「はぁ……」
大きなため息をひとつ。
頭の中がぐるぐるする。
不快なモヤが胸いっぱいに広がって、心臓をじわじわと鈍く締め上げていた。
肩には、目には見えない重いモノがのしかかり、鼻の奥は僅かにツンとして、喉は狭まり締め付けられて。
緩んだ涙腺からはほんの少しだけ水分が滲んで、視界を歪ませはじめていた――
無言で玄関のドアを開け、家に上がる私。
今日は出迎えに来ないマリクに安堵しつつ、のろのろと自分の部屋に向かい、鞄を床に放り出すとベッドに勢いよく突っ伏した。
しん、とした部屋に自分のため息だけが響き、改めていろんな事を思い返す――
瞬間、また心臓が鈍くモヤを吐き出して胸が痛んだ。
疲れたな……本当に、もう……
瞼を閉じると、あまり嬉しくない光景が浮かんできて、私は思わず奥歯を噛み締めて声を殺し、そっと泣いた――――
**********
――おかしい。
いつもなら、帰ってきた瑞香は真っ先にマリクに「ただいま」と声をかけるはずだった。
日によってはマリクが玄関まで出迎えることもあったが、そんな時でも瑞香は、笑顔だったり時には少し疲れた顔だったりで――
ともかく、ただいま、とは必ず言ってくれたのだった。
だが今日は――
帰って来るなり自室に直行した彼女は、リビングに居たマリクの元にも顔を出さずじまいだった。
鈍感なマリクでも、さすがに何かあったのだろうと察しないわけにはいかなかった。
彼は小さな舌打ちを零し、瑞香の部屋へ向かう――
「おい……、どうした……」
ベッドに突っ伏したまま動かない瑞香に声をかける。
「おい」
「なんでもない……」
伏せたままの瑞香から発せられた声は弱々しく、震えていた――
**********
「なんでもないっていう態度には見えねえけどな……」
「…………」
「アンタがそんなになるとはねぇ……珍しいじゃねえか」
「……ちょっと……、
ちょっとだけ嫌なことがあって、疲れちゃったんだ……」
「ほぅ……」
相槌を打つマリクの声はいつものように冷めていて、さほど興味を持っていないことが伺えた。
「……」
このマリクは――
いま私の心を静かに支配する、下らない愚痴や悩みを打ち明けても、特に興味も持たないかわりに、声を荒げて遮る事もなくただ聞いてくれるかもしれない。
でも。
結論の出ない悩み、話して少し気が晴れるだけの愚痴なんて、マリクに聞いてもらうのは悪い気がした。
それにもしかしてマリクは、そういう精神的な凹みを、私が弱いせいだとせせら笑うかもしれない。
マリクに笑われたところで別に打ちのめされるわけではないが、やっぱり甘えるのはやめようと思って、私はそのまま口をつぐんだのだった。
そして、言葉のかわりにまた、小さなため息を一つ零す。
「……まぁいい。
貴様がどんな態度を取ろうとも……、こいつを使えば何も問題はなくなるぜぇ……」
予想外の展開。
「……っ! や、めて……」
マリクの手には、腰から抜いた千年ロッドが握られていて――
底冷えするような闇を湛えた双眸と額のウジャト眼が輝くと、抵抗も虚しく、私の意識は闇に塗り潰されていったのだった――
……マリク……
マリ、ク――――
「ん……ぁ……」
身体が熱い。
意識は朦朧として、言葉はうまく発せそうになかった。
「……ク……、」
「瑞香……
何があったかと覗いてみりゃ……ククク……
下らねえ事で傷ついて……すれ違って……
その小さな胸を痛めてたってわけか……」
「……っ……!
や、だ……、見ない、で……!
私の、記憶……見ないで……っ」
「オレにはよくわからねえなぁ……
だが、貴様が弱っているってことだけはよくわかるぜぇ……」
「マリク、私の、記憶……覗かないで、ってば……!
ちょっと……、ちょっとだけ……、疲れちゃっただけなの……
本当に、下らないよ……!
くだらな、い、人間関係のトラブルだよ……
マリクには全く関係ないこと……、嫌なことがあった、だけ……」
「ククク……
貴様もいろいろ大変そうだねぇ……
何ならこいつら全員オレが消してやろうかぁ……?
そうすりゃ、下らねぇ悩みに翻弄されることもなくなるだろ……」
「や、めて……! 私の、問題だから……」
「ハハッ……
そんなにボロボロになっておきながら強がるねぇ……
瑞香……
もっと意識をオレに委ねなぁ……
イイ思いをさせてやるよ……!」
「っ、あ……」
マリクの千年ロッドが輝きを放ち、また意識が混濁していく。
闇の中でマリクの姿だけが浮かび上がる――
身体はふわふわとして、まるで自分の身体じゃないみたいだった。
「マ、リク……、
なに……、これ……、ロッドのチカラなの――」
「フ……」
スゥと眼を細めたマリクと視線が絡む。
恥ずかしさと怖さが入り交じり、私は思わず目を瞑ったのだった――
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bkm