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「お願いがあるんだけ……あるんです、けど」

「……、」

「まず、私はあなたの敵じゃないし、何の力もないし、逆らうつもりもないし……
あっ、かばんも一旦地面に置きますから……
だからそのナイフ、しまってもらえませんか……?」

あっちのバクラとの通話を強制的に中断された私は、未だ剣呑な気配をまとったままのこっちの彼に丁寧に話しかけた。

「…………」

沈み行く夕陽を照り返し、獣のようにギラつく双眸。

黙ったままのバクラはそっとナイフを腰にしまい、けれども私の腕はまだ掴んだままだった。

とりあえず物騒なものが視界から消えたことに安堵し、私はほっと息を吐くと、バクラをちらりと見遣って続きを口にした。

「私は犬成桃香。
あなたは、バクラさんですか……? 盗賊の」

「っ、……!」

バクラという単語にピクリとする彼。
私はさらに肝心なことを聞くことにした。

「バクラさんは、私と会った覚えはないですか……? 私のこと、知りませんか?」

「知らねぇな。誰だてめえ」

彼は『バクラ』の声でそう吐き捨てた。

「千年リングと、千年アイテムについてならちょっと知ってる者、です」

「っ、貴様……!」

ぐい、とこちらの腕を握る手に力がこもる。

「っ、た……! ちょっと、痛いかも……っ」

訴えれば、意外とあっさりと力が抜けた。
私が何の力も無い小娘だと分かって、少しは警戒を緩めたのだろうか?

「あの……とりあえず、家の中に入りませんか?
このままだと他の人が通りがかったら怪しまれちゃうんで」

「妙な動きをしたらブチ殺す。
大人しくしてた方が身のためだぜ」

バクラは冷ややかに言い放ち、私はあはは……と引きつった笑みを浮かべながら自宅の門扉をゆっくりと開けたのだった。



自宅――の、庭。

塀と手入れされた樹木に囲まれたそこは、たとえ立ち話をしていても通り道からは目立たないだろう。

家の中に入ろうと誘ったものの警戒され断られた私は、人気の無い自宅の庭で、褐色の肌を持つバクラと向かい合って芝生に座っていた。


「オレ様の質問に答えろ。
余計なことは言うんじゃねぇぜ……わかったな?」

一切の甘さを感じさせない盗賊バクラ。
『あのバクラ』の話によれば、3000年前盗賊王としてファラオに戦いを挑んだ、かつての『バクラ』らしいが……。

たしかに、獏良君の体を宿主とするあのバクラも、周りの平和な現代人とは違い、かなり独特な不穏さを秘めているとは思う。

邪神と融合し、人の身を超えた大いなる目的を叶えようとする彼はもはや本質的には人ではないくせに、しかしあえて人間らしく振舞っているというような、空恐ろしい超人めいた何かがある。

だが彼は現代文化に順応し、悪態をついたり皮肉を言ったりしながら必要があれば演技までして『お友達ごっこ』に興じるし、私のような玩具とも戯れる余裕というか、気まぐれやお茶目(?)なところもあるし――

はたまた、寝室でのやり取りから何となく窺える、好みや癖のようなものもあったりするわけで……。

それが、『かつて人であった部分』の名残なのかもしれないと、私は勝手に納得していたりするのだが……

というか、あの得体のしれない闇っぽさと押し殺したような凶暴性、そしてたとえ演技であってもどこか憎めない人間らしさみたいなところを、全部引っくるめて私はバクラを愛しているのだ。

けれどもまぁ、今はそれはさておき。


一方。

今目の前にいる『バクラ』の剣呑さは、もっと直接的なもののように思える。
うまく言えないが、あのバクラよりも目に見えて殺伐としていて、乾いていて――

まるで生と死がすぐ隣り合わせにあるような。
平穏と暴力が地続きにあるような。

そう、たとえるなら――

陳腐ではあるが、今でも争いの絶えない国々の民兵だとか。
もしくは、普段は畑を耕していても、召集一つで農具を武器に持ち替えて兵役についていた時代の若者のような――

歴史の授業でしか触れることのない彼らの、そんな空気をまとっている気がするのだ。

彼は紛れもなく『本物』だ。

遠い遠い時代からどういうわけか飛ばされてきた、あの時のバクラそのもの――


正直、怖い。

だが、その抜き身のナイフのような鋭い眼差しが、私の心を甘くぶすぶすと刺し続けているのも事実だった。

明るく好きです愛してますと言うような溌剌とした恋心ではなく、直視するだけで心が溶けだしてしまいそうな、呼吸を奪われそうな灼熱の温度を持つ鈍い切なさ――

やはりこのひとも『バクラ』なのだ。

もし今このバクラにナイフを胸に突き立てられたとて、私にはきっと抗議することすら出来ないだろう――

そんなことを滔々と考えながら私は、盗賊王姿のバクラと事態の把握に務めるのだった。



「冗談じゃねえ……
信じられるかよ、そんな事……!」

芝生の上に胡座をかいた盗賊王は、私の説明に舌打ちをこぼしながら毒づいた。

彼の質問は明確だった。
『ここは何だ』。

私がバクラに答えたのは、この世界は『バクラ』が居た世界よりずっと未来の異国だろうということ。

答えた瞬間に、この反応だ。

バクラは歯噛みをしながら、
「貴様は何故そんなことがわかる……
いや、そもそも貴様は何者だ!?
どうしてオレ様を知っている!?」

と勢いよく捲し立てて来るのだった。

その勢いに押された私は、「待って、まって」と手で彼を制しながら、彼の問いに何て答えようか考える――

ふと、さっき脳裏に浮かんだ歴史の授業のことを思い出し、そうだとりあえず、と頭を巡らせながら口を開いた。

「えっと……
歴史上の人物みたいな……?
バクラさん、有名人だし」

――嘘は言ってない。
少なくとも私の中では、という注釈付きだが。

「バクラさんが本当に当時を生きていた本物のバクラさんなら……
とりあえず、何らかの理由で時を超えちゃって、この時代に何故か来ちゃったのでは、としか言えません」

二の句を紡ぐ。
私の突拍子もない話を聞いたバクラは、眉をピクリと上げて「どういうことだ……!」と吐き捨てた。

私にだって意味が分からない。

「分からないです……
とりあえず、ここはバクラさんが生きていた世界とは違う、ということだけ……
多分3000年くらい経ってると思います。
バクラさんからしたら遠い遠い未来だし、私からしたらすごく昔の歴史上の出来事です」

言い切った瞬間、ぎり、と歯を噛んでバクラが沈黙する。

白銀の髪と褐色肌を持つ目の前のバクラ。
彼はしばしの間何かを考え込み、それから口を開いた。

「貴様は千年アイテムの何を知っている?」

私の答え――

この世界にも7つの千年アイテムが存在しているということ。
全部詳しいわけじゃないが、それぞれに固有の能力があること。

……千年アイテムのことを知っているとバクラに明かしたのは、ある意味賭けだった。

事実私は、何も知らないフリも出来たのだと思う。
けれども……私には、このバクラの注意をちょっとでも引く必要があったのだ。

もし盗賊バクラが私をただの通りすがりだと黙殺してこの現代童実野町を縦横無尽に闊歩したら、それは大変なことになるだろうし、何より『あのバクラ』が困るかもしれないから――
そう思って。

バクラが胸元で千年リングを揺らし、さらに問いかけて来る。
『千年アイテムは何処にある』、と。

私――

これは絶対言わない方がいいと直感する。
盗賊バクラの目的。七つの千年アイテムを集め、大邪神を呼び出すこと――

彼のかつての目的を考えれば、たとえ見知らぬ世界とはいえ残りの千年アイテムの場所を知らせることは危険すぎる。

現代のバクラに、遊戯君――
どちらも、下準備のない状態でこのバクラと合わせるわけにはいかない。

そんなことを考えた私は、ちょっと躊躇して、まだ言えないと答えたのだが――

直後にまたバクラにナイフを突きつけられ、慌てて
「時間はまだあるからもっといろいろ話してからがいい! 聞いて損は無いはず!」
と涙目で必死に抗議。

わずかに考え込んだバクラが、しぶしぶ了承してナイフを離す。

ほっと息を吐く私。

「お願い……お願いします。
その、ナイフで脅すの本当に怖いんでやめて欲しいです……
他のことなら何されてもいいけど、斬られたり刺されたりするのはちょっと……」

滲んだ涙を拭い、小さな溜息をつく。

心を落ち着け、ふと黙ったバクラに目を向けてみれば、彼が何だか変な生き物を見るような、怪訝な顔をしていることに気がついた。

ん? と疑問に思ったのも束の間、私はたった今自分が吐き出した言葉を思い出し青くなった。

「あっ、何されてもいいってのは違うっ、別に変な意味じゃなくてっっ……!
やだ、つい……ごめんなさい、今の忘れてください!」

かあっ、と火照っていく顔。
『バクラ』だと思って、つい油断してしまった。

私の方は死ぬほど彼に執着しているが、今の彼にとって私は初対面の怪しい人間。

こちらは存在すら知らなかったのに、ある日突然、
「ずっとずっとずっと見てました!
好きです! 大大大好きです!!!」
と、たまたま毎朝の交通機関が一緒だというだけで突然見知らぬ異性から告白されたような、薄気味悪い戸惑いがあるだろう。

ただただ、自分が気持ち悪いと思う。

「バクラ……さんのことが好……、ファンだったので……!
あのっ、有名人だし! ずっと、憧れてたから」

もはや自分が何を言っているのかもわからない。

帳尻を合わせるためにこうやって嘘は膨らんで行くんだな、という実例を目の当たりにして、私はばくばく高鳴り続ける心臓を押さえながら唇を噛んで俯くことしか出来ないのだった。

「ククク……そりゃあ光栄だな……
オレ様が後世にどう伝わってんのか、ちったぁ興味があるが……まぁいい。
桃香とやらよぉ……隠し事ばっかしてねぇで、全部吐いちまった方が身のためだぜ?」

未だ手にしたままのナイフをぶらぶらさせながら、ここに来て初めて不敵な笑みを浮かべるバクラ。

「……っ」

私の心臓が、再びきゅっと収縮する。

やはり彼はバクラだ。
その茶化すような人を食ったような物言い、ぶっきらぼうな声、闇を秘めた嗤い方。

全部がぜんぶ、愛おしくてたまらない。

と同時に、バクラが『歴史上の人物』という定義付けにまんざらではなさそうな反応をしたことに、意外なものを感じた私は、もはやこの路線で行くしか術はないと心を決めた。

かつて盗賊王と称された少年は歴史に残る人物で、それにまつわる千年アイテムもまた貴重なお宝として現代に継承されている――
そんな筋書きだ。

「せ、千年アイテムはいろいろとややこしいんです……!
全部、厳重に保管されてて……私も全部の場所は知りません……!
それに、今は……なんていうか、武器とか警備とかもすごくて!
あぁバクラさんも精霊獣の力すごいと思いますけど、そうじゃなくて……そういう力じゃなくて!

とにかく、今の科学力はやばいんです!
ボタン一つで何十万人ていう人間が死んじゃう爆弾とかあったり、空を音速で飛んで爆弾を降らす飛行機があったり……
町でちょっと目立つことしたらすぐ警察が来て、銃――すごい武器、持ってるし、拘束されて肉体的にも社会的にも抹殺されちゃうんですよ!
だから暴力は人目があるところでは絶対ダメです……!」

しどろもどろになりながら、一気にまくし立てる私。
語彙に乏しいし、何が何だかわからないトコトン頭の悪い発言だった。

「バクラさんが……心配なんです」

ぽつり、と最後に付け加える。
頭がぐちゃぐちゃでよくわからない。

そもそも、初めから何もわからないのだ。

何故盗賊王のバクラがこの世界……この時代にやってきたのか。
何故、偶然私の家の前にいて、都合よく言葉まで通じるのか。

わからないことだらけだ。

バクラ――あの白い肌を持つバクラなら、この状況が少しは分かるだろうか。


そういえば、と先ほど盗賊王に放り投げられた携帯電話の存在を思い出す。
塀の中に投げ込まれたそれは、恐らくこの庭に落ちたはずだ。

芝生の上に落ちていたら壊れてないかも……
そんなことを考えながら、目の前のバクラに気付かれないように視線をあちこちに彷徨わせる。

――無い。
やはりもっとあっちの方だったか――

「……コレか?」

唐突に発せられたバクラの声。
その手には、私の携帯電話が握られていた。

「あっ……!」
「コイツは何の道具だ? 答えな。
嘘をついたらぶっ壊すぜ」

「……っ」

さすが盗賊。いつ拾ったのか。

私はバクラの手の早さに感心しつつ、彼に携帯電話について素直に教えたのだった。
だが私は、それをすぐ後悔することとなる。

「ほぉ……なら、先ほど『通話』をしていた相手は誰だ?」

――バクラは恐ろしく飲み込みが早い。

そもそも見知らぬ未来の世界などという突拍子もない場所に単身放り込まれたのに、状況を理解する力、対応力が半端ない。

普通なら、もっとこう――しつこく疑ったりとか、狼狽えたりとか。
そこらを慌てて走り回って、飛び出してきた車に驚いて尻餅をついたりだとか――

そんなのがあったっていいと思う。

いやもしかしたら、彼がこの時代に飛ばされて来てから私と出会うまでに、そんな光景が繰り広げられていたのかもしれないが。

もっとも――現代のバクラだって、ろくに経験もないのに急造でデッキを構築して決闘で勝ち抜いたり、必要だと思えばとっさに似合わない演技までして必要なパーツを手に入れたりしていたのだから、それが彼らしいと言われればやはりそうなのかもしれない。

ゆえに。

「ええと…………、友達、です」

私はしどろもどろになりながら、到底彼には追いつけない鈍い頭を回転させ、必死に取り繕うしかないのだった。

「クク……この世界じゃ、一方的に上からモノ言われて従う相手をお友達と呼ぶのか……
一つ学んだぜ、ありがとよォ」

「…………っ、」

仮にもこの現代日本で十数年暮らしてきている私より、ここに来たばかりであろうバクラの方が日本語を使いこなしている気がするのは気のせいだろうか。

少なくとも私は、バクラの皮肉にすぐ言葉を返すことが出来なかった。

少し考えてから気付く――
やはり電話口のあのバクラの声を、このバクラも聞いていたのだ。

であれば、当然アレは友達同士のやり取りには聞こえないだろう。

「…………ある面では、嘘じゃないよ……
でも、とても大切な人」

私はもはや、自分の小賢しい話術を以て目の前のバクラを牽制するのは無理だと諦めかけていた。
だがせめて、一番大切な部分だけは隠しておかなければならない。

即ち、このバクラによってあのバクラや遊戯君たちが危険に晒されることだ。

それが守れるなら、残りの全てをさらけ出してしまう事になっても仕方ないと思った。
まるで、たった一つの宝物を守るために、他の宝物を目くらましでバラまくように。

けれども、私のそんな最後の希望さえ、現実の前では容易く打ち砕かれることとなる。

「っ……!」

バクラの胸元で、千年リングが揺らめいていた。

ぼんやりと光を放ったその針は、ある方向をピンと指し示しているではないか!

当然それに気付かないバクラではない。

バクラはゆらりと立ち上がり、針が指し示す方向を目で追い、先ほど入って来た門扉へと目を向けた。
直後、彼は強引に私の体を攫い、門扉からは死角になった家の裏手へと引きずって行く。

黙ってろ、というように口を手で塞がれ、私を後ろから抱きしめるようにして拘束しながら、盗賊バクラは息を潜めた。

彼はまるで獣のように気配を殺し、我が家に近付いて来るモノを警戒するように少しだけ頭を出しながら門扉の方を覗いている。


――もう分かっている。

千年リングが反応したのは、近くに千年アイテム所持者が居るからだ。
考えるまでもない。

胸が、ギュッと締め付けられて涙を滲ませる。

やはり彼は『彼』だ。
私が彼に背くことを絶対に許しはしない。

助けに来てくれたなどと言うのはおこがましい。

彼はただ、電話口で素直に従わなかった私を罰するためにやってきたのだ。きっと。

でもそれで十分だ。
十分すぎるくらい嬉しいし、天にも上る気持ちになる。

キィ、と玄関の門扉が開いて、コツ、コツという僅かな足音が響き、やがて消える。

私を拘束するバクラは、来訪者に全神経を集中させ様子を伺っていた。

だが、来訪者が本当に『彼』ならば、そんなものは無意味なのだ――互いに。

何故ならば、盗賊バクラの千年リングがそうであるように、『彼』が持っているもう一つのそれも、千年アイテム所持者の居場所を探ることが出来るのだから。

ざっ、と芝生を踏みしめた影。

「おい! 隠れてねぇでさっさと出て来な!
無駄だっつーのはわかってんだろ?
クク……安心しなぁ、たった一人だからよ……!」

そう叫んだ、もう一つの千年リングを持つ少年――

獏良了の体を持つ『バクラ』が。

そこには、立っていた。


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