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「バクラ……」

着替えて、最低限バクラの前に出て行けるだけの身支度を素早く整えた私は、あらためて彼の姿を探した。

そして、1階に降りてリビングの窓に掛かる厚手のカーテンを開けたところで、ようやく彼の居場所を知ったのだった。



「おはよう、バクラ」

背中を向けて立つ彼に、声を掛ける。

盗賊王バクラ。
彼は今、自宅の庭に、一人で立ち尽くしていた。

雪の積もった、真っ白い庭の中心に。
声を発することなく、私を振り向くこともなく。

「……雪、夜のうちに積もって止んだみたいだね」

玄関から持ってきた丈の長いブーツを履いて庭に降り立った私は、バクラの背後でさらに語りかける。

けれど、そうしてもなお、盗賊王は振り向かなかった。

彼は無言のまま空を見つめ、それから白く染まった辺りを見つめ、不意に歩き出し始めたのだ。

さく、さくと積もった雪を踏みしめて。

よく見れば、庭には既に足跡がいくつもついている。
他にこの庭に入ってくる人間は居ないのだから、これは全部彼の足跡なのだろう。

であれば、バクラは、起きてからずっとここで過ごしていたのだろうか……?


「寒いでしょ、バクラ……!
雪見たの初めてだもんね。興味あるのはわかるけど……」

でも、いくらなんでも。

だって、彼の服装は、至って軽装なのだ。
一応冬服を着ているが、アウターさえ着ていないし、靴だって長靴ではない。

事実、彼の足元は膝下から靴まで、たっぷりと雪がこびりついていた。

口には出さないが、あんなに寒がっていたのに。
何故…………

もす、もすと音を立てて雪を踏みしめ、庭を周回する盗賊バクラは無表情だった。

決して雪に感動したという顔ではなかったし、冷たさをこらえている風でもなかった。

まるで――思索に耽りながら、意味もなくペンでメモの上に円を書き続けるような。

ぐるぐると無意識に動かす指先が冷えきっていても、すぐには気付けないような、そんな。

盗賊王は今、何を考えているというのだろうか。

その背中に滲む、他を寄せ付けない孤独と悲壮感――
元々彼に備わっていたそれは、図らずもこの世界に来て、私達と共に過ごしている間、自然と薄まっていた気がする。

それが何故、今、彼の全身から立ち上っているのだろうか。

だって昨晩はあんなに、私を甘やかす余裕があったのに――


千年リングに宿るバクラの声が、ふと脳裏に蘇る。

『予期せず現代に飛ばされてしまった結果、生じた精神のわずかなブレ』

そこを無自覚に突いてしまった、私……?

その私が、この馴れ合いの全ての元凶だと、もし盗賊王が強引に結論づけてしまえば……

その時彼は、私を、殺――――


思い返して、いや、と反射的に首を傾げる。

あれがただの夢じゃなく、たしかに千年リングに宿るバクラの言葉だとして。
その言葉を反芻した時に、でも私には、やっぱりそんな風には思えなかったのだ。

盗賊王バクラという人間は、そこまで弱くも、短絡的でもないと、私は……、思う。

そもそも、獏良了バクラは、盗賊王バクラをまだ人間でしかないと見下している節がどこかにある。

もちろん、その基本的に高い能力を、認めて誇る部分もちゃんと感じられるのだけど。

けれど、現代のバクラは忘れているような気がするのだ。

盗賊王バクラという人間が、如何にして己が悲憤に満ちた運命の中で足掻き、怨嗟と憎悪でぐしゃぐしゃになったであろう心の混沌を、筋道立てた冷徹な目的と両立させて来たかということを。

千年リングに込められているという邪念を吸収し、それでも自我を保って、3000年後の異国などという訳の分からない世界に飛ばされても、器用に適応しようとする盗賊王バクラという少年。

私のような間の抜けた小娘を、甘いじゃれ合いで手玉に取る余裕まで見せる彼は――多分私と関わる全てが、己が制御の内だ。

たとえ、私が盗賊王を本気でたらし込むことが出来たとして(本当にそうだったら飛び上がるほど嬉しいが)……
それに気付いた彼が、己が弱く甘っちょろく変貌したことに腹を立てて、私を殺すなど――

自分が小娘一匹に籠絡されたことを認めるなど、ありはしないと思うのだ……!

これは、私の勘……ううん、希望的観測、だけど。


だから、千年リングに宿るバクラのあの発言は、多分ただの夢なのだ。

もしくは、私に最も響きやすい理由を取って付けた牽制――
盗賊王と無意味な馴れ合いをして欲しくない本当の理由を隠したバクラの、お得意の嘘だ。

だって、だって…………

今私の前で物思いに耽りながら庭を歩き回る盗賊王バクラは、やっぱりどこまで行っても盗賊王バクラじゃないか。

どんなに体を重ねても、甘くじゃれ合っても、日常の馴れ合いを繰り返しても、やっぱり彼は『バクラ』なのだ。

『バクラ』は、自らの目的を絶対に忘れない。
私なんかがどんなに愛を伝えようとしても、不敵な笑みでそれを受け止めるように見える彼の胸には、決して私の刃は刺さらない。

あんなに情熱的に体温をくれる彼は、私の重い執着を受け入れて流すことが出来る。

何故なら、『バクラ』にとって私は文字通り暇つぶしだからだ。
目的地へ向かう途中で息抜きにする、ただの休憩。

だから!


私は、積もった雪を素手でそっと掬い、冷たさをこらえて軽く握りしめると、小さな雪玉を作ってみた。

力を調整し、それをぽんと放り投げる。

立ち止まっていた盗賊王は反応することもなく、背中で雪玉を受け止めた。
当たって四散する雪が、彼の衣服を少しだけ白く汚す。

「…………、」

怒られることは覚悟の上だ。
けれども、私にはそうすることしか出来なかったのだ、今は。

「……何のつもりだ」

ゆっくりと振り返った盗賊王バクラは、ようやく私に目を向けてそう言った。

その目には、触れたら殺すというような殺意は宿っていない。
無表情だが、私の言い分を聞く余裕はあると言外に示す、いつものバクラだ。

「雪をね……、こうして玉にしてぶつけ合うの。
雪合戦て言うんだ。雪が積もった時の遊び」

素直に答えれば、少しだけ間があって、それからクククと薄く嗤ったバクラ。

「いきなりそれをオレ様にぶつけて来るってか。
上等じゃねえか、ゆめ……」

理解の早い盗賊王が、音もなく足元の雪を片手で豪快に掬う。
冷たさに一瞬だけ目尻がピクリと動いたのが見えたが、彼は構わず両手でそれを固め、玉の形にした。

「あ、えっと、お遊びだからあんまり固くしちゃ駄目だよ――っわ!!」

胸の辺りに飛んで来た雪玉を咄嗟に腕でガードすれば、バッと飛び散った雪。
飛沫が目に入りそうになった私は、うろたえて一歩後ずさった。

「あっ、ぶな……! もう〜!」

しかし所詮は雪。厚着しているし、玉を固めなければ当たったところで大したダメージはない。

私は彼の反応を確かめる前に体を屈め、雪を掬って素早く握った。

「お返し!」

叫びながら投げるも、しかし体を器用に捻ったバクラにいとも容易く躱されてしまう。

あー、と悟る私。
身体能力に差がありすぎて、これは意味の無いパターンだ……と今更気付く。

このまま雪合戦を続けても、私が投げた玉はほとんど盗賊王に当たらず、私だけが雪玉を食らい続けるパターンだ。

「無理無理、やっぱりやめ〜!
まぁ、こんな遊びもあるよってことで……。
ていうか寒いし、お互い素手だし……家に入って何か食べよ?」

降参と言うように両手を上げ、雪を掬い終わって固める寸前のバクラを制止する。

それから私は、ちょっかいかけてごめんねの合掌ポーズをすると、彼に踵を返し、玄関の方へ向かおうとした。

――その時。

がっ、という感覚が足元に絡みつき、私の歩みを阻んだ。
え、と疑問に思った瞬間、体がバランスを失って揺らぐ。

それから、ぼふっ、という感触と質量のある冷たさに、自分が雪の中に盛大に倒れ込んだことを知った。

「え……、え……?」

雪まみれになりながらも慌てて立ち上がり、何が起こったかを確認する。

私の目に留まる、ごろりと雪の上に落ちた玉――崩れた雪玉であろうそれからは、雪ではない色が覗いていた。

「っ、???」

崩れた雪玉を両手でかき集めるように拾い、確かめてみる。
そこで私は、その玉の中心にあるものが、雪とは似ても似つかないそこらの石であることに気がついた。

背筋を撫でる不安感。

え、ちょっと待って、これが今、私の足元に……?

「ヒャハハハハ!!」

聞きなれた高笑いが鼓膜を震わせる。

「っ、バクラさ……バクラ!
待って、これ……、石……?
雪玉の中に石入れて投げた? もしかして!」

「安心しな……!
別に怪我させようなんて思っちゃいねえからよ。
その証拠に、ちゃあんと足元に投げてやっただろ?
思ったより派手に転んだのが予想外だったけどな!」

私の恐ろしい推測は、彼に堂々と肯定されて返って来る。
瞬時に頭痛と恐怖を覚えた私は、石を樹木の足元に投げ捨てて抗議することにする。

「なっ、なんで……!
雪合戦で石を仕込むのって、禁じ手なんだよ!? 危ないし!!
ていうかなんで……、そんなの普通すぐ気付く? 石入れるとか!
さすがバクラだけど! すごいけどさ……!」

私が雪合戦に対する誤解を必死に解こうと訴えれば、ヒャハハと嗤った彼が、「お褒めの言葉ありがとよ!」と述べた。

違う、そうじゃない、そうじゃない……!

「オレ様を挑発しといて勝手に逃げようなんてのは、虫が良すぎるだろ……?
寂しい思いをさせて悪かったな。構ってやるよ……
オレ様の気が済むまでな!!」

言うが早いか、再び盗賊王は石を仕込んだ雪玉を作り始め、間髪入れずこちらに投げて来た。

「わっ!!」

今度は胴のあたりだ。
厚着をしているから石入り雪玉が当たっても怪我はしないと踏んでいるのだろうか。

ずぐっ、という衝撃がお腹のあたりを襲う。

え、ちょっとまって、これ結構痛い……!

「待って、待ってバクラ……!
最初に玉当てたのはごめん、だって、だってさぁ……!
んぶっ!!!」

腕でガードすれば、石の衝撃と、四散した雪が私を襲う。

「だってバクラ、こんな外で一人、寒いだろうにさ――
ってや!! ペース早いから待って!
痛っ、怪我させるつもりがないとか嘘でしょ!?」

「ヒャハハハハ!
逃げ惑う獲物を、コイツを使って仕留める……
雪合戦てのはなかなか面白いゲームじゃねえか!!」

間違った方向に何かを納得してしまった盗賊王が、次々と私に玉を投げてくる。

「わ〜っ!!!
無理ぃ、そういうゲームじゃないこれ、痛っ!!
無理、やめ、あ〜っ私のバカ……!
こんな、痛っ、え雪玉作りのペースが上がってらっしゃる!?

……ねー、もう降参! 降参だからぁ……!」

半泣きになりながら庭を逃げ惑う私。

それでも、本当にやばい頭や顔を狙って来ないバクラと、さっさと玄関へ逃げ込んでしまわない私は、何だかんだでこの状況を楽しんでいるんだろう。

そんな時。


「何やってんだお前ら」

冷たい声で吐き捨てられた一言。

『バクラ』であるその声は、盗賊王とは違った方向から発せられた。

「あっ、バクラ……! おはよう〜!」
「よぉ」

私と盗賊王が同時に声の主に反応し、お互い手や足を止め声を掛けた。

白い肌のバクラ。

黒いコートを着込み、千年リングを胸に掲げた現代のバクラ……!

彼はいつの間にか、うちの門扉を開けて庭に入って来ていた。
余裕のなかった私はその気配に気付かなかったが、盗賊王はとっくに気付いていたのだろう。

「これは……いちおう雪合戦というか……」

私がおずおずと答えれば、獏良君の肉体を持つバクラが、「雪合戦だと……?」と口にした。

「随分一方的な展開になっちゃいるがな」

手にしていた雪や石を捨て、肩を竦めながら答えた盗賊バクラ。

「くだらねえ……」

吐き捨てたバクラに、あははと苦笑する私。

まぁそうだろう。
付き合ってくれた盗賊王の方が予想外だったのだ。

一人で闇を見つめる彼に、ここに居るよと……
ここは打ち捨てられた廃墟でも乾いた砂漠でもなく、貴方が今だけは安らいでいい場所だよと、伝えたかったから。

それを知ってか知らずか、ちゃんと振り向いて『休憩』してくれた盗賊王バクラが嬉しかったのだ、私は。

けれど、そんな『休憩』を嘲笑って見下すかと思われた現代のバクラの方は、しかし――


「……で。二人揃ってコイツに雪をぶつけちまったら、どうなるんだ? このゲームはよ」

白いバクラから発せられたのは予想外の言葉だった。

二人揃って……? ゲーム……?
バクラは一体何を言ったのだろう……?

その言葉に、ニヤリと笑みを浮かべた盗賊王が、獏良了バクラに視線で真意を問う。

盗賊王を見つめたバクラは、フフと薄く嗤うと、「こういうのはどうだ?」と口を開いた。

その内容とは――



「あ〜〜っ、もう無理、無理だってばぁ……!!
っん!!!! …………いったぁ……
いくら雪が積もってるからって、こんなの、いくら何でも……」

「さっさと立ちなゆめ!
オマエが立たなきゃ始まらねえんだからよ!」

「ヒャハハハ!!」

「あぁ……もう……」


そう。

突如現れた白い肌のバクラによって終わるかと思われた一方的な雪合戦は、彼の参加でさらに地獄へと変貌を遂げたのだ。

一対一でさえ、『バクラ』と満足に勝負が出来ない私。

彼ら二人のバクラはその事実を利用して、あろうことかとんでもないゲームを始めたのだ。

即ち。

『より多く、私を雪玉で転ばせた方が勝ち』
などという、血も涙もないゲームを……!!


「雪の上って言ったって、転んだらフツーに痛いし……!
あと二人とも、普通の雪玉と石の雪玉使い分けて投げてくるの卑怯……!」

「文句あんならオレ達に玉を投げ返して妨害して気な!
別にオマエからの攻撃は禁止しちゃいないぜ!」

二人のバクラは、ヒャハハと愉しそうに嗤いながら私に雪玉をぶつけて来る。

私を転ばそうと足元に投げられたそれを頑張って避ければ、別方向から飛んで来た雪玉に進路を塞がれ、また避けようと体を捻れば、バランスが崩れて呆気なく転んでしまう。

私はもう、頭から脚まで全身雪まみれだった。

『負けた方は、これから食べる物を買ってくる』――
そんな取り決めがバクラ達の中で交わされたせいか、二人とも一歩も譲らない。

息を切らし、とうとう力尽きた私は、雪の中に這いつくばると「もう本当にだめ……!」と、彼らに懇願したのだった。


勝敗はミリの差で、獏良君の肉体を持つバクラの勝ち。

負けた盗賊王は「ふざけんなよ……投げる力ならオレ様の方が、」などと文句をこぼしていたが、意外と素直にアウターを羽織って家を出て行ったのだった。

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