1.出会い


駐屯兵団トロスト支部、中庭に面した渡り廊下に射し込む夕日に頬を照らされながらマホはウンと1人両手を上げて伸びをする。
今日の業務を1通り終えた今は何とも清々しい気分で、既に明日の予定を考える事で脳内はいっぱいだった。そんな彼女のスッキリした気持ちに水を差す様に背後から声が掛かる。

「あー…マホ。ちょっと良いかの?」

天井に向けて目一杯伸ばしていた両手を即座に下げて姿勢を正すと、クルッと回れ右をしてマホはビシッと敬礼のポーズをとった。

「ピクシス司令!お疲れ様です!!」

かしこまる彼女を片手を上げて制してから、ピクシスはオホンと軽く咳払いをした。

「おぬし、今日の業務はもう終わったのだな?」
「は、はい!私明日はー…」
「なら悪いが1つ頼まれてくれんかの」
「は、い?」

途中で言葉を遮られ舌を咬みそうになったものの、司令官からの命令ならば、とすっかり聞く体制を取っているマホは、既にこの後に「承知致しました」と言う準備を整えていた。
ピクシスは片眉を下げると両手を後ろで組み、顔を中庭の方に向けて陽射しが眩しいのか目尻の皺を深くした。その間も気を緩める事もなく真っ直ぐこちらを見ている従順な部下の様子に一息吐いてから、ピクシスはようやくと口を開いた。

「実はの……トロスト区から北東に今は使われてない古城があるじゃろ?」
「はい」
「その古城をな、調査兵団が新たな支部として利用したいらしい。それでの、丁度今から兵士長が視察にやってくる。そこで案内をおぬしに頼みたいんだが……」
「今から、ですか?」
「左様。ウォールマリアが陥落して4年、調査兵団も色々と慌ただしいようだ。先日の璧外遠征でも何やら新たな発見があったとか無かったとか……」

確かにウォールマリア陥落以降、調査兵団の活動が盛んになってる印象はあった。
壁外調査での新たな陣形が良い成果を出しているとか、新しく団長に就任したエルヴィンが優秀だとか、壁内の治安を守る立場の駐屯兵団内でもよく話題に上がっていた。
それにー…

「兵士長って、リヴァイ兵士長の事ですよね?」

確認するように聞くマホに、ピクシスは大きく頷いた。
やはりか……と、マホは僅かに肩を落とした。
5年前にエルヴィンの計らいで調査兵団に入ったというリヴァイという男は、圧倒的な強さで1人で一個旅団並の兵力があるらしく、兵士長となった今では壁内でも名を知らぬ者は居ない程の実力者だ。
実際マホもリヴァイの姿を遠くからではあるが見た事はあり、思いの外小柄ではあるものの、その圧倒的な存在感は確かに他者とは群を抜いていた。
だが、そんな名声と肩を並べるぐらい彼の黒い噂も後を絶たなかった。
調査兵団に入る前は地下街で有名 なゴロツキだったという噂を筆頭に、飲み屋の店主に強引に喧嘩を吹っ掛けたあげく彼の女房を連れ去り手篭めにした、現団長のエルヴィン·スミスに斬り掛かった、部下の掃除の仕方が気に入らないというだけで厳しい罰を与えた、そして彼に想いを寄せる女性はことごとく泣かされている……と、勿論マホもその噂が全て真実とは思っていないが、火のないところになんとやら、そういった噂が後を絶たない人柄なのだろう。なんにせよ、願わくばあまり関わり合いになりたくない人間である事は間違いなかった。
そんなマホの心情を悟ったのか、ピクシスがまた、オホンとわざとらしい咳払いをした。

「安心せぃ。リヴァイはまぁ……多少口が悪く癖のある男じゃが悪い奴では無いぞ」

その説明だけでもう充分に安心出来なくなってしまったが、そんな事は口に出来ず、グッとマホは生唾を呑み込んだ。
とその時、1人の兵士が走り寄って来てゴニョゴニョとピクシスに耳打ちし、ピクシスもコクンと1度頷き、マホに視線をやって不敵な笑みを見せた。

「たった今、リヴァイが到着したそうだ」


ピクシスに連れられ門の前までやってきたマホは、そこに立っていた小柄な男の姿に早くも萎縮していた。彼のすぐ傍らに堂々と立っている真っ黒い馬の所為もあるのかもしれないが、何ともいえない威圧感に、空気の層が薄くなっているような気さえした。
そんなマホの緊張とは対照的に、ピクシスはリヴァイに片手を上げて気楽そうに笑っている。

「久しぶりじゃの、リヴァイ」
「今日は呑んでねぇんだな」
「呑みたいところなんだがこれから大事な会議がってのぅ。そういうわけで古城までの案内は此処にいるマホ·ネームが引き受ける」

ズイ、とピクシスに片手で示されて、マホは緊張を隠すように力強く敬礼をしてみせた。

「マホ·ネームです。私が責任を持ってリヴァイ兵士長をご案内致します!」

1度チラリとマホを見たものの、さして興味は無さそうにリヴァイはすぐにピクシスに視線を戻した。

「なんだ。じぃさんが案内してくれるんじゃないのか」
「こう見えて多忙でのぅ。また今度ゆっくり酒でも呑もうや」

フォッフォッと陽気に笑うピクシスの人柄に圧されたのか、リヴァイはそれ以上は何も言わず受け入れたらしかった。
そんな2人のやり取りを聞いていたマホの緊張は更に増して、せめて一旦気持ちを落ち着けたいと、「馬を連れて来ます」と告げて足早に厩舎に向かった。

艶りとした栗毛の小柄な馬を厩舎から連れ出しながら、マホはハァと重い溜息を吐いた。
間近でリヴァイと対峙したのは今日が初めてで、その威圧感は以前に遠目で見た時の比では無かった。
何よりあの目だ。鋭く冷たく、この世の全てを恨んでいるかの様なグレーの瞳。マトモに見つめたらそのまま心臓を抉り取られるんじゃないかとさえ錯覚した。
それにあの言葉遣いだ。壁内中は言い過ぎだとしても、ピクシスの事を“じいさん”等と呼ぶ人間に会ったのは初めてで、これまで耳にしてきたリヴァイに纏わる黒い噂はやはり全て事実なのではないかと、そんな不安が門へと戻る足取りを重くしていた。



緊張すると喋れなくなる者、逆にお喋りになってしまう者、人によって様々だろうがマホは後者の人間で、緊張がピークになると妙に饒舌になるタイプだった。
トロスト区を出て東、カラネス区方面へと馬を進ませている最中、ひっきりなしに口を動かしているのはマホだけだった。

「凄いですよね、リヴァイ兵士長!入団してから数年で兵士長になるなんて!」
「…………」
「大きなリュック背負ってますね?重く無いですか。よかったら私も何か持ちましょうか?」
「…………」
「調査兵団も過酷ですよね。また近々壁外に行くんですよね」
「…………」
「エルヴィン団長も凄く期待されてるんですよね。私からしたら、リヴァイ兵士長もエルヴィン団長も凄く遠い存在で……」
「おい、お前……」

ようやく相手が反応した事に、ほんの少しの期待と不安を抱いて後に続く言葉を待ってみれば、返ってきたのはマホが想像していた以上に冷ややかなものだった。

「黙って馬に乗れねぇのか」
「はっ……、失礼しました」

マホからすれば、緊張と沈黙の空気が苦しくて何とか話題を探していたというのに、そう言われてしまったらもう何も言えるはずがなかった。
最悪な気分と雰囲気に今すぐにでも帰りたい衝動に駆られるものの、とりあえず与えられた役目は果たすべく馬を進ませながらその後は無言を貫いた。
目的の古城を目前に捉えた時に、心底救われた気持ちになったのは言うまでもなかった。

かつては王族の分家が所有していたらしい、とは言っても人の出入りが無くなって数十年、完全に廃墟と化したその城の周りは雑草が生い茂り、外壁には伸びた草木がツルを巻いていた。

「酷ぇ状況だな、こりゃぁ……」

ボソリとリヴァイがボヤいた言葉に、ようやく口を聞く事を許された気がして、マホも数刻振りに声を発した。

「誰も立ち入って無かったみたいですしね。でも、もしかしたら浮浪者が潜んで居たりするかも……」
「そんなモンより、埃やカビが充満してる方が気味が悪ぃ」

言ってリヴァイは馬を降り、ジャケットの内ポケットから取り出したハンカチで鼻と口を覆い城の中へと歩きだすので慌ててマホもその後を追った。

石で造られた頑丈な建物は、ところどころにヒビが目立つものの崩壊するような欠損は無く、掃除をすれば利用するのに問題は無さそうだ。
それはリヴァイの表情からも伺えて、ようやく肩の荷が降りた気分で、ホッと一息吐いたマホの耳に、とんでもない言葉が降ってきた。

「明日の朝までに、出来る限り此処を綺麗に掃除しておけ」

一瞬、何を言われているか分からなくて、少ししてリヴァイが再び「おい、聞いているか?」と声を掛けてきた事で、ハッとマホは我に返った。

「そ、掃除って私がですか!?」

自分自身を指差しながら、信じられないという顔で問うマホに、リヴァイは当然といった表情で答える。

「他に誰がいるんだ。出来る事なら俺も今すぐ此処の掃除に取り掛かりたい。だが此処を利用するには、王都まで出向いて憲兵団のトップに許可を取らなければいけないらしい。面倒くせぇが。今すぐ向かって明日の昼までには此処に戻る」
「あ、あの、私明日は……」
「別に完璧に掃除をしとけと言ってるわけじゃない。出来るだけしてくれりゃそれでいい。どうせ明日には俺が掃除するからな」
「あの、私……」
「後は任せる。おれは急ぎ王都に向かう」

マホが何か言おうとする前に、リヴァイははなからそのつもりだったのか、背負っていた大きなリュックサックを下ろしそれをマホに押し付けるようにして持たせると、急ぎ足でその場を離れていった。
残されたマホは、あまりの展開にしばし呆然とした後、無理矢理持たされた形になったリュックの中身を確認した。
薄い毛布に、何枚ものタオルや布、野戦糧食と水、ランプとマッチとロウソクと……野営用のセットとおぼしき中身が詰め込まれていて、「嘘だ……」とやるせなく呟いたマホの声は、しずかにリュックの底に沈んでいった。

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