体がふわふわと浮いている様な感覚。
何処か落ち着く匂いと温かさに、ほっと体の力が抜けているようで。
気持ちが良くて、思わず顔を綻ばせてしまいそう。
こんなに胸がいっぱいで素敵な気持ちになるなんて、一体いつぶりだろう。

このまま、この時間が続けば良いのになあ


『……』

重い瞼をゆっくりと上げる。
まず最初に目に飛び込んできたものは、知らない部屋の天井で。
次に、寝心地の良いふかふかなベッド。
そのベッドのあまりの気持ちよさに目を瞑ると、ふと鼻を擽ってくるその匂いに思わず飛び起きる。

『こ、ここ…』

周りを見渡すと、やっぱり知らない部屋で。
寝室であろうこの部屋には、クローゼットや小さな机が置いてあるだけでさっぱりとしていて。
そして、ハンガーに掛かっている二つの青い服。

一つは私が使っている軍服だろうけど、その隣の軍服。
私のものよりも一回りも二回りも大きいその軍服に、確信する。

『…ロイの家?』

自分自身のその言葉にどき、と胸が鳴って思わず胸を手で押さえた。

『…あれ?』

その行為で気づいたけれど、私はどうやら上半身キャミソールな様で。
思わず色々な事を考えてしまったけれど、そう言えば軍服の下はキャミソールだけだったな…と一息。

やっと落ち着いたという所で、コンコンと扉をノックする音が聞こえて咄嗟に掛け布団を胸まで引き寄せる。

「ななし、起きてるかな」
『お、起きてる!』
「入るよ…………」
『…ろ、ロイ?』
「あ、いや…」

ガチャリと扉が開いたその先には、マグカップを2つ持ったロイが勿論居たのだけれど…私を見るや否や目を見開いて。
固まっている様子のロイに首を傾げれば、困ったように笑ってベッドの側の小さなテーブルにコトリとマグカップを置いた。

「眠るのに上着は邪魔だろうと思って脱がせたんだ、すまない」
『え!いや…ありがとう!お陰でよく眠れました!』
「ならよかった…だが、上着の下が思っていたものと違って吃驚した」
『動きやすさ重視で行くと必然的にこれになっちゃって』

そう言ってキャミソールを見せれば、少しだけ間が空いてから咳払いが聞こえて。
クローゼットまで行ったロイは、薄手のカーディガンを取り出して私の肩へと掛けてくれた。

「あまり肌は見せない方がいい」
『あ、ありがとう………あ』

カーディガンからふわりと香るその匂いに思わず目を細める。
袖を通せば、思ってた通りぶかぶかで。

『ロイの匂いでいっぱいだね!』

何にも考えずにそう言って笑えば、ロイはまた困ったように笑って私の頭を撫でてくれた。

「…ななしは私を振り回すのが上手だな」
『え?』
「……それで具合はどうかな、話すのには問題ないみたいだが」
『あっ、そっか』

ロイの言葉で眠ってしまうまでの記憶が蘇る。
確か事件の真犯人を追ったら捕まっちゃったんだっけ…我ながら情けない。

『寝かせてもらえたから頭もスッキリしてるし、怪我も全くしてないし…うん、全然大丈夫!』
「それならよかった」

安心したように笑って頭を撫でてくれていたロイが、ふと私の頬に触れる。
少しだけ驚いたけれど、ロイの顔を見たら見たこともないような切ない顔をしていて。
そんな表情、見たことも無かったから。
きゅ、と胸が締め付けられる感覚があって。

「遅くなってすまない、もっと早ければ」
『えっ、と…大丈夫だよ!元はと言えば、私が寝不足でフラついちゃったから』
「何もされて無いか?」
『と、特には……何かの薬を嗅がされてから、鳥籠がどうとか…鉄が隣の部屋にあってそれを鳥籠にって話を聞かされて…』
「その話までされたのか」
『うん、鳥肌モノでした』

思い出して身震いを一つ。
するとロイが置いていたマグカップを一つ渡してくれて。
熱すぎないくらいに温かいそれは、私の大好きな匂いを纏わせていて目を見開く。

「少し時間を置いたから火傷はしないはずだ………ふは、目が輝いてる」
『だ、だって!私の好きなココア!』

可笑しそうに笑ったロイに思わずマグカップを見せる。
そう、そこには私が世界で一番好きな飲み物のココアが淹れてあって。
色を見るに、牛乳で溶かしたタイプのやつで!

『ロイもココアとか飲むんだね!』
「いや、あまり飲まないな」
『え?じゃあ何でお家に?』

そう言ってロイを見つめれば、ロイはにこりと笑って自分のマグカップに口をつけた。
大人な匂いのそれは、ココアと似た色をしていて。

「ななしがいつ来ても良いように買ってあるんだよ」
『わ、私?』
「ああ」
『な…なんで』
「ほら、温かいうちに」
『はっ!そうだった!』

はっと思い出してマグカップに口をつける。
口に広がったココアは、やっぱり凄く美味しくて。
美味しすぎてゴクゴクと飲んでしまって一瞬で空にしてしまった。

「早いな」
『美味しくてつい…!』

へへ、と笑えばロイも笑い返してくれて。
それが嬉しくて、心もぽかぽかと温かくなる。

ふとロイに手を重ねられて、驚いて見ればさっきとは打って変わって真剣な顔をしていて。

「ななし」
『は、はい』
「…一緒に暮らそう」

その言葉にピクリと体が動く。
ロイはモテるわけで、そんな色男にこんな言葉を贈られたら皆受け入れるんだろうな、なんて思うけど。

『で、出来ない…』
「寝不足で無かったら、今回の事件でななしにあれほどのダメージが来ることも無かったはずだ」
『そう、だけど』
「家で眠れていないんだろ?…そもそも、1日を三時間の睡眠で乗りきるなんて誰だって体調を崩してしまうのに」
『…』
「私と一緒に暮らせば、夜は必ず私が居る。いつでも眠れるんだよ」
『そ、それが駄目なの!』

自分でも驚くくらいに弱々しくて大きな声。
ロイの気持ちに甘えたいなんて、そんな考えが大きくなってきてしまってて。
でも、駄目だって自分に言い聞かせて下を向く。

『…私の為にロイの時間をこれ以上使いたくない』
「私はななしの為に使いたいよ」
『いつ治るか分からない不眠に付き合わせてしまって、その結果何年も経ってしまったら?家族でも恋人でも無い私が、あなたの大切な人生の一部を奪ってしまうのが怖いの!』

ぽたり、と私の手の甲に何かが零れた。
それはゆっくりと流れて手を重ねていてくれたロイの指に触れて、じんわりと二人の間に溶けていく。

痛いほどにドキドキとうるさい心臓をぎゅっと押さえる。
この涙は何の涙なんだろう。
ロイの好意を跳ね返したから?
ロイの時間を無駄にしたくないから?
ロイの人生の一部を、家族でも恋人でも無い私が奪うわけにはいかないから?

…きっと全部が当てはまるのだろう。
だからこんなに胸が痛くて苦しいんだ。


「だったら私と…、………いや、何でもない」

そう言って笑ったロイは、今どんな顔をして居るのだろう。
下を向いたままの私には到底分からないことで。
こんなに酷く突き放してしまっているのに、それでも手を差し伸べてくれるロイのこの優しい手を私は、本当は……

「…今後、また同じ様な事が起きた場合は問答無用だからな」
『でも私は…』
「次の時はそんな言葉聞く耳持たずに連れ込む」
『…………ロイは、優しすぎるよ』
「こんなに気に掛けるのはななしにだけだよ」
『……今のは信用に欠けます!』
「な、なんだよ急に」

ぱっと顔を上げれば、戸惑う様子のロイと目が合って。
そんな顔を見ていたらさっきまでの事もどうでも良くなっちゃって、へらりと笑った。

『でも……色んな女の子に優しいロイも、部下の為に君だけだよって言ってくれるロイも全部優しくて、全部素敵なロイだね』
「意味が分からない…」
『ロイは素敵な人ってこと!』


ぐうううう、と大きなお腹の音が鳴る。

まさか見計らってたのかと聞きたくなるほどのタイミングに、二人で目を合わせて大笑いをした。

「そういえば近くに美味しいお店があってだな」
『ココア…』
「勿論、さっき飲んだものよりも美味しいものがあったはずだよ」
『やった!よし!行こー!』

ロイに手を貸してもらって立ち上がり、軍服の上着をカーディガンの上から羽織らせてもらった。

『えー、カーディガン脱いでも…』
「外はまだ冷えるんだぞ、それにキャミソールだと気が気でならん」
『けち…カーディガンが出てちょっとダサいのに……あれ、ロイも軍服?』
「たまには軍服デートも良いだろ?」
『ふふ、何それ……て言うかデートじゃないし!』

女の私が軍服だからって気を使ってくれたのだろう。
そんな些細な気遣いに何だか嬉しくなってしまって、るんるんと心が弾む。

『沢山食べるぞー!』
「急に元気だな」
『まあね!』
「ななしの美味しそうに食べる姿、可愛らしくて好きだよ」
『っ……』

思わず動きを止めてしまう。
そういう意味の好きじゃないって分かっているのに。
他の女の子に言うように、私にも軽く言っただけだろうに…何でこんなにドキドキとしてしまっているんだろう。
心臓が煩くて、顔が焼けちゃいそうなくらい暑い。


「ななし?」
『…………興奮しすぎて暑い』
「どれだけお腹空いてたんだ」

思わず吹き出したロイを見て、私もあははと笑う。
そう、ご飯に興奮しすぎて暑いの。

今はまだ、



『よし!いこー!食べて力をつけなくちゃ!』
「食べすぎないようにな」
『気を付ける!多分!』
「多分って……まあななしらしいか」





2019/03/10





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