9.ケガ
調査兵団が壁外調査に出発してから3日後の昼、帰還を知らせる鐘の音がトロスト区の教会から鳴らされるのを聞き、マホは密かに胸を撫で下ろした。 帰還経由がトロスト区ならば、是非とも壁前広場まで出迎えに行きたいとは思うものの、こんな日に限って業務が建て込み、ようやくと手が空いた時には、帰還に合わせて壁付近の巨人の殲滅に携わっていた兵達がトロスト支部へと戻ってきている頃だった。
「やっぱり、エルヴィン団長が指揮官になってから明らかに犠牲者の数が減ったよなぁ」 「ああ。それにリヴァイ兵士長の力も大きいな」
兵達の会話に思わずマホは耳をそばだてる。
「だな。だけど、リヴァイ兵士長、今回の怪我は大丈夫だろうか?」 「帰還の足で看護兵がトロスト区の医院に運んだらしいな。大事無いといいが」
並んで歩く2人の兵の間に割って入るように勢いよく、背後からマホが飛び込んで来た。
「うわっ!何だよビックリするじゃねぇか!!……って、マホ?」
突然背後より現われたマホの存在に驚いた兵は抗議の意を示すが、彼女の表情を見て毒気を抜かれたようにキョトンとする。
「今の、ほんと?」 「え?」
真っ青な顔で目を見開いて、マホは兵に詰め寄った。
「リヴァイ兵士長が怪我したの!!??」
トロスト区の中心地に建つ医院は小さいながらも腕の良い医者が開業しており、特に外科技術に関しては壁内中から患者が来るほどの評判だった。 その医院血相を変えて飛び込んで来たマホは、訝しげにこちらを見ている受付の女性に捲し立てるように聞く。
「ここにリヴァイ兵士長が運ばれたと聞いたんですがっ!?」 「は、はぁ……」
その形相に圧倒されてポカンとする女性は、聞かれるままにリヴァイの居る病室を教え、お礼もそこそこにマホは病室へと走った。 途中、廊下ですれ違った看護師に「院内は静かに!」と注意をされるも耳に届いていないのか、血走った眼で一直線に病室へと向かっていた。
院内の1つの個室の中では、窓際に持たれたエルヴィンと、その隣に立つミケが神妙そうにベッドを見つめており、ベッドの脇にはハンジがパイプ椅子に腰掛け頬杖を付いていた。 窓から射し込んできた夕日がベッドの真っ白いシーツを照らしだし、それが眩しいのかシャッとエルヴィンがカーテンを閉めた。 フンフンとミケが鼻を鳴らし、何かを察知した犬 ようにハンジはピク、と姿勢を正して扉を見つめた。その数秒後、ノックの音が高速で3回鳴らされ、室内の誰かが返事をする前にバンッと勢いよく扉が開いた。
「リヴァイ兵士長!!!」
悲愴な顔で飛び込んで来たのは、駐屯兵団の制服に身を包んだ女性兵士で、彼女に1番最初に反応したのはハンジだった。
「あ、マホだ」
その落ち着いた声が、切羽詰まっていたマホの心に冷静を運んでくる。
「ハンジ、彼女は?」
凭れていた窓から背を外し、穏やかな口調で問うエルヴィンに、ハンジはあっけらかんとした口調で答える。
「駐屯兵団のトロスト支部配属のマホ・ネームだよ。リヴァイと仲良しみたいだよ」
ほお……と興味深そうにするエルヴィンの隣でスンスンとミケが鼻を動かした。
「彼女から尋常じゃない量の汗の匂いがする。相当な精神の乱れがあったようだ」
徐々に冷静を取り戻しだしたマホは、目の前で交わされている会話とその面子に、口をポカンと開けたまましばし硬直していたが、次の人物の言葉でハッと我に返った。
「お前等何勝手に騒いでやがる」
ベッドの上で上体を起こしてそう言い放った人物こそ、マホが必死の形相で探していた人そのもので、何とか冷静を保ちながらも駆け寄りたい衝動は抑える事が出来なかった。
「リヴァイ兵士長!!怪我、怪我は!?大丈夫なんですか!?」
ベッドの前まで駆け寄ったマホは心配そうにリヴァイの表情を見やるが、ポーカーフェイスを貫いた彼は何とも無いとでもいいたげに、肩から腕にかけて包帯を撒かれた右手を上げた。
「少し擦りむいただけだ」
毅然とした口調で言うリヴァイに間髪入れずハンジが付け加える。
「15針も縫っといてよく言うよ」 「じゅ、15針!?」
サァッと血の気が引いたマホを見て、リヴァイは「余計な事を言うな」とハンジを睨み付けた。 その様子を見ていたエルヴィンがクックッと笑う。
「傷はともかく、リヴァイは元気そうだな。この様子だと回復も早いだろう」
言いながら、マホを見て含んだように笑うと「さぁ、私達はもう行こう」とミケとハンジを促した。 今この病室に調査兵団の団長と兵士長と分隊長が揃っているという状況に、今更ながらの緊張に焦りだすマホだったが、既に兵士長以外は部屋を出ていこうと扉を開いている。
「あ、あのっ!!」
咄嗟に声を上げれば、扉に手をかけたエルヴィンがピタと動きを止めた。 トン、と鈍い音が鳴るほどの勢いでマホは敬礼をすると、深々と頭を下げた。
「先程は、ロクに挨拶もせずに失礼いたしました!大変な無礼をお詫び致します!!」
足の爪先まで緊張の糸が張り巡らされているようなマホに、安心させるようにエルヴィンは柔らかく笑んだ。
「いや……そこまで心配されるリヴァイは幸せ者だな」
紳士的にペコリと頭をさげて、ハンジ、ミケと共に今度は本当に部屋を出て行った。 パタンと扉が締まり、室内は波が引いたように静かになった。
「何しに来たんだ。お前」
その声にマホはようやく深く下げていた頭を上げた。 ベッドのすぐ側、リヴァイとは手が伸ばせば届く距離なのだが、彼女の視線は扉に注がれ、ハァと悩ましげな溜息を漏らしている。
「まさかハンジ分隊長だけでなく、エルヴィン団長とミケ分隊長にまでお会いする事になるなんて……」 「おい、人の話を聞いてるのか?」
リヴァイにクイッとのジャケットの袖を引っ張られ、ハッとしてマホは彼に姿勢を戻した。
「すいません!何か色んな出来事が一気にやって来て頭がパンクしそうに……リヴァイ兵士長、本当に怪我は、大丈夫なんですか!?」
擦りむいただけだと言ってはいたが、ハンジ曰く15針も縫うほどだ、軽い怪我なはずは無い。 肩から腕にかけて巻かれた包帯を見て痛々しそうに眉を寄せるマホに、リヴァイはハァと溜息を吐く。
「此処の医者が随分と丁寧な処置をしただけだ。大した怪我でもねぇのにエルヴィンの野郎まで1日入院して療養しろだとか言いやがって……。それよりも俺は、お前が此処にやって来た理由がサッパリ分からねぇんだが」 「勝手に来てすみません。リヴァイ兵士長が怪我をしたと人伝に聞いて、不安になって……」 「それで騒いでやって来たのか。元気な奴だな」 「だって、心配で……ああでも、そうですよね。よくよく考えたら迷惑ですね。本当、すみません」 「騒がしくなったりしおらしくなったり、忙しい奴だな」
リヴァイがフッと僅かに頬を緩めた。 その穏やかな微笑を失いたくないと、強く思った感情のままに伸ばした手はリヴァイの手の平をギュッと包んでいた。 一瞬、キョトンとしたリヴァイはそれでも拒否をするでもなく、マホに身を任せるように手の平を預けていた。
「デート、当分先になっちゃいましたね」 「何寝惚けてやがる。さっきも言っただろうが。大した怪我じゃねぇ。報告書の提出やなんやで数日は慌ただしいが……」
言ってリヴァイは視線を宙に泳がし考える素振りの後、満足気に口角を上げた。
「5日後なら空けれる。予定はあるか?」 「私は平気ですが、リヴァイ兵士長は、本当に大丈夫ですか?」 「いらん心配だ。それよりもまた風邪を引かねぇように自分の心配をしてろ」
繋がれた手の平はそのままで、柔らかく優しい空気が部屋いっぱいに広がっていた。
その日、自宅に戻ってからマホは、カレンダーの日付を大きくハートマークで囲い、嬉しそうに何度もなぞっていた。
5日後のデート。
その日付は12月25日ー…。
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