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夕暮れ、学校からの帰り道。

いつもの仲間たちとも途中で別れ、一人になった私は家路をのんびりと歩いていた。

童実野高校のブレザーの制服に、使い慣れた通学かばん。
今日も何の変哲もない一日だった。

もうすぐ自宅が見えてくる。

――そういえば、最後にバクラと会ったのは何日前だっただろう。

彼の存在をふと思い出せば、まるでそれが当たり前だというように、呼応して心臓がずきりと音を立てる。

バクラに会いたい――

そんなことを考えつつ、相変わらず重症である熱病を自嘲しながら、私は俯いていた顔を上げたのだった。


自宅はすぐそこだ。

そこにあるのは本来ならば、見慣れた自宅の玄関門のはずだった。

――はず、なのだが。


人通りの無い自宅前。

そこに『彼』は立っていた。

一見して異様だと察する風貌。

白銀の髪。胸元で光る、金色の派手な首飾り。

彼が『いつもの彼』ならば、私は胸を躍らせながら、歓喜に震えてただ駆け寄っていただろう。

だが。

『彼』は、彼であるのに、いつもの彼ではなかった。

「…………っ」

呼吸が止まる。

いや、それでも確かに、私はこの『彼』に、何度か会ったことがあるはずだ。

それどころか、ただ会うだけでは飽き足らず、彼と口には出せないような良からぬコトに及び、彼の存在も含めただの幻想世界でしかないあれらを、めいいっぱい愉しんだのではなかったか。

しかし。

いま私が立ち尽くしているこの巷は、まぎれもなく現実世界のはずだ。

たとえば数千年前の異国の地で生まれた少年が、おいそれと現れて良い世界では、なかったはずだ。

なのに。

なの、に…………


いま、私の自宅の前で、一人立ち尽くしている人影。

『バクラ』というのだろう、彼は。

夕陽に照らされた白銀の髪と千年リングを輝かせながら――

赤く映える丈の長い外套を羽織り、褐色の肌を覗かせながら。

紫がかった双眼で、私を見つめていたのだった――





「っ…………バクラ、なんで」

驚く私の口から出たのはそんな一言だった。

『彼』は黙ってこちらを見ている。

その顔はまるで、竜宮城から帰ってきた浦島太郎が、見知ったはずの自宅が無くなっていたという事実に驚愕と混乱とをいっぺんに感じて、立ち尽くしてしまったという感じだった。

しばしの間。

だが、驚きつつも私の方は彼を知っている。

何の冗談かわからないが、いつか幻想世界で見た『盗賊王』を称する彼が現世に顕現するならば、それは獏良君の体を持つ『あのバクラの仕業』でなくてはならないのだ。

だからこそ私は、戸惑うばかりの彼に数歩近付いて、さらに声をかけた。

『これ』は、あのバクラの何らかの悪ふざけか計画の一部だと思ったから。

だが。

「バクラ……?
カッコイイけどその姿、さすがに外だとすごく目立つと思う」

微笑みながら言い切った時には、首に違和感を感じていた。

「っ……!?」

ぎゅっと締め付けられた首元。
じり、と喉に感じる異物感。

一瞬で至近距離に迫って来た――彼、の顔。

「っ、バ、クラ」
「動くな」

彼の名を呼んだ私の声に被って吐き出されたのは、やはりバクラの声で、しかしとてつもなく冷たいモノだった。

まるで抜き身のナイフを思わせる、鋭い眼差し。

褐色の頬を切り裂いて刻まれた、痛々しい刀傷の痕。

獏良君の体を持つバクラよりも、もっと硬質な髪の毛と、筋肉質の体躯。

私の中にある本能的な部分が、ずきずきと甘く疼いている。
これは紛れもなく『彼』だと、叫んでいる。

だが今の彼が全身から発しているのは、ひたすら剣呑な気配だった。

いつものように軽口を叩くことも出来ない。
そっと目線を落としてみれば、その片手は私の胸倉をぎゅっと掴んでいて、首は締まる寸前で。

そしてもう片方の手はあろうことか、何かを握り締め、私の喉元に押し付けていた。

その正体を知った瞬間、背筋がぶるりと震え、恐怖がどっと滲み出す。

バクラに……盗賊王の姿をしたバクラに、刃物を突きつけられている。


まさか、これが『最期』だというのか。

いつか終わりが来ると分かっている、私とバクラの秘め事の。

――気付いてしまえば、たちまち涙が込み上がる。

恐怖は哀しみにあっという間に押し流されて、何処かへ行ってしまった。


これで、終わりだなんて。
バクラにも都合があるのだろうし、仕方ないとは思うけども。

それにしたって、あまりにも哀しすぎる。

まるで、ゲームソフトを買って一度しか遊んでいないのに、ゲーム機本体が壊れてしまったような虚しさだ。

まだまだまだまだ足りないのに!!!!
せめて、睦み合いの最中に殺して欲しかった――

声にならない叫びが、胸の内にこだまする。

溜息と共に零れ出した涙が頬を濡らし、ちょっとだけ鼻をすする羽目になった時。

訝しむように目を細めたバクラは、おもむろに刃物を収め――

私の体を、解放していた。



「……別に逆らったり逃げたりしないから、終わりにする時はちょっとだけ予告してくれると嬉しいな……
というか……バクラ、冥界だか地獄だかの果てまで、私を連れてってくれるって言ってたのに……」

「…………」

軽い抗議をしつつ乱れた制服の首元を直し、涙を拭ってから改めてバクラに向き直る。
バクラはじっと私の様子を伺うように身構えていた。

「あ、あんまり見ないで……恥ずかしい……
どっちも『バクラ』だって思うと、本当……」

ばくばくと胸を打つ鼓動。
いつか彼とした行為が脳裏にフラッシュバックし、私は慌てて頭を振った。

「れだ……、てめえ」
ブルブルブル、と震えた携帯電話が、たった今吐き出されたバクラの一言を遮った。

ブレザーのポケットから携帯電話を取り出し、警戒したような動きを見せ再び刃物を構えたバクラに苦笑しつつも、出ていいかと目の前のバクラに真面目に許可を取ろうとした瞬間――

視界に飛び込んで来た名前に息が止まった。

(え、)

震え続ける携帯電話。音声着信だ。

目の前に居る『バクラ』は、いつでも私の動きに対応出来るようナイフのような刃物を構えたままだ。

ならば――

誰、なのだ。

いま、私の手の中で震えている携帯電話の、発信者は。


私はここに来て、もしかしたら全てが壮大な勘違いだったのではないかという可能性に思い当たった。

もし目の前に居る褐色肌の彼が、いつものバクラの変装?幻覚?悪ふざけ?計画?によるものだったとしたならば。

――ならば、誰なのだ?

携帯電話に表示されている友人の名前は。

獏良了の名前を示しながら、ひたすら震えている携帯電話は、一体なんだと言うのだろう!



「もし、もし……」

目の前の『バクラ』がまだ動かないことを一瞬確かめてから、通話ボタンを押した。

《……今何処にいる》

「っ……!」

頭を殴られたような衝撃だった。

電話口から聞こえた素っ気ない一言は、確かにバクラのものだった。

(ねぇ、だって、そんな――)

いくらバクラの力を持ってしても、3000年前の記憶の中にしか居ない人間を、実体化させることなど出来るだろうか?

しかも、ご丁寧に千年リングまで複製して。

ありえない。
そんなことが出来るなら、宿主も何も要らないではないか。
獏良君の体の中に居る『バクラ』が万能の魔法使いなら、今までの全てが遠回りで無意味になるんじゃ――

《おい! 聞いてんのか!!
……今何処にいるかって訊いてんだよ。ゆめ!》

耳元に当てた携帯電話から発せられた苛立ちの声に、弾かれたように我に返った私は、
「あっ、今は……もう家に着いたところだよ!
ねぇバっ…………、ッッ……」

思わずバクラの名前を口にしそうになって、すんでのところで唇を噛む。

バクラの前でバクラの名前を出さない方がいい。
混乱の中、辛うじて私が辿り着いた結論だった。

沈黙。

目の前のバクラが音もなく距離を詰めて来て、後ずさる間もなく私の腕を掴んだ。
さらに悪いことに、私の首元にまたあの物騒なナイフを突き付けて来るではないか!

「っ……!」

《おい、》

電話口のバクラが一声発し、冬服の季節にも関わらず滲み出た汗が、頬を伝う。

《…………貴様。誰と一緒に居やがる》

「ッ、……」

電話の声が、目の前のバクラにも聞こえたのかは分からない。

だが彼が突き付けたナイフは、余計なことを言うなと無言で語っていた。

《答えろ》

鼓膜を震わせるバクラの声。
たとえ機械を通してたって、その声は間違えようもない。

「あ、あの…………」

目の前の盗賊バクラと、通話の先のバクラ。
私は二人のバクラに挟まれているも同然だった。

さらに今の短いやり取りで確信してしまった事がある。
あのバクラは、このバクラがここに来ていることを知らないのだ。

それは即ち、この不可解な状況があのバクラの思惑の外にある現象だということを意味していた。


電話口のバクラに応え、『いま目の前で盗賊姿のバクラにナイフを突きつけられているんだけど〜』、などと口にすれば、私は確実にこのバクラにグサリとやられるだろう。

だが命惜しさにあっちのバクラに嘘をつけば、それは私の存在全てが変性してしまうことを意味していた。
それは死んでも嫌だ。


どう、すれば……

切羽詰まった状況。悩む時間はない。

そんな中で、私が出した答えは。

「愛してる、から……どっちも。
信じて、お願い」

――軽薄さすら感じさせる、陳腐な物言いだった。

その異常な一言に、あっちのバクラがこの異変を察してくれたら嬉しいななどと考えながら。

直後、耳に当てていた携帯電話を目の前のバクラにもぎ取られて――
そのまま、放るように塀の中に投げ捨てられてしまったのだった。


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