溢れる(バクラ)



「…………バクラ、あのさ」


「何だ」


ソファーに座って足を組み、頭は動かさず目線だけをこちらに寄越すバクラ。

私はその前に立って高鳴る胸を押さえながら深呼吸を繰り返し、ゆっくりと口を開いた。


「あのさ……
バクラは、誰かを好きになったことある……?」

「…………」

「いやほら、人間だった頃? とかさ……
記憶の片隅にあるものとかさ……
ごく一般的な知識とかでも……」

「……チッ、下らねぇ!!
何を言うかと思えば……
つまらねぇ事ばかりほざきやがるとタダじゃおかねぇぞ!!」

「わぁぁぁ、ごめんなさいごめんなさいっ!!!」


当然の反応というばかりに声を荒げるバクラに、私は反射的に座り込み土下座の姿勢を作ってさらなる罵声に耐える準備を整えた。

……が、次にバクラから降ってきたのは、怒ることすら馬鹿らしいといった雰囲気の呆れた声なのであった。


「ハッ……、何が言いてぇんだよ……」

「………………」

「おい」

「……え、っと……」

「チッ、うざってぇ……!!
なんだってんだてめえは……!!
言いたいことがあるならハッキリ言いな!!!」

「すっ!!!
好きすぎて胸が潰れそうなの!!!
息苦しいの!!!!!」

「っ……」


――しまった。


バクラの威圧感ある催促に急かされて、つい本音を漏らしてしまった。


怖ず怖ずと頭を上げてバクラを見上げれば、バクラはそのまま口をつぐみ、眉間にシワを寄せ汚らしいものを見るような苦々しい表情でこちらを見下ろしていた。


「ご、ごめんなさい……」


咄嗟に漏れ出る謝罪の言葉。

それは何に対しての謝罪かをハッキリと言葉に出来るほど、平静ではいられない。

何しろ、バクラの眼をチラリと見つめるだけで、この脆弱で敏感な心臓は派手に暴れ出しドクドクと豪快に全身に新鮮な血を送り始めるのだから。


「えっと……
なんかもう、ドキドキして全身が熱くて、時間を忘れるくらい神経がそっちに集中しちゃって……
高揚感がすごくて、全身全霊をかけて辿り着きたい!!
みたいな気持ちっていうか……

うまく言葉にできないけど、そんな感じ……」

「ああ……」


私のたどたどしくて稚拙な表現を黙って聞いていたバクラが、ようやく納得したように相槌を打つ。

その「ああ」がどんな意味なのか知りたくて、床に座りこんだままバクラを見上げて身を乗り出した。


「邪魔な連中をブッ殺したあとの高揚感……
オレ自身の目的を果たすという執念……集中力ならよくわかるぜ……!

奴らが怯え惑い、闇に消えていく姿を想像するだけでゾクゾクするぜ……!!
ククク……」

「ぞ、ゾクゾク……?」

「ヒャハハ……ヒャハハハハハ!!!!!」

「えぇ〜……」


何かのスイッチが入ってしまったと思われるバクラは、ソファーに踏ん反り返って天井を見上げながら邪悪に高笑った。

そんなバクラを見ていると背筋にはびりびりと電流が走り肌を粟立たせ、バクラが言うゾクゾクが私にも少しだけわかったような気がするのだった。


しかし何だかズレているような。

……いいやきっと気のせいだろう。


「バクラ……! バクラが好きすぎて死にそう」

「そりゃあよかったな」

「うん……」

「おっと死ぬのは役目を果たしてからだぜ桃香……!
こっちに来な……!!」

「うん……!!」


ぼふ、とソファーを叩いて手招きをするバクラに、私はもう何がなんだかわからなくなって嬉々として立ち上がり、バクラの隣に腰を下ろした。


「桃香…お前の死ぬ時と場所は決まってんだよ……!!
それまで駒は大人しく使われてりゃいいんだ……!」


全身を支配する熱がもはや声を出すことすら許さず、頭だけがコクリとバクラの言葉に頷いた。

際限を知らず上昇していく体内の熱が溢れそうになって、慌てて原因である目の前の存在から目を逸らそうとはしてみるのだが、しかし闇を湛えた昏い双眸の呪縛に囚われたようにただ、その眼を見つめ続けてしまう。


獏良君の肉体に押し込まれたバクラという計り知れない闇が、じわじわと漏れ出して私を金縛りにさせているのだろう。


バクラの手がふわ、と私の後頭部に回され、ぞっとするような冷たさを持った端正な顔立ちがさらに近付いて来る。

震える唇をただ噛み締め、息を呑んだ。

さらにばくばくと暴れ出して反抗する心臓を、しかしどうすることも出来ない。


「こうやって焦らして遊んでやったら、オマエはどうなるんだ……?
その弱っちい心臓が破裂して、勝手にくたばるのか?」


ククッ、と口の端に笑みを浮かべたバクラはどうしようもなく蠱惑的で、私の全身に回りきった熱はとうとう劣情に変わり、頭の芯をぐらぐらと揺さぶっていく。

私の後頭部に回された白い指が髪の下に潜り込み、撫でるように滑ったあと頬の横で毛束を摘んで指先で弄ぶ。


その悪戯っぽい仕草と薄く浮かべたままの笑みに、びりびりとヒリつくような電撃が背筋と脳天を貫いていった。


「胸が……くる、しい……」

「その苦しさから逃れる方法はただ一つ……
お前もわかってんだろ……?
許してやるよ……
勝手にくたばるよりはマシだからな……!

……好きにしな」


呆れたように吐き出された声の、意味を探る間もなくさらに近付いた顔に、とうとう私の理性の糸はそこでぷつりと途切れたのだった――



気付いた時には、触れ合っていた唇。

はしたなくも自分から重ねたらしいそれに、千年アイテムを持っているわけでもないのに半ばもう一人の自分ともいうべき一面が溢れ出したことに、私は人知れず戦慄を覚えるのだった――



好きすぎて死ぬ。


そんな日が来るのも、案外遠くないのかもしれない。





END


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