見えるものと見えないもの 後編2



ケータイの画面に表示された名前を見たと同時に、派手に心臓が跳ねた。


――獏良了の名前。


音声着信に震え続けるケータイを手にしたまま、しばし固まってしまった後でふと我に返り慌ててボタンを押す。

「もしもしっ……」

「……あ、犬成さん……?
あの、具合、大丈夫かと思って……
保健室から帰ってきたあとも何だか元気なかったし」

声の主はいつもの獏良君その人だった。

しかし、獏良君にしてはやけに優しいというか――

少なくとも、わざわざこうして気遣いの電話までくれるという獏良君の行動が、私の中ではリアリティを伴って浮かび上がって来なかった。

咄嗟にバクラの演技を疑った私は、電話の向こうにいるのが本当に獏良君なのか確かめようと耳を澄ます。

ドクドクという心臓の鼓動が、徐々に早くなって胸を締め付けていった。


「うん……、もう大丈夫だよ……!
なんか疲れちゃっただけだから……
心配かけてごめんね……!
電話までくれてありがとう!」

当たり障りのない事を返しながら、電話の向こうの気配を伺う。

……しかし、直接彼の姿が見えないことには、それが本当に獏良君なのか、それともバクラの演技なのかは、私には判別する事が出来ないのだった。


「文化祭楽しかったね!ボク、去年のは知らないから……」

「そっか……! 獏良君は今年が初めてだもんね!
コスプレとか、はじめはどうなるかと思ったけど、みんな似合ってたり面白かったりで、見てて楽しかったよね!」

「うん……!
でもなんか、知らない人にジロジロ見られるのはちょっと落ち着かなかったな〜……」

「そうだね……!
じっと見られるとちょっと恥ずかしいよね……!」

「やっぱり学校の中では制服がいいな!」

「そうだね〜」

他愛のない会話を続けていると、はじめに感じていた違和感がどんどん薄れていき、気持ちが日常の緩やかなものに変わっていく。

杞憂だったか、とホッとして話を終えようとした時だった。


「ところで、手首は大丈夫?」

「えっ、」

「けっこう強く捻り上げたもんね……?
痣になってない?」

「っ、……あ、ッッ……!?」

「…………まだわかんない?

…………ハッ、どうやら電話越しじゃオレ様を区別できねえようだな。
これは興味深い」

「ッ、ば……っ、バクラ……っ!!!」

耳元から発せられたいつもの口調に、先程とは比べものにならないほど激しく心臓が跳ね、カッと心の奥に火が点いた。

頭の中がぐらりと揺れ、思わずケータイを取り落としそうになって床にへたり込む。


「よォ……昼間はご苦労だったな……!
オマエにあんな性癖があるとは思わなかったぜ……!!」

「ッッ!!!!ちがっ……、それは!!」

「勘違いすんじゃねぇよ……!
別にオレ様は非難してるわけじゃない……
ただ、あの『罰ゲーム』で身を持て余した貴様が、今頃またいかがわしい事に身をやつしてるんじゃないかと心配して連絡してやったのさ……!

……オイオイどうした、まさか図星じゃねェだろうな」

「っ……!!! ッ、ちがっ、違うよ……!!
そんなこと、してないよ……っ!!」

いかがわしい事、という言葉に反射的に飛び上がり、頭の端が軽くスパークしたような錯覚に陥ってしまう。

次の瞬間辺りを見回し、思い立ったように部屋の窓から外を覗いた。

――人影はない。


泣きたい気持ちになりながら、部屋を飛び出して玄関へ向かう。

――鍵はきちんとかかっていて、別段変わったところはなかった。


バクラが付近にいるわけではないと知ってようやく少しだけ安堵した私は、また部屋に戻り今度は部屋着を手に取って、そういえばと思い立ち下着を探す必要があると気付いた。

「おいおい聞いてんのか……?
何をバタバタしてやがる!
今更取り繕おうとしたって意味ねえんだよ……!!
……桃香、今すぐ来な!」

「えっ、今すぐは……! 着替えないと……!!」

「何にだ……?」

「あっ、違っ、そうじゃなくて……っ」

「…………そういうことか。だいたいわかったぜ……!

ククッ、予想通りだな……!!!
いいぜ、上着でも何でも羽織れば問題ねえだろ。
遊んでやるから今すぐ来な……!!」

「えぇっちょっと待っ……、待って……!! 違うの……!!」

「何が違うってんだ……? 桃香よ……
つべこべほざく暇があったらとっとと支度するんだな……!!」

「えぇぇ……っ!!」

電話を切る直前に聞こえたヒャハハハ、という耳をつくバクラの高笑いは、私の身と心にさざ波を生み。

急いで支度をして家を飛び出せば、その揺らぎはバクラの家に近付くにつれどんどん大きくなって、期待と不安でざわめくのだった。


羽織っただけの上着の下には、コスプレのメイド服。

そして、その下は――

下着ひとつつけていない、剥き出しの素肌。


夜の帳が下りはじめた外の空気は少しだけ冷たくて、何もつけていない脚の間を緩やかに流れ、昼間の時と同じように下半身を撫でていった。

その奇妙な開放感と背徳感に背筋を震わせながらも、私の足はまっすぐにマンションの601号室に向かっていったのだった――――


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