空を覆う、黒々とした分厚い雲。
それは日の光を遮り、徐々に濃さを増しながら、まだ昼間だというのに辺りを暗く陰らせていく。
「…………」
やがて限界まで水分を湛えた雨雲が、とうとう決壊して雨粒をぽつ、ぽつと吐き出し地面を濡らしはじめたかと思えば、いくばくもたたないうちに大量に降り注いで大地を水で満たしていくのだった。
「うわぁ……雨降ってきちゃった!
でも、濡れなくて良かったね、マリク」
「…………」
瑞香は窓越しに外を眺めながら、たったいま家に着いたばかりのマリクにそう話しかけた。
今日は午後からマリクが瑞香の家に来ることになっていたが、その直前になってどうも空模様が怪しくなってきたところなのだった。
こうして何とか間に合って、マリクが雨に降られてびしょ濡れになってしまうという事態だけは回避することが出来たことに、安堵する瑞香ではあったが……
ゴロゴロゴロ……
「ッ!!!!」
アスファルトの上で大きな岩石を勢いよく転がしたような鈍い音が聞こえ、思わず肩をビクリと震わせた瑞香。
しかしすぐに。
「で、でも、雨降ってたら外に出かけられないよね……!
お茶でも飲んでれば、そのうち落ち着くかな……」
ゴロゴロ……
「ひっ……!」
「…………」
「…………あっ」
すっかり薄暗くなった部屋の中で、瑞香の揺らぐ瞳と、それを黙って見つめるマリクの視線が交差する。
しばしの間見つめ合っていた二人だったが、やがて瑞香は視線を逸らすと、
「お、お茶入れてくるから座ってて……!
テレビも好きに見てていいから!!」
とだけ言い放ち、キッチンへ逃げるように去ってしまうのだった……
「…………」
「……お茶、えーと、お茶……」
ざあざあと勢いよく降り注ぐ雨が、窓に当たりぱたぱたと音を立て飛び散る。
その豪雨の音に混じって時折聞こえてくるのは、やはりあの重低音。
ゴロゴロ……
「ッ……、……っ
カップ、カップはこれでいいかな……!」
ゴロゴロ……ピカッ
「わっ!!!!」
ビシャッ!!!!
「ッッッ!!!!!」
青白い光が窓から差し込み、身体を硬直させた数秒後に聞こえた轟音。
心臓がびくりと跳ね上がり、瑞香は思わずその場にしゃがみ込んだ。
「…………おい」
「ッ!!!」
耳を塞いで小さくなった背後から突如かけられた声に、再び跳ね上がる彼女の心臓。
反射的に振り向きながら勢いよく立ち上がろうとした瑞香は……、その頭をテーブルにぶつけてしまうのだった。
「いたっ……!!」
頭を押さえながらヨロヨロと立ち上がり、キッチンへやってきた彼に、
「マリク……、座って待っててって……」
と言いかけたところで。
ピカッ……、バリバリッ!!!!!!
「ああぁぁっ!!!!!!」
青白い閃光とほぼ同時に押し寄せた耳をつんざくような爆音に、我も忘れて悲鳴を上げ、再びその場にしゃがみ込む瑞香なのであった――
「……貴様、雷が怖いのかぁ……?」
「ええっ……!? 違うし!!!
怖くないよー! 雷なんて……!!」
ゴロゴロ……
「ひっ……!!!」
「………………」
「……ちがっ、これは……」
ゴロゴロ……
「ひっ!!
……あぁもう無理!!! わ〜ッ!!
嘘ですごめんなさいごめんなさい雷苦手なのごめんなさい……!!」
「…………」
直後に再び訪れた閃光と空を引き裂く無慈悲な落雷音に、瑞香は、半ば本能的に悲鳴を上げながらマリクの胸に飛び込むのであった……
「お、おお面白いとか思ってるでしょ
か、雷こわいなんてバカだと思って……
ッわぁぁっ!!!
うぅっ、ごめんなさい、本当に怖いの……!!」
「……ハハッ」
お茶を入れることは諦め、マリクに抱き着いたままヘナヘナとその場に膝をつき、結果的にマリクの腰のあたりに腕を回す形になる瑞香。
ガタガタと身体を震わせるその姿を目を細めて見下ろしていたマリクは、やがて顔を上げ瑞香の縋り付くような弱々しい眼差しに、小さなため息を一つこぼすと、仕方ないというようにキッチンの床に腰を下ろした。
椅子やソファーに座るでもなくじかに床に座り込むという行為に、しかしちっともマリクから離れる様子のない瑞香は。
彼と一緒にその場に座り込むと、雷鳴が轟く度に小さな悲鳴を上げ顔を彼の胸に埋めながら、抱き着く腕に力を込めていた。
「ハ……」
その姿をマリクは、滑稽だと鼻で嗤うように見下す。
だが、抱き返さないかわりに瑞香を振りほどくこともせず、ただ自分に抱き着く瑞香の髪や震える身体のラインをひとしきり目で追ったあと、視線をゆっくりとキッチンの磨りガラスの窓の外へ向けるのだった。
雨の気配はざあざあと強く降り注ぐ単調な音だけでしか感じられないが、雷は時折聞こえるゴロゴロという不吉な異音とビシャリと降り注ぐ落雷の音、そして磨りガラス越しに明滅する青白い光によって、嫌でもその存在を強く感じてしまう。
ただの煩い音と、明滅する光。
室内にあっては、ただそれだけのはずなのに。
なのに。
「一体何が怖いのかねぇ……
貴様にも、我を忘れるほど苦手なものがあったとはな……!
ククク……」
瑞香とは別の理由で肩を震わせたマリクは、しかしからかうような口調とは裏腹に、彼女が先程テーブルにぶつけた頭の部分にそっと手を伸ばすのだった。
「さっきの、痛かった……こぶ出来たかも」
「愚かだな……
何をうろたえてるんだか理解に苦しむよ……」
「……うん」
マリクの手の平が瑞香の頭に触れ、ゆっくりと髪の上を滑っていけば、瑞香は痛そうにちょっとだけ顔をしかめた後、やがて安心したように身を捩って更にマリクに頭を寄せるのだった――
「実はね……
昔、外で雷に打たれそうになったことがあるの……
打たれそう、っていうか、外にいる時に近くの木に雷が落ちて、すごい音と光とよくわからない衝撃に何が起きたかわからなくて……
そのあと、焦げ臭い匂いと立ち上る火に何が起きたのかぼんやりと理解して、そしたらあまりの驚きと怖さにもう動けなくなっちゃって……
近くっていっても何とか感電はしない距離だったんだけど、あれ以来雷が怖くて仕方ないんだ……
変なところ見せちゃってごめんね」
「…………」
轟々と降り続いていた雨はやがて、徐々に音を潜め、あれほど耳を刺激していた雷鳴もやがて遠ざかっていく。
そうして黒々とした雲がすっかり闇を連れて去った後には、降り注ぐ日の光と、溌剌とした昼間の明るさが戻ってきたのだった。
「……おい、いつまでくっついてるつもりだ」
「わっ……!! ごめん……!!!」
「チ……」
「……でっでも、ずっと振りほどかないでいてくれたよね……
その、あの…………
ありがとう、マリク」
「ッ……、
雷鳴の子守唄を聞きながら、貴様の怯える姿を観察するというのはあくびが出そうな時間だったよ……
だが、それもなかなか悪くはなかったぜ……」
「えっ」
「次に雷がやって来たら、今度はずっと耳を塞いでいてやろうかぁ……?
いや……、口も鼻も塞いで意識を奪ってやれば、何も怖い思いをしなくて済むかもなぁ……?」
「なっ……!!」
「ハハハハ!!!」
マリクの哄笑がキッチンに響き渡り、揺れた彼のピアスは窓から差し込んだ陽光を反射して、きらきらと輝いたのだった――――
(咄嗟に抱き着いちゃったけど……
すごく安心したし、実は雷が遠ざかった時ちょっと残念な気持ちになったなんて言えない……)
(ほぅ、これならすぐに雷を克服出来そうじゃねぇか……よかったなぁ)
(口に出てたー!!!!)
END
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bkm