「――で。
貴様の思惑はとりあえずわかったぜ。
ファラオとの決戦を邪魔するつもりはねえよ。
だがな――
貴様は一番肝心なコトをまだ話してねえぜ。
どうやったらオレ様が元の時代に帰れるか、っつーことだ」
ばりばりばり。
ごくごくごく。
「…………」
私たちの話し合いは第二ラウンドへ突入していた。
相変わらず、ソファに腰掛ける白いバクラと、少し離れて座る私。
そして――盗賊王はフローリングの上に胡坐をかいて座っている。
彼の前にはポテチを始めとするいくつかのお菓子と飲み物が床にじかに置かれ、盗賊バクラはそれを貪りながら話し合いの続きに参加していた。
ソファの上でひと悶着があった後。
現代のバクラに対する軽い嫌がらせか、ソファの上にカスを食べ散らかしながら豪快にポテチを頬張った盗賊バクラ。
私はそんな彼に、もう好きに食べていいからせめて掃除をしやすい場所へ移動して欲しい、とお願いしたのだった。
その結果が、これだ。
ソファや絨毯といった掃除しにくい場所ではなく、つるつるしたフローリングの上なら多少お菓子のカスをこぼしたところで問題は無い――
いや、無いわけではないのだが、少なくとも後で掃除はできる、と考えての結果だった。
加えて、二人のバクラの間に多少物理的な距離を設けた方が、先ほどのような諍いが起きにくい。
そういう願望という名の思惑もあったりする。
「……何とか言えよ」
唇についたお菓子のカスをペロリと舐めた盗賊王が、ソファに座るバクラに言葉で詰め寄る。
昨晩のやり取りを思い出してふと感じるところがあった私は、バクラがすぐ答えないのを良いことに口を開いた。
「バクラさん……、ちょっと確認したいんだけど。
今、未来でこうなっているという状況を知っても、3000年前に戻りたいという意志は変わってない……?」
そう。
詳細なネタバレはされてないとはいえ、盗賊バクラは3000年前の結末をおぼろげだが知ってしまったのだ。
それは考えようによっては――
いい加減この巻で宿敵との決着がつくものとばかり思っていた長期連載の新刊本を読む前に、『この巻ではまだ決着がつかないし重要な複線回収もないから読まなくて平気だよ』、と、他人から言われた感じに等しいとも言える。
知りたくなかったけど、知ってしまった。
そして知ってしまえば、少しだけ読む気が失せるような――
盗賊王は本来目的を諦めたりはしない。
それは昨晩の質問でもハッキリしている。
だが、その努力が、自分の生きた時代では徒労に終わると分かっていたら。
彼は一体どうするのだろう。
けれども。
次に盗賊バクラから発せられたのは、ある意味当然というか、何ら悲愴感の無い――
それどころか、この世界で情報を得られたことが幸運だったというような言い分だった。
「クク……『3000年前に戻った』オレ様が、そっくりそのまま同じ結末を辿ると思ってんのか……?
そんなわけねえだろうが……!
オレ様はこの世界で得た情報をもとに工夫を凝らし、貴様らが言う『過去』ってやつを変えてやるよ」
そこまで言い切られたとき、私はやはり彼は彼でしかない、と盗賊王のバイタリティめいたものを内心賞賛したのだが――
しかし続けて発せられた文言に、私は奈落の底へ突き落とされてしまうこととなる。
「オレ様が自分の時代でファラオを完全に葬り、大邪神の力を思うがまま行使したとしたら――
そうなりゃ、ここに貴様の存在する意味も無くなんだろ……? 『バクラ』さんよ――
もしかしたら、オレ様が3000年前へ戻った瞬間に貴様は消えちまうかもな」
不穏な空気がその場を支配する。
え。ちょっと待って、それって――
現代のバクラが消える……? 過去を変えちゃうから?
それは、SF映画のような……?
だが。
「いいや。その可能性はねえな」
先程と同じくソファに陣取るバクラが、冷ややかな声で切り捨てた。
「……っ」
盗賊バクラは、もう慣れたらしい炭酸ジュースの最後の一口を喉へ流し込み、己の仮説を否定された理由を求めてソファの方を見つめた。
千年リングに宿るバクラは、脚を組み替えて口を開く。
「もし『未来の知識を用いて過去を変えた』ことで、結果的に未来の展開も変わっちまうってんなら――
オレ様が貴様に
だがそうはなってないだろう……
つまり、ここから導き出される答えは二つだ。
一つは、貴様は3000年前に戻ったが、当時の結末を変えられなかった。
もう一つは、貴様はこのまま二度と元の時代に戻る事が出来ずに、この時代で死ぬ。
過去も当然変わらない、ということだ」
「……!」
「待てよ……!
一つ目はまあいい。内容はムカつくが、可能性のひとつとして考えてやってもいい。
だが二つ目は無しだ。
『3000年前での結末』を迎えなかった
正直に教えてやるが、オレ様はまだこの千年リングしか千年アイテムを手に入れてねえ。
最終的にオレ様が七つの千年アイテムを揃えて大邪神の力を得たってんなら、この『空白部分』はどう説明すんだよ!」
そうか。
盗賊王はやはり飲み込みが早い。
時間の概念を理解し、
大邪神の力云々あたりに多少思い違いはあるようだが、それはこの際どうでもいい。
過去の人間が未来に飛ばされて来てしまった結果、過去に支障を来たす――
そして、その『支障を来たした過去』のせいで連鎖的に変わるはずの未来――
でも現時点では、『過去』を知る現代のバクラの在りようも、過去から未来に来たことで過去に空白を作ってしまった盗賊王の在りようも、何ら変わってはいない。
一体どういうわけだ? と――
つまりはそういうことだ。
当然その矛盾に気付かない白バクラではないだろう。
彼は延々と何かを考えるように思考を巡らせながら、「そうだな」と相槌を打った。
「3000年前に実在した盗賊王バクラという人間と、今そこで下らねぇモンを貪りながら口を利いてる盗賊王バクラという人間が、同一人物だとしたらそうなるな」
「っ!?」
ポテチを食べ終え、次のお菓子に手を伸ばしかけていた盗賊の手がふと止まる。
「どういう……ことだ」
「簡単なコトだよ。
過去に起きたことも、今この時代で起きていることも確かな現実だとしたら――
残る可能性は一つしかねえ。
3000年前に存在していた盗賊王と、今の貴様は別人だということだ」
「ッ、なんだと……!?」
盗賊王が勢い良く立ち上がる。
「バクラさん……」
だが彼はそれきり動かなかった。
反論に足るだけの言葉を持ち合わせていなかったのか、それともここで食ってかかって再びいざこざを起こしても仕方ないと思ったのか――
面白くなさそうに「ケッ、」と一言だけ発した盗賊王は、そっぽを向いて再び腰を下ろしてしまうのだった。
それから彼は、未開封のお菓子の箱を強引にこじ開け、黒っぽいものを一つ摘んで口へ投げ入れた――
と、途端に止まる挙動。
「……」
盗賊バクラは、黒いモノ――よく見たらそれは、簡素な箱に入ったチョコレートだった――を口に入れたまま、もぐ……もぐ……とゆっくり咀嚼をしながら、半ば放心状態になっていた。
何となく黙って見ていられなくなった私は、「それはチョコレートっていうお菓子だよ」、と彼に告げる。
「甘くて、すぐ溶けるんだよ。手でずっと持ってると溶けるから注意した方がいいよ」
と補足を付け加えながら。
「甘ぇ……」
小声で呟いたその声を、私は聞き逃さなかった。
さらにその表情が、心なしか感動に満ち溢れていたことも。
ついでに、現代のバクラが少しだけ、ばつが悪そうに頭を掻いたことも――
『バクラ』に心を捉えられている私はしかと見届けてしまい、息が止まるかと思うほど心が熱くなったのだった。
だが、そんな甘い雰囲気に呑まれている場合ではない。
私はニヤけそうになる顔を必死にこらえ、下唇を噛む。
けれども。
「……オマエら本当イイもんばっか食ってんだな」
ふてくされたように紡がれた二の句が、崖っぷちでギリギリこらえていた私の背を、トンと押した。
「もうダメ……! しぬ……!!」
可愛すぎて頭が破裂しそうになった私は、とうとう顔を両手で押さえて悶絶してしまったのだった――
ガサゴソ……もぐ……もぐ……と、箱に入ったチョコを無言で食べ進める盗賊王。
イラつくような吐息がソファに座るバクラから聞こえ、慌てて我に返る私。
そうだ。こんなことをしている場合ではない。
直前の話題を思い出す。
ええと――3000年前の盗賊バクラと、今この部屋に居る彼が別人かもしれないということ……だっけ。
降って湧いた『盗賊バクラ別人説』に疑問を持った私は、頭に浮かんだ思いをなぞるように口を開いた。
「でも……このバクラさんて、絶対あの
だって、バクラが前に見せてくれた彼と絶対同じだし――
あっ、ごめん、この事も言っちゃったの……!
ごめんなさいっバクラ……!」
古代を模した幻想世界でのいかがわしい行為を仄めかした私は、ソファに居るバクラに一瞬睨みつけられたのだが――
それすらも盗賊王に暴露してしまったと白状した私を見て、バクラは心底私を馬鹿にしたような表情を浮かべたのだった。
「と、とにかく……
あの千年リングの力も本物だったし、記憶だって――」
「ンなこたぁわかってんだよ!
オレ様が言ってんのはもっと別の可能性だ。
ケッ、ふざけてるとは思うが……別の、現実……
たとえばパラレルワールド、並行世界のような――
そんなところから来ちまった可能性だって皆無じゃねえってコトだよ!」
「っ……!」
「ヒャハハ、随分と面白ェこと言うじゃねえか!
何だそりゃ、おとぎ話か!?」
「うるせえ!! てめえは黙ってろ!!!」
あーあーあー。
またきな臭いことになってきた……
でも、バクラ達がイラ立つ理由はわかる。
結局いくら考えても、結論が出ないのだ。
あの、『バクラ』が。必死でこの状況をどうにかしようとして、それでも。
「仕組みはどうだっていい……
ただオレ様が帰る方法を見つけてくれりゃそれでイイぜ」
堂々巡りに陥りつつある議論に飽きてきたのか、チョコレートを全部頬張った盗賊バクラがそんなことを言う。
「……、もし、頑張って手を尽くしても元の世界に戻れなかったら……
そしたら、バクラさんは」
「その時は貴様らの手伝いってやつをしてやるよ。
だが……、七つの千年アイテムを揃えた時に手に入る大邪神の力を、オレ様に寄越しな。
ファラオに止めを刺すのもオレ様だ。
この時代で生きるしかねえっつーなら、生きる希望ってヤツを持たねぇとつまんねーからな!」
「……」
チョコを飲み込んで、ふあぁ、と欠伸をした盗賊王。
その様子は、どこか投げやりで、心にも無い語句を雑に繋げたような――
まるで淀んだ沼の上澄みだけを適当に掬って辺りにぶちまけたような態度で、彼は壁にもたれかかった。
想像に難くない。
過去での命を賭けた激闘は結局、決着先延ばしという形で終わってしまった。
あげく、未来での知識という『過去に持ち帰れば運命を変えられるかもしれない』材料を手にしたはいいが、もしかしたら持ち帰れない可能性が高いという。
それは例えるなら、私財を投じて船を手に入れ、見知った海だけで貿易をしていた船長が、予期せず嵐に巻き込まれてしまったような。
船は難破し仲間も失って、それでも何とか船長は未知なる島に辿り着き、そこで偶然莫大な財宝を見つけたとしよう。
宝を元の世界へ持ち帰れば、富と名声がいっぺんに手に入る。
昔の苦い確執も有象無象の敵も、全て上段から叩いて払い除け、王のように振る舞える権力が得られるはずだ。
だが。
肝心の、元の国に帰る手段が無かったら。
誰かを見返すだの優雅な凱旋だのどころか、もう二度と島から出ることが出来なかったら。
島には生きるために最低限の衣食住はある。
しかし宝を生かすことも出来ず、何者にもなれず、一生見知らぬ土地で細々と生きて行かなければならないとしたら――
普通の人間だったら自暴自棄になるはずだ。
だがそれでも、
彼は、いきなり放り込まれたこの世界の過剰さや激しさにちょっとだけ疲れて、ちょっとだけ投げやりになってしまったに過ぎないのだ。
そうであるはずだ。
恐らく、そうだと思う。
――少なくとも、私はそう考えていた。
「なんか……、考えても結論が出ないね。
時間の概念とかパラレルワールドとか……頭がこんがらがってきたかも」
ぽつりと吐き出せば、二人のバクラは沈黙して各々の眼差しで虚空を睨めつけていた。
「もし……これが誰かの仕業ならすごいよね。
人ひとりを未来に飛ばして、ゆかりのある人と出会わせて、言葉や文字まで理解出来るようにして。
それってつまりもう、神様だよね。
ひどい神様……
バクラに干渉出来るってことは大邪神より上位? の存在なのかな。
邪神を嫌ってる神様の仕業だったりして」
思いついたままを口にする。
神様という単語に、盗賊バクラは鼻で嗤い、現代のバクラは反応しなかった。
ソファに腰掛けるバクラは、獏良君の整った顔立ちで何事かをずっと考えている。
ゆっくりと時間だけが過ぎて行った。
閉塞感がその場を支配し、さてどうしようかとため息をつく私。
ふと時計を見る。
気付けばお昼をだいぶ過ぎていた。
「……バクラさん、もうお腹すいてない?」
とっくにお菓子を食べ尽くしてしまっていた盗賊王に、何となく水を向けてみる。
彼は紫がかった双眼をぎろりとこちらに向け、
「全然足んねえよ。舐めてんのか」
と率直に述べた。
「もうお昼ご飯の時間だもんね。どうしようか……
というか夜だって、このままじゃ……」
さすがに今晩も自宅に盗賊バクラを泊めてあげるというわけにはいかない。
今日は親の帰りも早いだろうし、明日は親が休みだからだ。
それに、明後日からは学校もある。
盗賊バクラをずっと獏良君の家に置いておくという選択肢もないわけではないが――
そうなると、バクラはずっと表に出ていなければならず、さすがに獏良君が可哀想だ。
気付いたら週末が終わっていたなんて、そんな理不尽な……。
「……何か食べに行く? それとも――」
「却下だ。オレ様にはやるべき事がある……!」
言いかけた途端、ソファに座るバクラににべもなく否定される。
「……でもバクラ、獏良君の体、しばらく何も食べてないんじゃ――」
「別にてめえは来なくていいぜ! 桃香とオレ様だけでいい」
私の反論と、盗賊バクラの冷徹な一言が被り、白いバクラは「うるせえ! 黙れ!」と声を荒げたのだった。
結局、事態にほとんど進展が見られず、外で呑気に食事をしている場合ではないということで、お出かけは却下になった。
ただしそれでもお腹は空くとのことで、肉が食べたいという盗賊王の希望もあり、この601号室にフライドチキンなどの出前を取ることにしたのだった。
「う……お金がどんどん減っていく……」
貯金はまだあるとはいえ、よく食べる盗賊バクラの食費まで負担するのはさすがに高校生には荷が重い。
が、獏良君のお金に頼るわけにもいかないのでそこは我慢するしかない。
こんなことならスーパーで食材買って自炊した方が安く済んだなとか、そもそもこれからどうしようとか、いろいろな事が頭に浮かび悩む私。
でも盗賊バクラにひもじい思いをさせるのは可哀相だし……などと考えて小さくため息をついたのだった。
作戦会議のようなものも一旦休止となり、盗賊バクラはソファに座ってテレビ鑑賞に興じ、現代のバクラはパソコンで調べ物をすると言って獏良君の部屋にこもっている。
そんな頃。
玄関のチャイムが鳴り、注文した料理が届いたことを知った私はお財布を持ってドアへ向かった。
「はーい」
ガチャリとドアを開ける。
「お待たせしやしたーっ!
Kカイバ Fフライド Cチキンのお届けでーす!!」
どこかで聞いた声。
「つーか獏良! お前こんな大量に頼んでどうす……」
「えっ」
………………。
ばっと開け放たれた玄関ドア。
の、外側。
そこに立っていたのは――
お店の制服を着た、見知った顔。
「っ……!!!!」
「えっ、あれ!? 桃香?」
呼吸が止まる。
店員の格好をした友人が配達に来たという驚きがまず一つ。
そして、ここが私の家ではなく、『異性の同級生』である少年の家だという事実と、それが意味するところの重大さがもう一つ。
「なっ……、えっ、なんでお前ここに居るんだよ?」
「…………っ」
そう。
今、お届けものを手にし、『友人である少年の家』に配達をしに来たつもりであろう少年は、予想外の応対者に戸惑って、ぽかんと口を開けていた。
ばくばくと高鳴り始める心臓。
ようやく息を吸い、一語だけ言葉を紡ぐ私。
「……城之内、……」
さらなるトラブルの予感が背筋に忍び寄ったのだった――
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