16.白き獣

※無抵抗な主人公が暴力を振るわれる描写、
および敵に対する残酷描写があります。ご注意ください




『それ』は、妙な女だった。


やたらと白い肌。
チンケな装飾品を一つパクって、神官の目の前でとっ捕まったという間抜けな盗人。

神官は何を思ったか、その女を他の罪人から引き離し独居房へ入れた。
一体何故か。

しかし『彼ら』は、そんなことはどうでもいいと思った。

盗賊バクラだか何だか知らないが、ここ数日ですっかり忙しくなってしまった。
仕事といえば、粗暴でむさ苦しい罪人と関わることだけ。
息抜きが欲しかった。

しばらく誰も来ないと分かっている場所に、若い女が一人。

僥倖。しかも、罪人。
殺しさえしなければ、何をしてもあとでいくらでも誤魔化せるだろう。

そう考えた彼ら――兵士たちは、徒党を組んだ。
それから、一人で閉じ込められている女の牢へと、向かっていった。


女は、始めから最後まで妙だった。

まず、数人の男たちが牢の中へ入って来ても、全く怯えた様子を見せなかった。
兵だと思って警戒感が薄いのか。

しかし、静かにしろと吐き捨て、その体を皆で乱暴に地面に押し倒した時も、全く無抵抗だった。
さすがにどんな鈍い女でも、そこまでされれば何が起こるか理解できるだろうに。

ああそうか、と合点のいった兵士たちは顔を見合わせ、下品な笑いを浮かべた。

女はこうなることを望んでいたのだ。
体を使って脱獄を乞うか、それとも色情狂か――
娼婦のようには見えなかったが、無垢な町娘というほど物知らずでもなさそうだった。

だが。

服を暴かれて肌を曝け出され、体中をまさぐられた女は次に、
「ううん……」と声を漏らした。

喘ぎではない。
何かに悩むように、唸るような声で。

それから彼女は、思いついたように、
「あの、ちょっと殴ってみてくれませんか?」
と言った。

硬直。

その場に居た男たちが、一瞬皆動きを止めた。

何を言っている、と誰かが返したのもつかの間、ガッ、と別の男が拳を彼女の頬へ打ち下ろした。

「ばっ、何やってる……!」

男の行為に引いた別の男が、驚いた声をあげる。
性的嗜好は人それぞれだろうが、何もせっかく無抵抗の女をわざわざ殴らなくても。

しかし、彼女が発した声は至極普通だった。
まるで、ちょっと虫に刺されただけというような――

「うーん…… 痛くないわけじゃ、ないんですけど」

は? と誰かが声を漏らす。

普段から勘の良さで知られる一人の男が、彼女を押さえていた手を離し、
「こいつ、やばい」と後ずさった。

「何ビビってやがる!」
「あの、もうちょっと、強めに」

女が男たちの拘束を事も無げに振り払い、むくりと体を起こす。
ちゃんと押さえとけよ、と吐き捨てた誰かの声が響く。

「ふざけんな!」

先ほど暴力を振るった男の第二撃が、上半身を起こした女の顎に炸裂した。

「おい!」

弓なりにのけぞった女の体は、そのまま背後に倒れ、後頭部を打ちつける鈍い音と共に地面に転がった。

「バッ……、殺したらさすがにマズイぞ!!」

全員息を呑んで、倒れた女を見つめた時だった。

女がまた「うーん……」という声を上げて、むくりと起き上がる。
それから顎をさすり、一言。

「やっぱり駄目みたいですね……
恥ずかしいだけで全然怖くないです」

ざわ。

暴力的な男がブチ切れたように、女に飛びかかった。


冗談のような光景だった。

それはまるで、草むらで呑気に跳ねた兎が、すぐ側に隠れて機を窺っていた虎に一撃で仕留められたような。

「ぐあああああ!!!」

男が飛びかかった瞬間、女の影が揺らいで立ち上がり、刹那、片手で男の腕を捻りあげていた。

戦慄。

それから女は、もう片方の手で男の首根っこを掴むと、それから『放り投げた』。

まるで、大きさだけはデカイが中身空っぽの箱を、たやすく放るように。

「うわぁぁぁ!」

投げられた男の体躯が仲間たちに襲い掛かり、ある者は下敷きになり、ある者は身を守るように小さくなった。


「皆さん協力してくれたので殺さないでおきますね。いま武器も無いし」

男たちの頭上から降りかかる魔女の声。

「てめっ……!」

ダメージの少なかった男の一人が、牢を出ようとする彼女の背後から襲い掛かった。

だん、という音が大地を揺るがす。

女は振り向きざまに地を踏みしめ、掌打を男へ叩き込む。

「ぐ……、あ」

どさり、と崩れ落ちる男。


彼女はそのまま、牢を出て行った。

振り向くこともせず。乱れた服のまま。


「ば、化け物」

誰かが震えて漏らした声はしかし、彼女には届いていなかった――



**********



「どういうことだ……!! 女が居ないだと……!」

神官セトは、部下の報告を受け声を荒げていた。

部下の話はこうだった。
女の罪人に眼の色を変えた愚かな衛兵たちが、数人で女の牢に向かったところ、女に返り討ちにされたあげく脱獄された、と。

女は丸腰だったはずだ。
投獄する前に身体検査もした。
武器はおろか、金品も身分の分かるものも一切所持していなかった。

その身に纏った服だけが、やけに高価な布だったのが気にはなったが――

セトは千年錫杖を握りしめて眉根を寄せた。

(アイシスの力を借りるしかないというのか……!)

彼女のスピリアの能力を使えば、脱走し行方をくらました女が何処にいるかなど、たちどころに分かるだろう。

ただし、女が強大な力を宿している事は知られてはならない。
セトの秘めた目的は、アクナディン以外には話していないし話すつもりも無いからだ。

もし知られたら、ファラオにも筒抜けになる――
そうなれば、魔物カー狩りなど、ファラオは怒るだろうし絶対に許しはしないだろう。


アイシスに協力を仰ぐのは良い。

だが囚人の見張りはセトの管轄ではないとはいえ、女の脱走によって、セトの信用が落ちる可能性も否定できない――
しかし、せっかく見つけた逸材、今すぐどんな手段を使ってでも女を捕まえなければならない――

セトは二つを天秤にかけ、少しだけ考え込んだ。


そして、決断した。

やはり今は何にしても、一刻も早く女を捕えることが先決だ。
他の事はあとで何とでもなる。いざとなったらアクナディンの力も借りれば良い。

必ず、あの『力』を引き出してやる――

彼は伝令を走らせると、自身の信頼できる部下も招集し、盗人女の捜索を始めたのだった。



**********



牢を抜け出した英瑠は、監視の目をすり抜け、階段を駆け上がった。

それから、一人で歩いていた適当な衛兵を背後から襲い、王宮の構造と神官の名前を聞き出すと、護身用の短剣と僅かな金品を巻き上げて気絶させ、身柄を隠した。

さらに今度は、城内を闊歩する女官を短剣で脅し、女物の服を手に入れた。
非戦闘員である女官に同情した英瑠は、先の衛兵から巻き上げた金品を渡すと、彼女もまた気を失わせ物陰に隠す。

千年アイテムの中で、魂に宿る精霊や魔物を見極めることが出来る宝物――

千年眼。
その所持者は、アクナディンというらしかった。


城内が騒がしくなる――

そろそろ脱走がバレた頃だろうか。
あちこちに隠した者たちも目を覚ますだろう。

何とかアクナディンの居場所を突き止めた英瑠は、小走りで彼の居る部屋まで向かって行った。

元より、肌の白い異人の風貌。
城内を慌ただしく走る怪しい女官――

訝しんだ衛兵が声を掛けてくる。

一瞬で距離を詰め、掌底をみぞおちへ叩き込んだ。

もはや猶予はない。

千年眼の元へ――

そして。


「ムッ、何者!!」

神官アクナディン。
護衛を全て打ち倒した英瑠は、彼の目の前に立っていた。


「神官様にお願いがあります。
その千年眼の力を使って、私の中に居るものを引っ張り出してください」

「っ……!!」

千年眼が光る。

と同時に、英瑠の四肢が動かなくなる。

「っ!」

「千年眼の力を知るとは……ただの賊では無いな!
その身柄、拘束させてもらおう……!」


英瑠は思った。
これが千年宝物の力か、と。

有無を言わさぬ力。
その輝きは、ひどく不快に思えた。

まるで金属の板を爪でキーキーと引っ掻くような。

英瑠の思考ではなく、もっと本能的な部分が、根本から拒否しているモノ――


「アクナディン様!」

騒ぎを聞きつけた新たな兵士が駆けつけて来る。

「神官セトを至急ここへ!
それから、魔物封印の石版も用意するのだ!」

「ははっ!」

アクナディンの命を受けた兵士が走り去っていく。

「どうやら貴様の中にも何らかの魔物が居るようだな……!
このまましばらく待つが良い、我ら神官の力によって魔物を石版に封じてやる……!」

まずいことになった、と英瑠は思う。

このまま千年宝物の力で身柄を拘束されたまま神官セトが来てしまえば、2対1。
さらに不利になる。

そして、石版に封印という言葉。
セトとやらが持っているのはきっと千年錫杖だ。
その力で精霊を石版に封じられたら、もはや勝ち目はない。

だが。

身動きを封じられた中で、英瑠は不敵な笑みを浮かべた。


元々、こうなることを望んでいたではないか――

絶体絶命に近い、ギリギリの危機を。


自制の効かない男たちに組み敷かれて殴られてみても、恐怖は生まれなかった。

せいぜい肌を晒され触れられた事に対する羞恥と嫌悪感程度だ。

しかし今はどうだ。

生身では抗えない、得体の知れない千年宝物の力。

しかも、このまま大人しくされるがままになっていたら、確実に訪れる敗北――

今だと思った。

今しかない。

この背筋を灼くような焦燥感と危機感だけが、あの力を呼び覚ます。

ならば。

だから。


「あは、はははは!!」

「っ!?」

衝動に身を任せる。

不快な雑音を消すために現世に顕現する『本質』が、噴き出す。

英瑠の身体から。
まるで、迸るように。


「っ、やはり現れるか――!!」

まるで噴き上がる炎のように、揺らめく力。

英瑠の肉体を中心として形作られる、その何倍も大きな四足獣。


アクナディンは『それ』を見た時、まるで予想外だというように息を呑んで、激しく狼狽えた。

「な、なんだ、これは」

「……私にもわからないんです。
知ってたら教えてください」

平然と、言い放つ。
本気で知りたいと思ったから。


「こんな……、こんなモノは知らぬ……!
魔物、ではない……、だが精霊でもない……!
貴様は一体何処から来た……!!
『それ』は、我々の世界とは違う、別の――」

アクナディンは愕然とした顔で震え、一歩後ずさった。

しかしすぐ思い直したように、キッと英瑠を睥睨し、毅然とした声で叫んだ。

「だが別の法則から生まれた力が、我々より強いとは限らぬ……!
貴様をこのまま捕らえ、その力、じっくりと調べさせてもらおう……!」

それから彼は、まるで己が身を守る為にそうすることが当たり前だという風に、自分の精霊を呼び出した。

さらに、千年宝物の力を使い、石版の魔物も――


対峙する一匹の獣と、二体の精霊と魔物。

召喚するなり一斉に襲いかかって来たアクナディンの下僕たちを、英瑠は反射的に躱した。


疾る。

他の精霊のように自分から切り離して浮遊させることは出来ないが、それでも、獣の力を噴出させている時は何時にもまして軽々と身体が動く。

肉体を移動させれば、炎のような揺らぎをたたえたまま付いてくる『獣』。

白い虎のようなそれは、英瑠の動きに合わせて地を駆り、壁を走って空中に居る魔物に飛び掛った。

白き獣の牙が、魔物の体躯に突き刺さる。

身をよじって苦しみの声を上げた魔物は、煙のように消え去っていった。


「く……!」

アクナディンの顔が曇る。

「アクナディン様! 今セト様たちがこちらへ向かっております!」

兵士の報告。
ざっ、という音とともに現れた衛兵たちの増援。


「…………、」

英瑠は冷静にその場を見渡し、潮時だと判断した。

アクナディンの千年眼を奪っておきたいところだが、彼の所持する宝物は眼球の代わりにがっちりと嵌め込まれている。

残りの精霊と兵士を全て滅して、千年眼を抜き出して――
と考えると、時間が少々心もとない。

バクラは言った。
神官を『一匹ずつ』殺して千年宝物を手に入れると。

彼がそう判断したのだから、そこを逸脱して無理はしない方が良い。

そう考えた英瑠は、踵を返すと、身体を低くし、地を蹴った。

「待て!」

アクナディンの声が追いかけて来る。
彼女を足止めしようと、兵士が通路に立ちはだかった。

英瑠自身の四肢が届く前に、何者かが兵士へ反射的に飛び掛かった。
『白い獣』。どうやら英瑠の戦意に呼応して、間合いに入った敵を自動で襲うようだった。

魂そのものである獣の牙が、人体を事も無げに噛み殺して宙へ放る。
兵士の体が、通路の壁に叩きつけられて鮮血を撒き散らした。


「っ……!」

英瑠は足を止めぬまま唇を噛み、眉をひそめてその横を通り過ぎた。

それはまるで、人間が子犬を蹴り殺すような。
自らの手で敵を屠る時とは違う、不快で残酷な感覚だった。

いまさら無駄な殺生に逡巡を覚えるわけではないが、無駄がすぎる――
英瑠は追っ手を振り切りながら、心の中で叫ぶ。

(今はもういい――!)

心の中で唱え、走りながら深呼吸をし、バクラのことを思い出す。

不敵な笑み。攻撃的な口調。傲岸不遜だが慎重さも兼ね備える、回転の早い頭。
温かい手。自然と重ねた唇。
彼の、体温――

(バクラ……!!)


気付いた時には、英瑠の周囲から白い虎の気配は消えていた。

ほっと息を吐く。


王宮の出口はどちらか。

衛兵から聞き出した地図を頭の中で思い描く。

追っ手はない。
獣の脚力に付いてこれなかったアクナディンは、流石に諦めたのだろう。

この扉を開けばもうすぐ外だ。

英瑠は、扉に手を掛ける――


「そこまでです!!」

開いた扉の先に響いたのは、女の声だった。

その姿には見覚えがある――
初めて王宮に襲撃を掛けた時に、王の間に居た女神官だ。

神官アイシス。
千年タウクの所持者。


(出でよ――!!!)

英瑠は躊躇なく『あれ』を呼んだ。

ぶわりと胸の内で膨れ上がる力。

まるで弓の腕のように、使う度に――
呼び出す度に、身体に『馴染んでいく』、そんな感覚。


「行くよ、」

噴き出して四足獣を形取る獣に呼び掛ける。

魂の噴出そのものである炎が揺らめいて、英瑠の声に応えた。


「精霊スピリア!!」

アイシスが叫ぶ。

羽を生やした彼女の精霊が顕現し、英瑠と獣に襲い掛かった。

そして――――



**********



夜の帳がすっかり下りた町。

腹ごしらえを終えたバクラは、王宮の前で息を潜め様子を伺っていた。
鋭いナイフのような目つきで辺りを警戒する彼は、何やら衛兵たちが慌しい動きを見せていることに気付いた。

「っ、随分と騒がしいな」

だが、何が起ころうとも今のバクラの敵ではない。
彼は早速ディアバウンドの新たな能力を使い、大胆な足取りで兵士達の前へと進んでいった。

千年輪によって得た、精霊獣の新たな力――
蛇の体表面を覆う鱗が一瞬にして周囲の環境に同化し、他者の視界から自分を遮る能力。

兵士たちはバクラの来訪には気付かない。
不敵な笑みを浮かべ、彼らの側をすり抜けるバクラ――

その時。

「盗人が一人、脱獄したらしいぞ……!
肌の白い女だとか。見つけ次第殺さずに捕えよとのことだ」

「なんでも獣のように強い女らしいな、どういうことだ……!」


――――!!


英瑠。
その名前を、バクラは心の中で唱えた。

瞬時に彼女のシルエットが脳内に浮かび上がる。

まるで、砂に埋もれた宝石を手で掬い上げた時のように。

だがすぐにかぶりを振る。
今はそれよりもやるべき事があるのだ。

盗賊らしく夜襲をかけたのは、何よりも欲して止まない宝物――
千年アイテムを神官から強奪する為だ。

牢から自力で脱出したのなら、彼女はきっと無事なのだろう。

勝手にくたばりやがったらタダじゃおかねえ、とバクラは心の中で毒づいた。


バクラは人知れず王宮を見渡し――
そして、ある場所を捉える。

石版ウェジュの神殿。

数多の罪人から抽出した魔物カーが、収められている場所。

夜闇と同化したバクラは、身を踊らせたのだった――



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