気分が悪い。 体調的に、とかではなくて精神的に。 目の前にある書類にも手がつかなくて、ぼんやりとしながら温かいココアを口に含む。 …美味しくない。 『んーっ、疲れた!ちょっと外の空気吸ってくる!すぐ戻るね!』 執務室の扉をなるべく優しく閉じる。 あのままぼんやりしていたら、きっと直ぐに皆気付いて心配をしてくれるだろう。 …特にロイとか。 心配されるのが嫌な訳では無いのだけど…でも、理由は話しにくくて。 今朝、軍内部で男性に声を掛けられたのだ。 見たことのあるその男性は、申し訳ないけれど名前を思い出せなくて。 でも私よりも上の立場である中佐という事は覚えていたので、挨拶は何とか交わすことが出来た。 中佐も優しそうな笑顔で話してくれていて、少しの間世間話のようなものをしていたのだけれど…ふと中佐の口元が歪むように弧を描いた。 そして言われたのだ。 "マスタング大佐ってさあ、上にどう媚売ったの?" 別にこれが初めてという訳でもなく、ロイの歳で大佐という地位おまけに中央に招聘されたと言うこともあり、こういった質問は何度かされてきたのだけど。 でもこんなにあからさまに聞かれる事なんて無かったから、思わず開いた口が塞がらなくなりそうで。 その場は何とか笑顔を作って対応したけれど、内心腸が煮えくり返りそうだった。 『笑顔を作れた私を誉めてあげたい』 ぽそり、と呟く。 誰だって苛つくはずなのだ、直属の上司で加えて恋人である人の事を悪く言われたんだもの。 普通ならひっぱたいても良いくらいなのだ! …だけど軍に身を置く者として、上官に対してそういった無礼を働くのは駄目だと言うのは私でも分かることで。 だからこそ作り笑顔で対応したのだけれど、それで気分も晴れる訳では全く無くて。 胸の奥がモヤモヤとした気持ち悪い感覚でいっぱいになって、喉に詰まる。 「ああ、少佐じゃないか」 『…中佐!』 嫌な声が聞こえて振り返れば、そこには私をモヤモヤとさせている張本人が笑顔で片手を挙げていた。 顔を見るのも嫌だけれど、これも仕事!と割り切って敬礼をする。 「そんな堅苦しくしないでよ」 『いえ、上官には敬意を払えと上司に教えられていますので』 「へえ、マスタング大佐もちゃんと教えられるんだね」 一々棘のある話し方をする中佐。 同じ中佐であるヒューズさんと、こうも違うとは。 「大佐と言えば、今朝の話なんだけど」 『…はい』 「君からも聞いてほしいんだよね。僕なんてマスタング大佐の一回り以上歳を取ってるのに中佐だからさあ…正直良い気がしないんだよ」 そんな事言ったら、私だって今現在良い気していないし。 そんな考えだからいつまで経っても中佐止まりなんでしょ!…なんて言えるはずもなく。 今の私に出来る事なんて笑って誤魔化すことしか無くて。 「そういえば君も錬金術師でしょ?こっちの部署に来て僕の下で助力してよ」 そう言って私の肩に触れる中佐。 触れられたところから鳥肌が立つのを感じて、思わず払い除けそうになる。 いけない、相手は上官…上官…と自分に何度も言い聞かせて次の言葉を考えるけれど、そう言うときに限って中々言葉が出てこなくて。 「良く考えれば大佐の所にはホークアイ中尉も君も居るもんね、優秀な部下が居ればそりゃ楽だよね」 『……お言葉ですが、』 「おや、中佐ではありませんか」 私の声を遮るように投げ掛けられたその声の方に振り向けば、取り繕われた笑顔を此方に向けるロイが立っていた。 「た、大佐」 「いやあ、部下が息抜きにと離席したまま帰ってこないので探しに来たのですが、お話の途中でしたか」 『あ、その』 笑顔を崩さずとして私の横に来たロイに声を掛けようとすると、ロイは片目で私をちらりと見てそれを制した。 「ですが少しばかりお声が大きいようで」 「あ、き、聞いてたんですか」 「断片的にですが……私の優秀な部下に何か」 「いや、その…優秀な部下が居て羨ましいなあって話をしてたんですよ!はは、じゃあ!」 急にばつが悪そうに話を切り上げた中佐は、そそくさと何処かへ行ってしまって。 やっと終わった、とため息を吐いてロイを見る。 「全く…」 先程の取り繕われた笑顔とは打って変わって、しかめっ面なロイの横顔を見ていたら何だか安心して泣きそうになってしまって、咄嗟に抱きついた。 「おっと、珍しいな…人目に付く所で………ななし?」 いつものように肩に手を回したロイだけど、私の様子を見て察したようで。 「…おいで」 優しく頭を撫でてくれたロイに連れられて直ぐ近くの仮眠室へと入った。 「司令部の端の方だからな、人も滅多に来ないだろう」 だが念の為、と扉の鍵を閉めるその手を握る。 少しだけ驚いた様子のロイは、すぐそばのベッドまで手を引いてくれて。 力無く座った私の前に膝をついて私の前髪をさらりとかき分ける。 心配そうに覗くロイを見た途端涙が留めなく溢れてしてしまって、咄嗟に俯く。 「理由は……やはりさっきの会話にあるのか」 その問い掛けに小さく頷くとロイの周りの空気が少しだけ変わったような気がした。 『…ロイが媚びを売ったって……どう売ったか聞いてこいって』 「…そんな周りの声に耳を貸さなくて良いんだよ」 『分かってる!分かってるけど…悔しかったの、ロイがどれだけ苦労してるか知らないくせに…』 人の苦労を見ようともせず、上辺だけしか知らないくせに。 『…ロイが凄く頑張ってるの、私はいつだって一番近くで見てきたんだよ?なのに、何も知らない人に酷いこと…』 流れた涙が軍服に落ちて染み込んでいく。 ぼやけた視界の中にロイの指が映って、私の涙を優しく拭った。 「ななしがこんなに涙を流す姿は久しぶりに見たなぁ」 そう笑って、こつんと額をくっ付け合わせたロイは凄く優しい顔をしていて。 「君や私の仲間だけが私の事を理解してくれている、それだけで充分だよ」 『…私、ロイの隣にずっと居るから』 ずび、と鼻を啜ってロイの手を握ればロイは凄く凄く嬉しそうに笑った。 「その言葉だけで心が踊るようだよ、周りの言葉なんて気にならないほどにな」 『心が踊る…なんて、ロイもそんな言葉使うんだ』 ふふ、と笑えばロイが私の頬に触れて。 「泣き顔も好きだが、やっぱり笑った顔の方が似合う」 『…もう』 その言葉で照れてしまって、目を閉じた。 ふとロイの匂いと唇への温かさを感じて。 さっきまでの気分が嘘の様に晴れやかになって、私は小さくもう一度、と呟いた。 2019/6/25 |