しげにリヴァイを見つめた。
「リヴァイ兵士長、もう帰っちゃいますか?」
リヴァイが腰掛ける丸椅子の足がギシッと小さくないた。組んでいた足を下ろし、膝に腕を乗せて前のめりになる形でベッドの方へと身を乗り出した。
「……帰ってほしいなら帰るが」
フルフルとマホの首が振られる。
「まだ、居てほしいです。けど、遷ったら良くないですよね」 「そんなヤワじゃねぇが……」
アハハ……と力無く笑ってみせるマホに釣られたのか、フンとリヴァイも軽く鼻を鳴らした。 デートは台無しになったわけで、風邪を引いて良かったとはとても思えないが、それでも今、この部屋の中を流れている穏やかな時間は、マホの心に淡いトキメキを運んでくれていた。
「聞いても、いいですか?」 「何だ」 「どうして、デートしようとしてくれたんですか?」
それは、本当なら今日のデート中に聞こうと思ってた事だった。 わざわざピクシスに嘘を付いてまで会食を断るリヴァイが、好意を見せてくる女性をミーハー思考だと邪険にするリヴァイが、嘘に巻き込んだお詫びだとしても、好意を見せてくる女性の1人であるマホをデートに誘うのはよくよく考えれば不思議な事だ。 リヴァイはマホの質問に訝しげに眉を寄せて、ややあってからボソリと言った。
「変な奴だと、思ったからだ」 「えっ!?変……ですか?」 「変だろ。いきなり『恋人になれ』と言ってきたり、怒りながら告白してきたり、バカ正直かと思えば大袈裟でピーピー煩ぇ……」 「なんか本当、すみません」
恐縮しながらそう言ったマホの額から、温くなった濡れタオルをヒョイとリヴァイは外し、静かに丸椅子から立ち上がった。
「よく分からない変な奴だと思ったから……」
スタスタと水場まで行って、タオルを絞り直すとそれを手に再びベッドまで戻ってきた。
「もう少し知りたくなった。それだけだ」
言いながら、ポケーとしてるマホの額にタオルを乗せる。 ドクン……と強く胸を打つ衝撃にマホは息を呑んだ。 古城で見たあの一瞬の、穏やかで柔らかい表情が今また、目の前にあった。2度目のその顔は、今度は一瞬では無くて、瞬きを2回する時までマホを見つめてくれていた。そしてそれは、やはり恋をしたのだと、実感するには充分すぎる時間だった。
「次はちゃんと地下街に連れてってやる……何であんなとこに行きたがるかは理解できねぇが」 「っまた、デートしてくれるんですか!?」 「嫌なら止めとくが」 「行きたいです!!」
次の好機はまたすぐに……。
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