2.プレゼント
「なんで、なんで私がこんな事っ!!」
ビタン、と濡れたタオルを石の床に投げ付けた音が、だだっ広い城内に虚しく響いた。 昨日、リヴァイが帰ってしまってからしばらく呆然としていたものの、根は真面目な性分と罰に怯える恐怖心でマホは1人疲れが限界になるまで掃除に励んでいた。 他に誰も居ない古城の中で孤独に夜を明かす事になるなんて、全く予想だにしていなかった。 そもそも1人で出来る事にも限界があり、起きてる時間はほぼ掃除をしていたのにもかかわらず、大して綺麗にもなっていない。 外の雑草も、とっぷりと日が暮れる頃は作業にならず中途半端に刈った状態で朝になればまたやろうとは思っていたものの、城内の清掃に追われている現在、正午前になってもまだまだ外作業に移れそうにはなかった。
「そもそも何で今日なのよ……」
ブツクサと文句を垂れても返ってくる声は無く、孤独感と疲労感はピークに近かった。
「あ〜〜〜っ!!!もう、もうっ!ほんとにもうっ!!」
ブワッと一気に沸き上がってきた憤慨を、人が居ないのをいい事に喚き散らす事で発散して、マホはたった今綺麗にしたばかりの床にゴロンと大の字に寝転がった。 ヒヤリと冷たく硬い床は決して寝心地は良くないのに、余程疲弊しているのかフワフワと心地の良い倦怠感がやってきて、それに身を任せるようにマホは目を閉じた。
別にハッピーな1日を期待してるわけじゃない。そもそも、ハッピーを共有出来る恋人なんてものもいない。それでも自分なりに楽しく過ごせればそれだけで良かった。誰かと一緒でも、1人でも……。少なくとも、廃墟と化した建物の中で、たった1人掃除をする事は、ハッピーとはほど遠い……ー
“おい、起きろ”
そう、例えば、愛する人が耳元で囁いて起こしてくれるような……
“こんなとこで寝てんじゃねぇよ”
そう、こんな風に肩を優しく揺すられるような……
“おい、起きねぇと……”
そう、意地悪く甘い、そんな一時のような……
「襲うぞ」
本当に耳元を擽られるような感覚にハッと目を開けたマホは、すぐ鼻先にある顔に、冷ややかに睨め付けてくる瞳に、心臓を鷲掴みにされる程の衝撃を受けた。
「あっ!!わっ!リヴァイ兵士長!すみません私、決して寝ていたわけではっ!!!!」
慌てて起き上がり、髪を掻き撫でながら必死で謝罪をするも後の祭りで、リヴァイはフンと鼻で笑ってドカッと隣に腰掛けてきた。
「俺が入って来た時には、イビキまでかいてたぞ」 「えっ!う、嘘……ですよね?」
引き攣った顔でそう問うも、リヴァイはさぁな、とでも言うように、軽く首を傾げた。 それが彼の冗談なのか本当なのか、それを探れる程の間柄でもない。 たちまちに半泣き顔になるマホの膝の上に、ポイとリヴァイは小さな紙袋を放った。
「なっ……んですか、これ……」
重量感の無い、手の平サイズの小さな袋ではあるが、昨日からの状況の所為で、マホにはそれが不審物にしか見えなかった。 そんな彼女を急かすでもなくリヴァイは、フイと明後日の方向を向いた。
「上の奴等は、勝手に決めりゃ文句を言うクセに出向いてやったら待たせやがる」 「へ……?」 「その所為で暇潰しに王都を出歩いた先で買った物だ。いらねぇなら誰かにやれ」
主語の無い説明ではあったが、紙袋の中身を指しているだろう事は明らかで、まだ不信感は拭えないものの、膝の上に転がっているそれをマホは両手で大切そうに拾い上げた。
「すみません、お土産を下さるなんて思いもしなくてっ……」 「大袈裟に騒ぐな。土産ってほどのものじゃねぇよ」
確かに、小さな紙袋は手に持ってみても、殆ど重量感は無かった。リヴァイから何か貰えるとは思いもしなかっただけに大袈裟なまでに反応してしまったが、中身がミットラスの道端の石ころだったりしたらズッコケてしまいそうだ。 まさかそれは無いとは思いながらも、恐る恐る紙袋を開けてみたマホの瞳がたちまちキラキラと嬉しそうに輝き出した。
「な、何これ!可愛い!!!」
それは、嘘でも大袈裟でもない素直な感激の声で、その証拠にマホの顔は、ついさっきまでとは打って変わって満面の笑みを咲かせていた。 紙袋の中から出てきたのは、透明な袋に入った手の平サイズの小さなカップケーキで、薔薇の花型に焼き上げられた表面は赤色に着色されたシュガーグレーズが塗られ雫を模した小さな砂糖菓子がキラキラと飾られていた。そしてそのカップケーキのミニチュアの様な、親指サイズの薔薇の花のブローチも可愛らしく小さな箱に納められていた。
「店主が言うには、非公認だが駐屯兵団をイメージしたセットらしい」 「あ、だから薔薇の……」
どこか既視感があると思ったらそういう事か、と納得してから、マホは不思議そうに首を傾げた。
「でも、王都の城下街にこんなの売られてるんですか?非公認なら尚更、憲兵団が黙ってないと思うんですが……」 「王都の街中に売ってるわけねぇだろ。地下街だ」 「地下街……」
サラリとリヴァイが口にしたその言葉は余りに自然で、それはたまに耳にする“リヴァイは地下街出身”だという噂を確証しているような気がした。 それでも今ここでそんな事を問い詰める理由は無い、とマホは思い直し「いただきます」と小さな声で報告してから透明の袋も開けてカップケーキに齧り付いた。 ケーキの表面に塗られたら赤色には本物の薔薇も使われているらしく、甘酸っぱい香りが微かに口の中に広がった。
「美味しい……です」 「なら良かった」
疲れていたからだろうか、カップケーキの甘みがじんんわりと全身を解してくれるようで、その優しさがキュゥと胸を痺れさせた。
「リヴァイ兵士長から掃除を命じられた時は正直、最悪で最低な気分だったんですけど、たった今、一気に最高でハッピーな日に変わりました」 「バカ正直なうえに大袈裟だな」
昨日からずっと重苦しかった空気が、軽く和やかになっていく変化を、マホは実感していた。 もう1口、ケーキを齧ってから恥ずかしそうにマホは言う。
「実は今日、私の誕生日なんです」 「……誕生日?」 「はい!別に恋人も居ないし何の予定も無かったんですけど、一応休みを貰ってたんです」 「ほぅ……なら、俺の所為で休みが潰れたのか」 「まぁそうなんですけど、でも、そのおかげでこんな素敵なプレゼントを貰えたので、最高にハッピーな誕生日になりました」
ブローチを摘んだ片手を持ち上げて見せて、エヘヘ、と笑うマホを尻目にリヴァイはスクッと立ち上がると、真っ白い三角巾を頭に結び、鼻と口もしっかりとガードするように白い布で覆い始めた。 まだカップケーキを手に持ったまま、ポカンとしてるマホを見下ろしてくぐもった声でピシャリと告げる。
「さっさとそれ食ってもう行け」 「えっ!?でも掃除が……」 「もう充分だ。後は俺がやる」
確かにリヴァイの出で立ちは如何にも今から掃除します、といった感じだが、そうであれば例の噂がマホの不安を呼び覚ました。
「あ、あの、私の掃除が至らなかったですか!?やっぱり罰とか、与えられるんでしょうか?」 「あ?」
頭と鼻と口を三角巾で覆った姿では、リヴァイの目付きの悪さがより主張されていて、ジロリとみつめられただけでマホは反射的に肩を竦ませた。フゥ、と草臥れたような息を吐いて、リヴァイは口元を覆う三角巾をずらした。
「お前の掃除の仕方は悪くない。そもそも俺が頼んで無理にやらせてる事で罰があるわけねぇだろ」 「そ……う、ですか?」 「ああ。感謝してる。助かった」
それは瞬きをしたら見落としてしまうぐらいのほんの一瞬だったが、僅かに口角を上げて微笑むリヴァイの姿を、確かにマホはこの目で捉えていた。 強烈な破壊力等と表現したらまた大袈裟だと言われそうだが、今現在の自分自身の中の衝撃を伝えるには、それ以外に見合う言葉が見つからなかった。 勿論当の本人を前にそんな事は口に出来ず、マホは己の胸の内にしっかりとその衝撃を受け止めていた。
「ふぁっ、あ……の、私、掃除手伝います!」 「……半日過ぎてるが誕生日なんだろうが。せめて残りの半日は有意義に過ごせ」 「でも、プレゼントも貰いましたし!!」 「そもそもあれはプレゼントじゃねぇ。掃除を頼んだ礼だ」 「でも私……」 「お前の名前、何だった?」
昨日に自己紹介はしていたが、覚えては貰えてなかった事に、マホはガックリと肩を落としつつ、モソモソと言う。
「マホです。マホ·ネーム」
そう告げる彼女の口元をしっかりと見届けてから、リヴァイは分かった、というように軽く頷いた。
「マホ、か。悪かったな。せっかくの誕生日に」 「だから、そんな事はもういいんです。私も手伝います!」 「何をそんなに強情になってるのか分からねぇが、もう1泊此処に泊まるつもりか?風呂にも入らず着替えもせずに」 「うっ……それは」 「分かったらもう行け」 「でもリヴァイ兵士長は……」 「俺は着替えを持っている。それに男だからな。その辺の川で水浴びも出来る。それともお前は俺と一緒に1晩過ごしたいのか?」
それがリヴァイの優しい冗談だという事は、分かっていたが、流石にそこまで言われてはもう残るとは言えなかった。ハァと諦めの悪い溜息を吐いてから、マホはビシッと敬礼のポーズを取った。
「分かりました。では、失礼します」 「ああ。気を付け帰れよ、マホ」 「はい!では、また……」 「……ああ」
これっきりにしたくないという願望を込めて口にした“また……”という言葉に返ってきたのは、素っ気ないながらも拒絶的では無いモノで、それだけでマホは嬉しく思えたのだった。
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