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帝立オペレッタ05(弱肉強食)



「あれ、まだ終わってない系ですかー」

 後ろでゆるい声がした。驚いて振り向くと知らない男がいる。痩せた男だった。前髪が長くてよく目が見えない。なんだか根暗そうな卑屈っぽい印象がする。広くて薄い唇のせいだろうか。制服の左肩には前期二年を示すラインが入っていた。どうやらエスラールと同い年らしい。
 男は腕まくりをし、首に毛布を巻きつけて、水をたっぷり入れた大きな桶を二つと持ち、掃除用のブラシを脇にはさんで立っている。

「あんた、どちら様? なんでそんな変な格好してんの」

 男は持っていた桶をおろし、エスラールの顔と格好を眺め回して言った。寝間着にブーツというのは確かにおかしな格好だが、毛布を首に巻きつけている奴にあんまり言われたくない。
 男は極めてやる気のなさそうな喋り方をする。そのお陰なのか、先ほどの失望はどこかへ吹き飛んでしまった。

「お前こそ、どちら様だよ」

「俺はお掃除係のミレベンゼ。宴会が終わった後の片付けをするんだ。あ、もしかしてあんたエスラール? エメザレと同室になった奴だろ。そういえば見たことがある気がする顔だ。あんたも大変だね。こんなのと一緒の部屋になって。あー、エメザレなら心配ないよ。いつもそんなふうになるんだ。死にそうだけど死なないから大丈夫。見た目より頑丈なんだよ、そいつ」

 ミレベンゼは巻きつけていた毛布を外して無造作に床に投げると、ブラシを持ち替えて、その柄でエメザレを差した。

「掃除係? 宴会ってなんだよ。エメザレにこんなことをしたのは誰だ」

「うーん。しいて言うならロイヤルファミリーかな? でもエメザレが勝手に望んでそうなってるっていうか、そんな感じ。だからやめさせようとか考えてるんなら諦めた方がいいよ。無駄だから。で、エメザレどかしてよ。床、掃除するから」

 ミレベンゼが淡々と掃除の支度を始めた出したので、エスラールは産まれたてのヒナのようにドロドロになっているエメザレを抱いて持ち上げた。床に寝せるのも冷たくて可哀想に思えたので、仕方なくエスラールは床に座り込み、膝の上にエメザレを寝かせたが、震えが止まっていない。身体は死ぬんじゃないかと本気で心配になるほどに冷たくなっている。腕や足をさすってみたが気休めにもならなかった。

「エメザレ自身がこうされるのを望んでるって言うのか? そんなバカな話がどこにあんだよ。そんな話、信じられるわけないだろうが」

「いや、本当にエメザレには強制してないって。だって、むしろエメザレはロイヤルファミリーのひとりだったんだぞ?」

 ミレベンゼは桶の水を床に巻いた。水しぶきがエスラールの顔や服にも飛んできたが、悪びれる様子もなく話を続けた。

「二号隊のモットーは『弱肉強食』。宴会の犠牲者は成績が芳しくない奴の中から適当に顔がいいのが選ばれるんだけどさ、だいたい三人くらいかな。普通はそいつらをローテーションして使うんだよ。嫌だったら頭良くするか、強くなるかして、のし上がるしかなかったのさ。それなのにエメザレは自分で犠牲者に立候補してきたんだ。『三人もいらない。僕一人で充分だ』とかなんとか言ってさ。誰も文句は言わなかったよ。このとおり、顔はいいからね。でも義務はないよ。嫌なら嫌でやめればよかったんだ。
一号隊に転属になったし、『もう来たくないなら来なくてもいい』ってシマ先輩が言ってたの、俺、聞いてたもん。なのにこうやって部屋抜け出してここに来たわけだろ。エメザレは頭がおかしいんだよ。とっくの昔に精神が破綻したんだ。ガルデンに来る前から、大護院時代からずっとそうだった。犯されすぎて狂って、犯されるのが大好きになったんだよ。どうだ、なかなか幸せな話だろ?」

 ミレベンゼはブラシで床を磨きながら、エメザレを横目で見て笑った。
 エスラールの腕の中では、満足に言葉も話せないエメザレが裸で震えているのだ。精液と嘔吐物にまみれ、身体中に鬱血痕を付けられ、擦れて赤くなった痛そうなペニスを見て、それでも笑ったのだ。エスラールは悔しくなった。

「なんだよ、その言い草。確かにエメザレは正常じゃないっぽいけどな、犠牲者に立候補したのは思いやりだったかもしれないだろ! ずっと昔から誰かをかばってきかたら、こうなったのかもしれないだろ! いろんな奴がこうなる原因を作ってきたんだろ。みんなで歪めておいて、頭がおかしいなんて言うなよ! そんなこと言う資格ねぇよ! 無責任なこと言ってねぇで助けろよ! なんで放っとくんだよ」

 エスラールの言葉にミレベンゼは手を止めた。怒るか、と思いきや呆れ果てたような顔をしている。それどころか、少し笑っているようにも見えた。

「別に放っといてないだろう。こうして掃除しにきたんだから。あのさ、あんたさ、一号隊がどんな生温かい場所なのかは知んねーけど、二号隊のルールは弱肉強食なんだよ。
というか、それが世の中を構築してる基本的なシステムなんじゃないのか? 弱い奴は死ねばいいんだよ。弱い奴の子孫なんて残してなんになるんだよ。可哀想だとか、正義だとか、良心だとか、そんなアホみたいなこと言ってたら生物は滅びるんだよ! 俺達は滅びるために生きてるんじゃない。繁栄するために生きてるんだ。それが生物としての正常な本能なんだ。
弱肉強食は、存続のための基本的な、根本的な、絶対的なルールだ。俺達は文明の中で生きて、独自の秩序や綺麗事を確立して、いいことしてる気になってるけどな、文明は自然の中にあるちっぽけな存在なんだよ。自然の掟に逆らって、理想ばっかり求めてたって最終的には破滅するんだ!
弱い奴は死ぬ。心の弱い奴も死ぬ。良心にうつつをぬかしてる奴も死ぬ。ルールを破ったのはエメザレの勝手だ。破滅を選んだのはそいつ自身だ。そんな奴を助ける必要はないし、誰も助けるわけがない」

「頭がおかしいのはお前らだ! 二号隊全員だ! ひとが困ってたら助けろよ! 誰かが悲しんでたら慰めてやれよ! 理由なんてどうでもいいんだよ! この世界はな、どうしようもなくくだらなくて、ろくでもなくて、救いようがなくてウンコみたいなところだけどな、お互い努力すりゃ、ちょっとは居心地のいい空間になるんだよ! そんな理屈こねて、死ねとか言って誰かが幸せになるのかよ! 俺は繁栄がなんたらとか、生物がうんぬんとか、本能がどうこうとか、そんなんどうでもいいし、それよりみんなが幸せな世界の方がずっとずっと好きだ!」

「あんた、うっぜーーーーーーーー! マジうぜー。半端なくうっぜー。つーか、キモいレベルだし。幸せな世界とか乙女かよ。一号隊ってみんなこんな頭がぱっぱかぱーみたいな奴ばっかなの? いいねぇ、幸せそうで。勝手に言ってろよ。
それよか、どいてくれよ。掃除の邪魔だし。エメザレ洗うから放せよ」

 エスラールはよほど言い返してやろうかと思ったのだが、それよりもエメザレを早くなんとかするべきだ。出かかった言葉をどうにか飲み込んで、エメザレをそっと床におろした。
 するとミレベンゼはエメザレに一言の断りもなく、唐突に桶の水を頭からぶっかけた。エメザレは水を飲み込んでしまったらしく、苦しそうに咳き込んで、口の中に溜まっていた白い液体を吐いた。

「おい! やめろよ!」

 と怒鳴ったがミレベンゼは無視して、先ほど床を掃除していたブラシで、まるで床と変わらないみたいにエメザレを乱雑に擦り始める。

「やめろって! そんな洗い方があるかよ。可哀想だろーが!」

 エスラールはミレベンゼからブラシを無理やり取り上げると、遠いところへ放り投げた。ブラシは渇いた音を立てて床に落ち、回転しながら闇の中に消えていった。

「これが俺の洗い方なんだよ。うるせーなーもう。こんな汚いの素手で触れるかよ! 俺だって、掃除したくて掃除してんじゃねぇよ。毎日だせ? 毎日。来る日も来る日も精子とゲロの掃除だぞ? 毎日俺は眠いんだよ」

「そんなんお前の事情だろうが! 洗うんだったらもっとちゃんと洗えよ!」

「あんた、偽善ぶって鬱陶しい奴だなー。そんな文句言うならあんたがやれよ!」

「わかったよ! 俺がやるから、桶貸せ!」

 エスラールが言うと、ミレベンゼは無言で桶を乱暴に差し出した。桶の中には四分の一ほどの水が残っていて、その上に小汚い雑巾が浮いている。
 エスラールは桶を受け取り、とりあえず足元に置くと、床に座り込んでエメザレを抱き上げた。

「エメザレ、身体洗うよ。触るからね」

「そんな断りいらねっての。どうせなんも覚えてないんだから。そいつ、そうなってる時、記憶ないらしいんだ。な、頭ヤバいだろ?」

 ミレベンゼは自分の頭を人差し指で突いて笑ったが、エスラールは言葉を聞き流して雑巾をしぼり、丁寧にエメザレの身体を拭き始めた。どこを触ればいいのか迷ってしまうほどに鬱血痕がひどい。優しく拭っているつもりなのに、痕の上に触れるとエメザレは小さく呻いた。考えてみれば鬱血痕は内出血の一種なのだ。痛みとしてはアザと変わらないくらいだったのだろう。

「この痕、痛いんだろう。エメザレ。毎日ずっと痛かったんだね。俺がこんな痕なんか治してやるよ」

「キモいこと言ってないで、しっかりケツの中まで洗えよ?」

「そんなとこまで洗うのかよ……」

「当たり前だろうが。そのままにしといたら衛生的によくないんだ。もしエメザレが性病にでもなってみろ。二号隊の主力が全滅だ」

「どうやって洗うんだよ」

「どうやってもくそもない。ただ指を突っ込んで中のやつ掻き出せばいいだけだよ」

 ミレベンゼは右の人差し指と中指を立てて、くいくいと何度か曲げて見せた。エスラールがぽかんとしていると、ミレベンゼはエメザレの足を広げてその前に座り込んだ。

「じゃ、俺やってやるよ」

 言うが早いか、ミレベンゼはエメザレの尻に二本の指を乱暴に突っ込んだ。

「……ぃ、ぁあ……」

 エメザレが変な声を出した。

「そ、そんなことしたら、痛くないのか?」

「は? 痛くねぇだろ。このケツはな、さっきまででかいチンコを咥えてたんだよ。指二本くらいなんでもねーよ。さてはあんた、童貞だろ」

 と言われてエスラールは言葉に詰まった。
 ミレベンゼが指を抜き差ししている様はやはり淫靡に見えてしまう。あまりそれ見ないようにと、エスラールは顔を背けた。

「やっぱな。そんな妖精みたいなおめでたい考え方してる奴なんて、童貞に決まってるよな。じゃあこの作業、ちょっと刺激が強すぎるか? でもせっかくだから見とけよ。こいつのケツん中、掻き出すとマジですごい量の精子、出てくんだぜ」

 ミレベンゼは指を動かす速度を速めていく。エメザレの中からは粘ついた白い液体が湧き出てきて、レベンゼの右手はすでにその液体に覆われていた。

「……や、ああ……っあ、い、……ぃい、ん……」

 指が動かされるたびに、エスラールの腕の中でエメザレが小刻みに痙攣する。つま先が反り返り、頬が上気して、ペニスが反応をし始めた。

「ほら、気持ちいいんだって。笑えるよな」

「てめぇ、その手の動かし方やめろ! あっちいってろよ!」

 エスラールは器用に右足だけ動かすと、ミレベンゼを蹴り飛ばした。

「んだよ! 俺のせいじゃねぇよ、そいつが勝手によがってんだよ。優しくしようが激しくしようが、そいつはケツ弄られると感じる体質なんだっての! やってみりゃわかるよ」

 ミレベンゼは蹴られた尻をさすりながら言った。
 とにかくミレベンゼのやり方は不潔に見える。ひと様の尻の中を洗うというのは、けして積極的にやりたいことではなかったが、精神衛生上、自分でやった方がいくぶんかマシに思えた。

「エメザレ、ゆ、指、入れるぞ」

 エスラールは片手でエメザレを支え抱き、片手を陰部に持っていったが、いざ指を入れようとすると、変な緊張のような恐怖心のようなものがこみ上げてきた。
 この指が、もし自分のケツに入ってきたら、と考えると怖い。絶対に痛い。もし、中を引っ掻いて傷つけてしまったら。血が出てきたら。そんなことばかりが頭をよぎり、指が勝手に震えてしまう。

「おいおい、童貞くんよ、大丈夫かよ」
「大丈夫だよ!」

 意を決して、エスラールは二本の指をエメザレの中に優しく入れた。びくっとエメザレの身体がそれに反応する。エスラールの心臓は高鳴り、冷や汗が出てきた。

 中はとても暖かい。いや、暖かいというよりも熱い。温めたジャムの中に指を突っ込んでいるみたいだと思った。身体は冷え切っているのに、まるでそこだけに熱が集中しているかのようだ。中の壁が指にまとわりついて、締め付けてくる。指が中で一体化し、溶けてしまいそうな気がした。

「童貞くん、ほら指、動かして。こうだよ」

 ミレベンゼは二本の指を曲げて掻き出す真似をする。エスラールはその通りに中で指を動かした。

「く……ぅ、ん」

 エメザレが身体をしならせた。

「ちょ、変な声出すなよ」

「だから言ってんじゃんか。勝手によがるんだって。ほら指、休めない。こう、下に押すみたいな感じで、穴を広げて出すの」

「……や、あぁ、あ、……も、っとぉ……」

 エメザレは上目遣いをしながら、エスラールの胸にしがみついてくる。焦点の合っていない目は涙で潤んでいて、腫れぼったくとろんとしている。緩く開かれた唇の隙間からは赤く濡れた舌が見えた。

 そんなエメザレを抱き、そして今、エメザレの中に指を突っ込んで動かしている。でも犯しているわけじゃない。

 だが、理性が段々と麻痺していくのがわかった。エメザレを抱きたいと思う気持ちが、もう少しでわかってしまいそうになった。なんだかエメザレが女のような気がしてきたのだ。

 エスラールは女を間近で見たことがないが、これは男ではないと思った。エメザレの容姿は女性的というほどではない。しかしその片鱗がある。それが僅かであれ、女の片鱗を持つものは、男だけの世界で、あっという間に女性的な立場へ変換されてしまうことになる。

 だが、普通は抵抗するものだ。必要以上に男らしくしてみたり、俺をそんな目で見るなと力一杯拒絶してみたりする。それなのにエメザレは女の片鱗をぶら下げたまま、隠しもしないですっかり受け入れてしまっている。そうなると、もう女のようにしか見えなくなってしまうのだ。

 ずっと大切にしまっておいたはずの感情が、逆立ってくるような感覚に襲われた。

 その時、中の上の方から熱の塊のような何かが流れてきて、エスラールは我に返った。熱はエスラールの指を呑みこみ、付け根の部分まですっぽり覆ったかと思うと、ぼとっと音がして、見るとカマキリの卵みたいに白くて粘っこい泡状の塊が床に落ちていた。

「すげー量だろ。呆れるよな。あれ全部、精子だぞ」

 ミレベンゼは落ちてきた液体を指差して笑った。確かに出てきた精子は一人や二人の分量ではなかった。

「そこは笑うとこじゃないだろ。悲しむとこだ」

 エスラールは、ねだるように擦りついてくるエメザレの背中をさすり、桶に残っていた水を下腹部にかけて、雑巾で丁寧に拭いてやった。

「この偽善童貞め。ほらよ! それにエメザレ包んで、早く行っちまえ! 俺はまだ掃除が終ってねぇんだ」

 ミレベンゼは床に置いてあった毛布を掴むと、エスラールに投げてよこした。それは案外きれいな毛布で、触り心地はよくなかったが、よく干されているのか昼間の匂いがした。

「言われなくても、とっとと帰ってやるよ」

 エメザレは毛布で包んでやると、安心したみたいに急におとなしくなって目を閉じた。エスラールはエメザレを抱き上げ、ミレベンゼに一瞥をくれてから背を向け歩き出したが、サロンから少し離れたところに、さきほどエスラールが投げたブラシが転がっていたので、それをミレベンゼに向かって蹴った。ブラシはやはり何度も回転して、ミレベンゼのちょうど足付近で止まった。

「掃除、頑張れよ」
「言われなくても頑張るよ。じゃーな」

 ミレベンゼはブラシを拾って言った。


◆◆◆

 二号寮の外に出ると月がやたらと綺麗だった。空は澄み渡っていて、真っ黒だ。無数の星たちが瞬いて、冷たくて優しい月の光がそれらを照らしている。それはただの、なんの変哲もない夜空なのだが、なぜか美しく見えた。

「おい、エメザレ。空を見てみなよ。月が綺麗だよ」

 だがエメザレは毛布のなかでぐったりとして目を閉じている。
 エスラールはエメザレを抱いたまま、訓練場の真ん中に立ってみた。絶対的な景色がガルデンを丸く取り囲み、それ以外の世界は最初からなかったかのような気分になる。

「月とかさ、ちゃんと見たことないんだろう。今度見てみろよ。月はさ、月だと思って眺めてるといつまでもただの月なんだ。でも感動するまで見続けるんだよ。諦めないで見続けるんだ。
なんで君、一人ぼっちで壊れてんのさ。俺、諦めないよ。俺がこんなこと許さないからな。うぜーとか鬱陶しいとか大きなお世話とか言われても聞かないからな。
エメザレ、聞いてるか? 君、ほんと死体みたいだな。確かに幽霊だよ、これじゃ。でもこんなん悲しいだろ。悲しいんだろ。俺は悲しいよ。俺が悲しいんだ。俺だって生きてるのが怖いよ。
でも幸せになるのを諦めちゃだめだ。感動するまで見続けるんだよ。そうだよ、諦めないで幸せになるまで見続けるんだ」

 祈るような気持ちで、エスラールは月に向かって話し続けた。




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