「……
事後の気だるさの中、あたしは告白する。
日が沈んでも暑い季節、つけっぱなしになったクーラーはあたしたちの火照った肌を冷やすように風を吐き続けている。
狭苦しいシングルベッドに並んで押し込んだ体。
あたしはバクラの隣で、『バクラ』にまつわる一連の出来事を語っていた。
自分の家庭環境のこと。
夜ごと嫌悪感と吐き気を覚え、恐怖を反発心で無理矢理押し殺し、守るべき妹の存在だけを心の拠り所にしていた惨めなあの頃。
同級生であったイケメン高校生・獏良了と、彼が持っていた謎の
その中に潜んでいたという、『邪悪な意思』。
けれども自称・邪悪な意思さんは、多分気まぐれか何かで、普通の女子高生を演じる素行不良少女を救ってくれて。
彼に救われた少女であるあたしは、彼と時間を共にして……
ちょっと悪いことをしたり、高校生にあるまじき爛れた関係に溺れたり。(もっとも、溺れたのはあたしだけだけど!)
そしてあたしは、彼と共に過ごした全てが大好きだったのだ。
生まれて初めて心底好きになった人。
汚れたあたしが、まだ生きていていいのだと、幸せを感じていいのだと――
人間としての自信を取り戻させてくれた、彼。
けれど、も……
彼――バクラは、とある晩を境に、あたしの前から永遠に姿を消した。
あたしが縋るように吐き出した『またね』という言葉に、『またな』とだけ応えて。
それから幾星霜。
あたしは彼を未だに忘れられない。
彼のような人は二度と現れないと分かっているのに、いろんな男に彼の面影を無意識かつ勝手に重ね、当然のごとく裏切られ、無様に傷ついてきた。
けれども。
まさか、路地裏で出会った行き倒れの不審者――記憶喪失身元不明の若者――が、今までの誰よりも強くかつての『バクラ』を想起させるだなんて。
いいや、面影を重ね合わせるだけにとどまらず――
ついには『あのバクラ』と『このバクラ』のイメージを、融合させてしまったなんて――
人生ってのは本当に、奇妙なことが起きるものだ。
そんな感じで、あたしは長々と、でもところどころ掻いつまんで、つい先程身体を重ねたばかりの愛しい『バクラ』に経緯を説明してみせた。
ところどころ……そう。
あたしは何となく、最後の『またな』に関してだけは、彼に言わずにおくことにしたのだ。
きっと今世では果たされることのない、『またね』と『またな』――
再会を誓った密やかなやり取りは、何となく……あたしたちだけの秘密にしておきたかったから。
それに、今隣に居るバクラとこういう仲になってしまった以上、昔のバクラとの再会を願っていることを匂わせるのは彼に悪いなと思ったし。
――そうして、一連の述懐を黙って聞いていた彼は。
「オマエが心底愛おしそうに呼ぶ『バクラ』が何者か……これでハッキリしたぜ」
フッと眼を伏せて呆れたように嗤った彼は、次に、当然の疑問をぶつけてきた。
「だが、何故それを馬鹿正直にオレに言う?
もし何か気の利いた答えを求めてんなら、さっさと諦めな」
全く予想通りの返答。
動揺も怒りも落胆も見せないところを見ると、彼はとっくに『バクラ』の名が持つ意味と正体を薄々予測していたのかもしれない。
あたしは答える。
誤魔化しも、下らないプライドも、もはや必要がないのだから。
「正直でいたかったから」
「…………」
「最低だと思うでしょ。
昔の男と重ね合わせるなんて。
どこぞの知らない男と、『オレ様』を重ねやがって……
好きだなんだも全部
「…………、」
「軽蔑されても仕方ないと思う。
嫌われても……悲しいけどしょうがない。
だってすごく、すごく似てたんだもん。
他人の空似とか思い出効果なんかじゃ説明がつかないくらいに。
それにね、」
バクラはあたしの隣で、大人しく話を聞いてくれている。
なんというか、意外なほど。
「確かにあのバクラのことは今でも忘れられないけど。
でも、なんて言うか…………バクラだったから。
あぁ違う、ややこしいからこの名前、……とにかく。
――あなただったから。
偶然出会ったのが『あなた』で、似ていたのが『あなた』だったから。
ただ似ているだけじゃない、似ている男を好きになったなんていう簡単な話じゃない……!
ごめん、上手く言えないけど、意味わかる……?
『バクラ』と名付けたヒトが、他の誰でもなく、あなただったから……!
だからあたしは、あなたをここまで好きになったし、たとえ幻滅されても、全部正直でいたいと思ったんだよ……!
あたしの汚いとこ、みっともないとこ全部見せても、抱きしめてくれたから……
そんな、――」
――泣きそうな顔までして。
そう。
バクラはきっと気付いてないのだろう。
無様に泣きじゃくるあたしが、歪みまくる視界の中で、朧げに見た彼の顔。
その顔は、怒りと面倒臭さを滲ませながらも、それだけではない――
困惑と、そして哀しみに彩られていて。
泣きじゃくるあたしにつられるなんてヤワな
彼はきっと自分じゃ気付いてないのだろう。
だからあたしは、それを口にしかけて、やっぱり永遠に口を噤むことにした。
きっと彼の精神性からいって、こんなことを言われたら怒るだろうから。
だから。
「ごめんね……
正直に言えば許されるもんじゃないってことは分かってる。
でも、あたし……本当図々しいから。
こんな話をしてもなお、まだあなたにお願いしようとしてることがある」
ドクドクと激しくなる鼓動。
正直に全てをさらけ出してしまったあたしは、ここに来て、今更怯えている。
『バクラ』の正体を知ってしまった彼が、あたしに愛想を尽かすことを――
ううん、それは仕方ないにしても、あたしが彼に向けている慕情を全て『バクラ』由来のものだと、彼が勝手に断じてしまうことを――!
自己保身と自己憐憫しかない哀れな女。痛いほど分かっている。
けれど、そんなあたしをこれでもまだ受け入れてくれるのなら、あたしはこの先全身全霊を以て彼に寄り添う覚悟はある。
たとえ、この世の全てを敵に回しても――!!
「何だよ。
お願いってのは何だ? さっさと言え」
自分の世界に入っていたあたしを引き戻すように、素っ気なくバクラが告げる。
「え……? あ、うん」
彼はどうも、さっきからとても『平坦』というか、決死の告白をした心臓バクバクのあたしとは決定的な温度差がある気がする。
『バクラ』の名が持つ意味。
その名を引きずったが為に自ら不幸に足を突っ込んで、似ている他人にその名を与えたばかりか存在そのものまで重ね合わせて、その上本気で惚れ込んでしまうなんていう愚を犯したあたしを、彼は何故そんな事も無げに受け流してしまえるのか――
「ナマエ」
不意に呼ばれる名前。
心臓がどくりと切なく胸を打ったのは、あたしが何より彼に惚れている証拠だ。
彼の口から出る自分の名前が、何よりも何よりも愛おしい。
欲望を解放した後だというのに、鈍く疼いた下腹部。
心なしか耳まで赤くなっているような気がして、あたしは自分の身体に起こっている事態が把握出来ずに動揺した。
「自分と同じ尺度でオレ様を語ってんじゃねえよ。
忘れられない昔の男、その名前……
熱っぽい告白に、懺悔の数々。
くだらねぇんだよ。そんなモンはどうだっていい……!
今ではオレが『バクラ』だ。そうだろ……?
どういう訳かオレ様は割と気に入ってんだよ、この名前をな。
ま……、もしそのバクラとかいう男と再会するようなことがあれば、その時はオレ様に黙っておいた方がいいぜ?
ようやく会えた愛しの男を、この手で殺しちまうかもしれねえからなぁ……!」
「っ、」
――ゾクリとした。
ククク、といつもの調子で嗤う彼――
その横顔は、凶悪にも見えて、けれど無邪気な少年のようにも見えた。
「ぁ……、」
頭がくらくらする。喉がカラカラに乾いて、けれど無性に身体の芯だけは疼いて火照っているような、言い知れぬ酩酊感だった。
「あたし……、」
体が勝手に、隣に居る彼へと吸い寄せられる。
手の平で触れた褐色の肌は、少し汗ばんでいて、ただ熱かった。
まるでそうするしかないというように、ぎゅっと両腕でしがみつき、体を擦り寄せる。
これは未知なる引力だ。
だってそうでなければ、あたしがこんな、半ば無意識に他人に縋りついて素直に甘えるなんて、そんな――!
こちらに向き直り、まるで受け止めるように音もなく回し返された腕。
宥めるように背中を撫でられ、あたしは思わず恍惚の声を漏らしそうになった。
一糸まとわぬ人肌同士で抱き締め合うという、本能的な心地良さ。
その心地よさに浸りながら、あたしは彼の耳元で、以前から考えていた事をそっと囁いた。
「一つだけ約束して。
お願いだから、黙って居なくならないで……!
もしバクラの記憶が戻らないままこの家から出て行きたくなった時は、ちゃんと言ってくれればあたし、引き止めないから……
だから、何も思い出せないのにあたしから離れたいって思ったなら、ちゃんとお別れを言って欲しい」
あたしを丸ごと包む、彼の温度。
生きた人間の温もりがこれほど愛おしいなんて、あたしはきっと
「……もし、記憶が戻ったら?
記憶が戻った上で、オマエを置いて出て行く必要が生じたら」
バクラがあたしの耳元で、あたしがそうしたように、密やかに囁く。
あたしにだけ、聞こえる声で。
「うん……
その時は仕方ないから、黙って出て行っていいよ……!
もしバクラの記憶がちゃんと戻って、その上でここからすぐ出て行きたくなったら、あたしに何も言わないで行っていい。
そしたらあたし、納得出来るから。
もしバクラが何も言わずに居なくなったら、あたし、バクラの記憶がちゃんと戻ったんだなって、納得できるから……!!」
胸の中にずっと溜まっていた祈りのような想いを、あたしは夢中で吐き出す。
全て吐き出した瞬間、つられて涙が溢れた。
あたしはどこまでも弱くて、脆くて、夢見がちな女だ。
けれど、叶わぬ夢想を抱くだけの無防備なあたしの懐に飛び込んできた男は、あたしに確かな現実感を与えてくれたのだ。
バクラ。
その名を持つ存在はもう、遠い遠い昔に失われた切なく甘い思い出なんかじゃない。
たとえ彼がどんな過去を持っていようと、あたしは彼に寄り添う。
持てる力を全て使って、彼を守る。
この狭苦しい2DKを、彼の居場所にする。
誰に、何を言われようとも――!
「いいぜ。約束してやる……!
もしオマエの顔も見たくないと思う日が来ても、記憶が戻らない限りは黙って出て行かねぇよ」
告げられた瞬間、視界が暗転し、ベッドに沈められる。
「っ、あ」
薄暗い視界の中で、ギラギラと浮かび上がる彼の双眸。
あたしを射抜くその瞳には、相変わらず欲望めいたものが浮かんでいた。
「オレに気を使って、『あなた』なんて似合わない言葉使ってんじゃねえよ。
――バクラ、だ。お前がそう名付けたんだろ?
呼べよ、その名を。
オレがここにいる限りは、オレ様は
あたしに覆い被さったまま下される宣告は、有無を言わさぬ強制力があった。
彼が何を望んでいるかを知り、勝手に疼いた下腹部。
一度じゃ足らないと言外に示す彼の重みに、あたしはバクラが今までどれほど我慢してきたのかを身をもって知る羽目になったのだ。
「安心しな……!
オレ様はこれでも、オマエのことをなかなか気に入ってんだよ。
もし愛想を尽かすなら、むしろオマエの方が先かもなぁ?」
ハハ、と軽く嗤った彼の顔は、いつものふざけた口調の時のバクラでしかなく、しかし嘘を言ってるようには見えなかった。
息が止まる。
彼は分かっているのだろうか?
今の一言があたしにとっては、ものすごい殺し文句であることを。
「バ、クラ……」
「いくら何でも、宿を貸してもらってる女をぶっ壊しちまうような真似はしねえよ。
宿賃だと思ってちったぁ優しくしてやるから、本当に辛くなったら言え」
前後の脈絡なく告げられた不可解な言葉は、一体何を意味していると言うのだろう?
それをあたしは、きっと直後に身をもって知ることになる。
全身を再び彼の熱で満たされて、意識が飛びそうになるほどの快楽の海に沈められた時に、きっと――
「んぅっ、はっ……、」
バクラの熱。
バクラと名づけられた男が内包する、灼熱。
きっと溜めに溜め込んだのだろう、その欲望を挿され、穿たれ。
あたしはろくに言葉も発せずに、ただ喘いでいた。
「やだ……、バクラ、気持ちい、っ」
再び繋がった二人の身体。
猛りの収まらない彼は、潤んでぬかるみぐずぐずになったあたしの中を、遠慮なく往復する。
「はぁっ、だめぇ……っ、あっ、こんなの……、はっ」
奥を抉られるたびに全身を突き抜ける、痺れるような甘い悦。
バクラのモノでかき混ぜられた腹のナカは勝手に収縮を繰り返し、とめどなく滴る蜜は
「ねぇ……っ、待って、まって……!
良すぎ、気持ちよすぎてだめ、あたし、ゃん!
おかしく、なっちゃう……っ、あぁん!」
「っ、いいぜ……!
ハハッ、おまえ、こんなイイ反応するんだな……!」
「んぅっ! あっあっ、あぅっ、こんなのっ、無理っ、あぁっ……!
やだぁ、あたしのなか、ぜんぶ、犯されちゃっ、ぁ……っ」
バクラがあたしを抱いている。
腕を押さえつけられ、あるいは腰や胸を掴まれ、まるで玩具のように弄ばれるあたしの身体。
けれど、身勝手な欲望をぶつけているように見えて、彼はあたしを決して置き去りにしなかった。
時折宥めるように塞がれる唇。
苦しくなって顔を逸らせば、あらわになった首筋に唇を落とされる。
まるで犬が甘えるように舌を這わせ、耳をやんわりと噛むその癖は、記憶の底に刻まれている『彼』とやっぱり同一だった。
「すき、」
だらしなく開いた唇の隙間から、半自動的に愛が零れ落ちる。
それを聞いてか否か、繋がった部分に掛かる彼の重みがぐっと重くなり、そこからまた深々と杭を突き立てられた。
「あッッッ……!!」
脳髄が痺れる。言語中枢がめちゃくちゃになり、思考力の一切を奪われる。
「バクラ、ゃ、あぁっ、ばくら、ばく、あッッ……!!!」
ずぶ、ずぶと繰り返し腰を落とされ、揺さぶられる全身。
最奥を押し上げられる度に膨れ上がる情動が、意思を無視して背筋を這い登っていく。
「ね、だめ、あたし、ッッ……!」
真っ白になる頭の中。
脳天をつんざき、噴出する最上級の恍惚感。
魚のように口を開けて絶頂するあたしを見て、一体彼は何を思うのだろうか。
「ナマエ」
「ぁ、…………、」
放心と共に、勝手に痙攣を繰り返す接合部。
あたしが達した直後に動きを止めてくれた彼は、満足そうにフフと笑っていた。
その顔をゆっくり見つめてみれば、絡み合う視線。
薄暗い中で浮かび上がった彼のシルエット。
釣り上がった口元、スッと縦に伸びた鼻梁。
あたしを真っ直ぐに見つめる二つの眼球。
バクラの顔は驚くほど整っていた。
達したことで少しだけ冷静さを取り戻したあたしは、遅れてやってきた羞恥心から顔を逸らす。
――が、ならばもういいだろうとばかりに蠢いた質量に、自分がまだ彼と繋がったままであることを思い出した。
「……ごめん、勝手にイっちゃって」
かすれた声で絞り出せば、再び強くなっていく律動。
達したばかりの体内をずるずると擦られ、戦慄を覚えたあたしは慌ててバクラを制止にかかる。
「まって、今はだめ、もうちょっと待っ……」
「ナマエ」
こちらを遮るように、凛と紡がれた名前。
薄く嗤った彼はそれから、一言だけあたしに告げた。
「悪ィな」
直後にやってきた暴虐が、敏感になったままのあたしの中を犯しつくした。
半笑いの彼と、悲鳴めいた無様な嬌声を上げ続けるあたし。
バクラはあたしの身体を道具のように揺さぶり、けれどあたしに過剰なほどの快楽を与え、あたしの中に欲望を吐き出し、それから――
意識が朦朧とするあたしに口移しで水を飲ませ、もう
彼の欲望を幾度も注ぎ込まれ、溢れた白濁が太腿を伝う。
浅い呼吸をただ繰り返し、額に染み出た汗が髪を張り付かせ、股関節がガクガクと震えたが、それでも――
それでもあたしは、ただ幸せを感じていた。
ようやく彼とこういう関係になれたことを、ただ嬉しく思っていたのだ。
そうして享楽に溺れ、繰り返し繰り返し、互いを貪りつくしたあたしたちは。
そのまま狭苦しいベッドでくっつきあったまま、眠りについたのだった――
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