「……っ、ななし!」
『ロイ!思ったより早かったね!』

明日は雨でも降るのだろうか。
珍しく髪を乱して走ってきたロイは私を見るなり大きなため息を吐いて、私の頭をいつもより乱暴に撫でた。

『わ、わ』
「鉄の棒がななしに降って来たと聞いて…心臓止まるかと思った」
『いや、降ってきたのは合ってるけど…正確にはこの女性の上に…』

ロイがチラリと視線を向けると、慌ててお辞儀をする女性。
大分落ち着いてきたとはいえ、まだ少し震えている指先をロイが気付かない筈もなく。
私は、どうしてこうなったのかを一から丁寧に説明した。


「…なるほど、それでななしの錬金術を」
『うん』
「バングルちゃんと持ってたんだな」
『え?うん、勿論』

左手首の裾を少しだけ捲ると、キラリと光るシルバーのバングル。
そこには小さく錬成陣が彫られていて、私はこれのお陰でスムーズに錬金術を使うことが出来る。

これは昔ロイが一々錬成陣を書いていた私にくれたもので、左手首に付けろと言われたもので。

「ちゃんと左手に付けてるんだな」
『?ロイがそう言ったんでしょ?』

そう言って首をかしげれば、ロイは何だか満足そうに笑った。

「…で、他には」
『あっうん、それと……あんまり大きな声で言えないけど、誰かにずっと見られてる』
「…そうだな、それは私も感じるよ」
『多分これを落とした犯人だと思うんだけど…』

ヒソヒソと不審に思われないように話す私達を女性がじっと見つめているのに気づいて、ロイの服の裾を引っ張った。

『それでね、この方をお家まで送り届けてほしくて』
「女性を?」
『うん、万が一の事もあるし……怖い目にあったのに一人で帰れなんて絶対言えないし』
「ななしは」
『私は、この視線の主を探してみる』
「それは危険すぎないか、それこそ私が」
『だめ。ロイの方が強いんだよ、同じ女よりも強くて優しい男性の方が今は安心してくれると思うから、ね?』

そう言ってにこりと笑えば、ロイは困ったように口を結んだ。
私はそれを肯定と受け取って座り込んでいた女性をゆっくりと立ち上がらせた。

『歩けますか、大丈夫?』
「はい、もう平気です…」
『よかった!お家まで安全にお送りしますからね、もう大丈夫です!』
「…軍人さんにも、こんなに親身になって優しく接してくれる方が居るなんて…あなたに助けてもらえて良かったです、ありがとう…」

そう言って頭を下げてくれた彼女のその言葉と姿に、思わず涙が出そうになったけれどロイが居る手前泣くなんて出来ない!とぐっと堪える。

私は、笑顔で頷いてから彼女をロイに任せた。


『じゃ、ちょっと行ってくる!』
「…ななしの強さなら心配は要らないと思うが、くれぐれも気を付けてくれ、少しでも何かあったら引き返してくるように」
『分かってる!じゃ!』

心配げに見つめてくるロイに親指を立てて、私は細い道へと入っていく。
しらみ潰しに当たるしかない。


「…さ、行こう」
「はい…あの、」
「?何かな」
「…いえ、その、何でも……」
「?」




『うーん……この道も違う…?』

勢いよく走り出したは良いものの、行くとこ行くとこ不審な人物なんて何処にも居なくて。
…だけれど、視線は常に感じると言う何とも気持ちの悪いもので。

『…見てるなら出てきてよ、』

ぎり、と歯を食い縛る。
あんな鉄の塊を落としたりして、あれがもしあの人に当たっていたらただでは済まないのだ。
当たってないにしても、恐怖を植え付けてしまった。
絶対に許してはならない。

『必ず見つけて……あれ?鉄の棒……』

はて、と立ち止まる。
鉄の棒と言うと、鉄の塊。
鉄の塊と言うと、鉄の集まり。
鉄の集まりと言うと……この間の事件??

『女性の方に夢中で気づかなかった、馬鹿だ…』

あまりにも綺麗に作られた鉄の棒。
綺麗すぎて工事現場のものと思ってたけれど、目撃情報を鵜呑みにするのなら犯人は錬金術が使えるわけで。
それなら綺麗に錬成することなんて容易いじゃない。

『同一人物…あ!』

考え込んでいたとき、目の前に人影が見えた。
それは赤いフードのコートを羽織っていて、ブロンドヘアーの低身長……まさに犯人の特徴と一致する人で、私の方を見ながらただ立っていた。
フードを深く被っているせいで顔全体は見えないけれど、口元は気持ち悪いくらいに笑っていて。

『見つけた…!』

そう言って素早く地面に手をつく。
素早く犯人の足元へと駆って行った光は、足元で大きなクリスタルの様な氷を作り出して行く。
体の一部でも服の一部でも、これに巻き込まれれば動けなくなる。
そう思っていたのに犯人はそれを見透かしていたように真上へと高くジャンプをした。

『あ!…なんてね?』
「…!?」

ぺろりと舌を出す。
犯人は大層驚いた様子だけれど、驚いている隙に下から伸びてきた氷が犯人の後ろから両手を拘束するように絡まった。

『宙吊りになっちゃったね?逃がさないから!』
「っ…」

じたばたと暴れる犯人に思わず口角が上がる。
氷で固まった手に力を込めているみたいだけれど、無駄なのだ。

『無駄だよ、この氷は誰も溶かせないクリスタルの様なものだから!』

ちょっとだけ嘘。
実は一人だけこれを溶かせる人物が居るんだけど…今この場面には必要のないお話。

『さーて、洗いざらい全部……っ』

くらり、と体が大きく揺れた。
長い間寝不足である私の体はいつだって本調子じゃなくて。
それでもこんな風によろけるなんて滅多に無いのに。

「…っ…………ふっ!」
『え、え、うそでしょ……!』

それと、もうひとつ。
実はこの氷の強度は私の具合で決まるらしく。
眠くて力の出ないときは、ちょっと壊れやすくなってしまうのだ。

それでもかなりの強度であるはずの氷が砕かれるなんて今まで無かったことで。
ショックのあまり放心状態になってしまっている私を見て、犯人はかなりのスピードで走って逃げていく。

『はっ……ま、まって!』

我に帰ったときにはもう犯人が遠くの路地を曲がったところで、慌てて追いかけた。
くらくらとする体を何とか奮い立たせて足を動かす。

犯人が曲がった路地に入って少し走れば、そこは行き止まりで。


『えっ、居ない……』

行き止まりにも関わらず誰も居ないその光景に戸惑ったけれど、ふと気付く。

『しまった、後ろ…んぐっ、』

振り向こうとしたその瞬間、口元を布で覆われた。
本来ならば振り払うなんて簡単で、逃げ出すのも簡単なはずなのにこんな時に限って眠くて力が入らない。
錬金術を使おうにも、絶妙に壁から離されていて触れられず空気を掻くだけだ。

『ん、んー!』

きっとこの口元にある布には薬品が塗ってあって、それを吸い込んだら最後だ、とありったけの力を振り絞って暴れるけれどギリギリのところで犯人の力に負けてしまう。

あまつさえ、無意識に大きく息を吸ってしまって途端に視界がボヤけてきてしまった。


マズい、非常にマズいことになってしまった。
睡眠不足の上にこんなの嗅がされたら、絶対に……
何とか力を入れようと頑張ったけれど、もう既に指先すら動かせなくて。

それに気づいた犯人は、布を外して私の肩を抱いた。

「…ななしちゃん」

その聞き覚えのある声に、頭をフル回転させて顔を思い出そうとするけれど頭なんて回る筈もなく。
意識を手放す前に頭に浮かんだのは、あなただった。


『…ろ、い』












「……ななし…?」




2019/02/18






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