「マスタング大佐…?どうか、しましたか?」
「あ……いや、」

女性の声に、ハッと我に返った。
無意識にキョロキョロと周りを見渡していたらしく、隣の女性から心配げに見つめられている。

「…申し訳ない、少し…ボーッとしていたようで…」

そんなことあるわけもない。
あるわけないのに、聞こえたのだ。
ななしの私を呼ぶ声が。

「さっきの女の子の…事ですか?」
「えっ、と」
「あ…!す、すみません…!でも、その、お二人って恋仲ですよね?」

恋仲、という言葉にどきりと反応してしまう。
ななしが居たら速攻で否定されてしまうんだろうな、なんて。
苦笑いをしてその場を誤魔化せば、女性は思い詰めたように下を向いた。

「マスタング大佐、」
「ん?」
「その、私思い出したんです、あの時…あの女の子が助けてくれる直前」
「直前…?」






女性を家まで送り届けて、鍵を閉めたのを確認してから走り出す。
パラパラと雨が降ってきたがそんなの気にする余裕もなく、バクバクと大きく鳴っている心臓の音だけが耳に響いている。

「ななし…!」

自分から不意に出たその絞り出すような声にあわせて心臓の音は速くなる一方で。
途中で誰かに話し掛けられた気もするがそれに返している余裕など無く、ななしに呼ばれた場所へ一目散に向かった。


「っ……やはり居ないか……」

目的地へ着いたが、思ってた通り彼女の姿は無く。
ならば、と彼女の去っていった道へと進もうとした時。

「あれ?大佐?傘も持たずにどうしたんだよ」
「……鋼の」
「なんか落ち込んでんのか?珍しいな」
「ボクたちの傘、結構大きいので一緒にどうぞ!小雨とはいえ風邪引いちゃいますよ」
「……」
「…あれ、本当に珍しいな…ここでいつもなら」
「"男と相合い傘は願い下げだ!"って怒鳴ると思った」

後ろから歩いてきた様子の兄弟が、不思議そうに首をかしげて弟に至っては私に傘を傾けていてくれていた。

「…ななしが、まずい」
「まずいって…どうした?迷子にでもなったか?」
「ななしさんって色んなお店をフラフラしてるイメージだよね」
「連れ去られた」
「…え?」
「……おそらく、だが」
「…兄さん」
「ああ…大佐、取り敢えず探しながら話を聞くよ」
「すまない、」

走るのには傘は邪魔なのだろう、二人とも傘を閉じて歩き出す。
私は、そんな二人に合わせるように足を進めた。

兄弟に事細かに説明しながらななしが進んだであろう小道に入ってみたが、そこには誰も居なく。
ほかの小道をしらみ潰しに探すこととなった。

「…なるほどな、ななしが犯人を追ったままだから心配なのか」
「でもななしさんって見た目に反してかなり強いですし、大丈夫じゃないんですか?」
「案外もう家で寛いでたりしてな」
「……普段の私ならそう思うだろうな、でもそれだけじゃない」

自分がこんなに焦っているのは。

「ななしが助けた女性から聞いた話によると、鉄の棒が降ってくる直前にある人物とすれ違っていたらしい」
「ある人物?」
「ああ、そいつはその女性と目が合うとニヤリと笑ってすれ違い様に呟いたそうだ」
「呟いた…って」
「"ななしちゃん"……と」
「は…!?」

目を丸くして立ち止まる鋼のを気にするわけでもなく、辺りを見回して歩き続ける。
そう、私がこんなに焦っているのはその言葉を聞いたからなのだ。

「え、じゃあ何だよ…今日起きた鉄のやつは、ななしを狙ってやったって事か?」
「いや…それは無いだろう、現場を見たが女性からななしまで距離があったからな」
「じゃあなんでその人に…」
「分からないが…恐らくななしが助けることを見越してやった事だと私は思う」
「はあ?……ますます分かんねえ…」

がしがしと頭を掻きながら歩き出す兄弟を横目に何度目かの小道に入るが、その先を見て思わず立ち止まってしまう。
立ち止まった私の背中に鋼のがぶつかって何やら文句を言われたが返す余裕も無く、ただその光景に目を丸くした。

「おい!聞いてんのか!……は、これ」
「これ、ななしさんの錬金術じゃ……」

とても高く延びているななしの氷。
その先は何かで砕かれたようになっていて、辺りには破片が散らばっている。
破片を拾って力を込めてみれば、いとも容易く粉々になるそれに思わず目を細めた。

「これってなかなか砕けない強固なものじゃなかったか?」
「兄さんも壊せなかったもんね」
「うっせ!」
「いや、ある事が起これば誰だって壊せるものだ」
「あること?」
「……ななしは不眠のせいで錬金術が不安定気味なんでな、強い眠気に襲われればこんな風に」

パキ、と欠片を指で砕く。

「おい、じゃあ……」
「恐らく強い眠気のせいで捕らえた犯人に逆に捕らえられたって所だな」
「そんな簡単に言うけどよ、心配じゃ……」
「ああ………勿論心配だ、殺さずに捕らえられるかがな」

自分でも恐ろしく手に力が入っているのに気がつく。
鋼の兄弟を見るに、私はとんでもない顔をしているのであろう。

「…大佐、中尉呼べるか」
「ホークアイ中尉を?」
「人数は少しでも多い方が早く見つかるだろ」






「……なるほど、状況は理解できました」
「すまない休んでいたところだったろう」
「いえ、丁度ハヤテ号の散歩に出ていたので」
「わん!」

人気のない裏路地で駆けつけた中尉に一から説明をする。
本来なら今すぐにでも走り出して探しに行きたい所だが、それをぐっと堪えて拳に力を入れた。

「よく突っ走りませんでしたね」
「どういう意味かな」
「いえ、大佐はななしの事になると周りが見えなくなるタイプだと思っていたので」
「まあそうだな、だが今回は時間に少し余裕がある」
「余裕だあ?んなもん何で分かるんだよ!」
「もしかしたらななしさんが酷い目にあってるかもしれないんですよ!」

今すぐにでも走り出しそうな鋼のとその弟に詰め寄られるが、動じる事もなく兄弟をチラリと見る。

「女性の話では"ななしちゃん"と呟いていたと言う。と言うことは、少なくとも彼女に好意を寄せていると考えて良いだろう。そんな相手をすぐ手にかけるか?」
「……なるほど」
「ですが時間がさほど無いのには変わりありません。すぐに探しましょう…ハヤテ号」
「わん!」
「ななしの匂い、覚えてる?」

中尉がそう問いかけると、ハヤテ号は周りをくんくんと嗅いでゆっくりと歩き出す。
こんなに優秀な犬に育ったのは、中尉の躾の賜物だろう。

「すげー、雨なのに」
「まだ小雨だから、匂いも微量に残っているんだと思うわ」
「ハヤテ号って可愛いうえに優秀ですね」
「ふふ、そうね」

暫くハヤテ号に着いていた私達だが、ふとハヤテ号が立ち止まったことにより私達も立ち止まる。
どうやら匂いが追えなくなったらしく、しっぽを下げて小さく鳴いた。

「ありがとうハヤテ号」
「雨も強くなってきたし、これが限界か…って言うか、ここ行き止まりじゃん」
「本当にこんな所にななしさんは居たのかな」

行き止まりの薄暗い道。
……もしここで担がれて拐われたら。
犬よりも幾分も高い人間の肩に担がれたら、そりゃ匂いだって追えないのではないか。
おまけに今は雨が降っていて余計に匂いが消えてしまっているはず。

ここまで来て、振り出しに戻るのか。

「おや、軍人さん」

ぎり、と歯を食い縛った時、後ろから声をかけられた。
振り向けば、ここらで店を開いている店主らしく。
不審な人物や、他に軍服を着ている者を見なかったかと聞けばおお、と声を上げた。

「そう言えばさっき軍人さんがフード付のコートにくるまれた小柄な人を担いで歩いていましたよ」
「その軍人は女性でしたか?」
「いや…男だったと、担がれていた方はコートもぶかぶかで……そうですね、君みたいに小さな体だったと思う」
「誰がチビだ!!」
「ひっ」
「…大佐」
「それでご主人、その男はどこへ」
「あの小道の先の向こうに…しかしあそこはもう誰も使っていない建物があって、そこに行くとは到底思えないですが…」
「…ありがとう」

思わぬところで収穫を得た。
恐らく男に担がれていたと言うコートの方がななしなのだろう。

寝てしまったのか、それとも眠らされたのか。
休憩中に寝過ごしてしまっての遅刻はあっても、仕事中に寝てしまうと言うことは一度もないななしの事だ、前者はあり得ない。
となると残るは後者の眠らされている線なわけだが…

好意を寄せている男と、眠らされているななし。
その二人が同じ空間に今も居ると考えるだけで鳥肌が立つ。


「ななし、」

誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いて歩き出す。
後ろで兄弟の戸惑う声が聞こえたが気にする時間が惜しい私は、振り返ることもせずにただ前に進んだ。





2019/02/28





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