「うぅ……っく、ひっく…………
ひどいよ……、こんなの……」
事が終わり、甘い余韻ばかりを感じさせる体を自分で抱き締めながら、あたしは泣きじゃくる。
「だって……、本当に辛かったのに……
あたし、殺してやりたいってずっと思ってたのに……
こんな、『こんな程度』で、慰められちゃうなんて、あたし……
馬鹿みたいじゃん……!
ただイイ男が欲しかっただけかよ、って……
あーもう最悪だ……!!
ていうかあんた上手すぎでしょ……!
学校じゃ他の子に手ェ出してる素振りないのにさ、どこで覚えたの? こんなん……
こんな汚ないあたしにも丁寧にしてくれるとかさ、優しすぎて涙出んだけど……
ホント、意味わかんない……」
あたしは往生際悪く、ぐずぐずと泣き続ける。
獏良クンに匹敵するようなキラッキラの美少女ならともかく、こんなあたしが泣きじゃくったところで、その顔はブスにしかならないだろう。
本当やだ。
穴があったら入りたいとは、このことか。
いや、入ったのは彼の方だけど――
って、下ネタはどうでもいい!!!
「そういやさ……
なんで、シてる時もその首飾り、つけたままだったの?
大きな輪っかのやつさ……
胸に食い込んでちょっと痛かったんだけど。
あたしはともかく、そっちだって痛かったんじゃない?」
あたしは、最中に気付いたそれについて、彼に問い掛けた。
だが彼から返って来たのは、相変わらず斜め上な答えなのだった!
「オレ様は『コイツ』が無いと表に出てこれねえのさ。
獏良了ではない、バクラ……さっき教えてやったろ?」
本当、獏良了という人間は訳が分からない。
「なにそれ。
その趣味が悪……っアクセが、あんたが出てくるのに必要なスイッチってわけ?」
「そうだ」
「なるほどー……
そういう設定なんだ」
獏良了という人間は、筋金入りの中二病か、本気で病気なのだと思う。
あたしは後者だったらあんまり茶化しちゃ悪いなと思いつつも、いい機会だと思い質問を続けることにした。
「ていうか、もう一つの人格の方……
あんたも『ばくら』ってさ、紛らわしくない?
名字じゃん。呼び捨てにしていいの?」
「イイぜ。了くん、なんざ二度とほざくんじゃねえよ」
「……あの催眠術のような技も、そのアクセがないと使えないってこと?」
「そうだ。
ついでに言っとくと、宿主……普段の獏良了には、『オレ様』で居る時の記憶は無いぜ」
「ふーん……
あんたは獏良クンの演技をするけど、獏良クンはあんたにはなれないんだ」
「…………」
「……この前すれ違いざまに、あたしに変なこと言ったじゃん。
内容から考えると、あれも『バクラ』でしょ?
あんたが獏良クンの本性じゃなくて、ガチで二重人格なんだとしたら、あはっ、あれキモすぎるから……!
あたしの前では『演技』しないで」
「……なら学校ではオレ様に話しかけるな」
「分かってるってば……!
ていうか一人称オレ様って……まぁ、似合ってるからいっか。
あはは、最高だよあんた……!
ううん、『バクラ』……?」
涙もようやく収まってきたあたしは、まるで今までの仕返しだと言うように、ケラケラと彼を笑った。
それから、彼の家でTVゲームをしたり、お菓子をつまんだりして。
先程までのいかがわしい睦み合いは何処へな、健全? とも言える時間を過ごしたあたしは。
こういうのも悪くないなと思いつつ、不敵に笑う彼の横顔を何度か目にするうち、やっぱりあたしはひどく彼に悪いことをしてしまったんじゃないかと思い直し始めた。
「ねぇ……
あたし勝手に、獏良クンはなーんも苦労知らずであたしとは全然違くて、今までずっと順風満帆な人生送ってきてるって、勝手に思ってたんだけどさ」
帰り際、あたしは彼に背を向け玄関で靴を履きながら、そんなことを口にした。
「二重人格……みたいなのってさ。
主人格の方に、辛いことがあったから出てくるって聞いたことあるんだけど……
もし、獏良クンに、あたしが知らない辛いことがあったんだとしたら……
本当ごめん。
あたし、自分ばっか不幸自慢して……
あんたの事情、何も考えてなくて――」
「黙れ」
ぴしゃり、と背中に投げつけられたのは、いつぞやの冷たい声だった。
唐突な沈黙がその場を支配し、あたしは不穏に高鳴る胸を抑えながら、彼を振り返る。
あたしは、彼の何らかの地雷を踏んだのだろうか。
――だが。
そこに在ったのは、いつもの傲岸不遜で不敵な笑みを浮かべる、『バクラ』だった。
「オレ様をどこぞの墓守野郎と一緒にするんじゃねえ……!
ま……、獏良了が不幸だってのは認めてやるよ。
何せ、オレ様みてえな悪霊に憑かれてんだからよぉ……!」
ヒャハハハ、とバクラは嗤った。
オレ様は3000年前の亡霊なんだよ、とバクラは言った。
その凝った設定に、あたしは『バクラ』がどういう経緯で生まれたのか、考えないことにした。
もし彼の言うように、本当に獏良クンに不幸な部分もあるのだとしたら……
あたしは、ずっと彼に抱いていた勝手な思いに、罪悪感を覚えることになるからだ。
人にはそれぞれ事情がある――
そんな当たり前のこと、あたしだってわかってる。
でも、ずっと辛酸を舐めてきたあたしがそれを受け止めるには、もう少しだけ時間が必要なのだ。
「あばよ。またイイことしようぜ」
「はぁ……? バカ」
獏良了……バクラという設定らしい彼は、いつも不敵に嗤っている。
しかし、その本心は、決して表に出さない。
あたしが何気なくそこに踏み込もうとするたび、彼はナイフのような冷たさで、あたしがそれ以上進まないように制止を掛けるのだ。
妄想設定の中二病にせよ、ガチの精神障害にせよ――
どちらにしても、彼の背後には闇がある。
決して、あたしなんかじゃ触れることの出来ない、闇が――
「お姉ちゃん。
これ、知ってる? カードゲーム」
とある日。
学校から帰り、夕食を取り終えた後。
くつろぐあたしに、ふと妹が話し掛けて来た。
母親はまだ帰って来ない。
『ヤツ』が居なくなってから、あの女は帰りが遅くなった。
外でよろしくやってるだけならいいんだけど、またこの家に変な男を連れて来るようなことにはなって欲しくない。
でもまぁ、それはさておき。
「あ……! 知ってる、それ。
うちのクラスでもやってる人いるもん!
……ていうか、どうしたの、それ」
「もうカードゲームやめる、って子たちからもらったの。
でね、すっごく楽しいんだ!
ねぇ、お姉ちゃんも一緒にデュエルしない……?
わたし、強くなって今度の町内大会に出ようと思ってるんだ!」
へぇぇ、とあたしは感嘆のため息をついた。
クラスで、武藤遊戯や城之内克也がいじっていたカード。
そして、あの獏良了の本性……
バクラが、鮮やかな戦術で敵を倒した、あのカードゲーム……
それを、よりによって妹が始めるなんて。
何というか……偶然とはいえ、あたしは少しだけ面食らったのだった。
でも。
「うーん……ごめん。
とりあえず、今はいいや。
周りでそのカードゲームやってる人に、ちょっと思うところがあって」
あたしの妹は賢い。
彼女はそっかーと言って、それ以上詮索しなかった。
もしあたしがデュエルとやらを出来るようになったら、あのバクラと他愛のない勝負に興じることが出来るだろうか……?
勝負……
カードゲームに限らずあらゆるゲームは、本来、ただのゲームであるはずだ。
勝ち負けなんて、ただのお遊びの結果でしかないはず――
けれども。
けれども、だ。
獏良了……いいやバクラとやらが、ゲーム、と……
闇のゲームだの、勝負だのを口にする時。
あたしはそれが、催眠術や手品のようなものを後ろ盾にしているとは分かっていても、どことなく……
彼が口にするその単語に、不穏なものを感じているのだ。
バクラが怖いとか、イカレてるとかいうんじゃない。
いや、バクラは充分イカレているとは思うけど……
そうじゃなくて。
まるで、『ゲーム』をしないと、生きて行けないような。
本当に変な想像だとは思うけど、彼はいつかどこかで、誰かとする何らかのゲームに負けて、取り返しのつかないことになってしまいそうな……
そんな気がするのだ。
バクラが手にしたあのカードと『ゲーム』とやらには、常人が理解出来ない妄執と怨念が込められているような――
それは、彼がおどろおどろしい雰囲気のモンスターを使うからとか、そういうことではなく…………
あたしは何故だか、そんなことを考えずにはいられなかった。
うん……自分でも、よくわからない。
あたしはそもそも、何もバクラを……獏良了を知らないのかもしれない。
でも彼は、あたしがそこに踏み込むことを良しとしないだろう。
何となく――
彼があたしにずっと余裕かまして、不敵な笑みを浮かべて軽口を叩いていられるのは、あたしが『ここ』に踏みとどまっているからだと思うのだ。
『これ』以上遠くても近くても、彼はあたしから去っていく。
何故だか、そんな気がしてならなかった。
ていうか……
あたし、あいつのことを何でこんなに気にしてんだろ……
無理矢理なのを除けば、たった一回体を重ねただけなのに。
やだなー……あたし。
馬鹿でひねくれてる上に惚れっぽいなんて、救いようがないにも程がある!
――そして、どういうわけか。
あたしと彼の『逢瀬』はその後、一度じゃ終わらなかったのだった。
「んっ…………、は、ぁ……っ
やだもう……疲れた…………」
あたしは獏良クンの……
ううん、彼が言うところのバクラと、セフレのような関係に収まっている。
そして体温を共有するたび、あたしは彼に惹かれていった。
そんなチョロい自分が、嫌でたまらないわけで……
「今日は一日時間あんだろ?
もう一回付き合えよ。外でなんか奢ってやるからよ」
「えー……いいけど……」
あたしは本当に、チョロい人間だと思う。
好きだなんて一言も言われてないくせに、バクラに求められるのが本当は嬉しかった。
たまに変なプレイもあったけど、ベッドでの彼は概ね優しかったし、何というか、他愛ない会話も含めて、彼と居ることは心地が良かった。
だからあたしは……
獏良了という人間の、その中に居るバクラという人格が、好きなのだと思う。
秘密を共有だのトラウマの払拭だのそういう事情はさておき、あたしは普通に彼に惚れてしまったのだ。
――たとえ彼があたしに見せる顔が、偽りの仮面だとしても。
でもあたしは、決して彼に愛を囁かなかった。
感情的に入れ込んでるのがバレて、彼にウザがられて距離を置かれるのが怖かったのも少しある。
けれども、何よりも。
あたしは彼との関係に、どこか非日常なものを感じていたのだ。
ううん。
もっと言えば、バクラという人格、その存在こそが、あたしにとっては非日常だった。
そして――
好きだとか、付き合って欲しいとか、将来だとか――
彼を、そういった『日常』に引きずり下ろしたら、何もかもが霧散する。
何故だかわからないが、バクラという人格は今ここにあたしの目の前に居ること自体が奇跡のようなもので、それこそ、来年の今頃には彼は消――
というか、彼を彼たらしめている一切合切が、今すぐ消えてしまっても、何ら不思議ではないような気がしたのだ。
本当に、妙な感覚だとは思うけども。
だからあたしは、バクラに将来の話を振らなかった。
それだけじゃない、主人格である獏良了のことも。
獏良了という同級生の部屋でふと見かけた、彼によく似た小さな女の子の写真。
彼に兄弟が居るかもしれないなんてこと、あたしはきっと知らない方がいい。
だからあたしは、膨れあがる恋心wを隠して、限られた逢瀬に、内心恍惚として浸るだけなのだ。
「何だよ、オレとイチャつくのも飽きたってか?」
「っ! イチャ……って何言ってんの!?
ばか。……ううん、それはないよ」
「ククク……だよなぁ……
お前、オレ様のこと好きで好きでたまんねえもんなぁ……?」
「はぁ!?!?」
どきり、と激しく鳴った心臓には本当自分でもビックリする。
あたしは思いきりバクラを睨んでみるが、勝ち誇ったように口角を釣り上げる彼は、自分の発言にこの上なく自信を持っているようだった。
「ばっ……、ばっかじゃねーの、本当!
いくら顔がイイからって言っても、自惚れすぎ!
そりゃあ、あんたには感謝してるし、こういうのも嫌じゃない……っていうか、イイけどさ。
でもそれにしたって、好きとかそういうのはさぁ……!!
ゃ、好きじゃないわけじゃ、ないけど……」
柄にもなく、火照る顔。
気まずくなって視線を逸らし、瞬きを繰り返せば、彼の手が伸びてきてあたしの後頭部を引き寄せた。
「ちょ、んんん……!」
塞がれる唇は、やっぱり温かくて、気持ちがいい。
身体を繋ぐ時の甘い陶酔感は、何度やっても良い意味で慣れずに、まさに溺れそうだとあたしは思った。
異性の身体である彼が、この行為をどう感じているのかは知らないけど。
あたしはバクラの首筋に腕を回し、淫らな息を吐く。
好きだなんて、絶対に言ってやるもんか。
あたしはバクラが好きだ。
たとえ彼の存在が、獏良了という人間のなりきり遊びであっても、二重人格であっても――
もしくは本当に、3000年前の古代エジプトの盗賊、の魂なのだとしても。
あるいは、もっとタチの悪い、悪霊なのだとしても――
別にいい。
すべてを見下したようなカッコつけた喋り方と、我が物顔で世界を値踏みする不敵な笑み――
そして、あたしに触れる体温だけが、ここに在るのなら――
あたしは、バクラが大好きだ。
「奢ってくれてありがと。
悪いね。助かっちゃった」
お昼もだいぶ過ぎ、ハンバーガーショップで遅い昼食を済ませたあたしたちは、繁華街をブラついていた。
妹は友達と遊ぶとかで、今日は夕飯の時間まで帰って来ない。
ロクに家事をしない母親のかわりに、今夜もあたしが何か作ってあげないと。
「どうでもいいけどさ、こんなとこ獏良ファンの誰かに見られたら、今度こそあたし、学校行けなくなるね。あはは」
あたしはポケットに手を突っ込んで歩くバクラの横で、アイスを舐めながら茶化すように笑った。
「その時は、ミョウジさんが勝手に押しかけてきて……ってしおらしく言ってやるよ」
「はぁ!?
ははっ、それじゃあたし完全にヤバい女じゃん!
FCの女の子たちからフルボッコされんだけど! ははっ」
「良かったじゃねえか」
「よくねえよ! 何がだよ!!」
雑な口調でぎゃはは、と笑うあたしは完全に道化だと思う。
けれど、あたしの隣で満更でもなさそうに会話に応じ、時折あたしのアイスを奪って口にするバクラは――
何となく、この状況を彼なりに楽しんでるんじゃないかと。
あたしの勝手な好意的解釈とはわかってるけど、でもあたしの目にはそんなふうに見えてしまうのだ。
「どこ行くの? またカードショップでも行く〜?」
「んー」
気の抜けた生返事を返すバクラは、声だけ聞いたら、どこかあどけなさを残す中性的な少年でしかない。
やっぱ、主人格らしい獏良了の、『二重人格』ごっこでしかないのだろうか……
どんなに悪ぶってても、気を抜いてる時は素が出ちゃう……、みたいな?
あたしはやれやれというように溜め息をつきながら、緩やかにゲーセンへ向かう彼に着いて行ったのだった。
「ッ……!」
ぴたり、と止まる足音。
おっと、とその場で足を踏み鳴らしたあたしは、何故バクラが急に止まったのか理由を求めて、彼の視線の先を追った。
「あ……武藤じゃん。
城之内と、本田と……あいつら、ホント仲いいよね」
あたしはちょっと呆れたように、バクラに話し掛けた。
ゲーセンの入口から出てきた数人。
特徴的な髪型と出で立ちは、雑踏の中でもすぐ彼らだとわかる。
恐らく性格から言っても、『バクラ』の方は彼らとつるむことは無いのだろう。
武藤遊戯らと一緒にいる時の獏良了は、いつだって『獏良クン』だ。
「……あいつらの結束は固いのさ」
あたしに応え、そう漏らしたバクラは、フフンと薄く嗤って彼らを見つめていた。
武藤たちはあたしたちに気付かず、ゲーセンを出て去っていく。
何が楽しいのか、ケラケラと笑いながら何事かを話している彼ら――
バクラは何故か、その背中をじっと観察していた。
「あー……ハブられた、とか……?
いやでも、そういうんじゃないと思うよ?
友達何人もいるとさ、気分でメンツ変えたくなることあるじゃん」
黙り込んだバクラのやけに真剣な視線に、あたしは彼が『獏良了が武藤遊戯たちの遊びに誘われなかったことにモヤっている』のだと考えて、雑なフォローを入れた。
だが、再び「フ、」と嗤った彼は、それが的外れであることを示していて。
何となく気まずくなって頭を掻いたあたしは、ふと思い出したこと――
これは絶対話の種になるんじゃないかという確信を持ったネタを、彼に振ることにした。
――それが、『バクラ』の何を踏むかも知らずに。
「そういやさ。
武藤遊戯って、あんたと同じような首飾り、いつもつけてるよね。
大きな四角錐……? の逆さまみたいなやつ。
あれ、色とか雰囲気とかその輪っかと激似だけど、同じブランドの何かなの?」
――その時、獏良了……いいや、『バクラ』が発した気は、あたしには到底真似出来ないものだった。
バクラはあたしに目もくれず、ただ去り行く彼らの背中を見つめ続けている。
けれども。
その表情は。
まるで、長年の宿敵に向ける、ありったけの怨念がこもったような、どこまでも深い闇を宿す鋭い双眸と――
反して、この上ない期待と、待ちに待ったという妄執が込められたような、嬉しさめいたものから歪んで釣り上がる、口元で――
あたしはその顔を覗き込んだ時、背筋が凍るのを自覚した。
そして同時に、悟ってしまった。
いつも、余裕をたたえて不敵な笑みを浮かべるバクラという少年――
というか、人格。
傲岸不遜で自信満々でぶっきらぼうで、ほとんど無敵で、どこか人間離れしている非日常な彼。
そのバクラが、執着してやまないモノ――
バクラという超越的な存在の根幹を、揺らがせるモノ。
獏良了の中二病にせよ精神障害にせよ、彼の前をただ素通りすることを彼に許さない、たった一つの『目的』――
それが今、あたしたちの目の前には在ったのだ。
小さくなっていく背中。
趣味の悪い首飾りをつける、体の小さなオタクっぽい少年。
長身で美形の獏良了とは、似ても似つかないその少年――
彼が後生大事に鎖でぶら下げている、逆四角錐の首飾り。
ただの派手なアクセでしかないそれが、獏良了が持つリング型の首飾りと製造元が同じなのだとすれば――
ただそれだけの理由がどうして、『これ』に繋がるというのだろうか?
恐らく、殺気と言うのだろう……
怨念、妄執、憎悪、期待、触れるだけで気を失いそうなドス黒い感情を、何故、バクラが滲ませているというのか!!
あたしにはさっぱり分からなかった。
あたしはバクラを知らない。
バクラのことが好きなあたしは、バクラという存在の根本を、何も知らないのだ。
……それから彼は、あたしに「もう帰れ」と言った。
あたしは「じゃあね、」と言って素直に従い、彼に背を向けた。
『バクラ』を動かすもの。
『バクラ』を必死にさせるもの。
『バクラ』を生かすもの。
『バクラ』を、殺すもの――
「っ……!」
あたしは振り返った。
涙が滲んだが、彼の背中に向けてどうにか一言絞り出す。
「バクラ、」と。
でもあたしは無視されると思って、やっぱりそのまま向き直ろうと目を伏せた。
――その時。
「……またな」
あたしを振り返ったバクラは、薄く嗤っていた。
黒く濁るその眼には、得体の知れないモノが棲んでいた。
「またイイことしようぜ」
彼は次にそう言った。
ひどく落ち着いた声で。
まるで、噴き出すあらゆるものを、こらえるように。
「うん、『また』ね」
あたしは念を押すように告げると、今度こそその場を後にした。
すっかり体温を失った体に風が吹きかかり、寒気を覚えたあたしは、家路へと急ぐ。
涙で歪んだ視界が、あたしにどこまでも現実を突きつけているような気がした。
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