それは、アメストリス軍の一人が火種となった戦争。
小さな小さな無力な子供を手にかけた、一人の男のせいで起こった戦争だ。


イシュヴァールの地へ向かう車の中、私は震えの止まらない手を何とか静めようとしていた。
錬金術師の試験を受けるにあたっての資料などを纏めている間、私の同期達は一足先に行ってくるよと戦場へ赴いてしまって。
書類整理も終わった私は、私のサポートにと残っていてくれた上司とこうして車に揺られていた。

平坦だった道も、次第に砂に変わっていきガタガタと何度も揺れる。
そうして体が揺れる度に私の体も震えていって、ぎゅっと強く拳を作った。

「そんなに強く握りしめたら、血が出てしまうよ」
『…中佐、』
「気持ちは…理解しているつもりなんだ。本来ならこんな試験はおかしい。だが、この期を逃したら暫く試験は行えないだろう…君は才能がある、錬金術師になるべきなんだ」

その言葉に痛くなるほど喉が熱くなる。
とっさに強く閉じた瞼の裏には、直ぐにあの人の優しい顔が浮かんで私の心を締め付けた。
マスタング少佐…

『…』

ゆっくりと目を開けて強く握っていた拳を段々と緩めていく。

『…私、もう一度、会いたい人が居るんです。出来るなら…錬金術師として、会いたい』
「うん」
『それに私は、アメストリスの軍人。ここで泣き言を言って駄々を捏ねたら、今戦場にいる同期と顔を合わせることなんて出来ません』
「うん」
『だから…行かなくちゃいけない、同期を見捨てて逃げるなんて出来ない……あの人に会いたいから、何がなんでも錬金術師にならなくちゃいけない』

こんな理由で戦場へ足を踏み入れても、いいのでしょうか。
そう問うと、上司は充分だよと優しく笑った。

「戦場へ向かう者の半数が、上官から命令を受けたから私の意思ではないと理由を切り捨てる。僕は、自分自身の理由と決意を持った者が必ず生き残ると信じているんだ。だから大尉なら大丈夫、絶対に錬金術師になれるよ」
『…中佐も、何か理由はあるのですか…?』
「……僕は、僕の可愛い部下達を守りたいって言う理由かな」

…目を伏せた中佐の顔が、酷く悲しそうに見えたのは何故なんだろう。

「…さあ、そろそろ着くみたいだ」






イシュヴァールの戦場は、私が思っていたよりも遥かに酷く残虐なものだった。
足を踏み出したと同時に鼻を掠めた血の臭い、近くから遠くから…途切れること無く聞こえる悲鳴と泣き声。
そして、銃撃の音と刃物などの金属音。

思わず耳を塞ぎたくなる様なそれを横目に、軍の拠点へと向かう中佐に着いていく。

「ファミリーネーム大尉、これから起こる事や出会う人物から決して目を背けてはいけないよ」
『…はい、』

今すぐにでも目を背けたい程の状況の中、そう言われた私は返事をするしかなくて。
どうして目を背けてはいけないのだろう、緊張のせいか上手く回らない頭をフル回転させても答えは出なかった。

そうしているうちに拠点が見えてきて、大総統が近くなるにつれて周りが静かになっていく。
…だけど、近くなるにつれてビリビリと肌が痛くなるほどの空気になってきて、思わず腕を擦った。



「失礼します、ファミリーネーム大尉を連れて来ました。」
『失礼します』

中佐に続いて敬礼をする。

「うむ、待っていたぞ。試験内容はもう出来上がっている。時間が無い、早急に内容を伝えるが一度しか言わぬのでしっかりと聞くように」

そう言った大総統から伝えられた試験内容に、私は拳を強く握った。

…ここから少し離れた所に、イシュヴァール人が逃げて隠れ潜んでいる倉庫があるらしい。
そこに私単体で行き、錬金術を使ってその倉庫の中を人一人居ない状態にする。
だけど……倉庫からたった一人でも逃がしてはいけない。
…つまりそれは、逃げ隠れているそのイシュヴァールの人達を手にかけろという意味で。

「失礼ではありますが大総統閣下。ファミリーネーム大尉は戦場経験が少なく、士官学校卒業試験で一度…それも調査担当だったと聞きます。それを急に大人数相手にしろと言うのはあまりにも…」
「君は戦場を何だと思っている?そんな甘えた考えで戦場に居れば、次に地獄へと突き落とされるのは自分自身だ。ここではベテランだろうがルーキーだろうが関係無い。」
「…」
『…中佐、大丈夫です。ここに来ることが決まった時点で、こうなることは避けられないと分かっていましたから』

心配そうに私を見る中佐に、そう笑って見せる。

「ファミリーネーム大尉……」

大丈夫!

大丈夫、

大丈夫

大丈夫…


「いやあああっ!」

倉庫の中で一人の女性が叫ぶ。
私の周りには、私の錬金術で作り出された透明なクリスタルのような氷によって胸を貫かれた人達が倒れていて、沢山の血液が私の足元を濡らしていた。

初めて命を手にかけてしまった。
錬金術越しとはいえ、初めて命の終わる瞬間を目の当たりにした。

ガタガタと足が震える。
呼吸が乱れて整わない。
冷や汗が止まらない。
残るはあと一人…隅で小さく丸まっている女性のみだ。
私は、震える足を何とか動かしてゆっくりと女性へと近付く。

「なんで…っ!」

私を睨む女性が震えた声で叫ぶ。
悲しみ、恐怖、怒り……その感情全てが混じった声で。

「なんで、こんな事するの…!?私達が!一体何をしたって言うの…?」

その言葉に、足が止まる。
あなた達は何も悪い事なんてしていない、この戦争の火種だって私達アメストリス軍だ、

「私達はただっ…………ただ、静かに暮らしていた、だけじゃない…!大切な人達と、暮らしていた…だけじゃないっ……」

ぽろぽろと涙を溢す女性は、血の海で倒れている人達を見て、より一層顔を歪めた。

「ねぇ、なんで…?どうして、どうして……ねえ、ねえ……」

泣き崩れている女性を、私はただ見る事しか出来ない。
…明るい未来を夢見ていたはずなのに、どうしてこんなにも暗い未来に居るのだろう。
どうしたら、これほどまでに絶望的な世界を明るく出来るのだろう。

もしも今…目の前で泣き崩れているこの女性を逃がす事が出来たなら。
この人だけでも、この戦場から遠い場所まで逃がす事が出来たのなら…私の目指していた明るい未来に、少しでも近付くのだろうか。
そう思った私は、無意識に女性の肩に触れようと手を伸ばした。


「ファミリーネーム大尉」
『…!』

冷や汗が、どっと出てくる。
後ろから聞こえた、静かに低く響く声。
それが大総統だと気付くのに時間なんて掛からなかった。
後ろを振り向けなくて、伸ばした手を引っ込める事も出来ずに固まる。

「錬金術師の試験を行うにあたって君の事を少し調べさせてもらったが、どうやら君はマスタング少佐に付いて回っていたらしいじゃないか」
『…!』
「錬金術について彼から指導を受けていた…そうなれば今回の試験は何としても通りたいであろう」
『…、』
「万が一だが…もしも君がここで資格を取れなかった場合、今最前線で動いている彼は君の事をどう思うかな」

頭の中にマスタング少佐が浮かぶ。
錬金術の事を何でも優しく教えてくれた…そんな少佐を、

「裏切れるのだろうか」
『っ…』
「ななし・ファミリーネーム大尉」

早くしなさい、と…そう聞こえる声。
私…私、は。

『ごめんな、さい…』

大総統に聞こえないくらいの小さな声でそう呟いて足元のコンクリートへと手を這わすと、手首につけている錬成陣の刻まれたブレスレットがきらりと光る。
青白い光は泣き崩れている女性まで駆け抜けて行き、目にも止まらぬ速さで女性の全身を透明な氷が覆った。
そして背中側の内部からその氷を胸へと引き伸ばし…心臓を貫く。
冷気を纏っているそれは、溶け出す事も無く女性を包んでいる。

せめて、血が噴き出さないように…何を考える暇も無く、家族の元へと旅立てるように。
そんなの、私のエゴだって分かってる。
だけどそうしないと、私の頭の中がぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。

「よくやった、これで君の錬金術と力は証明された。今、この場を持って錬金術師と名乗る事を許可しよう。」
『…ありがとう、ございます』

そう言った大総統から差し出された銀時計を、力無く受けとる。
カチャカチャと金属音が耳に響く。
大総統から今後の持ち場等を聞いたけれど全く頭に入ってこなくて。
上官達率いる大総統が去って、上司である中佐に肩を叩かれるまでそこから動けずにいた。

「もう僕達以外誰も居ない、泣いても…」
『泣きま、せん…いえ、泣けない……私には、泣いて悲しむ権利なんて、無い』

何の罪も無い人を手に掛けた私に、泣く事なんて許されない。
それだけじゃない、怒る事だって悲しむ事だって笑う事だって…罪の無い血に濡れた私には、許されない感情だ。

心が抉られるように痛い。
ぽっかりと、大きな穴が開いてそこからいくつもの感情が溢れ落ちていく。
そんな感覚に陥った。



2019/09/30





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