慣れてしまった。
誰かが絶望する声も、泣き叫ぶ声も、大きな衝撃音も、血の臭いも、殺意を孕んだ視線も。
全てに慣れてしまった。

頭の中には黒く渦巻く何かが我が物顔で居着いていて、私の脳内と心臓を引っ掻き回していて気持ちが悪い。
振り払うように何度無心になっても、その度にまた生まれて私の脳内をかき乱す。
あまりの気持ち悪さに思わず顔をしかめる。

『…ごめんなさい』

私の周りに倒れている無数の人。
自分で手に掛けておいて、なんて無責任で虫の良すぎる言葉。

謝れば済むとでも思っているの?

『…違う、』

自分の意思じゃなかったと少しでも思っているの?

『…これは私が決めた事だ』

こんな事をして、自分の目指していた未来に辿り着けるの?

『……わかんないよ』

何度も何度も同じ質問をして、
何度も何度も同じ答えを出す。
ぐるぐる、ぐるぐる。
頭の中も目の前も、全てが歪んで回っていく。
喉の奥に上ってきたモノをぐっと堪えて飲み込む。
だめだ、だめだ。
全てを押し殺さないと、私の全てが崩れ落ちてしまいそうで怖い。

怖い、だなんてどの口が言えるんだ。
悪魔のくせに…殺すことしか出来ない、人間兵器のくせに。

そうして立ち尽くしていると、ザリ、と後ろから砂を踏む音がして勢い良く振り向く。
直ぐに氷を錬成出来るように構えてその足音の先を見る。
そこに居たのは、私の身長の半分も無いくらいの小さな少年で。

「あっ……」

私と目が合って、しまったという表情。
どうしようと言う焦りから来る汗。
恐怖を孕んだ目。
震えの止まらない体。
足がすくんで動けないのだろう…その姿は正に、蛇に睨まれた蛙のようで。

「あ、あ……」

言葉も出て来ない様子の少年。
…そりゃ、私の周りに倒れている人達を見て絶望するのは当たり前の事だろう。

こんな小さな子供までも手に掛けないといけないなんて。
小さな命を奪って、大きな未来を奪って、この先の未来に一体何が生まれるのだろう。

そう疑念を抱いたけれど、考えたってしょうがない事だ。
この地に足を踏み入れた時点で決意は、覚悟はしていた筈だ。
どんなに疑念を抱いても、後悔を抱いても、苦しくても、この戦場を生き抜かなくてはならない。
だから…


『!』

突如、強い殺気を感じて後ろへと飛び退く。
一秒もしない内に地面が大きく揺れて砂埃が視界いっぱいに広がった。
一瞬目を細めたけれど、視線のその先に殺気を纏った何かが居るのを察知して咄嗟に地面に手を当てる。

『んっ…!』

間一髪、と言った所だろうか。
大きな氷の盾を錬成すると同時に、大きな衝撃音が鳴り響いて思わず顔をしかめた。
この比較的水分の少ない土地で瞬時に氷を錬成するのは至難の業だけど、クリスタルの成分を多く使えば其なりに強固な物になる。
ちょっとやそっとじゃ壊れないだろう。
砂埃が落ち着いてきて、段々と目の前がクリアになっていく。
そこに居たのは、一人のイシュヴァール人だった。

「これほどまでに小さな子供にまで手を出すか…!」
『…』

憎悪の瞳で刺すように睨まれる。
私は何も言えなくて。
その子供を守るようにして構えるその姿は、まるでヒーローみたいだ、と思った。

「我々イシュヴァールの民を傷付け、踏みにじって何がしたいと言うのか!」
『…』
「我々が何をした!?貴様ら国軍に何か危害を加えたか!?」
『…』

何も、言い返せない。

「女だろうが関係ない!アメストリス軍は、我々の敵だ!」

勢い良く飛び掛かってくるイシュヴァール人。
ああ、なんて勇敢で格好いいのだろう。
私だって…こうありたかった。

素早く氷の剣を作り出して、イシュヴァール人の拳を受け止める。
渾身の力で受け止めたがそれでも押され気味だった。
この場でまだ迷っている。
自分のした事、これからする事…全てに迷いがある。
戦いに集中なんて出来っこなくて。

『っ…東に沢山のイシュヴァール人が逃げている』

ふと口から出たその言葉に、自分でも驚く。
何を、言っているのだろう。

「…な、」
『私は東の管轄ではないが、彼方には私を遥かに越える錬金術師が居る』

きっとこれは、軍人としてあるまじき行為。

「なにを」
『一度襲撃にあった所なら一般兵が殆ど』

だけど、人としては正しい…

「それを鵜呑みにして逃げろと言うのか…!」
『……今のは独り言です、今は忘れて下さい』

そう…思いたい。

「っ…これだけの事で、全てを許されると思うな…!」

憎悪の瞳で睨むイシュヴァール人は、踵を返して少年と共に去っていく。
私の言葉を信じてくれただろうか。
いや、信じなくてもいい。
信じなくても良いから、せめてこの惨劇から逃げ切って

「貴女がななし・ファミリーネーム大尉ですか」
『!』

耳元でそう問い掛けられて、ドキリと胸が痛む。
この人は…?
いつから居た?
まさか、さっきの件を見られた…?
まるで大総統に声を掛けられた時の様に、全身から汗が噴き出してくる。
何故か、体が動かない。

ゆっくりと歩いて私の目の前に来た男性は、少し屈んでにこりと私に笑いかけてきた。

「本日付で錬金術師になった女性が居ると報告が有りましてね、少しの興味本意で見に来てしまいました」
『え、』
「ああ、名乗るのを忘れていましたね!こんな可愛らしい女性だとは思わず。私は紅蓮の錬金術師…ゾルフ・J・キンブリー、階級は少佐です」

よろしく、と手を差し出されて私も手を伸ばす。
よかった…この様子だと見られていないようで…

「所で、貴女は何故この軍服を着ているのですか?」
『…え?』

先程と変わらない笑顔で、声で、穏やかにそう言ったキンブリー少佐に思わず手を下げようとしたけど、強い力で握られていて逃げることが出来ない。
視線を逸らしたら最後のような気がして、目を背けられない。

『な、何故って…私は、アメストリスの未来をより良くする為に』
「なるほど、それはとても素晴らしい!では何故この戦場に足を踏み入れたのでしょう」
『…錬金術師に、なりたかったから……』
「その為ならば人を殺す覚悟もあったと」
『…』
「ならば何故、イシュヴァール人を逃がしたのですか?」

びくり、と体が震える。
見られていた。
軍に背く行為をした…その瞬間を。

『そ、んな』
「軍服を着た時点で、戦場に足を踏み入れた時点でそれ相応の覚悟があったのではないでしょうか」
『それは、』
「人の死を目の前にして、自分はこんな事したくなかったと被害者ぶるのか?こんなのは可笑しいと偽善者ぶるのか?」

言葉が出ない。
キンブリー少佐の言葉が、ナイフの様に私の心臓を貫いていく。
まるで私の心の全てを知っているかの様に、的確に…軍人として一つも間違っていない言葉を投げ掛けられる。

「これは我々の仕事だ、任務だ、どうして割り切れないのか」
『っ……』
「………おっと、少し長話をしてしまいました。早く持ち場に行かなければ」

パッと手を離したキンブリー少佐は、おどけるようにそう明るく言って笑う。
強く捕まれていた手が、小さく震えて止まらない。
だめだ、もう……逃がしたことが知られた以上…

「ああ、心配しなくてもイシュヴァール人逃がした事は誰に言い付けたりもしません」
『……え?』
「東へ向かう前に、一度殲滅したポイントを回ろうと思っていたので」
『…そ、そんな、』
「いやあ、運が良かったですね!私以外の者に見つかっていたらアームストロング少佐と同じように軍法会議ものでしたよ」

え、?

『アームストロング少佐が、軍法会議行き…?』

殲滅戦が始まる前に、何度かお話しした事のある人。
人一倍優しくて涙脆い少佐…まさか、少佐も誰かを逃がして…?
じゃあ、アームストロング少佐は…

「ああ、ご安心を。そちらの方も私が後処理をしたので、誰の目に触れる事無く済みましたよ」
『後処理…』

その言葉でホッとしてしまう自分がいた。

「それでは私はこれで。部下が先で待っているので、失礼」




キンブリー少佐が去っていった後も、私は暫く動けずにいた。
……今頃、あの二人が逃げた所まで行っているのだろうか。

『割り切れたら……最初からそうしてる』

本人を目の前にしてそう反論する勇気も度胸も無いくせに、そう思ってしまうのだ。
彼が言っていた事は全部が正論だった。
正論だった、だからこそこの後どうしたら良いのか分からなくなってしまいそうで。

『…目を、背けてはいけない』

ふと、上司の言葉が思い浮かんだ。

"ファミリーネーム大尉、これから起こる事や出会う人物から決して目を背けてはいけないよ"

その言葉が、ここまでの事全てを見透していたように聞こえた。





「どうぞ」
『ありがとうございます』

一旦休憩となった私は持ち場を同僚と交代して休憩所の端に座った。
マグカップを受け取ったは良いけど未だに考えが纏まらなくて……中々口を付けられずにいる珈琲に映る自分をただただ見つめる。

『…酷い顔』

殺すことを知ってしまった、人殺しの目。
そんな自分を見ているのが嫌で顔を上げて周りを見回す。

そこで、見つけてしまったんだ。

「…!」
『……あ、』

目が合った彼は、目を丸くして酷く悲しそうに目を細めた。
私が居るなんて思っても見なかったんだろう。

上官と目が合ったんだもの、声を掛けるべきだ。そう思ったけれど…出来なかった。
彼の視線から逃れるように俯く事しか出来なかった。

あると思っていた覚悟すら見失ってしまった今の私は、彼の隣に立つ資格なんて無い。

珈琲に映る私は、やっぱり人殺しの目をしていたんだ。




2019/11/23





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