あっ、と思った時にはエミナの身体は既に傾いていた。このままだと床にどさりと転び込んじゃうなぁ、なんて呑気に考えてたら、傾きは止まる。誰かが自分を支えてくれたのだ。 「……カヅサくん?」 「何で疑問系なんだい?」 ぱちくりと見つめてくるエミナの視線がカヅサには不思議だった。とりあえずバランスを取り戻した彼女から手を離す。ぱたぱたと自身の格好を軽く整え「ありがとう」と笑みを浮かべ礼を述べたエミナの次の言葉で先程の視線の意味を知った。 「カヅサくんって結構力あるよね。もう少し非力なイメージだったんだけど」 どうやらエミナの中ではカヅサは力が弱い印象だったらしい。 心外だなぁ。 「いや、僕も男だから君よりはあるからね?一応候補生だったし。それに……」 「それに?」 そこまで言って、カヅサはにっこりと笑った。それはそれはとても良い笑顔で。 「クラサメくんを相手にするにはそれなりにないとね」 「無くていい」 「おっと」 背後から突如加わったもう一人の声にカヅサがわざとらしく肩をすくめた。 「遠慮しなくていいのに」 「大方、お前の趣味の為に気を失った者を担げる程度の力は必要なだけだろう」 「趣味じゃなくて研究だよ」 振り向くこと無く話を続けるカヅサの横まで来たクラサメはそこでエミナに視線を向けた。一部始終を見ていたらしい。 「何も無い所で転ぶなんてらしくないな、エミナ」 「うーん…疲れてるのかなぁ」 本人も不思議そうに首を傾げた。エミナ自身はそこまで身体が疲弊してるなどとは思っていない。外観も、寝不足の隈が目立ってたり、やつれてたりなどはしておらず、クラサメから見てもまるで常日頃の健康体だ。 なのにカヅサだけは別の見解だった。 「いいや、疲れてるんだよ。身体的にじゃなくて精神的にね」 やっぱりこのご時世となれば今までとはかかる負荷の量が変わってきてるんだよ。エミナくんだけじゃなくてクラサメくんもだけど、気付かない内に蓄積してるところが多そうだから。自分ではきちんと管理してる気でいても、その真面目さが裏目に出る時もあるのさ。 そこまで一気に述べてから、カヅサは白衣のポケットから一枚の手紙を取り出し、エミナに渡した。 「と言うわけで、僕からエミナくんにプレゼント」 「ん?なにかな?」 渡された手紙をエミナが開いた瞬間、一言。 「クラサメくんの黒歴史」 クシャッ。 それを聞いた途端、光の速さで手紙はクラサメに握り潰されてしまった。その速さはエミナの目が文字を認識する時間を与えないほどで、全く内容が分からなかった。何か書いてあったかさえ朧気で。 「カヅサ……!」 「あはは、この間研究室の棚を整理してたら偶然見つけてさ。懐かしいでしょ。いやあ、あのクラサメくんがこんなに落ち着くなんてねぇ」 キッとカヅサを睨みつけるクラサメからは殺意が滲み出ているのに、カヅサは全く平気に笑っている。 それからエミナに近付き、そっと耳打ち。 「たまにはバカみたいな息抜きも必要だよ」 くすりと笑って、また一つ手紙をエミナへ渡した。 「それじゃあ、僕まだやることあるから。またね」 怒るクラサメも呆気に取られるエミナも置いていき、カヅサはその場から去っていった。 残された二人はしばし無言だったが、クラサメが溜め息と共に口を開いた。 「まったく、あいつは……」 「ねぇ、クラサメくん。黒歴史ってなあに?」 「………」 ここぞとばかりに追及すると、再びクラサメは口を閉じ、更には目まで逸らす。けれど、エミナもさっきのカヅサの言葉で大体は予測がついていた。 「まあ、クラサメくんやんちゃだったもんね。私もクラサメくんの今と昔には驚きだよ」 「……もういいだろ、その話は」 諦めつつけれど話題を変えようとするクラサメが共に候補生として過ごしていたあの頃を思い出させて、エミナは微笑んだ。 そして、渡された手紙を見てある事に気付く。 「あれ、この手紙クラサメくん宛だ」 はい、と渡された手紙を疑問符を浮かべながら開けたクラサメは読んだ途端に動きが止まった。ピキッと効果音でも聞こえてきそうなその様子に今度はエミナが疑問符を浮かべる。 「ん、何が書いてあったの?」 その言葉でクラサメが弾けたように動いた。持っていた手紙をエミナに押し付け、彼にしては珍しく廊下を勢いよく走りだしていった。 「カヅサぁぁぁぁ!!」 しかも大声をあげて。 流石にエミナもきょとんとしてしまう。 とりあえず、渡された手紙を読んでみる。 『研究室を整理してたら過去の君の素晴らしい文章がちらほらと出てきてね。やはりこれはより多くの人の目に渡るべきだと思ったから僕が丁寧に預からせてもらうよ』 「ふふっ、相変わらずだね」 あの黒歴史って昔のクラサメくんが書いたやつだったんだ。 それは読みたかったな、残念。 ふと身体がさっきより軽くなっているのに気付いた。別に身体の調子が悪かったわけではやはり無いのだが、なんというか楽になった。 『いいや、疲れてるんだよ。身体的にじゃなくて精神的にね』 『たまにはバカみたいな息抜きも必要だよ』 「なるほど、そういうこと」 一人理解したエミナはその場で微笑んだ。 その日候補生達はクラサメの珍しい姿を見ることとなった。昔の彼を知る者はそうでも無いが、今の彼しか知らない者にはあまりにも衝撃的で。 「えっ、嘘……今の隊長!?」 「クラサメ隊長…ですよね…?」 目撃したケイトとデュースは思わず我が目を疑っていた。 (役に立てて良かったねぇ) (何がだ!何故あんな都合よく持っていた!) (だってクラサメくんに渡しに行く途中だったんだもん。そっちも達成出来たし良かった良かった) (良くない!早く全部出せ、処分する!) (いやだよ) (カヅサぁぁ!) ←→ 戻る |