遺品



その少女が本当のところ何故死んでしまったのか、今となっては知る由もない。

だが、記憶と証拠の断片を拾い上げ、パズルのように組み上げたとしたら。
その先に見えて来たものは、きっと、――





獏良了として意識を取り戻した時、全てが終わっていた。
着た覚えのない黒いコート。
少しぼんやりとする頭。

たしかに自分が作った記憶はあるが、何故ここまで大掛かりなモノを制作したのかもはや理由が分からない巨大なジオラマセット。

古代エジプトを模したその街は、見覚えがあるような無いような、なんとも奇妙な感覚だった。

けれどもどうやらとりあえず、皆の悲願であった目的は達成されたらしい。
過去の記憶を失ったファラオの魂は、己自身の名前を取り戻し、彼の敵であった大邪神ゾーク・ネクロファデスとやらを打ち倒した。

ファラオの魂であるもう一人の遊戯――アテムというらしい――は仲間と結束して邪悪なモノに勝利した。

そう、めでたしめでたし。
あとはもはや『名もなき王』ではなくなった、彼の行く末を見届けるだけ――
それだけのはずだった。

けれども。

勝利の余韻に浸ったのも束の間、共に現実世界に帰ってきたはずの少女が一人、目を覚まさなかった。

獏良了。彼の眼に映った彼女の最期の顔は、確かに微笑んでいるようにも見えた。
それはきっと、見間違いなどではなかった。

犬成桃香は病院に運ばれたが助からなかった。
原因不明の昏睡状態。身体的な外傷は一切無し。
まるで文字通り『生気を奪われたように』彼女は帰らぬ人となってしまったらしい。
医者は結局その原因を特定出来なかった。


彼女の葬式の日。
棺の中で静かに横たわる桃香の顔は、確かに微笑んでいた。

やはり錯覚ではない。
「どうして……こんなにも幸せな顔で」
――まるで眠るように死んでしまったのか。

獏良には全く分からなかった。
だが彼の言葉に、千年パズルを所持していた友人と仲間たちは目配せで反応し合い、何かを言いたそうな様子で各々唇を噛み締めていた。

ああ、なるほど。
察した獏良は彼らの不自然な沈黙を気付かぬふりでやり過ごした。

獏良に隠しておきたい、彼女の死にまつわる事情――遊戯たちは自分の知らない何かを知っているのだ、きっと。

そして、その真実とやらを彼らに問う機会は終ぞ訪れなかった。
結論から言えば、獏良了は自力で真実・・と思しきものに辿りついてしまったのだから。


桃香の葬儀が終わり、皆でエジプトに旅立ったあと。

ファラオの魂を冥界に返したことで役目を終えた千年アイテムは、全て地中深くへと消え去った。

それからしばらく経って。

部屋の掃除に取り掛かった獏良了は、ベッドの下、それも壁際の隅に転がっていた小物を発見する。

――筒のような、丸みを帯びた道具。
掌に収まるサイズのそれは、今まで獏良が見たことの無いモノだった。

首を傾げ、じっと眺めながら指先で構造を探る。
一瞬割れたような感触がしてぎょっとすれば、どうやら蓋になっている部分が外れたのだと分かった。
蓋の下から出てきたのはスプレーのポンプのように見えた。

シュッ、……反射的にボタンを指先で押し込んでしまい、またビクリと肩を震わせる。

直後に広がったのは匂いだった。
――毒!? そんなまさか。

(……いや。この匂いは……)

それはまるで桃のような、甘い香りだった。
よく女子にまとわりつかれた時に漂ってくる、整髪料だか柔軟剤だかに似た……

(香、水……?)

獏良はさらに首を傾げた。
この香水(?)入りの小さなスプレーは、確実に自分のものではない。

――では誰の?

さらに疑問だったのは、獏良がこの香りにどこか見覚えならぬ、嗅ぎ覚えがあったことだ。
それがどこか、誰かは思い出せない。
だが『憶えている』。
ピーチ系と思われるこの香りの元になった桃自体をではない。
確実に、この香水だかコロンだかの人工的な芳香をだ。

さらにもう一つ。
『謎の香りミニスプレー』を机の上に置いて掃除を再開した直後、彼はまたしても身に覚えがないモノを発見する。

「遺跡の発掘じゃないんだから……」

とんだオーパーツもあったものだ。
今度はすぐに正体が分かった。
洋服のボタンだった。

大きなボタン――表面に花とおぼしき柄が彫られている、これまた女性物を彷彿とさせるボタン。
当然こちらの持ち主・・・も皆目見当がつかなかった。





ぼんやりとした闇の中。

獏良了は立っていた。

目の前には見覚えのある人影。

(ッ……、何故……!!)

キュッと心臓が収縮したような感覚を覚え、喉から何事かを絞り出そうとしたが上手くいかなかった。

――死んだはずの犬成桃香が目の前で笑っている。

遅れて、ああこれは夢なのだ、と気付いた。
原因不明の死を遂げた彼女が夢の中に現れたのだ、と。
だが、そう考えた直後、明確な違和感があった。

これ・・獏良了じぶんではない』

確かに自分の目で見ているのに、けれど自分ではない・・・・・・
今、故人の少女と相対しているのは獏良了ではない。

――では誰か? 

ここ・・に無いはずの心臓がズキリと音を立てる。

首にかかる一定の重み。
もはやこの国にはないはずの、忘れたくても忘れられない感触。

邪悪な意思を内包した千年リングの重み。
獏良了の体を動かす誰か・・が、獏良了の声帯を使い、だが似ても似つかない粗暴な口調で桃香に話しかける。

桃香が微笑む。心底嬉しそうに。
うっとりとした顔でを見つめ、一歩こちらへ踏み出す。

(や、め……)

止めることなど出来はしない。
何故なら自分・・はこの場には居なかったのだから。

ここに居たのは、かつて親交のあった同級生である少女と、その少女と人知れず関わりを持っていた邪悪な意思・・・・・だ。

千年リングに宿るおぞましい魂。
これはあいつ・・・の記憶だ!

あいつが手を伸ばす。
桃香が嬉しそうに腕の中に飛び込んでくる。

ぎゅ、という人間を抱きしめた感触。
桃香が首筋に顔を埋め、自分・・が桃香の頭に顔を埋める。

獏良の中に流れ込んでくる匂い・・と、あいつ・・・の感情。

――――ッ、


「うわああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!」


己の絶叫で目が覚めた。

覚醒と同時にかき消えた幻影。
しかし、瞼の裏にはっきりと焼き付いている揺るぎなき光景。

腕に残る桃香の質量。
肉の感触と、たしかな体温。

「っ…………、なんで…………」

心臓が激しく動悸を繰り返している。
全身から汗が噴き出ていた。

「なんで…………あいつと…………っ、」

頭がぐらぐらする。
最後の瞬間に嗅いだ香りがまだ鼻腔に残っているような気がする。
その香りには覚えがあった。
記憶が確かなら、その正体はまだ机の上に置いてあるはずだ。

「なんで…………」

脳裏に渦巻くいくつもの疑問。
答えなど返ってくるはずもない。

獏良はふらふらとベッドから抜け出し、机の方に向かった。

頭の中に浮かんだ恐ろしい確信。
それを確かめるべく、件の小瓶ならぬ小筒を手に取った。

シュッ、――祈るような気持ちで押し込んだスプレーのボタン。
直後に広がったのは、やはり夢の中で嗅いだのと同じ芳香だった。

桃香のまとう香り。
あいつ・・・の腕に抱かれてうっとりと身を委ねていた彼女の匂い。
この香水筒は桃香のもので間違いなかった。

それから獏良は、部屋の隅で拾って同じく机の上に置いておいた、出処の分からない洋服ボタンにも目を向けた。

何てことはない。
このボタンは桃香が冬に着ていたコートの飾りボタンだった。
彼女のコートにこれと同じボタンがついていたことを、今更ながらに思い出した。

さらに記憶を探る。
もはや救いは何処にも無かった。
彼女は獏良の知る限り・・・・・・・、冬にこの部屋を訪れたことは無かった。

そういえば、桃香と邪悪な意思が秘密を共有していた夢の中の背景は、他でもないこの部屋だった。
一人で暮らすマンションの一室。
たった一つしかないベッド。
自分の知らない場所で繰り返されていたであろう秘め事。

そういえば、あの頃は頻繁に記憶が飛ぶことがあった。
千年リングに宿るおぞましい意思は、宿主・・である人間の体を使って、つまり。

この部屋で、何度も彼女と……!!

「――――ッ、」

激しく込み上がるものがあった。
獏良は口元を押さえ、弾かれたように部屋を飛び出し、トイレへ駆け込んだ。

胃の中のものを全て吐き出し、生理的な涙が溢れ、肩で息をした先に。

ようやく紡いだ言葉は、幾重もの意味を孕んでいた。

「気持ち悪い…………」







二週間後。

獏良了は一人、電車に揺られていた。
到着した駅を出て、近くの花屋で花を買う。

バスに乗り込み、着いた先は町外れの墓地だった。
ここへ来るのは二度目だろうか。
一度目は皆で訪れた。

かつて友人であった少女が眠る墓地。
彼女の墓の前に立ち、獏良は大きく深呼吸をした。


あの夢・・・を見た後。
獏良は夢のことを誰にも言わず、一人で考え続けていた。

ファラオが記憶の世界で名前を取り戻した日。
同時に謎の死を遂げた少女。
自分を除いた皆で戦ったという『邪悪な大邪神』。
大邪神を倒したという皆の力。

巨大なジオラマの前で目を覚ました自分。
着た覚えのない黒いコート。

首から下げていたはずの千年リングは友人である遊戯の手に渡り、エジプトに渡航するまで間があったにも関わらず一度も返されることはなかった。

邪悪な――千年リングに宿っていた『邪悪な意思』。
自分の体を乗っ取り、勝手に動かしていた忌まわしき存在。

そんな悪魔に微笑んでいた桃香。
の腕の中で、「好き、」と声を漏らしていた友人の少女――

思わず湧き上がった生理的な嫌悪感と同じくらい頭をもたげたのは、強く激しい疑問だった。

何故? なんで?? 何故よりにもよって、あんな奴と恋仲になるのか!

一体何に惹かれたというのか。
信じられない!!

……いいや、もしかしたら彼女は、あの邪悪なる意思に操られたのではないか。
そして、邪悪・・が滅んだ瞬間に、まるで殉死者のように道連れにされたのではないか――

そう考えて。
――だが。いいや。否。

獏良の心は何故か、彼女を罪なき犠牲者だと想定することを本能的に拒んでいた。

浮上する『別の可能性』。
それは夢の中で見た彼女の笑顔が邪悪な意思による洗脳だと決めつけるよりもだいぶしっくりきた。

まるで、夢の中で見た同級生の少女が生き残った獏良に遺志を伝えるように。
葬式の際に見た彼女の死に顔がそれを物語っているような気がして仕方がなかった。

それは、つまり。

信じたくはない、信じたくはないが……頭に浮かんだ直感を、そのまま信じるならば。

連れて行かれた、のではない。
彼女は自ら手を伸ばしたのだ。滅び逝く自分の男に向かって。

桃香は自ら望んで、三千年を超えた魂の殉死者となったのだ。
だからこの上なく幸せな微笑みでこの世を去った。まるで眠るように。

彼女は自分の意思であの悪魔に恋をし、そしてその愛に殉じた。

であれば。

――今頃彼女は、あの世での魂と共に在るのだろうか。
己を盗賊だと称した、邪悪な男の魂と共に。


持参した花を墓に生け、線香をあげて手を合わせた。
そして、彼女のものである香水筒アトマイザーと花柄のボタンを墓前に置いた。

再び手を合わせる。

いややはり、もし、少女がただの哀れな被害者で、邪悪な魂が少女を騙していたただの加害者であったなら――

……獏良は藁にもすがる思いで今一度彼女を庇おうとしたが、しかしそれはやはり出来そうに無かった。

何故なら、あの時。
彼女と奴が601号室で体温を共有していた記憶の夢の中で。

千年リングバクラになっていた獏良は、彼女を抱き締めた瞬間、否応なしに感じてしまったからだ。

自らに流れこんでくるあいつ・・・の感情を。
あいつが少女を抱き締めた時に感じていた、どこか暖かくて、満ち足りていて、穏やかな感情を。

きっと人間ならば、幸せと呼ぶであろう、その感情を……!!


「……ずるいよ」

奴も、彼女も、友人すらも。
皆自分の知らないところで。

彼女が裏切り者であることを、友人たちは恐らく記憶の世界で知ったのだろう。
知った時には、きっと全てが遅すぎたのだ。

闇へ還る邪悪な意思の後を追った桃香を、彼らは止められなかった。
葬式の場での不自然な沈黙はそういうことだ。

獏良了という宿主・・を使い、悪行を重ねていた千年リングバクラと彼女のあまりにも突飛で衝撃的な関係を、獏良本人に伝えることが出来なかったのだ、彼らは。
それは当然の事で、彼らを責めることはできない。

何もかもが一切合切、知りたくなかった事実だった。

けれども。

獏良了は嫌悪や悲憤といった苦痛を感じていた一方で、同時にどこか納得するような気持ちも感じていた。

まるで、ラストシーンが不可解でモヤモヤしていた映画の解説を、後から聞いて少しだけ安堵したような。
彼女の謎の死で幕を閉じた訳のわからない物語の意味がようやく理解できたことで、達成感と言うには程遠いが、まるでパズルの最後のピースがはまった時のような感覚を抱いたのだ。

そして、浮かび上がってきた真相は彼の中に納得感を生み、安堵へと導かれ、今では理不尽に対する怒りを薄めてしまった。
だから彼はここへ来た。

「やっぱりずるい」

――何故彼女は、あんな悪魔を好きになったのか。

そんな答えの出ない疑問にすら、夢の中でから流れてきた意外な一面に答えがあるのかもしれないと思えてしまったのだから。

散々友人たちを苦しめた元凶のくせに。
最後の最後で、よりにもよってあんな形で人間の共感を得ようだなんて。

ずるい。

仲間を裏切り許されざる恋に浮かれ、他人の部屋に私物を落としたままにしてここへ持って来させた彼女も。

宿主・・の記憶の細胞に僅かな記憶だけを残したままにして、夢にまで現れて、人間の少女を都合よく利用していたくせに、あんな感情を抱いていたあいつ・・・も。

知りたくなかったのに。
でも知ったことで納得はできて、けど今更遅すぎて。

怒りをぶつけることも、憎み続けることすらも許してくれないなんて……
本当にずるい!!

――けれど、全てはもう終わったことなのだ。

何もかもを過去へと押しやって前に進むことしか許してくれない。

死者というものは、本当にずるい存在だ。


獏良はそうやってしばらく墓前に立ち尽くし、じわじわと燃えていく線香を眺めていた。

千年リングバクラも、彼を追って行ってしまった少女も、千年パズルアテムも、自らの役目を終えて盤上から消えてしまった。

厄災や、秘密や、思い出を沢山を残して。

だが獏良了は生きた人間だ。
良かれ悪しかれ、彼らが残したものを胸にこれからも生き続けなければならない。


「さよなら」

獏良は彼女の墓石に背を向け、ゆっくりと歩き出した。
友人達に誘われなければ、二度とこの場所を訪れることもないだろう。

風が吹き、いつか香った桃の香りが鼻腔をくすぐったような気がした。

――ごめんなさい、と、ありがとう。

もし桃香がこの場に居たら、そんな言葉を伝えようとするだろうか。

だが、獏良には死者の言葉を聞くことは出来ない。
死んでしまった彼女は過去となって、静かに眠ることしか出来ないのだ。


彼は振り返らなかった。
桃の香りが遠ざかっていく。

二度と、彼が振り返ることはなかった。



END


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