18.喪失



根本的に鍛練不足なのだ、と思う。
それは分かっていた。

半人半妖という、持って生まれた力。
人間として生きようとしながらも、肉体に宿ったその力の片鱗に、無邪気に縋っていた。

『それ』の本質が何なのか知ろうともせず。

この世界に来て、必要が生じたから、初めて向き合った人ならざるモノ。


一方彼は、バクラは――
 
精霊を宿してからどのくらい時間が経っているかわからないが、それでも彼は、英瑠の付け焼刃と違い、精霊獣ディアバウンドと称すそれを自在に使いこなしていた。

バクラと名乗る男は、目を背けたくなるような凄惨な原体験を出発地点とし、たった一人で闇の中を闊歩してきたのだ。
復讐という灯火だけを頼りに。命を賭して。

強いひとだ、と思った。誰よりも。

そして、哀しいひと――
その背中には、同情さえ寄せ付けない悲壮感が滲んでいる。

そう。
知ってしまったから。
彼という、人間を。

英瑠という半人半妖は、出会ってしまったから。
バクラという、人間に。

惹かれて、しまったから――

だから。
彼の力になりたくて。
孤独であらねばならない彼の戦場で、彼の行く道を切り開く武器になりたくて――


だからこそ、己の内にあるモノを、強引に吐き出した。

小さな器に上段から加減もせず酒を注ぎ込むような乱暴さでもって、精霊だか魔物だかわからない白き獣を、全力で噴出させた。

神官たちの力に追い詰められた虎が、口から吐き出したモノ――
その力は数人の神官たちに膝をつかせ、数多の兵士達を薙ぎ払った。

そして、虎は力尽きた。


たしか、セトと言ったか。
英瑠の演技に騙され、彼女を捕らえた神官。

その神官だけが、何とか虎の災禍を生き延び、逃げる英瑠の背に食らいついて馬で追いかけてきている。

あと一度だけ……、一度だけ、虎を呼べるはずだ。

己の魂が尽きる前に、虎の牙で彼の精霊に飛び掛かるか――
あるいは、増大させた膂力で、彼の肉体に直接襲い掛かれば――

どちらにしても機会は一度だ。

天空を泳ぐ竜。
ファラオの神が、何かを警戒するように浮遊している。

バクラのディアバウンドは見えない。
だが、その気配はたしかに感じられる。
恐らく闇にその身を潜ませているのだろう。
彼らの決着はまだついていないのだ。

ここでセトとファラオを合流させるわけにはいかない。
だから――

轟、と噴き出す炎が英瑠の体を覆う。

向かってくる神官。

「貴様……っ、貴様だけは絶対に許さんぞ!!」

セトの叫びが英瑠の鼓膜を震わせる。

たった一撃だけ……、それだけでいいから。
だからお願い、獣よ――!!


現れたセトの精霊が、英瑠の虎に襲い掛かる。

「デュオスよ、その獣を斬れっ! オーラソード!!」

その、刹那。


「螺旋波動!!」

キュガッッ!!!!

――誰もが知る波動が、精霊デュオスの一撃を横から襲った。

「ッ!?」

矛先を逸らされたセトの一撃が、虚しく空を切る。


闇より出でた精霊獣――
進化し続ける、バクラのディアバウンド。

(何故、何故ディアバウンドが……!!)

英瑠はバクラが自分を援護してくれたのだとすぐ気付いた。

しかし嬉しさよりも先に、いま姿を見せてしまったら闇に潜む精霊獣の居場所を知られてしまう危険があるのに、と危機感を覚えた。



「セト!!」

ファラオの声が遠くから響いてくる。

馬で走り寄って来た彼は、案の定姿を現したディアバウンドを天空の神で攻撃しようとしたらしかった。
だがセトと彼の精霊が近くに居るためか、思いとどまった。

再び闇に溶けるディアバウンド。

幸運。これで精霊獣は大丈夫だ。
その機を見逃さず、英瑠は疾る。

もはや消えかけた虎の力を振り絞り、セトから離れ、馬に跨るファラオに向かって――

「っ!」

ファラオの目が、白き虎を纏った英瑠を驚きの表情で見つめていた。
彼は反射的に神を呼び戻し、己に迫る獣を迎撃しようと力を溜める――

英瑠は嗤った。
ファラオの神の矛先がこちらに向けば、隙を突いてバクラのディアバウンドが神を攻撃できる――

背後のセトはディアバウンドの迎撃よりも、王の身の安全を優先するはずだ。
つまり、自分が二人の攻撃目標になれば、それでバクラの勝利は確定する――!

英瑠がそう考えて、玉砕を覚悟した時だった。


――――ッ、


馬の蹄の音が近付いたと思ったら、ガッ、という衝撃に襲われていた。

次いで、ふわりと浮いた身体。

(!?)

ファラオだけを見据えていた彼女は、一瞬何が起きたか分からずに、硬直した。

「っ、バクラ!!」

目の前のファラオから発せられた声。
意外な名前を叫んだ王の顔が、英瑠からどんどん離れていく。
何故だか締め付けられた、自身の胴。

足を浮かせたまま風を切っていた英瑠はようやく、視線を下に落とし己の体を拘束する『腕』に気付くと、それから『彼』を見上げた。

そして事態を把握する。

英瑠の身体に回された、力強い腕。
風を受けて夜闇の中に揺らぐ白銀の髪には、見覚えがあった。


「――バク、」
「そいつを消しとけ!! 死ぬぞ!!!」

間近で吐き出された、誰よりも聞きたかった声。

何処からか馬で走って来て腕を伸ばし、一瞬で英瑠の身体を横から掻っ攫った、盗賊の男。

彼女の体から噴き上がっていた炎の虎が、蝋燭を吹き消すようにたちまち消滅していく。
地を蹴る蹄の音と、風を切る感覚。

「バクラ!! その女は貴様の、」

全てを悟ったらしいセトの声が、彼らの背後から追いかけてくる。
それを遮るように、ファラオが叫んだ。

「セト! ディアバウンドは闇に潜んで攻撃を仕掛けてくる気だ!!」
「っ!」

王の言葉に、セトが弾かれたように上空を見上げ、息を呑んだ。
バクラは英瑠を片腕に抱きかかえたまま、彼らから離れるように馬の方向を変え、そのまま距離を取っていく。

「ヒャハハハ!! こいつは相棒なんでね! 頂いてくぜ!!」

王と神官を茶化すようなバクラの声が、辺りにこだました。


「ッ、っ……!!」

英瑠は一言すら発する事が出来ず、バクラの腕に抱えられ運ばれていた。

さすがにそのままでは重いと思ったのか、彼の腕が後ろに乗れというように彼女を促し、英瑠はバクラの背後で馬に跨った。

「しっかり捕まっとけよ、」

彼はそれだけ口にすると、闇に潜ませたディアバウンドに意識を向けたまま、ファラオたちの視界から離れるように馬の速度を上げていった。

英瑠は言われたとおりに彼の背後から腕を回してしがみつく。
直後、未だかつてないほどの疲労感がドッと全身に襲いかかり、彼女はバクラの背中に頭を預けると肩で息をした。

戟を振り回して激戦を繰り広げている時などとは比べ物にならない、魂そのものを削られるような感覚。
これが、後先考えず虎を出してしまった代償。

……否。

きっとそれだけではない。
懐にしまった、千年宝物――

彼女は気付いてしまったのだ。
何よりも恐ろしい事実に。

それは千年錠を手にした時に頭を過ぎったはずなのに、深く考えることを心のどこかで避けていたことだ。

だがもはや、目を逸らす事は出来ない。

それは即ち、誰よりも守りたい彼の身を危険に晒すことだから――


千年宝物は、英瑠の本質と決定的に対立する。

彼女の本能が、その力を拒む。

それが、事実だった。


英瑠の本質が忌避する千年宝物は、所持しているだけで彼女の力をじわじわと奪っていた。
彼の体温を通して伝わる千年輪の気配もそうだ。
まるで雑音と一緒に琴の音を聴いているような、そんな違和感がある。

だが、今はまだ何とか意識を保っていられるだろう。
バクラという名の琴の音が、英瑠にとって、何よりも心地よいものだったから。
多少の雑音など、今は問題ないはずだ。

少しだけ、あと少しだけその音色に耳を傾けていたい――
彼女は素直にそう思った。

そして同時に、ある決断をしなければならないことを悟ってもいた。

それはこの世界で得た全てのものを失うことを意味していた。
恐怖が、英瑠の全身を支配する。

けれども、怯えてはいられない。

感情に流されていては、彼の身を危険に晒してしまうからだ。

英瑠は、人知れず唇を噛んだ。



バクラと王たちの戦闘状態は未だ続いている。

英瑠はバクラの背にしがみついたまま、馬上で成り行きを見守った。


度重なる激突で、ファラオはもはや満身創痍だろう。
そして、英瑠の獣と対峙したセトの力も十全ではないはずだ。

町を守るように辺りを徘徊し続けるファラオの神竜。
その動きは、王の苦悩を表しているかのようだった。

やがてその神が、意を決したように空に飛び上がり、静止する。

好機。


「神と共に死ね! ファラオ!!」

バクラのディアバウンドが神に襲い掛かる。

「螺旋波動!!」

精霊獣の一撃が、ファラオの神をたしかに穿つ。
神は力を失い、夜空に消えていった。

これで決まったか、そう思われた瞬間。

「オーラソード!!」

ディアバウンドの位置を知ったセトの精霊が、必殺の一撃を放つ。
闇を切り裂いたその剣は、ディアバウンドを捉え――

しかし。


「その目は節穴か……!」

バクラは馬上で不敵に嘲笑った。

精霊デュオスの剣が捉えたのは、別の魔物カーだったのだ。

「忘れたか? 千年アイテムの所持者は魔物を呼べることを……
魂の消費の少ないザコを盾がわりに拝借させてもらったぜ! 石版の神殿からな……!

死ね、神官の魔物!! 魔導波!!」

ディアバウンドの攻撃が、セトの精霊を襲う。
直撃を免れ何とか消滅せずに済んだものの、彼の精霊は力を失ったように闇夜に揺らいでいた。



王宮ごと町を見渡せる、切り立った山の一本道。

バクラはそこに馬を止め、千年輪を手に取った。
彼の胸元で、千年輪の針がある方向を指し示していた。

「ククク……、死をも顧みず近付いて来るか……
オレ様は逃げも隠れもしねえぜ、ファラオよ……!」

バクラは神を失ったファラオが、それでも彼を追いかけてくると確信していたようだった。

英瑠はバクラの体に回した腕をそっと離し、馬から下りた。

「おい!」

バクラの詰問するような声が響く。

「そうだ、これ、」

英瑠は思い出したように懐から千年タウクを取り出すと、バクラにそれを差し出した。
驚くように目を見開いた彼。

その手に宝物を押し付けると、英瑠は彼から少し離れ地面に膝を付き、そのまま寝転がった。

「っ、オマエ……!!」

バクラは馬上で胡坐をかくと、何かを言いたそうな顔で手の中にあるタウクと英瑠を交互に見つめていた。

「一個だけでごめんなさい……
それと、迷惑かけてごめんなさい。いろいろ、ごめんなさい。
そして……、助けてくれて、ありがとう」

英瑠は脱力しながら、大地に体を預け、バクラに謝罪と礼を述べた。

「……、」

バクラは黙ったまま彼女を見下ろしている。
彼は今、何を考えているのだろうか。


英瑠はゆっくり寝返りを打つと、彼の顔を見なくて済むように背を向けた。

そうして、目を閉じる。

ファラオはすぐに此処へやってくるだろう。
満身創痍のファラオと、未だ余力を残したバクラ――勝敗は明らかだった。



戦は終わった。

『武器』は使い手との約束を果たし、その元へ帰った――

そう、それで終わりだ。

物語はそれで終わり。続きは無い。

何故なら、知ってしまったから――

自分の力が、バクラの求めるものとは相反してしまうことを。
このまま彼の武器で居たら、彼の邪魔をしてしまうことを。

彼に預けたままの戟は、そう――彼にあげられる、武人の魂だ。
英瑠という武人の生きた証。
あれには、彼を邪魔する要素は何一つ無いだろう。

ならば、ここからは、あれが彼の『武器』だ。

半人半妖などという千年宝物に嫌われる異物ではなく、ただの無害な無機物の。


英瑠は閉じた瞼の下で、そんなことを考えた。

半分だけ意識を闇へ落とし、ファラオの到着を待つ――

そう、彼が来たら。

バクラが彼の千年錐を手にしたら、それが最後の――


**********


「バクラ!!」

息を切らせながら、もはやバーを使い果たした状態で、彼の前に現れたファラオ。

「待ってたぜ王サマよぉ……」
「バクラ! これ以上罪のない者を傷つけるのはやめろ!!」

全身ボロボロになり、精霊獣の一刺しで崖から転がり落ちていきそうなほど弱っているのに、それでもファラオはバクラの前に立ちはだかる。

バクラはそんな哀れな王を鼻で嗤い、王都を見渡した。

「見な! 王宮を望む夜景を……
玉座に座って権力をふりかざしていても、こんな景色は見たこともねえんだろうぜ……
王なんざあわれなもんよ……!

だが――この盗賊の目に映る物は何だって盗むことができる……
王権も、街も、人の命も……この夜景もなぁ!!

何でも手に入れられるのが王の条件なら――
この盗賊王バクラ様こそ、王の中の王だ!
なぁファラオ!!」

それは勝利宣言だった。

かつて全てを失ったバクラという哀れな少年が、全てを王から奪った証の。

だが王は屈しない。
彼は最後の最期まで王であり続けるからだ。

「貴様は何一つ手に入れてはいない……
この街にともる命の光……人々の希望を踏みつけているだけだ!!」

――ああそうだ。それでこそ、王だ。

彼は頭を下げる事はない。
彼は命乞いをしない。
彼は振り向かない。
王、だからだ。

「何をほざこうがこの戦、オレの勝ちだ」

嗤って吐き捨てる。

これで、最期だ。


ドッ、という轟音が辺りを震わせた。

闇に潜んでいたディアバウンドの一撃によって、ファラオの居た足元の地面が崩れ落ちていく。

驚愕したファラオは、しかし抵抗する力もなく、闇に飲まれる寸前で崖の縁を掴んだ。

落ちれば助からないだろう。
いつかの王墓での体験がバクラの脳裏を過ぎる。

「千年錐は頂くぜ」

ファラオが闇へ落ちていく前に、忘れず宝物を回収する。

「なら王サマよ……
今度はあんたの命を踏みつけてやるよ」

そう呟いたバクラが足を踏み出せば、哀れなファラオは奈落の底へと吸い込まれていった――



「ヒャハハハハ」

嗤う。

権力と繁栄を享受していた王とて、最期はあっけないものだ。

付き添う部下も家族も無く、たった一人でこの世から消えていくのだから――

やはり王なんざ哀れなものだ。
オマエもそう思うだろ――

そんなことを考えながら、バクラは振り返る。

体力を失って寝込む女に向かって。


静寂。


バクラははじめ、見間違いかと思った。

馬を止めたその少し後ろ。

そこには確かに彼女がいたはずだ。
たった先程まで――そう、ファラオが来るまでは、確かに。

だが今では彼女の居た形跡はどこにも無かった。

本能的に察する。
彼女は身を隠そうとちょっと移動したわけでも、気を利かせて席を外そうとしたわけでもない。

英瑠は、自らの意志でバクラの元を去ったのだ。


「ハ、」

ファラオを葬り千年宝物を手に入れたと歓喜した矢先の、突然の喪失。

まるで宝物庫から宝を盗み出した直後に、奈落の底に叩き落されたような。

「――ッ」

背筋が凍るような恐怖と、頭が焼けるような怒りが同時に襲い掛かる。


「ふ、ざけんじゃねえ……!!!!」

唇が震える。

許せない。

ふざけんな、
ふざけんな、
ふざけるな――!!!!


バクラは絶叫した。

英瑠の名を叫んで、ディアバウンドを半ば反射的に走らせた。

ファラオの飲み込まれた崖はぽっかりと穴が空いている。
となれば彼女はそちらではなく、逆方向へ行ったとしか考えられなかった。


英瑠。
英瑠。
英瑠――!!!!


分かっている。
彼女が何故バクラの元を去ろうと思ったのか。
分かってはいる。

彼女のあの『力』――
あれが、絶対的に千年宝物の存在と反発しあうからだろう。

事実、バクラとてつい先程、彼女が闇夜を切り裂くように放った一撃で、心臓を直接握られたような感覚は味わうわその光のせいでディアバウンドの位置をファラオに知られるわで、酷い目に遭った。

だが、そんな理由で。

バクラの言い分も聞かず、一方的に、離れていくなど。

許せるはずが、無かった。


千年輪に潜む邪念が、それ見たことかと噴き上がる。

消してしまえ、殺してしまえ、犯してしまえ――

ドス黒い狂気が、バクラの内側を塗りつぶしていく。

ほの甘い想いさえも。

全て。
すべて。
すべて――



「オマエが悪いんだぜ、英瑠」

精霊獣を纏わせて、闇夜に立ち尽くす盗賊王。

バクラという名の少年の、その一言には。

殺意が、宿っていた。



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