※メインシリーズ夢主。過去話
※バクラ視点
これは一つの回想だ。
バクラは女の後頭部をじっと見ていた。
正確には、宿主の目を通して、である。
お友達同士で遊びに行った帰り。
遅延したせいで、休日にも関わらずやたらと混んでいる電車内。
人波に押されてバラけて車内に収まった一行は、獏良とその友人である桃香を除いて、残りは自然に会話が出来ない位置まで離れてしまった。
そんな中で、獏良に背を向ける形で立っている桃香。
彼女は背後に獏良がいることに気付いているだろう。
バクラは宿主の目を通して、彼女の姿を観察する。
宿主――獏良了。の、同級生である桃香。
だがその少女はもはや、千年リングに潜む『意思』であるバクラにとって、ただの『宿主のオトモダチ』ではなくなっていた。
何故なら、少女は
そもそも、獏良了や武藤遊戯をはじめとするお友達一行と、千年リングを本体とするバクラは明確に敵同士だ。
けれど、桃香は友人である獏良了を
理由や経緯は色々あるが、それはさておき。
――この女は、自分が何者に入れ込んでしまったのかということを、正確に理解しているのだろうか……?
バクラは思う。
桃香から向けられる感情や執着は決してバクラの気の所為などではないからだ。
彼女は事あるごとに、周囲の目を盗んでそっと獏良了を
正確には獏良了を
彼自身がそれに気付いた根拠はいくつかあるが――例によって今は省略しておく。
それよりも、だ。
では、この女は。
今、獏良了の精神を押しのけて人知れず表へと出たバクラという魂を、愛しているらしい桃香は。
そんな男から、満員電車というこの状況で。
今この時、前触れもなく
――果たして、一体どんな反応をするのだろうか?
若い女。宿主のオトモダチである桃香。
今、手を伸ばせばすぐそこにいる無防備な異性。
触れられるのに、法的にも倫理的にも決して触れてはいけない対象。
その背徳感に興奮を覚えたわけではない。
自制心の無さからそういう行為に手を染める輩の気持ちなど、理解するつもりもない。
ただ、彼女がどんな反応をするか知りたかっただけだ。
自分が想いを寄せている異性から。
電車内という衆人環境で。
冷静に考えれば犯罪に相当する行為をされて、この桃香がどんな反応をするか。
自分がされていることとその相手を理解した時、一体何を思うのか。どんな風に息を呑むのか。
バクラはそれが見たくてたまらなかった。
俯いて素知らぬ顔をし続ける彼女、あるいは控えめに振り返って目で抗議してくる彼女、あるいは手で遮ってくる彼女――?
桃香の反応を想像するだけで、何故か愉悦の笑みがこぼれた。
電車のアナウンスが次の駅名を告げる。
童実野町に着くまで、もうあまり時間は無い。
意を決し、手を開く。
スカートに覆われた丸い臀部でも撫でてやれば、彼女はビクリと体を震わせるだろうか。
加虐心のような感情が、どろりと心の奥から流れ出てくる。
――そして。
前触れもなく伸びてきた
「ッ……!!」
彼女がビクリと体を震わせる。
声は上げなかった。
その初撃に対する反応を好感触だと受け取ったのか、
手がぶつかったなどというレベルではない。明らかに、性的な悪意を持った犯行だった。
(は……?)
バクラは思わず硬直し、それから我に返る。
状況把握は難しくない。
端的に、露骨に言えばこうだ。
『知人の女に痴漢してやろうと思ったら、本物の痴漢に横取りされた』
何とも滑稽な図であろう。
予期せぬ襲撃に遭った桃香は、声を上げることも出来ず、嫌悪と恐怖と羞恥に俯いている。
それを見た時、バクラに湧き上がって来たのは言い知れぬ怒りだった。
(引っ込んでな!! 雑魚が!!)
リングが小さく煌めき、次いでボグッッという鈍い音が響く。
「ッ、ぎゃあああああ!!!!」
汚い絶叫は、たった今まで無抵抗な少女に痴漢を働いていた男のものだった。
「お、俺の手がああぁぁ……!!」
何事かと衆目が一斉に集まり、男は自らの手を抑えてその場に膝をついた。
男の五指が、それぞれあらぬ方向を向いている。
ひっ、という誰かの悲鳴が上がり、周囲がざわついた。
男の指はバキバキに折れているのだろう。
「…………、」
フ、と人知れず息を吐いたバクラが当の桃香に目をやった時、ばちりと視線が交差した。
獏良了……を
彼女は気付いたのだろうか?
自分に卑劣な行為をしていた犯人が如何にして、今みっともなく悲鳴を上げてうずくまっているかを。
だがバクラは、今ここで彼女に何かアクションを起こす気にはなれなかった。
獲物を横取りされたという怒りと、そいつに制裁を下してやったという負の爽快感が、全身を支配していた。
まだ、バクラと桃香が懇ろになる前の話である。
――それから幾星霜。
今度は二人きりで電車に乗った。
デート……! などと浮かれる隣の女は大概バカだと思ったが、特に問題もないので放置しておいた。
けれども。
こういう仲となってからというもの、この桃香という奴は、時折無視出来ない爆弾を投げて来るのだ。
――たとえば、今も。
「ねぇバクラ。まだ私が、バクラとこういう関係になる前にさ……
前に、こうやってみんなで電車に乗ったことあったよね?
……あの時は、痴漢から助けてくれてありがとう」
反射的に舌打ちをするしかなかった。
はぁ、と小さなため息をついたバクラは思わずそっぽを向く。
――本当に下らない。
全くこの女ときたら、いつだって下らないことばかりよく覚えているのだ。
END