何だかムズムズする。 私の目の前には、何度目かの手作りチョコがいくつもあって。 お菓子作りは楽しいはずなのに、なのに今日のお昼の事が頭から離れなくて楽しくない。 別に今に始まった事ではないのに。 ロイが女性と話している姿なんて何回も見ているはずなのに。 『…はあ、』 ため息を一つ。 明日はいよいよバレンタイン当日なのにこんな気持ちで作るなんて駄目だ。 『今は、ロイだけを考えて…』 自分に言い聞かせるように呟いて、真夜中で既に寝室にいる筈のロイを想う。 それでも気持ちが晴れることは無く私は自分の両頬を強く叩いた。 『いっ……たー…………よし!残りも作っちゃお!』 そしてバレンタイン当日。 私は、可愛らしくラッピングした袋を持って一人で大通りを歩く。 今日も今日とて仕事なので軍服を着ていてお洒落は出来ないけれど、仕方がない。 本来ならば出勤は必ずロイと一緒なんだけど、今日ばかりは先に行くことにしたのだ。 かわいらしいこの袋を渡す前に見られるのは何だか恥ずかしいし… 『いつ渡そうかな…』 どのタイミングで渡せば良いんだろう。 『…まあ、帰る頃には渡せてるはず!』 何て考えてた自分を殴りたい。 『何でこんな日に限って仕事が多いの…』 私の目の前には、こんもりとした書類の山。 まあ私だけじゃなくて皆そのくらいはあるんだけれど。 「昨日は窃盗が多かったらしい」 『あー……そう言えば私も昨日遭遇した!』 何でイベント前にそんな事件を起こすのか。 ……いや、イベント前じゃなくても起こしちゃ駄目なんだけど! 兎に角、この仕事を終わらせないと私は安心してゆっくりチョコを渡すことが出来ない。 『…よし!やってやるー!』 『……むり、おわらない…』 「おーい、生きてるか?」 『ハボック……私はもう無理…』 ぐでりとデスクに顔を埋める。 あれから四時間近く経ち、私の計算ではもう残り半分になっている筈だったのに。 私の前にそびえ立つ書類の山は一向に減る様子が無い。 …これ、そもそも今日中に終わるのかな… もし終わらなかったらどうなるんだろう? 残業?終わるまで帰れない?もしかしたら……仕事が終わる頃には今日が終わってしまうかもしれない…! 『どうしよう…』 「あの……あんまり詰めすぎるのも良くないと思いますし、休憩してきたらどうでしょう…」 フュリーのその声に顔を上げれば、心配してくれている様子で。 その言葉はとてもとても有り難いけれど、今日中に終わるかも分からないのに休憩するのは気が引けるもので、んー…と再び小さく唸れば、横で仕事を捌いていたリザがぽつりと呟いた。 「外の空気だけでも吸ってきたらいいんじゃない?……疲れた時には甘いものとかね」 「そうっすよね、中尉!ななし、何か気分も悪そうだし外の空気吸って甘いものでも口に入れてくれば、大佐も」 「…私も?」 「ななしに何かあったら一番困るのは大佐じゃないっすか」 「それもそうだな……じゃあ行こうか」 そう言って立ち上がるロイ。 あまりの急展開に頭が追い付かないけれど、これは……あれだろうか、リザとハボックが助けてくれたのだろうか。 そう思って二人を見れば、リザは口元笑ってるしハボックは親指立ていて。 『…あ、ありがとう…!』 感激のあまり大きな声で感謝を口にした私は、勢い良く立ち上がってロイと執務室を出た。 「…オレ達すっごい良いヤツじゃなかったっすか、今の」 「それが無ければなあ」 「自分で言っちゃうところが」 「黙ってた方が格好いいと…」 「私語はこの書類を片付けてからね」 「…………」 皆の力を借りて、何とか外に出てこれた私達が向かったのはこの前見つけた小道にあるベンチで。 ここなら司令部からそう離れていないので、用事が済んだらすぐに戻れる、そう思ったのでここにしたのだ。 二人で仲良く座って、少しだけ空気を吸う。 「…気分は大丈夫かな」 『うん、お陰さまで!』 「なら良かった」 私の顔を覗き込んできたロイは、私がにこりと笑うと微笑み返してくれて。 …今なら渡せる! 『ロイ、これ……』 「マスタング大佐」 「あれ?大佐じゃない!」 「やー!マスタングちゃん!」 『……!?!?!?』 こそこそと持ってきたチョコレートの袋を勢い良くロイの前に出した瞬間、どこから来たのか沢山の女性達がロイを囲んだ。 呆気に取られた私が我に返った頃にはロイは女性で見えなくなっていて、ぽつんと一人。 『た、タイミング……』 どうしてこうもタイミングが悪いのか。 いつもならとっくに渡せている筈なのに、それはまだ私の手の中にあって。 女性達をかき分けて渡す訳にも行かず、悔しさのあまりチラリと女性達を見る。 …皆可愛い格好だなあ、なんて。 今日がバレンタインだからか、皆頭のてっぺんから爪先までキラキラで綺麗で。 一方私は軍服で、お化粧も最低限しかしてなくて。 一回意識してしまうと恥ずかしくて堪らなくなって、無意識に立ち上がる。 『…さ、先に戻るね!』 ロイに聞こえるように大声で叫んだ私は、一歩足を動かす。 後ろの方からロイの声が聞こえたけど、その後に女性の声がして…会話を聞きたくなくて私は走り出した。 「…で、先に戻ってきたと」 『折角送り出してくれたのに、ごめん……でも何だかあそこに居づらくて…』 「まーあの人の人気は今に始まったことじゃないからなあ」 『最近ああいうの見てなかったから、つい…』 執務室の皆は、私だけが戻って来たことにとてもびっくりしていて。 だけど理由を話せば、同情のような声が漏れた。 「大佐、かなり気を付けてたしなあ」 『え?』 「ななしが不安になるような事はしないようにって、らしくもなく頑張ってさ」 そう言って笑ったハボックに目を見開く。 ロイがそんな風にしてたなんて想像もしてなかった。 『…悪いことしちゃったかも、』 「そろそろ大佐も戻ってくるんじゃないかしら」 「お迎え行ってきてやれば」 『うん、ちょっと行ってくる!』 袋を持って再び執務室を出る。 一番最初は謝ろう、それでこれを渡して。 そう頭の中で考えつつ早歩きで向かう途中、丁度司令部に戻ってきたロイが目に映って立ち止まる。 「ななし?」 私に気付いたらしいロイは、さっきの私の最低な行為も気にしていない様子で歩み寄ってきてくれた。 黙ったままの私を心配そうに見つめて、頭を撫でてくれて。 その心の広さに涙が出そうになって、思わずロイの手を掴む。 「ななし、」 『こっち』 珍しく困惑した様子のロイに一言そう言って、近くの使われていない会議室に入った。 ガチャリと鍵を掛けてロイを椅子に座らせる。 ロイは未だ困惑しているようだったけど、私はそのままロイの目の前で頭を下げた。 『さっきは逃げちゃってごめんなさい、』 「…」 『…ロイ?』 無言のままのロイに、恐る恐る顔を上げる。 ロイは特に怒った様子もなく、私の頬に触れた。 「こちらこそ悪かった、まさか囲まれてしまうとは」 『わ、私ロイが女性関係で気を付けてくれてるとは思わなくて、』 「心外だな、そんなにだらしなく見える?」 『ちっ違う!違くて!』 言葉選びを間違えてしまい、あわあわとしている私を見てロイは面白そうに笑って。 そんな表情一つで私の心臓は早くなってしまう。 『…いつもありがとう、気づかなくてごめんね』 「自分がしたいことをしてるだけだから気にしなくていいよ」 『そ、それとね…これ』 「チョコレート?」 『何で分かったの!?』 すっと差し出した袋に、ロイは驚く様子もなく受け取ってくれて思わず目が丸くなる。 だって、今日まで気づかれないように気を配っていたのに。 『…さっきの人たちから貰った?』 「貰ってない、そんな関係じゃないしな」 『そ、そっか』 その言葉に胸を撫で下ろす。 やっぱりチョコレートは一番最初に渡したい……なんて、この時間まで渡せずにいた私が言えるような事ではないのだけれど。 何で分かったのかは分からないままだけど、まあいいかと自分の中で納得してロイの横にある椅子に座った。 「開けて良い?」 『ど、どうぞ』 ロイがラッピングされた箱を丁寧に開封していく。 パカリと開けたその中には、生チョコレートとマフィンが入っていて。 あれだけ走ったのに崩れた様子もなくてほっとした。 『良かった、崩れてなくて』 「凄いな、美味しそうだ」 『食べてみて、不味くはないと思うから!』 そう声を掛ければ、ロイは生チョコレートを一粒口に運んだ。 「美味しいよ」 『よかった!』 「ほら、ななしも」 『え?私は……ん、』 私は試作を沢山食べたから、と言い切る前にロイの唇が私の唇に重なる。 油断していたこともあって口の隙間から何かが入り込んできて、そのまま一緒に入ってきたロイの舌と私の舌で転がされたそれはじんわりと甘く溶けていった。 完全に溶けきった頃に唇が離れて、最後にペロリと私の唇を舐めたロイはいたずらな笑顔を浮かべていて。 「甘くて美味しいだろ」 『……うん、甘すぎるくらい』 「これくらいが丁度良いよ」 『ね、ロイ』 「ん?」 『…………これからも、私だけを見ててね』 不安から言ったんじゃなくて。 この幸せをいつまでも噛み締めていたくてぽろりと出た言葉。 ロイはその意味を理解してくれたようで、優しく頭を撫でてくれてそのまま優しくキスをしてくれた。 今度は、触れるだけの優しいキス。 だけどそれはさっきと変わらないくらい優しくて、思わずロイの軍服の裾を握った。 「昔も今も、これからも私はななししか見えないよ」 そう言って恥ずかしそうに笑うロイがとても愛しくて、つられて恥ずかしくなってきた私はそれを隠すようにロイの唇に自分の唇を重ねた。 2019/02/14 |