1.序章



――もし。もしも。


これは、もしもの話だ。



たとえば。


とある盗賊の村に生まれついた彼の。

それでも、家族に囲まれて生きていけるはずだった、彼――
先の長い人生があったはずだった、幼い『彼』の人生が。

ある日突然、理不尽な暴虐に飲み込まれて寸断され、ねじ切られ、全く別のものに変貌してしまった場合と。



とある複雑な血を引く彼女の。

それでも、自らの力と意志で這い上がり、仲間に認められた彼女――
明るい未来が待っていたはずの、『彼女』の人生が。

うねる時代の荒波の中で次第に陰りはじめ、破滅の音が近付いている事に気付きつつも目を背け続けた結果、とうとう終わりを迎えてしまった場合と。


どちらを人は、より悲劇だと感じるのだろうか。



――もし。もしも。

当たり前のようにそこに在ったものを、全て失ったとしたら。


そんな彼らは。

縁もゆかりもない別世界の二人が、途方も無い何らかの力によって、出会い、言葉を交わしあったら。


一体それは、何を生むのだろう――




**********




「……ハッ、こんなところに行き倒れかよ」


いつかエジプトと呼ばれる場所。


その砂漠の地で、『彼』はそう呟いた。


彼――バクラと呼ばれる男。

褐色の肌に銀の髪。

少年と言っても差し支えない、10代後半に差し掛かったばかりの齢。

しかしその眼光は鋭く、まるで抜き身のナイフを思わせた。
頬には派手な刀傷が深く刻まれ、体躯はまるで戦場で酷使されたかのように鍛え上げられており、そのどれもが彼を少年というイメージからは遠ざけていた。


彼の視線の先には、一人の人間が倒れている。

人気のない砂漠で、砂に半分埋れるようにして、その人間は身体を横たえていた。


バクラがその『行き倒れ』を発見したのは偶然だった。

街道からは外れ、賊も出ないような、見渡す限りの砂世界。

旅人すら見かけないような、方位を知り尽くした者でなければ通らない不毛な大地に、たった一人の人間が倒れているではないか。

彼はそれを、先述の理由から妙だと思った。

しかしすぐに、人間の死体ならば、まだ所持品が残っているかもしれないと思った。
そう思ったからこそ、馬を降り、自らの足でその死体に近付いた。

ほんの、軽い気持ちで。



「ッ、女だと」


『それ』は女の死体だった。

背中をこちらに向け、横向きで砂を枕にしている『彼女』。

結い上げられた髪と、乱れた外套から覗くうなじは白くて細く、女のシルエットでしかありえなかった。


バクラは鼻で嗤い、さらに女に近付くと、女が顔を向けている側へ回り込もうと足を向けた。

別に興味という程ではなかったが、こんな珍しい場所で一人この世に別れを告げたであろう女が、どんな顔で死んでいるのか見てやろうと思ったのが半分。

もう半分は、先程も言った通り、まだ懐に残しているかもしれない所持品を探るためだった。

そうして、女の正面へ回り込んだところで――

バクラは言葉を失った。


女は。


砂に塗れ、横たえた体の下半分を地に埋め、あと一、二回砂嵐でも来れば完全に砂漠に飲み込まれてしまうような有様だった。

だが。

砂から辛うじて出た死体の顔の――
きつく閉じられた双眼。鼻筋。口元。

それらが驚くほど生気に満ち溢れているではないか。

まるで、ついさっき眠ってしまったばかりだとでもいうような。

そして、彼女の肌はやはり白かった。
恐らく人種が違うのだろう。
どこか遠い場所に住んでいる民族を彷彿とさせた。


バクラはその『死体』――
死体でしかありえないそれを、至近距離でまじまじと見た時、すぐにある事実に気付く羽目になった。


「……ケッ」


生きてやがる、

彼は嗤ってそう吐き捨てた。





乾いた大地に、男の哄笑が響き渡る。

バクラは嗤った。
ヒャハハハ、という彼らしい高笑いで。


言うまでもないが、砂漠は広い。

街の中や人が行き交う街道ならいざ知らず、広大な砂漠の、それも人気のない地で。

恐らく行き倒れたであろう人間の女が、特に目立った外傷も無く、まだ息のあるうちに誰かに発見されるなど。

とてつもなく幸運、としか言いようがなかった。


そんな幸運に恵まれた女の――

千載一遇、九死に一生の機会を――

しかしバクラは、『拾ってやらなかった』。


彼はまだ息のある彼女を黙殺し、その消えかかっている命に関わることもなく、所持品だけを頂いてさっさとこの場を去る算段だった。


「悪く思うなよ。運が無かったと諦めな」

十中八九聞こえていないであろう女に彼自身の選択を告げると、バクラは膝を折って彼女の懐に手を伸ばした。

荷物らしきものは辺りには無い。
空手で放り出されたとなれば、望み薄か。


その時、地につけていた彼の膝が何か固いものに触れた。

「ッ、」

彼はそこで気付く。


砂に横向きで半身を埋れさせた彼女の、下側になったその片腕。

きつく握った拳の、ほんの先だけが、少しだけ砂から顔を出して何かを握っている事に。


手に持った荷物ごと埋もれてしまったのだろうか。

バクラは反射的に彼女の拳付近を掘った。

手で容易に掘れる砂を掘って、未だ握ったものを離さない女の拳を上から包み込むように自分の手を重ね、力任せにそれを砂から引き抜こうとした。


だが。

「!?」


ざぁ、という音を立てて浮かび上がって来たものは予想以上に長かった。

女の側にしゃがみこんだ彼自身の体が邪魔をした為、バクラは素早く腰を上げると女から距離を取ってさらに力を込めた。


そうして、女の棺となるはずだった砂漠から現世へと、浮かび上がって来たものは。


やたらと重くて、長い、棒――


金属でできたそれは。


槍とか、矛などと呼ばれる長柄武器だった――



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