英瑠は白き虎をまとい、神官セトが操る白き龍と刃を交えていた。
「アクナディン……貴方という人は……!」
小声で漏らした声はしかし、セトにもそれを観戦しているアクナディンにも届かなかった。
白き龍の咆哮。
神にすら匹敵するその力が、時折光弾を吐きながら、宙を舞い襲い掛かって来る。
地を駆けることしか出来ない英瑠は攻撃範囲的に不利だ。
だが、身のこなしの素早さと耐久力なら英瑠の虎に分がある。
白き龍が上空へ舞い上がり、空を滑って急降下して来る。
英瑠は全身に力を込め、龍の爪が虎を抉る瞬間、壁を駆け上がって回避した。
バッサバッサと翼をはためかせ、地面すれすれで静止する白き龍。
壁を駆け、龍の姿を眼下に捉えた虎は、その背目掛けて飛び掛かる――
虎の爪が龍の皮膚を抉り、引っ掛かりを得た虎は、そのまま龍の首の後ろに噛み付いた。
「ギャオォォッ!!」
白き龍の悲鳴が響き渡る。
振り払おうと龍がもがき、虎が振り落とされた瞬間、白き龍の爪が虎の腹を裂いた。
「ガアァァァッ!!」
「ああぁぁっ!」
虎の咆哮と英瑠の悲鳴が重なって広場に響く。
セトも首の後ろを押さえ、苦痛の声を漏らしていた。
「まさか……白き龍に匹敵する力とは……!
この獣……以前よりも進化している!
いや、本来の力を取り戻したと言うべきか……?」
セトが切れ切れにそんなことを口にする。
だが背後でアクナディンが、セトを励ますように声を上げた。
「怯むな、セト……!
その獣が別世界の神であろうと、本来の力は未だ発揮できておるまい……!
白き龍の力にはまだ先がある!
使いこなせ! セト!!」
アクナディンの瞳は狂気に満ち、聡明なセトならばその異常さにとっくに気付いているだろう。
だが目の前に、『この前取り逃がしたバクラの仲間』が立ちはだかっているためか、セトは英瑠とその身にまとった白き虎だけを見つめ、戦意を昂らせていた。
ぶつかり合う、白き龍と白き虎――
天空の支配者と大地の支配者。
彼らは互いに飛び、走り、光を放ち、切り裂き、噛み付き、一歩も引かなかった。
英瑠には分かる。
あの青い眼の女性の魂そのものであるこの白き龍は、神官セトを守りたいのだ。
その父であるアクナディンによって無惨に殺されようとも、彼女の魂は、荒野に咲く一輪の花のように凛とした矜恃を持ち、自らの意志によってセトに力を貸しているのだ。
もしかしたら、キサラと呼ばれるあの女性は、セトに感謝以上の感情を抱いてたのかもしれない。
短い命を捧げてでも、守りたいもの――
その気持ちは英瑠にもよく分かる。
彼女だって、バクラを守りたい、彼の力になりたいと願っているのだ。
見知らぬ世界で、彼がくれた沢山のもの。
感謝、信頼、そして愛情――
言葉にしきれない想いを、英瑠はバクラに抱いている。
もし、キサラもそうなのだとしたら。
本当は、闘うべきではないのかもしれない。
けれども、闘うしかない。
獣の力をまとい、英瑠は距離を取って白き龍を見据える。
白き龍ももはや宙を舞わず、セトの近くで地に降り立った。
互いに傷ついている。
だから、これで最後だ。
龍の口が開かれ、凄まじい量の気が、光となって収束していく。
英瑠も虎の口を開け、力を集中させた。
光が集まり、腹の底から炎が噴き上がる。
これで勝負が決まる。
そして――
白き龍の爆裂的な光線弾と、白き虎の炎をまとった金色の光線が同時に放たれ、激突する――!!
「くっ……!」
「うっ……!」
周囲を照らし出す、強烈な光の洪水。
衝撃が辺りに広がり、セトと英瑠は押し潰されそうな圧力を互いに感じながら、特殊能力の押し合いに耐えていた。
二つの光は、どちらも一歩も引かず、互いを押し切ろうと拮抗している。
負けるわけにはいかない。
バクラの武器である自分が、こんなところで力尽きるわけには行かない。
バクラの行く先を、必ず見届ける。
たとえ、四肢がもがれたって。
地を這いずったって、きっとバクラの元へ帰る。
千年宝物をバクラの手に揃えるために。
その、ために。
英瑠は獰猛に嗤い、歯を噛み締めて魂を振り絞った。
そして――――
静寂が、辺りに降り注いだ。
掻き消えた、二つの『力』。
白き虎と白き龍は互いに力を全力を出し切り――
術者がまた
再び地を覆う、夜の闇。
英瑠とセト。
彼らは共に、地に倒れていた。
「う、うう……」
英瑠の意識はまだ辛うじて保たれている。
セトはどうか――
彼は地に伏したまま、声すら上げない。
だがその肩は呼吸で上下している。
彼もまだ息があるようだ。
「相打ち、か……」
セトの背後で観戦を決め込んでいたアクナディンがぽつりと漏らす。
彼もまた、虎と龍の激突の衝撃に当てられたようで、ふらふらとよろめいていた。
アクナディンは、セトの状態を確かめ、彼の命に別状が無いことを確かめると、その手から千年錫杖を引き抜いた。
「約束は果たしてやる……!
私自らが千年宝物を届けてやろう……
あの呪われた冥界の石盤へとな……!」
「っ……!」
アクナディンの言葉に、英瑠の頭が警鐘を鳴らす。
やはりアクナディンはおかしい。
彼を、一人でクル・エルナに行かせてはいけない――
そう思った英瑠は、身体を起こそうと腕に力を込め、アクナディンを見上げた。
全身が軋む。呼吸が荒い。
何か精神の根本をごっそりと持っていかれたような、疲労感。
この感覚には覚えがある。
(アクナディンを、行かせてはダメだ……!)
だがそんな彼女の奮闘も虚しく、アクナディンは二人に背を向けた。
「ま、待て……っ」
腹の底から声を絞り出す。
アクナディンが無様に寝転ぶ英瑠を振り返って、冷たく言い放った。
「千年宝物を持ったバクラを連れて来い……別世界の獣よ。
それまで貴様は殺さないでおいてやる」
その眼はもはや、人間のものではなかった。
アクナディンという神官にまとわりつく闇が、英瑠の危機感を煽る。
「ま、て…………」
全身の脱力感と痛みをこらえ、這いずるようにしてアクナディンに追いすがる。
だがアクナディンは、英瑠も己の息子もその場に放置したまま、今度こそ背を向けて去って行ってしまった。
「く……!!」
バクラの闘いはまだ続いている。
王宮の遠くから、彼らがぶつかり合っている波動が感じられる。
しかしその決着も近いだろう。
バクラは残りの千年宝物を回収し、何処へ向かうか。
彼はきっと、こちらの闘いが終わったことを知ったらクル・エルナへ向かうだろう。
彼もきっと無傷ではない。
千年錠と千年秤を手にしたら、あとは無理に全員を倒す必要など無いのだ。
「バクラ……、だめ……」
せめて、バクラがクル・エルナへ辿り着く前に、自分がバクラと合流してアクナディンのことを伝えられれば――
英瑠は歯を食いしばり、よろよろと立ち上がった。
足を踏み出し、一歩ずつ地を踏みしめ、歩く。
まずは王宮の外へ。
そして、王宮とクル・エルナの間のどこかで、彼に会えれば、きっと――
そう願って、英瑠は、歩く。
よろよろと、足を引きずって、戟を握り、肩で息をしながら。
バクラに、会うために。
何かとてつもないモノが、彼の背後に迫っていることを、報せるために。
英瑠は、歩く――
**********
千年秤を手に入れたバクラ。
彼が高笑った瞬間、遠くで白い光が迸った。
「ッ……!」
タウクで見た、白き龍とやらの力。
それと相対するように、拡散される『違和感』――
間違いない。
英瑠の力だ。
炎をまとわせた彼女の光線と、白き龍の特殊能力がぶつかり合っている――
そうに違いなかった。
白き龍の力。
たしかにあれは、神に匹敵する強大な力かもしれない。
だが英瑠の力も、別世界の神に相当するものだろう。
きっと、負けることはない。
どちらにせよ、今は彼女を信じるしかないのだ。
(英瑠……!)
バクラは英瑠を一人で行かせたことを少しだけ後悔した。
だがすぐに打ち消した。
あいつは死にはしない。
必ず、自分の元へ帰ってくる。
そんな確信がバクラにはあった。
だから、今は。
彼女らの戦闘に気を取られたのはバクラだけではなかった。
ファラオと神官たちも、王宮の遠くでぶつかり合っている烈しい力に注意を向けていた――
それだけではない。
バクラの魔物の攻撃に倒れた、千年秤を持つ神官。
ファラオたちはその身を案じ、双方わずかに戦闘の手が止まっていた。
その、わずかな時間。
一人の老人が、地面に落ちた千年錠を拾い上げる。
「ッ!」
たしかあれは。
ファラオの側に侍っていた側近だ。
千年錠を手にした老人が、千年錠を高く掲げる。
「ファラオよ! ここはひとつ私めに!!」
年老いた側近の呼び声に応じ、千年錠が光を放つ――
何を――!?
考えるより先に、バクラの背筋がぶわりと粟立ち、彼は首筋にナイフを突きつけられたような危機感を感じた。
バクラは自分の魔物を周囲に散開させると、ディアバウンドに力を収束させた。
石版の神殿から放たれる光。
その魔物を召喚させてはいけない――!
バクラは本能的にそう察した。
魔物がその場に顕現する直前、バクラは攻撃を放つ――
「螺旋波動!!」
ファラオを巻き込むように放たれたそれは、咄嗟に王を守った別の魔物を吹き飛ばし、老人に襲いかかった。
「シモン!」
ファラオの声がこだまし、彼らを守るように出現した巨大な魔神が、ディアバウンドの攻撃を受け止める。
そして――
「あれは……千の軍勢を一夜で倒したという伝説の守護神!!」
広場に立つ巨大な魔神。
兵士達から声が上がる。
形成逆転を悟ったファラオと神官たちは、表情を明るくした。
衝撃で巻き上がった砂煙が収まっていく。
それきり、守護神は動かなかった。
「っ、何故……!」
ファラオが声を上げる。
魔神を召喚した老人だけがその理由を悟り、歯噛みしていた。
「ククク……危ねぇ危ねぇ……
コイツを奪ってなきゃさすがのディアバウンドも危なかったかもなぁ……!」
「なっ……!」
月明かりに照らされ、不敵に嗤ったバクラ。
その手には、千年錠が握られていた。
「くっ……!」
バクラは精霊超獣で螺旋波動を放つと同時に、別方向から一匹の魔物をけしかけていたのだ。
そして螺旋波動が魔神によって防がれた瞬間、魔物が老側近の手から千年錠をもぎ取ったというわけだった。
「飛び付いて力ずくで奪うなんざ、オレ様のやり方じゃねえが……
どっかの獣じみた女に影響されちまったのかもなぁ……!
ヒャハハハ!!」
これで、神官たちは千年アイテムを全て失った。
操ることの出来なくなった魔神は、静寂ののち、霧散していくことだろう。
だが、焦りの色を浮かべていたものとばかり思っていたファラオの双眸は、鋭いものを宿したままだった。
「バクラ……
我々の結束の力は確実に、貴様の闇に風穴を開けたぜ!」
「っ!?」
側近の呼び出した魔神がゆっくりと消えていく――
しかし、闇に消えるはずのその体躯から、光が透けていた。
嫌な予感がバクラの脳裏を掠める。
ハッタリか、と言いきれない何かがその光にはあった。
「この瞬間のため……魔術師は最終奥義の呪文を唱えていた……!」
魔神が掻き消えていく。
その背後に隠れるようにして収束する光――それは!
「マハード! 今だ!!」
かつてマハードと呼ばれた精霊が、守護神の背後で力を集めている――
バクラは全てを悟った。
「チッ!!」
迎撃するためにディアバウンドを構える――
が、マハードの方が早い!
そして。
魔神の体躯が、すべて闇に消えた時。
『
魔術師から放たれた必殺技が、ディアバウンドに炸裂する――!!!
「ぐああああああっ!!!」
全身が軋むような痛み。
魂を根こそぎ持って行かれるような、圧倒的な力。
それらが全て、バクラに襲いかかる。
「ぐふっ……!」
バクラは血を吐いた。
これで終わりか。
ファラオ達がそんな顔でバクラを見ている。
痛手を負った精霊超獣は、そのまま――
……しかし、掻き消えなかった。
たった今バクラは、最後の力を振り絞って、残っていた自分の魔物を集結させ盾としたのだ。
ディアバウンドもまた、間に合わなかったとはいえわずかに力を集め、敵の攻撃に翳すようにしてぶち当てたお陰で、消滅を免れた。
しかし瀕死であることに変わりはない。
あと一度だけ……
あと一度だけ、闇迷彩を発動させれば。
バクラは英瑠が、死の淵に立ってまで、白き獣を出現させ続けた理由がわかると思った。
やらなければ、生き延びられないからだ。
たとえ限界ギリギリまで、魂を削ったとしても。
「正直驚いたぜ……
伝説の守護神……精霊魔導士の最終奥義……
そいつの名は伊達じゃねえってことか……
だがもう終わりだ……
千年アイテムが揃った以上、ここに長居する必要もねえ……!」
「バクラ!!」
ファラオたちは満身創痍の体を奮い立たせ、バクラを逃がすまいと気色ばんだ。
だが皆まで言い終わらないうちにバクラの姿はディアバウンドと共に闇に溶け、見えなくなっていた。
「くっ!!」
ディアバウンドとバクラを探して、マハードが連弾を放つ。
しかし一つとして彼らを捉えることは出来なかった。
「そうだ、貴様ら――
恨むんならアクナディンとかいう神官野郎を恨みな!
ヤツのおかげで、全ての千年アイテムが揃うんだからなぁ……!!
あばよ!! ヒャハハハ!!!!」
バクラの捨て台詞に、息を呑むファラオたち。
千年宝物を全て失った彼らがどうなるか。
バクラは心底嗤いたい気持ちを押し殺して、王宮を抜け出て行った。
彼の脳裏に、一人の女の姿が浮かぶ――
英瑠。
彼女はきっと生きているはずだ。
だが何処に要るのか。
先程まで感じられていた白き龍と白き虎の光は、今は鳴りを潜めている。
青き眼を持つ女の居場所は、アクナディンにせがまれ千年タウクで見た時に知っている。
しかし彼女らが闘っていたのは、その場所からは少し離れているように思われた。
悔しいがバクラも満身創痍だ。
何処にいるかわからない彼女を探して、王宮内を闊歩する余裕はもはや残されていない。
慰めのつもりで、千年タウクに意識を集中させてみる。
しかし英瑠のビジョンは見えなかった。
千年宝物所持者と、死者の未来は見えない――
バクラは後者の可能性を瞬時に打ち消した。
きっと、セトやアクナディンから奪った千年宝物を持っているに違いない。
もしくは、以前見たビジョンが、偶然だっただけ――
本来、英瑠の力は千年宝物と相反するのだ。
あの時見た白き龍の光景だけが、例外だったのかもしれない。
白き龍の姿が見えないということは、あの龍はもう存在していないのだろう。
英瑠が倒したからか。
バクラは傷ついた体で、彼女にまつわる全てを、良い方向へ考えることにした。
下らない慰め。それは分かっている。
だが軋む全身が、思考が、安寧を求めていた。
どちらにしろ、これで千年宝物が揃う。
アクナディンはもはや千年輪に逆らえないはずだ。
これで全てが、終わる。
七つの千年宝物を揃えて、大邪神の力を手に入れて――
アクナディンとの約束など知ったことか。
セトとやらも、運良く生き残った王宮の連中も、全て滅ぼしてやる。
かつて自分が、故郷の村を滅ぼされたように。
彼らの全てを奪って、踏みにじってこそ、復讐は完結する。
そうしてこの世の全てを嘲笑った先に、あるものは。
在る、モノは――
「ハハ……、ヒャハハハ……っ」
王都から離れ、馬に揺られながら、バクラは嗤う。
ひどく英瑠の温もりが恋しかった。
すっかり甘くなっちまった、と彼は自嘲する。
彼女の体温を知らない頃は、こうではなかったのに。
知ってしまったから、失う恐怖に怯える。
手に入れてしまったから、踏みにじられることに憤怒する。
それはバクラの半生とて同じことだ。
あの記憶があるから、過去に囚われる。
無惨に踏みにじられた安寧の日々を知っているからこそ、抑えきれない激情に焼かれる。
だがそんな極端な半生を、バクラは幸とも不幸とも思っていなかった。
もしあの村に生まれなければ。
もし生き残らなければ。
もし惨劇の真実を知らなければ。
もし精霊の力に目覚めなければ。
もし、彼女と出会わなければ――
すべて空想だ。意味などない、ただの仮定。
英瑠が悲劇で終わった半生をやり直せないように、バクラとて何一つやり直すことは出来ないのだ。
幸だの不幸だの一喜一憂したところで、現実が変わるわけではない。
己の力で足掻いた先にしか、道はないのだ。
たとえ――命が、不意に掻き消えても。
志半ばで、斃れることがあったとしても。
これから行く先が――数千年の闇であっても。
決して、立ち止まることは出来ない。
だから。
バクラはクル・エルナに近付くと、死霊を呼び寄せ周囲を慎重に探っていった。
馬に揺られている間にわずかだが魂は回復した。
多少衛兵が駐留していたところで、問題はないが――
バクラの双眼が馬の姿を捉える。
王宮に仕える者の馬――
アクナディンか。
それを裏打ちするように、死霊たちが来訪者を告げている。
だが妙だ。
千年宝物を持つ神官なぞ、死霊たちの格好の餌食では――
バクラは訝しみながら馬を降り、村の中へと歩を進めて行った。
アクナディンが妙な真似をしでかしても、邪念に侵された彼などもはやバクラの敵ではない。
千年宝物の力を使い、強制的に屈服させればいいだけの話だ。
バクラは、そう考えて。
とある民家に隠された、地下神殿へと足を踏み入れて行ったのだった――