6



あたしは毎日、変わらず学校へ行く。

そして、毎日変わらず学校へ来ている獏良クン。
学校での彼はいつも、善良でちょっと天然な獏良了として過ごしている。

武藤遊戯や、城之内たちも特に変わりはない。
彼の胸元で光る派手な逆四角錐のアクセもそのままだ。

けれども、あれからバクラはあたしの前に姿を現していなかった。


あたしはあの時、バクラの地雷を踏んだのだと思う。

彼の『人格変更スイッチ』らしい、秘められた古代パワーが宿るとかいう、金色のリング……
彼と上裸同士で肌を重ねた時、そのひんやりした金属があたしの胸に触れて、冷たっ! と悲鳴を上げたことがあったっけ。

それでもバクラは、『設定』を守って、頑なにリングを外そうとしなかった。


もしあれが、ただの中二病ごっこ遊びによる『設定』ではなく、本当にオカルトめいたものだとしたら――

何故、武藤遊戯が同じようなものを持っているのか。
そして、その類似点を指摘され、何故バクラが激情を滲ませたのか。

あたしにはさっぱり分からない。

『その首飾り、なんでいつもつけてるの?』
『どこで買ったの?』
『獏良クンも同じシリーズ? っぽいアクセ持ってるの知ってる?』

そんなふうに武藤遊戯に問い掛けたら、何かが変わるのだろうか。

そして、武藤遊戯は、あたしの問いに何と答えるのだろうか。

――でもあたしが彼にそう問い掛けることは、多分永遠に無い。


何となく……本当に、何となく、だが。
それをしない方がいいとあたしの勘は告げていたし――

何というか、場違いなのだ。

たとえるなら、仲の良い友人と談笑していたところに、ほとんど話したことのないクラスメイトから、
「何の話?」と突然首を突っ込まれるような。

お前誰だよ、ていうか何で話し掛けてくんだよって感じじゃん。

ううん……、いいや。
ビビってると言い換えてもいい。

あたしはビビってるんだ。

何を――
そう。

『アレ』らが、全部本当にあたしの理解出来ない領域のモノだった場合を、だ。

非科学的だと思う。
そんなことありえないと思う。

でも……でも。

もし、バクラの言う『設定』が全部本当で――
それゆえにバクラは、3000年を超えて現代の獏良了に取り付き、それで――


いいや、やめよう。
こんな想像、意味が無い。

バクラはあたしにキレて、距離を置いてるのかもしれない。
あたしはだいぶ彼の『中二設定』を茶化してたし、真面目になりきってる彼にとっては面白くなかったのだろう。

もし、本気でそう思い込んでる病気だとしても……
どちらにしても、素行の悪いあたしは、彼に愛想を尽かされるのに十分な要素を備えているのだと思う。

だから、それならそれでいい。
あたしはもう充分バクラに救われた。
だから。

それで、いい――

ただ、もう一度だけ会えるなら……
その時は今度こそ、ちゃんと彼に謝って、その上でお礼を言おう。
そして、出来れば自分の気持ちも。

もちろん、彼とこれ以上どうこうなろうなんて期待は持ってない。

それでも。
ちゃんと告白出来たら、あたしは前に進めるような気がしたのだ。
バクラという、非日常に別れを告げて。

――あたしはそんなことを考えながら、他愛のない日々を過ごすのだった。




とある夜。

酒に酔って帰って来た母親と、妹が寝静まった後。

あたしは何となく眠れなくて、ケータイを手にしたままベッドでゴロゴロしていた。

あたしは獏良了の連絡先を知っている。
だがバクラ曰く、獏良了と共通だからあたしからは連絡して来るなと言っていた。

笑えるほど『設定』に忠実で、そしていかにも勝手な男らしい、勝手な言い分だ。

でもまぁいいと思った。
あたしはバクラの彼女でも何でもないし、しつこく執着するつもりもないし。

だからあたしは、ついぞ獏良了のケータイに自分から連絡を取ることは無いのだった。

――そんな、あたしのケータイが、前触れもなく震える。


暗闇で光る画面には、私のものではない簡素な一文が表示されていた。

『下にいる。出て来られるか』

送信者は――獏良了。


あたしは反射的にガバリと跳ね起きると、『うん』とだけ返信して急いで着替え始めた。

簡素なシャツとスカートに上着を羽織り、適当に身だしなみを整えて玄関へと向かう。

高鳴る心臓は期待と興奮に満ちていて、メルヘン物語に出てくる乙女じゃあるまいし、とどこか冷静に自分に突っ込む自分もいた。



「……よォ」

あたしが家を出ると、そこにバクラは立っていた。

何がいいのか分からないボーダーシャツ――獏良了のファッションは顔の良さに甘えすぎだと思う――を着込み、見慣れない黒のロングコートを羽織った彼が。


「……久しぶり」

興奮を悟られないように息を潜めたあたしは、一言だけ彼に告げる。

この前のこと謝らなきゃ、そしてお礼も言って、あと――

言わなきゃ行けないことが雪崩のように喉元に殺到して、パニックになったあたしは逆に何も言えなかった。

「ぁ……」
「ちょっと付き合えよ」

くい、と顎で方向を示したバクラは、いつもの不敵な表情だった――



「……どこ行くの?」

あたしの問いに答えず、バクラはずんずん道路を先へと進んで行く。

「今から獏良クンち……行く感じ?」

明日学校あるんだけどなー、などと考えたあたしは、直後にそんなものよりバクラの方が大事だと思い直した。

そして。

「悪ィがそれは出来ねえな」

きっぱりとあたしの言を否定したバクラは、薄く嗤って、あたしを夜の公園へと導いた。


「いや、まぁベンチあるから座れるけどさ……
誰も居ないし寒いってー」

相変わらず減らず口を叩くあたし。

しかもどういうわけかバクラは、ベンチどころか街灯の下で立ち止まって、あたしを振り返ったのだ。


「……何か言いたいことはあるか?」

頭上からの光を浴びて、目元に影を作ったバクラの顔。

その双眸も口元も前と変わらず不敵な自信を滲ませていて、あたしは彼がキレたままじゃないことに少し安堵した。

深呼吸をし、口を開く。

「……この間は、変なこと言ってごめん……
あたし、何も知らないし、ほら……こんな性格だから。
バクラのこと傷つけたなら謝るよ」

あたしの謝罪に、しかしバクラは一瞬ポカンとして、それからクククと肩を震わせた。

え、と戸惑うあたしに、バクラは言い放つ。

「オマエ、随分と律儀な性格だったんだな。
悪ィがあんなもんはどうでもいいんだよ……!
ま……あえて言うなら、呑気に遊んでる状況じゃなくなったってこった」

「……何それ」

バクラの思惑はサッパリ分からない。

そもそも彼は何故、自宅ではなくあたしをここへ連れて来たのか。


「あ……、あとね、もう一つ。
あたし、あんたにお礼を――」
「ナマエ」

あたしの言葉を遮るように紡がれた、あたしの名前。

それから彼は、とんでもないことを言った。

「それ以上は、イイコトしながら聞いてやるよ」




「んっ……、ちょっと……!
いくらなんでも、ここでそれは……ぁん!
誰か、来たら……っ、ん」

「そう思うんなら声抑えとけよ。
悪ィが時間が無ェんだよ……!
約束通り会いに来てやっただけでも感謝しな」


公園の、隅。

手入れされた植木が生い茂る中、あたしは人目を忍んでバクラといかがわしい行為に及んでいた。


「ていうか、ちょっと寒いんだけど……っ、」

「こんだけくっついてりゃ寒くねえだろうよ……!
……で、他にも言いたいことってのは何だよ」

「えぇー……このタイミングで、あっ……
ん、言いづらいよ……! あん、ちょっと、ゃ……!」

人を小馬鹿にするような笑みをこぼしながら、あたしの肌を撫でるバクラ――という人格。

彼はいつも余裕をかまして、あたしを快楽の海に突き落とす。
あたしはそれをちょっと腹立たしく思いつつ、本当は嬉しくてたまらない。

でも、やっぱムカつくから――
舐め上げられた胸の先端が死ぬほど気持ちいいなんてこと、絶対教えてやらない!!


「んっ、ぁ……っ、や、だぁ……っ
バクラぁっ……、ぁ……ん!」

「ナマエ……、オレは……、」

「ん、なに……?
んあぅ……っ!! ちょ、ぁ、ば、か……っ!
や、強くしないでってば、声、抑えんの、無理ぃ、あ……!」

「ククク……」

バクラと名乗る人格は、獏良了でしかない肉体を使って、あたしを揺さぶる。

あたしに触れている熱も、吐息も、生身の人間でしかないはずなのに、どうして彼には現実感が無いのだろう。

あたしの首を舐め上げて、耳朶を甘噛みする彼の癖は、どこまでも人間なのに。


「バクラ、好き……」

あたしは言ってしまった。

寒空の下、馬鹿なカップルみたく人目を忍んでこそこそと睦み合いながら、彼に告白してしまった。

あたしは彼との『未来』を信じていない。
あたしがバクラと離別すること、これは決定事項だ。

しかも、あたしの勘が正しければ、それはきっと、今夜――

だから。


「ありがとよ」

あたしの告白にそう答えたバクラは、薄く笑って、あたしの唇を塞いだ。

意志に反して、勝手に湧き上がってくる涙。

腕を彼の首筋に回しているために、拭うことも出来なかった。

揺さぶられた衝撃でポロポロと水滴がこぼれ落ち、あたしはぐずぐずと泣きじゃくる。


我慢なんて何の意味もなかった。

あたしはどこまでいっても凡人で、愚かな少女なのだ。

バクラはあたしを救ったけど、あたしはバクラを永遠に救えない。
彼はきっと、そんな次元には居ない。

彼は彼の世界で、彼のやり方を貫き通し、そしてどこかへ行ってしまうんだ。

そしてあたしには、彼の最期を見届けることすら許されない。

それが、現実だ。


「っく、バクラ……、バクラぁ……」

「泣いてんじゃねえよ。そういう趣味だったのかよ、オマエ……
もっと痛めつけて泣かせてやろうか?」

バクラの呆れたような軽口が、あたしの耳元で囁かれる。

あたしは大馬鹿だけど、ひねくれ者だ。

だからあたしは、最後まで強がって見せる。
これ以上は、譲ってやらない。

行かないでと泣いて縋る素直さもなければ、共に連れて行ってと命を捨てる覚悟もない。


「……気持ち良すぎて、泣いたんだもん」

やっとの思いで吐き出せば、彼はヒャハハと嗤って、あたしの頚動脈にがぶりと噛み付いた。

痛みが全身に走る。

だが、彼の跡が肌に残るのだと思えば、悪い気はしなかった。
この痛みが快感に変わるなんてことは、絶対にないとは思ったけど。

「……エロい女」

嘲笑うような声には、そこはかとなく男の欲望が滲んでいて、あたしはぺろりと彼の唇を舐めてバクラを挑発してみるのだった。


あたしはバクラを貪る。
あたしはバクラを感じて、その温度を全身に刻む。

これはきっと、卒業の儀式だ。

あたしというちっぽけな人間が、バクラという超越的な存在から卒業するための。

バクラ。

バク、ラ――





「……バクラ、ありがとね」

秘密の逢瀬を終えたあたしは、あたしを自宅まで送ってくれた彼に、お礼を言った。

「そんなエロい顔して夜道をフラついてたら、襲われちまいそうだったからな」

「えぇ〜……何じゃそりゃ……
って、それはそれとして。

あたし、バクラに救われたよ。
バクラがそんなつもりじゃなくても、あたしはそう。
だからありがと。あんた最高だよ」

あたしは今度こそ、面と向かってはっきりと彼にお礼を言うことが出来た。

彼は薄く嗤って、そうかよ、と口にした。


「あと、ずっと言いたかったんだけど。
そのシャツにそのコート、似合ってないよ。
まぁ、カッコいいからいいけど」

「どっちだよ」

「好きってこと」

「クク……そうかよ」


あたしはバクラといくつか他愛のない言葉を交わし、そして。

そして――


「あばよ、ナマエ」

告げた彼が、いつものように、素っ気なく背を向けて去って行こうとする。

再会の約束のないその一言に、あたしは往生際が悪いとは思えども、「ううん、」と否定の声を上げた。


「『また』ね、バクラ」

心なしか張り上げた声は、しんと静まり返る住宅街に凛と響いた。

彼はきっと振り返らないのだろう。

きっと再会は無い。
それでも。

だってあたしの想像が、淡い期待として許されるのなら……!


「……またな。ナマエ」

振り返らないと思われたバクラはしかし、あたしを振り返ってそう返した。

あたしは込み上がる涙をこらえ、バクラに手を振る。

少しだけ手を上げてそれに応えたバクラはこの先、己の全存在を掛けて、何かに挑むのだろう。


あたしは、黒いコートを羽織る彼の背中をずっと見つめ続けていた。
小さくなっていくその姿を、目に焼き付けるように。

獏良了の中に宿る、バクラという人格。

あたしは、バクラが好きだった。






あたしは翌日、学校を休んだ。

素人の判断だけど、たぶん精神的なショック……というかストレスめいたものがかかったところに、寒空の下で獣みたくあんなコトやこんなコトをして、風邪を引いたのだ。

あたしが学校を休んだ日の放課後、獏良クンや武藤遊戯たちが連れ立ってどこぞの美術館に行ったという話を、あたしは後から知った。

その出来事が何を意味するのか、あたしは知らない。

けれどあたしは、もう二度とバクラに会うことはないと、直感していた。


そして何事もなく、月日は過ぎていく――


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