5.デート
トロスト区の市街地にあるアパートメントの1室で、マホは朝から何度も鏡台の前に立っては真っ赤な頬を両手で抑えてハァァと盛大な溜息を吐いた。 資料室での一件から3日、毎夜なかなか寝付けず昨晩に至ってはほぼ一睡も出来なかった。 おかげで頭はぼんやりしていて、軽く眩暈すら覚えていた。刻一刻と時間が近付くにつれて、緊張で全身は熱くなり、資料室での会話が何度も脳内を巡る。
“お前が本気で俺とどうにかなりたいと思ってるなら、1度……してみるか?” “え、えっ!?シテみるってそんな!だ、駄目ですよ!そりゃ、身体の相性が大事とか言いますけど、そういうのは私っー…っ” “何を想像したのかは知らねぇが、俺が言ってるのはお前の愉快な妄想とはおそらく違うぞ” “ふぇ!?ち、違う??” “2人で出掛けてみるかと言いたかったんだが……” “あ!!シテみるって、デートを、って事ですか!!” “……まぁお前はそんなものすっ飛ばして身体の関係を持ちたいみたいだが” “ち、違います違います!!そもそも私はまだそういう経験は1度も……” “ほぅ。処女なのか” “うわぁぁっ!!違う!!い、今のは忘れて下さい!!” “……努力する。で、どうするんだ?『デート』するのかしねぇのか”
「あああ〜〜〜っっ」
何度思い返しても恥ずかしすぎる自分の発言に、マホは頬を包んでいた両手を頭に移動させてグシャグシャと髪を描き撫でた。直後、慌てて鏡を見ながらヘアスタイルを整える。 あの恥ずかしい会話の後、結局はデートをする事で話は纏まり、互いの都合の付く日を確認すれば直近で3日後の今日だった。 “朝10時に迎えに行く。お前の住んでる場所を教えろ” そう言われて素直に住んでる部屋の住所を教えて、そして現在時刻はもう9時半を廻っている。もうすぐこの部屋の呼び鈴が鳴らされるのかと思うと、緊張でいてもたってもいられず、こうしてマホは何度も鏡の前に立っては同じ行動を繰り返しているのだった。 そもそも男性と『デート』するという事自体、人生で数える程しか経験が無い。デートに適した服装というのも検討が付かず、とりあえずは手持ちの私服の中でも1番女性らしい雰囲気のワンピースに袖を通してみるものの、変に気合いが入り過ぎているような気がして着替え直し、今度は着慣れたブラウスとパンツスタイルにしてみるがこれはこれで普段着感が丸出しでやはり何か違うとパンツを膝丈のプリーツスカートに替えてブラウスの上にベストを羽織ってみれば、とりあえずはその辺にいそうな町娘風にはなった。 さっきから何度も整え直している髪をハーフアップで結い上げてリボンで飾ってみればそれこそ本当に、花売りでもしてそうな町娘だ。ベストの胸元には赤い薔薇のブローチを付けて、入念に鏡で全身を確認する。
「でもこれも変かな。よく考えたらリヴァイ兵士長は大人だし、こんな格好じゃ子供っぽい!?ああやっぱワンピースに……」
再び着替え直そうと、シャツのボタンに手を掛けた時、『ビーーーッ!!』と、年季の入った呼び鈴が鳴った。 ガバッと勢い良く扉の方に顔を向けたものの、なかなか足が前へ出ない。 極度の緊張で全身の穴という穴から汗が噴き出てくるような感覚と、クラリと脳を揺らす眩暈と…… 一体扉を開けた先にはどんな顔のリヴァイがいるのかと想像するだけで動機が激しくなって、呼吸すらままならない。 そんなマホの心境をヨソに再び最速するように呼び鈴が鳴る。 この後に及んで怖気出す心を追い出そうと、両手の平でパチン!って頬を叩き、大きな深呼吸を3度繰り返してからようやく、マホは玄関の扉を開く事が出来た。
「お、おはよう、ございます」 「ああ……」
扉の先に居たリヴァイは、グレーがかったシャツに濃紺色のスラックスというシンプルな服装にタイはしておらず、上質そうなジャケットを上から羽織っていた。小柄ではあるが鍛え上げられた体格と彼の持つ独特の色気が手伝って、兵団服の時よりもグッと魅力的な大人の雰囲気が醸し出されていて、マホは町娘風に仕上がってしまった自分との違いの差に愕然と肩を落とした。
「……なんだお前。顔色が悪いな?」
マホのショックには気付いてない様子で、リヴァイはジッと顔を覗き込んできた。
「は……ちょっと寝不足で」 「……まさか緊張で寝付けなかったとかじゃねぇだろうな?」 「す、すみません」
冷ややかな視線をモロに感じて、マホはしょんぼりと俯いた。
「体調が悪いなら、止めとくか」 「えっ!?嫌ですそんな!!」
釣り合わなくとも萎縮してしまっても、『デート』という好機は無駄にはしたくなくて、慌てて即座に反論すれば、リヴァイはそれが分かっていたかの様なしたり顔でフンと口角を上げた。
「なら、さっさと行くぞ」
短く告げて、クルリと踵を返し歩き出すリヴァイに置いて行かれないようにと、マホも急いで戸締りをして小走りに後を追った。
まだ昼前の市街地は、朝市の帰りなのか紙袋いっぱいに食材を詰めた人々が忙しそうに行き交っていた。ぶつからないように気を付けて歩きながら、マホは隣に並ぶリヴァイをチラリと盗み見る。忙しそうな人波に視線を置いたまま、リヴァイは独り言のように呟いた。
「何処か行きたい所はあるか」
ぼんやりしていたら聞き逃してしまいそうなその問いを何とか捉えたマホは、けれども即答出来ずに辺りを見廻す。
「えっと、えーっと……リヴァイ兵士長はありますか?」 「お前に聞いてるんだ。ねぇのか?」
何処かといわれても、デートするという事だけで頭がいっぱいで何も考えていなかった。 散々逡巡した後に、「あ、」と小さく呟いてマホは言う。
「王都の地下街行ってみたいです!!」 「あ?正気かお前……」
人波に注いでいた視線がマホを向き、リヴァイの顔は若干引き攣っていた。が、マホはそんな事には構わずに自分の胸元を指差して鼻息荒く頷いた。
「はい!このブローチとケーキのセット。本当に気に入ったので、他にも見てみたいです!!」
マホの胸元に咲いた薔薇を見て、リヴァイはチィと面倒臭そうに舌打ちした。
「王都まで行くとなると馬車を急かせても着くのはとうに昼を回るし、見回ってこっちに戻ってくる頃には日付が変わるかもしれねぇぞ」 「私は別にそれでも!!あ、でも、リヴァイ兵士長は困りますよね。すみません。やっぱりいいです」
バツが悪そうに眉を下げてへへへと笑うマホに、リヴァイは諦めたように瞳を閉じた。
「まぁ女が1人で行ける場所では無いからな。とりあえず昼飯は弁当を買って馬車の中で食うか」
言って、急かすようにリヴァイはマホの腕をグイと掴むと、近くに見えるサンドイッチ屋へと早歩きで向かった。
リヴァイは元々知っていたのかたまたま近くだったからか、そのサンドイッチ屋はウォールローゼ内では美味しいと評判の店で、最北のユトピア区やシーナ内からもわざわざ買いに来る客がいる程の有名なお店だった。 今もまだ昼時でも無いのに数10人の行列が出来ており、その有様に一瞬躊躇したリヴァイだったが、
「この店、凄く有名で……私も1度だけ食べた事ごあるんですけど、とっても美味しいんです!!」
そんな事を真っ赤な顔で瞳をキラキラさせて言われては、別の店にしようとは言えなかった。
行列に並び出して15分、ようやくショーケースの中が確認出来る程度まで進んできたところで、リヴァイは随分と大人しくなったマホに聞く。
「どれが食いたいんだ?」
チラリと表情を伺ってみて、その異変にリヴァイの眉間の皺が深くなった。
「おい、マホ……」
何やら顔が赤いと思っていたが、よくよく見れば瞳は虚ろで目の下に出来たクマはどんよりと濃さを増している。
「リヴァイ兵士長、すいません。何か気分が……」
絞り出すようにそう言った直後、これまで何度も堪えてきた眩暈が一気に押寄せてきた、ガクッとマホは膝から崩れ落ちた。
「おいっ……」
珍しく焦ったリヴァイの声が耳に届き、何か応えようと思うものの、朦朧とした意識はそのままゆっくりと薄れていった。
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