26.落日の地下神殿



バクラは、死霊渦巻く地下神殿へと帰って来た。

15年間変わらない場所。

呪われた千年宝物を生み出した場所――
そして、闇の扉を開く場所。


その隠された神殿に、アクナディンは立っていた。

たった一人で。
入口に背を向け、冥界の石盤と向き合いながら。

神殿に足を踏み入れた時、彼は一人ではなかったのだろう。
床に転がる兵士達の死体。

哀れな兵士達は死霊の存在を知らずにアクナディンと共にここに立ち入り、生気を吸われてしまったのだ。


「貴様は死霊どもに襲われなかったのか……?
ククッ、邪念が強すぎて同類だと思われたのかもなぁ」

バクラは軽口を叩きながらアクナディンに声を掛けた。

音もなくゆっくりと振り返るアクナディン。
かつて指導者として神官団をまとめ上げていた、忠臣の面影はどこにも無かった。

「遅かったなバクラよ……
死に損ないのファラオと神官団に苦戦したようだな」

アクナディンはバクラの傷ついた姿を見て、開口一番そんなことを口にした。

「ほざけ……!
貴様こそ随分と手間取ったんじゃねえか?
白き龍の力――
『ウチの』と派手にやり合ってたじゃねえか……
ご自慢の息子とやらはまだ生きてんのかよ?」

吐き捨てるように言い返しながら、冥界の石盤に歩み寄っていくバクラ。

「心配ない……
セトは力を使い果たししばらくは動けないだろう……
どうやらその様子を見ると、貴様の女にはまだ会っていないようだな」

「ッ! あいつはどうした……!
まさか白き龍とやらの力に、殺られちまったんじゃねえだろうな」

アクナディンの口から出た、女という言葉。
バクラの脳裏に戟を掲げた英瑠の姿が浮かび上がる。

「死んではいないだろう。
だが生きて再会出来るかは……疑わしいがな」

アクナディンから発せられる不穏な気配。
バクラは背筋が粟立つのを感じた。

何かが、おかしい――

「どういう意味だ、てめえ……!
おいジジイ、約束は忘れてねえだろうな!
ボサッとしてねえで早く千年宝物を寄越しな!」

目の前の老神官から発せられる剣呑な気配。
バクラはそれを警戒しながら、彼に千年宝物を要求した。

「貴様はファラオを殺し損ねたな……?
ならば千年宝物も渡すことは出来ぬ」

舌打ち。
ファラオの息の根を止めなかったことを、何故アクナディンが知っているのか。
それはこの際置いておくことにした。

もはや、交渉の余地はない。

「少し邪魔が入ったんだよ……!
王宮の守護神……あいつさえいなけりゃ今頃――

ンなこたぁどうでもいい!!
悪ィが今ここに千年宝物は全て揃ってんだ……
力ずくでも奪い取らせてもらうぜ!
アクナディン、貴様は可愛い息子と最期のひと時でも過ごすんだな!!」

バクラの胸元で千年輪が光を放つ。

アクナディンの千年眼には、千年輪を通してバクラの邪念をたっぷりを埋め込んである。
つまりアクナディンはバクラに逆らえるはずがないのだ。

一度目の王宮襲撃から、二度目に石版の神殿で単身彼を襲った時も。
三度目に、邪念を追加してやって、取り引きに応じた時も――

一度たりとも、アクナディンという神官はバクラに抗えた試しが無かったのだ。

――だが。


「ハハ……、フハハハハハ……!!」

妙だ。

アクナディンは、千年輪の力に喘いでいる様子を見せない――

それどころか。
千年錫杖をゆっくりと掲げ、バクラへと向けるではないか――!

「てめえ……何が可笑しい……!」

「貴様が、大邪神様の手の平で躍っていることがだ、盗賊……!!」

カッ、と光を放った千年錫杖。

バクラの四肢は拘束され、横にあった柱へと叩きつけられた。

「ぐッ、……!」

アクナディンが千年錫杖を追加したとはいえ、バクラの方も千年錠と千年秤を手に入れている。

彼らの力関係が逆転することなど、本来ありえないのだ。


「どういう、ことだ……!!」

バクラはアクナディンを睨めつけながら、怒りに満ちた声を漏らした。

アクナディンが邪悪に高笑う。

「貴様の行動全てが、大邪神様の思惑の内という事だ!!」

「、なん……だと……!?」

アクナディンは狂ったように嘲笑い声を上げていた。

彼は語る――
そもそも千年宝物とは何をきっかけにして生み出されたものか。

千年魔術書。
千年宝物を生み出す方法が書かれた書。

その書を魔導士たちと共に読み解き、千年宝物を生み出そうと決めたのは自分であると。

しかし、その意志こそが大邪神ゾーク・ネクロファデスの意志なのだと。

多くの人間を生贄にして千年宝物を作らせ、闇の力を欲する者にそれを集めさせ、大邪神を復活させる一連の流れすべてが、大邪神の大いなる意志なのだと――!!


バクラは言葉を失っていた。

頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。

そして、アクナディンは続けて語る。

哀れな盗賊風情よりも、自分の方が闇の力を得るのに相応しいと――

千年魔術書を読み解いた時から大邪神の手の内で踊らされ、虐殺行為に手を染め、息子を王にせよと願った心まで利用された自分こそが、闇の大神官に相応しいと――!!

だからこそ千年宝物は自分を選んだ。
盗賊ではなく神官を選んだからこそ、闇に真実を教えられた。
千年宝物と冥界の石盤の奥底から噴き上がる闇が、力を与えてくれると――

アクナディンはそう口にしたのだった。



バクラは奥歯を噛み締めた。

「ふざ……けるな……」

腹の底から湧き上がる怒りが、チリチリとバクラの内側を焼いていく。

――ふざけるな。

今更何を。

血だるまになって走って来た道すべてが、円を描いて出発地点に戻っているなど。

全て、無駄だったなどと。

許せる、ものか。
許せ、ない。


大邪神とやらよりも。
アクナディンとやらよりも。

何より許せないのは自分自身だ。

あの惨劇の夜から、千年宝物を今ここに揃えるまでのすべてが。

跡形もなく掻き消えて、上前を全部、神官風情にはねられるなど――

「ふざけんじゃねえ!!!」

バクラは叫んだ。

千年宝物すべての力を解放し、精霊超獣を召喚する。

バーは残り少ない。

だが、千年宝物の拘束を振りほどいてアクナディンに一矢報いるくらいのことは出来るはずだ。

燃える瞳をギラつかせ、バクラは足掻く。

最期の瞬間まで――



**********



「バクラ……、バクラ……」

クル・エルナと急ぐ馬上。

英瑠は不穏に高鳴る胸を抑えながら、バクラの無事を祈っていた。

アクナディンは、バクラとの取り引きを反故にする気だ。

それどころかあの神官は、バクラを出し抜き、千年宝物を揃え闇の力を手に入れ、邪魔になったバクラを始末し、息子を闇の王にする気でいる。

それは確信だった。

英瑠の力さえも及ばない、大邪神とやらの足音――

『あれ』はきっとそうだ。
アクナディンの中にいる、得体の知れないモノ。

バクラが欲している大邪神の力とやらは、どういうわけか、アクナディンという神官の中で息づいているのだ。

何故。

あの老神官は、バクラの手駒でしか無かったはずだ。
なのに何故、こうもあっさりと逆転してしまえるような事態に陥ったのか。

考えても分からなかった。
英瑠はとにかく今は、バクラが居るであろうクル・エルナ村に急ぐのが先決だと思った。

王宮からここまでの途上ではバクラに会わなかった。
彼はきっと、まだ英瑠がよろよろとした足取りで前に進むのが精一杯だった時に、彼女を追い抜いて王宮から撤退して行ってしまったのだ。


クル・エルナ村の輪郭がうっすらと遠くに見えてくる。
馬を走らせる。

「くっ……!」

胸を締め付けるような違和感と焦燥感。
闇の気配。

間違いない、バクラとアクナディンはこの村に居る……!

英瑠は戟を手にしたまま馬から飛び降りると、村の中へ向かって走って行った。
体力も魂も徐々に回復している。問題ない。

もしアクナディンが、バクラを傷つけていたら――
その喉笛を噛み切ってやる。

獣の双眸が、殺意に揺らぐ。


見知った気配。
進化した精霊超獣、ディアバウンドの気配だ。

(バクラ……!!)

とある民家の、隠し神殿。

その中へと迷わず身を踊らせた英瑠は、階段を駆け下りたのだった――



「バクラ!!」

英瑠の叫び声が、地下神殿にこだまする。

「英瑠……!」

彼女を振り返ったバクラは、傷だらけだった。

「来るんじゃねえ!!!」

バクラが怒鳴るように叫ぶ。
英瑠はピタリ、と足を止めると、もう一人の人物に目をやった。

神官アクナディン。
神官セトの実の父親。
バクラに邪念を注入され、息子を王にしたいと野望を膨らませた人間――

それだけだったはず、だ。
それだけの男だったはずなのに、何故。

何故彼は、今バクラの前で、盗賊王を名乗る少年さえ圧倒し、石盤から噴き上がる闇の衣を全身にまとわせて立っているのだろう――


英瑠の中にいるモノが、千年宝物と石盤が発するあまりの不快感に悲鳴を上げた。

彼女の意志とは関係なく、噴き上がる獣の力。
辺りを彷徨っていた死霊たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

その獣は薄暗い地下神殿で激しい白光を放ち、牙を剥き出しにして怒りをあらわにしていた。
だが次の一言で、獣はすぐに掻き消えてしまうこととなる。

「英瑠、やめろ、コイツは……!
コイツに力を与えているモノは、大邪神ゾークだ!」

「っ……!」

生まれたばかりの虎が霧散していく。


何故。

英瑠の頭が疑問符で占められる。
大邪神ゾーク・ネクロファデスとやらは、千年宝物を石盤に収めた者に闇の力を与えるのでは無かったのか。

千年宝物はまだ一つも石盤に収められていない。
千年錐、千年輪、千年タウク、千年錠、千年秤はバクラが――
千年眼、千年錫杖はアクナディンが所持しているからだ。


バクラのディアバウンドは、闇に姿を眩ませるでもなく、彼の後ろで静止していた。
アクナディンは精霊すら召喚していない。

何故闇迷彩を使わないのか。
それ以前に、何故バクラがアクナディンに苦戦しているのか――

そんな彼女の疑問に答えるように、アクナディンが口を開く。

「貴様にも教えてやろう……
自分の男が何故、格下であった神官に抗えずに死んで行くのか……
全ては大邪神様のご意思、だからだ……!

私が千年魔術書を解読し、バクラの村の住民を虐殺し闇の錬金術の生贄に捧げ……千年アイテムを生み出したのも!

そして……バクラによって千年眼に邪念を封印された私が、闇の意志に目覚め、七つの千年アイテムを集めて大邪神様の力を授かろうとしているのも……!

その為に、バクラでは無く私を選んだ大邪神様が、私に力を貸してくださっているのも……!

全て、すべて!!
大邪神様のご意思によるものなのだ!!」


ドクリ。

アクナディンは滔々と全てを語って見せた。

それは英瑠にとって、否、バクラにとって――
何より辛い事実だっただろう。


「ふざ、けないで……」

英瑠は奥歯を噛み締め、アクナディンを睨めつけた。

怒りで頭の芯が灼けそうだった。

こんな想いをバクラは味わったというのか。
いや、もっと何倍も、痛くて、哀しくて、腹立たしくて、烈しいモノを。

「ああああああ!!!!」

英瑠の叫び声に応じて、虎が再び雄叫びを上げて噴出した。

この村では死霊に悪影響だから力を使うな、と以前バクラは言ってた気がする。

だが耐えられなかった。
バクラの心と体が傷つけられた、という事実だけで英瑠の頭は沸騰しそうになり、他には何も考えられなかった。

胸の奥が熱い。

英瑠と虎が思い切り息を吸い込んで、口から金色の光線と炎を吐き出そうと力を収束させる。

薄暗い地下神殿が、一瞬で昼の屋外に変わる。

そして――



**********


ぶつん、と。


それはまるで、操り人形の糸が切れたように。


一瞬、だった。


英瑠と名乗る女から噴き上がる巨大な四足獣も、口から吐き出そうとする光も、一瞬で掻き消えた。

まるで、蝋燭の火を吹き消したように。


それから彼女の身体は、現世から寸断されたように、その場に崩れ落ちた。


バクラも、闇の力をまとわせるアクナディンさえも、言葉を失っていた。

それほど、彼女の『途切れ方』は奇妙だった。


「英瑠、……?」

バクラの虚しい声が響く。

次いで、アクナディンの嘲笑うような声が神殿にこだました。

「フハハ……!
魂を使い果たして事切れたか、獣の娘よ……!
どれ、その素性、私が確かめて――」

「そいつに触るんじゃねええええ!!!」

バクラの咆哮が、ディアバウンドに力を与えていく。

「サンダーフォース!!!!」

ファラオの神から奪った力。

だがその力はアクナディンが纏う闇に吸収され、傷一つつける事は出来なかった。

「気を付けるがいい……
勢い余って冥界の石盤を壊してしまったら全てが水泡に帰すぞ……!」

アクナディンはそんな事を口にし、バクラは彼の追撃がないことを確認すると、弾かれたように英瑠の元へ駆け寄った。

「英瑠……!
おい、どうした英瑠!!」

バクラはそのまま彼女を抱き上げると、アクナディンから距離を取って彼を睥睨した。

彼女の来襲によって一斉に離れていた死霊たちが、様子を伺うようにバクラの方へ近付いて来る。

「くっ、死霊ども!!
その神官は敵だ!!
千年宝物を生み出した憎き王族、そいつ自身だ!!」

バクラは叫び、辺りを浮遊する死霊たちにアクナディンを襲わせようとする。

だがかつての同胞たちは動かなかった。

それどころか、彼らは皆バクラから離れ、バクラを襲わないまでもアクナディンの方に肩入れするように、彼の周囲を漂いはじめたのだった。

「てめえら……、どういう、ことだ……!
そんなにこの女が気に入らねえってか……!」

「そうではないバクラよ……!
この死霊たちは誰が本当の主か分かっているのだ……
闇の大神官となった私はファラオと王宮に決戦を挑む……!
その時彼らは全て大邪神様の元、私のしもべとなるだろう……!!」

アクナディンが告げる非情な現実。

バクラは叫び出したい気持ちをこらえ、ちらりと腕の中の女に目を遣った。

……魂を使い果たした?
それは無いだろう。

地下神殿に滑り込んで来た時の彼女は、十全ではないが瀕死という程でも無かった。

バクラの腕に抱えられている英瑠は、完全に意識を失っていた。
だが死んではいない。

誰よりも知っている彼女の息遣い、命の鼓動がバクラに伝わって来るからだ。

――では、何故。


考えても答えは出ない。
とりあえず今は、アクナディンを排除しなくては。

バクラはそっと英瑠の身体を床に横たえると、彼女を守るようにアクナディンの前に立ちはだかった。

狂気の老神官が、得体の知れない力を放つ――

「貴様はそろそろ用済みだ、バクラ!!
千年アイテムを全て献上して、滅ぶがいい!!」

「ぐっ……!」

神官から発せられた力が、千年宝物を吸い寄せて行く。

懐にしまった千年錠、千年秤――
そして首に掛けた千年タウクや、千年錐さえも――

「ふざけんじゃねえええ!!」

バクラは叫ぶ。
辛うじて千年輪だけを掴み、ありったけの力を振り絞って、ディアバウンドを覚醒させた。

「召雷弾!!!」

力を収束させた一撃が、アクナディンを襲う――

闇の波動にかき消される前に、攻撃はアクナディンの足元を穿っていた。

「っ……!」

砕けた石床が飛散し、アクナディンの視界を遮る。

残り少ない魂を使い、ディアバウンドをけしかける――

振りかぶったその腕の一撃が、アクナディンの身体を吹き飛ばした。

「ぐああああ!!」

カラカラン、と音を立てて辺りに散らばる千年宝物。

「貴様こそ用済みなんだよ老いぼれ神官!
全て千年アイテムを置いてくたばりやがれ!!」

バクラは最後の魂を絞り出して、ディアバウンドの一撃をアクナディンへ放つ。

そして――



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