「前髪が伸びてきたな〜……自分で切るか」
洗面台の鏡の前に立ちながら、目にかかるようになり煩わしくなってきた前髪を指でつまみ、ひとりごちた私。
「たしかこの上にカミソリが――」
下から見上げた洗面台のかなり上の方に、少しだけ顔を覗かせている剃刀を取ろうと、手を伸ばす――
「っと!」
それは思いのほか高い位置にあり、少しだけ揺らいだ身体が、伸ばした手の勢いを強めて――――
「ッたっ……!!!!」
剃刀の柄を掴んだはずだった手は僅かにズレ、握った手の中には鋭い痛みが走った。
「っはぁっ……!!」
思わず引っ込めた手から剃刀がすり抜け、カランカランと音を立てて洗面台に転がり落ちる。
次いでポタ、ポタと真っ赤な染みが洗面台を濡らし、私は、痺れたように痛む指をやんわりと握ったまま傷口を見ることも躊躇われて、しばらくそのまま硬直したのだった。
「……どうしたぁ?」
ふわり、と空気が震え、間延びした低い声が背後から響く。
「っ……、なんでもない……」
振り向きながら咄嗟に答えたものの、洗面台に放り出された剃刀と、弱々しく中途半端に握られた手からポタ、ポタと零れ落ちる赤いものを見れば、何が起きたかは一目瞭然で。
「貴様……」
「マリク……!!
あっ、いや今ちょっと手を切っちゃって……、あははは!
高いところの剃刀取ろうとしたらザックリやってしまったんだ……!!
あーもうバカ……我ながら情けなくなるうぅ……」
現れたマリクに対し、わざと明るく答えたところで、傷ついていない方の手で洗面台に落ちた剃刀を広い上げ蛇口の脇へ置くと、血を洗い流そうと蛇口に手をかける――――
が。
揺らいだマリクの影に一瞬で距離を詰められ、そのあまりの近さに息を呑んだところで、力の入らなくなった手首をとられて顔の前に持ち上げられた。
「っ……ま、マリク?? 痛い、から……」
また痛みを堪える顔が良いとか言って、さらに痛みを増幅させるイタズラでもされるのかと思い身を固くする。
が、マリクのとったのは意外な行動だった。
ちゅむ……
「んっ……、あ……!!
ちょっ、ちょっと……!!!!
っくッ……ぃたっ、や……!!」
あろうことか、血の滴る指に這わされたのはマリクの舌で。
ぬるりと指を付け根から指先まで舐めあげられ、背筋をゾクゾクしたものが走り抜けていった。
「やだマリク……!!
何やって……っっうぁッッ!!!!」
マリクの唇が吸い寄せられるように指に触れ、舌で絡みとられた指先がマリクの口内へ沈んでいく。
同時に、半握りになっていた手の平がゆっくりとマリクの手によって広げられていった。
「や……、やだマリク……!!
だ、大丈夫だから……! 水で洗うから……ね!
だから、離して……!!」
指の半ばから手の平にかけて走る痛みに、剃刀の幅を思い出し随分と広く切ってしまったのだと気付きつつ、そっと指を引き抜こうと手首に力を込める。
が、案の定さらに強い力で手首を握るマリクがそれを許さないのだった。
ひりつく痛みを塗り潰すように、別の感覚がじわじわと指から身体の中に広がっていく。
「っ……や、だ……」
指に纏わり付くマリクの熱を孕んだ長い舌が、やがて手の平に伸ばされ傷口をゆっくりとなぞっていく。
「ぃた……っ」
反射でビクリと肩が震え、ずきずき痛む傷口が神経を刺激して熱を持っていた。
「ハ……」
嘲笑うようなマリクの声が一瞬だけ耳に触れ、抗議の視線を向けてみるが、その邪悪な双眸は意地悪く細められていて。
「いっ……たぃ、よ……、やだ……」
ゆっくり手の平を這い回る舌に、また痛みがどんどん別の感覚に塗り潰されていくが、それを認めたくなくてただ痛みだけを主張する。
「マリク――……ッッッはっ!!」
指の又に舌が触れ、思わず身体がビクリと跳ね上がってしまう。
「んっ……!!」
そのままぬるりと指の付け根を舐め回され、身体中を駆け巡った熱が下半身に集中していくのに気付いた私は、愕然として言葉を失った。
こんな……
指を舐められただけ、ただそれだけなのに……
「ま、まり、く……、もう、やめ……」
上擦る声を何とか喉から絞り出して懇願する。
「……嫌だねぇ」
「ちょっ……ッあっ、
いたっ! 痛い!! やだあぁぁっ!!!」
マリクの唇の中に沈んだ指に固いものが触れ、瞬間、貫くような痛みが走る。
傷口をマリクに噛まれたのだと気付いた時には、さらに接近した暗い双眼が間近にあって――
指を噛まれたまま私は、絡んだ視線にただ息を呑んだ。
意思とは関係なくじわりと滲み出る涙が、視界をぼやかせていく――
「や……ぃや……」
縋りつくような眼でマリクに訴えたところで、ふと緩んだ歯の圧迫。
しかしかわりに蠢いた舌にまた背筋がゾクリと粟立って、頬が熱くなった。
赤い舌がゆっくりと指を愛おしむようになぞり、その光景を――
激しく胸を打つ鼓動に気付かれないように、息を殺して唇を噛み締めながら見つめていた。
「ッ……」
ゆっくりと離れたマリクの唇と指先の間に透明な糸が引かれ、恥ずかしくなって目を逸らす――
「指を弄んでやったくらいで何を動揺してんだぁ……?
瑞香よぉ……、随分とイヤラシイ顔をするじゃねえか……
そんなに舐め回されたきゃよぉ……」
「ッッ!? マリクっ……!?
んっ、ふ……ん」
掻き抱くように背中に回された腕に、身体を捕らわれ――
再びマリクの舌がなぞった先は、あろうことか、私の唇で。
言葉を失い、揺らいだ瞳をただ見つめていると、今度は塞がれた唇に呼吸を奪われた。
ゆっくりと歯列をなぞる舌先に抗えず、おずおずと舌を差し出せばすぐさま絡み取られ、正常な思考が消し飛んでいく。
そして、胸の中に生まれた熱が――
指の痛みを完全に押し流して――――
(いたい……冷静に考えるとやっぱり痛い!
舐めてどうにかなるわけないよねやっぱり!
うん!!)
(あんなに気持ち良さそうに身を任せてて何言ってんだぁ……?)
(任せてない!! マリクが勝手に――)
(必死に声を殺してたのはどこの誰かねぇ……)
(いやああぁ言わないでぇぇぇもう知らない!!)
END
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bkm