5



「……くしゅん!! うぅ……」

雪合戦の結果、浴びた雪は体温で溶けて水となり、私の髪や肌を存分に濡らしていた。
それらに体温を奪われた私は、バクラに申し訳ないと思いつつも風呂場へ直行する。

盗賊王や私と同じく何も食べてないというバクラは、今2階の私の部屋で一人コタツに当たっているはずだ。

学校が休みなのをいいことに、何となく幸せすぎるというか、爛れた時間を送っている気がするのはこの際置いておく。


「ふぅ……何とかあったまった」

芯まで冷えた体をとりあえずシャワーで手早く温め、着替える。

盗賊王が買出しから戻ってくるまで、現代のバクラと一緒に待ってようと思い自室のドアを開けた。

コタツに座っている、白い肌のバクラ。
テーブルの上にあるマグカップ。

シャワーを浴びる前にマグカップで出してあげた温かい飲み物をちゃんと空にしたバクラが、部屋に入った私にちらりと視線を寄越した。

「ごめんね一人でお風呂入っちゃって……
ってあっ、変な意味じゃなくてね……!
飲み物飲んでくれてありがとう、バクラ」

「うるせえから黙ってな」

間髪入れず返される言葉に、苦笑しながらいそいそとコタツに入る私。

バクラはと言えば、持参したデッキを取り出して何かを考えるようにカードを弄っていた。

その端正な横顔を見つめてみれば、当たり前のように鈍く疼いた心臓。

おまえの大好きな人間がここにいるぞ、よく見ろ反応しろと、自分の体に言われているようだった。


私は、今朝がた聞いた彼の声を思い出し、思い切って尋ねてみることにした。

「ねぇバクラ……
朝、私の頭の中に、直接呼びかけた?」

言い終わってから、あれ? と思う。

その証拠に、カードを触る手をはたと止めたバクラが、眉根を寄せて奇妙なものを見るように目を細めながら、こちらに顔を向けてきたではないか。

「…………とうとう狂ったか。
救えねえな、ったくよ……」

あれ……? えっと……

「違う、幻聴とかじゃない!」

「…………」

弁解した私を、さらに訝しみながら、まるで哀れなモノを見るようなニュアンスさえ含んだジト目で凝視してくるバクラ。

あー、やだもう……絶対これバクラになんか誤解されてるよ!!

「悪かったなぁ桃香……
寂しさのあまり狂わせちまってよ。
構ってやるからこっちに来な……!」

「っ、」

ずきりと啼く心臓。

そんな台詞にも、腰をずらして隣に隙間を作るバクラにも、既視感しかない!!!
そして、ほとんど無意識にその横に滑り込んでしまう、自分にも。


「ぁ……、えっと……」

すぐ側にある体温。
さすがにこっちのバクラは腰に腕を回すような真似はして来ないが、それでも私が控えめに体をすり寄せても、引き剥がすような行動はしなかった。

これは……

シャワーを浴びたばかりで火照った体が、さらに熱くなっていく。

至近距離に『バクラ』が居るだけで私は酔う。酩酊してしまう。
慕情と幸福感と興奮がいっぺんに襲ってきて、まるで情事の最中に首を絞められた時のように甘い苦しさに溺れてしまうのだ。

「バクラ……」

こちらを見ないバクラの横顔には魔力がある。

『バクラ』はいつだって私を見ない。どちらのバクラもだ。
彼らは私を見つめ返してはくれても、その眼の本質的な部分には、私は映っていない。

彼らはもっと遠くの――私なんかが届かない、大きなものを見ている。
3000年越しの因縁を。闇から睨んだ、まばゆい光を。

千年リングに込められた邪悪な意思であるバクラは、その途方も無い業を孕んだ魂を今、たった一人の高校生の肉体に押し込めている。
獏良了という少年の体に。器用に手足を操って、脳のリソースを拝借して。

それだけじゃない。
彼は、借り物でしか無い体を悪びれもせず動かし、目的のために自傷を行なったり私にも教えてくれない様々な後ろ暗いことをしたり……

冷静に考えればとんでもないことだと思う。
肉体を好き勝手に使われている獏良君のことを考えれば、可哀相だの罪悪感だのの言葉では収まりきらない。

でも。
けれども。

3000年前に既に肉体を失ってしまったバクラは、『そうするしかない』のだ。
七つの千年アイテムを集めるだの大邪神を復活させるだのファラオの魂と決着をつけるだのは、全てこの世で肉体を得なければなし得ないことなのだから。

そして私は、そんなバクラに寄り添うことが獏良君や遊戯君たちに対する裏切りだと分かっていても、彼の傍を離れることが出来ない。

『バクラ』に惹かれてしまったから。愛してしまったから。
たとえ冥府魔道を永遠に彷徨うことになったとしても……そうする、と誓ったから。

だから。


「……そんなに宿主サマの顔がお好みか?」

皮肉を含んだバクラの声に、私はハッと我に返った。

それからたった今彼から発せられた言葉を咀嚼し、「違うよ……」と咄嗟に返す。

獏良君の体を動かすバクラは、けれど獏良君とは似ても似つかない表情で私を見つめる。

整った目鼻立ちも、声帯から出る声も、厳密には体温だって同じはずなのに、バクラと獏良了は決定的に『違う』。
バクラはその違いに気付いているのだろうか。

「オマエが熱っぽく見つめているのはあくまでも宿主、獏良了の肉体だぜ。
それを分かっててなお、オレ様にじゃれついて来るってんだから……
ハッ、もしかしたらオマエが一番邪悪かもな……ククク」

私を嘲笑いながら軽口を叩くバクラに、そうだね、その通りだと思う。

けれど獏良君は決してそんな笑い方はしない。そんな事は言わない。
私を小馬鹿にする彼の言葉や態度そのものが、バクラがバクラである証だ。

バクラは私の反応が鈍いことに納得いかなかったのか、弄っていたカードをテーブルに置くと、こちらに手を伸ばしてきた。

「ッ……!」

盗賊王より細いバクラの腕が、私の体を横から捕らえ、抱き寄せる。
ドキリと胸を打った鼓動は、いつだって甘く切ない。

彼はそのまま私の耳に唇を寄せ、密やかな声で囁いた。
人間の少年の体を借りた、悪魔の声で。

「なぁ桃香。オマエはこのオレ様と、あの盗賊王バクラ……
どっちの体がお好みなんだよ?」

息が止まる。

バクラは私が答えに窮することを、いともたやすく訊いてくる。

先日の盗賊王のように、『どちらのバクラが良いか』と問われたら、どっちもと私は答えるだろう。そこに迷いは無い。
だって二人のバクラはどっちも『バクラ』なのだから。

けれども、体は……
本来の肉体そのままである盗賊王バクラと、借り物の肉体を行使する今のバクラでは――

このバクラは、私が答えに迷うことを知っていたのだろう。

だから、私は…………、


「どっちも……どっちのバクラも……、その、体も好き……
あ、あの、変な意味じゃなくてね!? 変な意味じゃなくてね……あはは」

上ずった声で大袈裟に答える私は、きっと滑稽そのものだっただろう。

バクラに熱っぽく、ううん言い換えれば逃げられないように抱き寄せられたまま身動きできない状態で。
身体を火照らせ、胸を高鳴らせ、ついだらしなく緩んでしまいそうになる口元を必死にこらえて。

そんな私の返答に、バクラは「桃香サンよぉ、」とふざけた口調で語りだした。

「オレ様の話を聞いてたのか? よく考えてみろよ……!
この肉体はオレ様本来の肉体じゃねえんだぜ?
それでもいいっつーのかよ、オマエは……
お友達である獏良了のカラダがイイってか? あの『本物のバクラ』と同じくらい」

――バクラが至近距離でペラペラと口にした言葉は、やけに絡み腰というか、『らしく』なかった。

宿主である獏良君の体はなかなか居心地が良い、と以前言っていたバクラには似つかわしくない、どこか投げやりで攻撃的なニュアンスを帯びた物言い。

バクラの苛つきがどこに端を発するのか、私は知らない――
……ううん、本当はちょっと気付いている。

このバクラが、あの盗賊王バクラの人格を受け継いでるのだとしたら。
お宝を掻っ攫われて、舌打ちをこぼすであろう盗賊の気質をまだ有しているのだとしたら。

自分だけのしもべだと思っていた小娘が、突然現れた似て非なる『自分』に半分奪われて――
かつその人間が、誰に気兼ねしなくていい、制約の無い自分自身の肉体を持っているとしたら。

その時このバクラは、やはり面白くないものを感じたに違いないのだ。

それが、私のことが大事だからとかそういう理由では決してなく。
ただ、『所有物に手を出されたから』。

しかも、私があの盗賊王バクラを『バクラ』だとして最初から入れ込む原因を作ったのが、かつて己自身が画策した悪ふざけめいた練習――古代を模した作り物の世界で盗賊王を私に近づけたこと――のせいなのだから。

でも私にとっては、どちらも大切な『バクラ』だ。

そりゃあ平常時に体の差異を問われたら、本来の肉体である盗賊王の体はもちろん愛おしい。

けれど、たとえ借り物であっても、獏良了という同級生を宿主として発現した時のバクラも、理屈抜きに愛おしいのだ。死ぬほどカッコイイ。

そのカッコ良さが獏良君の肉体の完成度にある程度依存していることは承知の上で、それでも私はこのバクラの傍に居る時は、獏良君を『忘れている』。

『バクラ』が借り物の体で行動するにあたり当然考えるべき『獏良君の事情との兼ね合い』を自然に考慮する一方で、バクラの口から皮肉交じりの『宿主』という単語が出て初めて、あの獏良君を思い出しハッとする有様なのだ、私は。

ある意味、異常にもほどがある。
確かにバクラの言う通り、私は邪悪で罪深い最低な人間なのだろう。
許されざるべき、最低最悪な人間。

そんなの、とっくに分かってる……
分かっている……、けれども。

でも。


「バクラにそう言われると、たしかに獏良君の体は本当は獏良君の体だし……って思う。
でもバクラ、バクラは獏良君に悪いなんてちっとも思ってないし、本来の体じゃないとか、本当はどうでもいいんでしょ……?
私を困らせるために、あえてそう言っただけで」

「ほう…………、何故そう思う?」

バクラは片腕で私を横から抱き締めたまま、もう一方の手で私の頬を撫でて来た。
触れることで私の思考を鈍らせ、嘘も誤魔化しもない本心を言わせるという、バクラの手口だ。

そう。
先の皮肉めいた発言がバクラの挑発であることも、嘘をつかせないためにあえて触れてきたことも、私には分かっている。

わかっている、から……

「だって……バクラは……、何となく、そんな感じじゃないし。
なんか、らしくないというか……
そんな、まるで盗賊のバクラさんを羨ましがるみたいな……
そんな人間らしいこと、考えないかなって」

弱まっていく思考力を駆使し、何とか絞り出す。
けれどバクラは、やっぱり私なんかよりずっと上手うわてなのだ。

彼はクククと控えめに嗤うと、また私の耳元で囁くように喋り始めた。

「褒め言葉と受け取っておくぜ……!
オレ様を血も涙もない人間離れした存在だと、高く認識してるのはさすがと言いたいところだが……

だがな、オレ様だって元は人間なんだぜ……?
オマエの心が半分、いや、本来の肉体であるというアドバンテージを含めればそれ以上か……
ヤツに持って行かれちまってよ。
傷ついてるんだぜ、これでもよ……!」

――――ッ、

「オマエはオレ様だけのモノだったはずなのになぁ……!
今までそこに胡坐をかいて、オマエは何処にも行けやしないとタカをくくってたのが甘かったぜ。
まさか3000年前の『バクラ』がライバルになるとはな……」

――っ、待って、ねぇ待って、

「こんなことならオマエにかつての盗賊王バクラの姿を教えるんじゃなかったぜ。
フ、人間てのは厄介だよなぁ……?
女を奪われた焦りや嫉妬、悔しさ……こんな感情を抱えて生きてかなきゃなんねえんだからよ……!」


再び止まる呼吸。

バクラはとんでもないことを言った。

私という存在を全身全霊甘やかし、褒めそやすこの上ない口説き文句。

まるで、体中の血液をすべて蜂蜜に置き換えられてしまったような、理性の保てない甘さ――

待って、まって、そんなはずない、これはバクラの先を見越した策略――!
そう頭では分かっていても、感情がついて来なかった。

傷ついてる……? 嫉妬? 盗賊気質によるものではなく、女を奪われた嫉妬からの悔しさ……?

待って、まって……!
そんなこと、あるはずがない。

だってそれを直視してしまったら。受け入れてしまったら。

私の心は永遠に平静さを失って、歓喜で窒息してしまう。

こんなの、駄目だ。衝撃が強すぎる。『私』が壊れる!

バクラ……!!!


「……っ、ヒャハハハハハ!!!!!」

バクラが突然高笑った。

その邪悪な嗤い声は私を一瞬で現実に引き戻す。

「ククク……、ヒャハハハ……!!!
ハハッ、ハハハ……!! っ、フフ……

やっぱりオマエは面白ェ……
っ、戸惑いと、嬉しさと、疑いとそれを信じたい気持ちと……
それらがいっぺんに押し寄せて、泣きそうな顔になってやがる……!!
くだらねえ!! てめえは本当にくだらねえ玩具だぜ!!」

「――っ、」

吐き捨てるように嘲笑うバクラは、どこまでも『バクラ』だった。

けれど、私を拘束する腕が一向に解かれる気配がないのは、どういうわけなのだろうか……?

私を突き飛ばし、全部嘘だよ何期待してんだバーカと上から見下して否定すれば、それだけで私は泣いてしまうのに。
私を谷底に叩き落として泣かせたくはあっても、実際に泣かれるとうざったいということなんだろうか……?

喉の奥がチリチリする。

バクラが紡いだ『バクラらしくない』吐露はすべて、私をからかうための甘言だ。
ありえないような甘いことを言って私を動揺させ、そのあと突き放すことで一転、歓喜から絶望へと変貌する私の顔を見たかったんだろう。
ただの暇つぶしに。

わかってる……、わかってるよ……

「…………わ、わかってるもん……
そんなの……バクラが私をからかってること……
とっくに分かってるもん……」

意地で紡いだ言葉は、自然と震えていた。

心を弄ばれるのはさすがに堪える部分もあるが、けれどこんなものは所詮戯れにしか過ぎない。
バクラにとっても、私にとっても。

「その割には随分と傷ついたようじゃねえか。
……期待したんだろ? ほんのわずかによ。
クク……情熱的に求められるってのもなかなかいい気分だよなぁ?
ちょっとは愉しめたか? 強欲の桃香サンよ」

バクラが私の瞳を覗き込むように問う。
人間のものでしかないはずのその眼には、言い知れぬ魔力が宿っている。

「…………っ」

さっきから心臓がずっとばくばくいっている。
真っ赤になったであろう顔を彼に見られ続けるのは恥ずかしかったが、もはや逃げ場も無いし仕方ないだろう。

「ドキドキした……
でも刺激が強くて死んじゃいそう……
今度やる時はもうちょっと軽めのにしてほしい……
バクラは楽しかった……? 私の変な顔見て」

わななく唇を強引に開き、精一杯強めの言葉を返してみる。
フフ、と薄く嗤って眼を伏せたバクラの顔は、やっぱり素敵だった。

「まあまあだな。
ネタが割れてるからか、思ったより衝撃を与えられなかったのが残念だが……
今度やる時はもっと刺激の強いモノにしてやるぜ。
絶望が強すぎて、オマエが這い上がって来れないくらいキツイのをよ……楽しみにしてな!」

体に回された腕が動いて、私の後頭部をそっと撫でる。
髪をさわりと弄んだ手は、うなじに潜り込んで静止した。

「……っ」

触れた肌から伝わる体温。

バクラがごく当たり前のように、まるでその場所が自然な手の置き所だとする程度の気軽さで私に触れてくれるのが、とても嬉しい。

彼にとってはきっと、手に入れた宝物を無意識に手で弄ぶくらいの意味しかないのだと思う。
ううん、もしかしたら宝物ですらなく、その辺に落ちていたちょっと形が珍しいだけの石かもしれない。

でも、それでも。
バクラの傍に居られることが……気まぐれで触れてもらえることがとても嬉しい。

「『人の心を弄んで楽しい?』って言葉、悪い意味でしか使われないと思ってたけど……
今、それを言いたい気分だよ。
でも、相手がバクラなら何か納得する」

「ハッ、弄ばれて嬉しいくせによ。
身も心も弄ばれて……二人の『バクラ』に玩具にされて喜んでるんだから、とんだ変態だぜオマエは」

胸の奥が焼けるように熱い。

まるで炎に吸い寄せられた羽虫のように、私はすぐ傍にあるバクラの身体にそっと抱きついてみた。
怒られるのを承知の上で。

「じゃれついてんじゃねえよ……!
オレ様にちょっと触れられただけで、すぐ発情する淫乱女……
こういう風に詰られても、本心じゃヨダレ垂らして悦んでんだろ?
桃香……てめえはどうしようもない変態だな!」

罵声を浴びせつつも、私を引き剥がさないバクラがどこまでも愛おしい。

「すき……」

溢れた感情を口から漏らせば、「そうかよ」と一言だけ返ってきた。
今買い物に出掛けている、もう一人の『バクラ』と同じ声で。

びっくりするくらい端正な顔をそっと見上げてみれば、音もなく塞がれる唇。

ちゅ、と一瞬で離れたそれは、しかし直後に熱っぽい体温とともに再びやってきた。

「ん、……っ」

正面に向き直り抱き締められた体。
背中とうなじに回された両腕が私を捕らえ、まるで呼吸を奪うように唇を奪われた。

バクラの温度は私をどこまでも掻き乱す。
たとえそれが、どんな思惑からくるものであっても。

灼け付くような彼への思慕と、快楽以外何も考えられなくなってしまう。

「っ、オレ様はな……、酔っ払ったうぜえ女に対抗して、自分もほろ酔いになってグダグダやり過ごそう、なんつー人間臭ェ思考は持っちゃいねえんだよ……、」

唇を離したバクラが、何事かを言った。
私には意味がわからないことを。

「その反動で、一晩経って自己嫌悪に陥るなんざ……、ケッ、何が雪合戦だ……
初めて見た雪に浮かれやがって」

視線を横へずらしボソボソとバクラが語ったのは、もしかして盗賊王のことだろうか……?

「オレじゃなく、ヤツとだらしなくイチャついてればい……」
「ん、バクラぁ……」

けれど私は、バクラが最後まで口にする前に、衝動的に今度は自分から唇を寄せた。

情事の時の貪るような激しい口付けではなく、子供がぬいぐるみにするような、軽くて優しいキスを。

「…………、」

もはやまともに思考することが出来ない滑稽な私の戯れを、バクラはどこまで受け入れてくれるのだろうか。

このままベッドになだれ込むならいざ知らず、まるでカップルがするようなぬるいイチャつきを、バクラがこれ以上許容してくれるとは思えない。

だから私は、彼に本格的に拒絶される前に、唇を離した――

そして、素早くバクラの胸元にある千年リングを掴むと、それを口元に持って行きキスを落としたのだ。

「っ、おい」

バクラが少しだけ驚いたような声を上げる。
まさか借り物の肉体だけでなく、千年リングにこのタイミングで口付けられるとは思ってなかったのだろうか。

ひんやりとした金属の感触。
邪悪なモノを秘めている『バクラの本体』は、不思議と私の手によく馴染む気がした。

「…………、」

バクラが何かを言いたそうに息を吸い、けれどそれ以上言葉は発せられることはなかった。

ちゅ、ちゅ……とリングに唇を寄せ続ける私を、まるで諦めたように黙って受け入れるバクラ。

そしてある時また、キスの対象を生身の唇へと変える。
他愛ない、人間の少女一匹の戯れ――

けれど、そんな戯れをとうとうバクラは引き剥がさなかった。
彼は今何を考えているのだろうか。

でも、拒否されないということは許されたということだ。少なくとも今は。

バクラ。
邪悪で不敵でカッコ良くて、でもかわいいバクラ。

このキスは情欲や恋慕だけじゃない。
親愛といたわりのキスだ。

バクラがバクラとしてここに存在しているだけで、たまらなく愛おしい。

私はバクラを夢中で抱き締め、何かを求めるように背中を撫で回した。

あたたかい。

その体躯はどこまでも人間だった。
たとえ、そこに収まっている精神が、とっくに人ではなくなってしまった何かだったとしても――




ガチャリ、という玄関のドアの音。

その音で盗賊王が帰宅したことを知った私は、ハッと我に返った。

時折唇を重ねながら、デッキ調整をするバクラに寄り添って、ぬるく体温を共有していた私達。

私は腰を上げ素早くコタツから抜け出すと、盗賊王を下まで迎えに行くことにした。

「バクラ、私とイチャイチャしてくれてありがとね」

自室を出る寸前、コタツに残った彼へそう声を掛ければ、舌打ちだけが返ってきて――
私はそれをバクラの照れ隠しだと好意的に解釈すると、顔を綻ばせながら玄関へ向かったのだった。

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