10.誕生日
早朝にトロスト区を出発した馬車は王都への道を軽快に進んでいた。 車内ではリヴァイと向かい合って座るマホが、落ち着かないのか窓の外を覗いたり、キャビンの装飾を触ってみたり、コツコツと床に爪先でリズムを取ったりと先程から忙しなく動いている。
「何をさっきからチョロチョロしてるんだお前は」
流石に目に余ったのかリヴァイがそう指摘すれば、窓の外に視線を置いたままでマホはポソポソと言う。
「やっぱ私の格好おかしいですよね」 「あ?」
また突拍子のない事を言い出した……と、眉を寄せるリヴァイを尻目にマホは続ける。
「私、あんまり洋服持ってないし、流行りにも疎いし。今日も、凄く悩んだんですけどこんな格好で、リヴァイ兵士長の隣に並んだら変じゃないかなって……」
どうやらマホが車窓から見つめているのは、通りを歩くお洒落した若い女性達のようだった。“こんな格好”とマホが卑下する身なり は、前回と大差無い町娘風に仕上がっていた。それでも彼女なりにお洒落したのか、襟に繊細な刺繍が施されたブラウスを着ており、その上にはベストでは無く、可愛らしい包みボタンの付いたカーディガンを羽織っていた。そしてその胸元にはやはり薔薇のブローチが飾られている。 リヴァイは、今の今まで全く見ていなかったといわんばかりにマホの姿形を上から下まで見澄ますと下らなそうに溜息を吐いて、窓枠に肘を付いて手の平に顎を乗せた。
「何を悲観してるのかよく分からねぇが、素っ裸で歩かれでもしない限り誰も変だとは思わねぇよ」 「それは極論ですよっ……。女の子は、気にしてしまうんです。自分の容姿とか、服装とか……。やっぱり、デートする相手には……少しでも可愛いって思われたいんですよ」
サッサッと埃を払うような仕草で、両膝を擦りながらそう言って、マホは物憂げに俯いた。リヴァイはそんな彼女を見つめて、フンと顎を乗せた手の平で口元を隠すようにしてからボソリと言った。
「思ってなきゃ誘わねぇよ」
その言葉と同時にキキッと馬車が停車し、カタンッとキャビンが揺れた。
「?何か言いました?」
パッと顔を上げてマホが尋ねた時には、既にリヴァイは座席から腰を上げていた。
「そんな事より着いた。さっさと降りるぞ」 「あっ、はい!!」
またスカートを払う素振りをしてから、マホも急いで立ち上がった。
「うわぁ……これが地下街!!」
初めて訪れたその場所に、マホは子供のように瞳をキラキラさせて周囲を見渡している。 そこは露店が立ち並び、届かない陽の光の代わりにあちらこちらに灯されたランタンの明かりと行き交う人々の様相が、夜のような錯覚を連れて来る。
「地下街って暗くて怖くてアウトローな人がゴロゴロしてるイメージだったんですが、思ったよりも賑やかですね」
実際、露店の店員は如何にもな風貌ではあるが、客達の中には明らかに貴族だろうと思われる身なりの良さそうな人もチラホラと伺えた。
「此処は地下街でも玄関口みてぇな場所だからな。地上に住む奴等が暇潰しに遊びに来たり珍しい商品を探しに来るからな。もっと奥に行きゃ行儀良く育って来た人間にゃ目を覆いたくなるような光景が広がってる」
その見知った言い方に、マホはこれまでも何度も耳にした彼の噂を思い出した。
「あの、リヴァイ兵士長はやっぱりー…」 「あれ!?リヴァイじゃねぇか!?」
すぐ側の、宝石をズラリと並べた露店からヒョイと飛び出してきた店員が、ガラガラ声でそう叫びながら近付いてきた。大柄で体格の良いその男の頬には大きな傷があり、その風貌は如何にもなゴロツキだ。 反射的に身構えるマホを他所に、男はリヴァイの肩に馴れ馴れしく肩を置いた。
「久し振りじゃねえか!!何だよ元気そうだな。相変わらず悪ぃ面構えだが」
絡んでくる男を邪険にするでもなく、リヴァイもフンと軽く笑った。
「悪人面のてめぇには言われたくねぇよ。商売は変わりねぇみたいだな」
店頭に並ぶ宝石をチラと見てリヴァイが言えば男はガハハと豪快に笑った。
「俺にはこんな生き方しか出来ねぇからな!オメーは今や調査兵団の偉いさんだって?大したもんよなあ!!」 「大差ねぇよ。喧嘩の相手が巨人になっただけだ」 「そりゃますますオメーとは喧嘩したくねーな!」
愉快そうにしている男はそこでようやくマホの方を見て、「おお」と目を丸くさせた。
「随分と可愛い娘連れてるじゃねーか!どうりで機嫌が良いと思ったぜ」 「何言ってやがる。くだらねぇ。それよりいいのか?物欲しそうに見てる客がいるぞ」
言って、リヴァイが顎で指し示す場所には確かに客がいて、男の店の商品をしげしげと眺めている。
「あぁっ?なんだよ折角の再会だってのにしょうがねーな。じゃあなリヴァイ!またゆっくり呑もうぜ!!」
名残惜しそうに男は店に戻り、早速と客相手にベラベラと売り文句を謳いだしていた。
「……昔の馴染みだ」
終始呆気に取られた顔で立ち尽くしていたマホに、そうボソリと告げてリヴァイは彼女の腕を取ってスタスタと先を歩きだした。
「あ、あの、リヴァイ兵士長が地下街出身のゴロツキだっていう噂は……」
先程尋ねようとして遮られた質問を再び口にすれば、ピタ、とリヴァイの足が止まった。 スッとマホの方を向いたその顔は、あまりにも真剣味を帯びていて、周囲の空気がガラリと色を変えたような気がした。
「隠してるつもりも無いが……」 「あっ……そう、ですよね」 「……ショックか?」 「え?」
“ショック”というフレーズだけが、頭の中で行き場を無くしたようにグルグルと回っている。 目の前のリヴァイは、毅然としたいるように見えるが、その瞳の奥には小さな怯えが隠れているような、そんな気がして、マホは真っ直ぐに彼を見つめて大きく頭を横に振った。
「違います」 「違う?」 「はい。確かに気になってました。リヴァイ兵士長の噂はやっぱりよく耳にするので。けど、知ったからショックとか、嫌だとか、そういう事じゃなくて、私はただ……」
そう言ってから、マホは以前病室のベッドでした時と同じように手を伸ばして、リヴァイの手の平をギュッと包んだ。
「知りたかった、て。本当にただそれだけで……だって私は、リヴァイ兵士長の事をまだ全然知らなくて……」
出会って、気になって、恋をして、それでも知らない事だらけで。 たった今も、パチパチと何度も瞬きをして物言いたげに小さく開いている口元が、何を思っているのかマホは知らない、分からないのだ。 だから大袈裟だと言われてもマホはマホ自身の気持ちを伝えてきたのだ。
「それでも私は、リヴァイ兵士長の事が……」
知ってほしくて、知りたくて、伝えてきたのだ。
「通路のど真ん中でイチャついてる男女がいると思ったらリヴァイじゃないか」
また、不意に飛んできた声がマホの勇気に蓋をする。 パッと繋いでいた手を離して、声のする方を見れば、派手な化粧を施した初老の女性がパイプを蒸してこちらを見ていた。 女性とバチッと目が合うと、馬車に乗っていた時の悲観的な自分が顔を覗かせてきて、居心地悪そうにマホは俯いた。女性はそんなマホを舐め回すように見てから、無言のままのリヴァイに視線を向ける。
「久し振りにお前さんの可愛い顔が見れたと思ったのに、何か糞詰まりみたいな表情だねぇ?」 「……クソの出は悪くねぇが」
そのリヴァイの言葉に女性はニンマリと笑い、フーと鼻から煙を吐いた。
「そうかい。そりゃ良かった。ならまた後で彼女と一緒に私の店に来な。サービスするよ。だってお前はん、今日……」
マホが俯けていた顔を上げ、リヴァイは女性から吐き出される煙を避けるようにソッポを向いていた。
「誕生日だろ?」
もう1度、マホを見て笑うと女性は「待ってるよ」と言い残し、奥の方へと進んで行った。
「た、んじょう、び?」
正に鳩が豆鉄砲を喰らったという表情で、そう口にするマホをチラと見て、リヴァイは悔しげに舌打ちをした。
「あのババァ、余計な事言いやがって」
そのリヴァイの声音には何処か余裕が無さそうで、マホは不安げに彼を見上げた。
「今日が誕生日って、本当なんですか?」 「……何で泣きそうになってんだよお前は……」
潤みだしているマホの瞳は瞬きをすれば雫が零れてしまいそうで、リヴァイは両手の平で薔薇色に染まった彼女の頬を包んだ。その温もりに愛おしそうに綴じられた目尻にジワリと涙が滲む。
「だって、知ってたら何か用意出来たのに……」 「そんなもん要らねぇよ」 「でも、私は知りたかったです。リヴァイ兵士長の事、もっと知りたくて……」 「俺は言いたく無かったんだよ」
ピシャリと吐き捨てるように言ってから、リヴァイはマホの頭にソッと口付けを落とした。 そうしてからグイ、と彼女の顔を自分の胸に押付けて、されるがままにしているのをいい事に、その身体をギュッと強く抱き締めていた。 それが、リヴァイの照れ隠しだとマホが知るのはまだもう少し先で……
「言ったら、俺が自分の誕生日を選んで誘った事が、バレるだろぅが」 「……リヴァイ兵士長それってどういうーっ!!」
顔を上げようとしたマホの頭を掴んで、再びリヴァイは自分の胸に押し付ける。
「マホ。もう少し大人しくしてろ。今はお前に顔を見られたくねぇ……」
リヴァイの腕の中でカァッと顔を真っ赤にさせるマホと同じ様に、リヴァイの顔も赤くなっていた。 -end-
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