絵本の森の迷子

ピークア・ブー夢。
名前変換無し。完璧超人の所で雑用をしている夢主(どんなシチュエーションなんだ)が育児に励むお話。


 ベンチに座りながらトレーニングの風景を眺めている。彼らが理想とする主張には諸手を上げての賛成はしかねるが、自ら完璧を名乗るだけあって肉体の鍛練は毎日欠かす事はなくて、それは純粋に素晴らしい事だと思う。

 ある者は工業用の道具を使って体をメンテナンスしている。そしてまたある者は巨大な水槽に沈んだまま、数時間近く訓練をしている。それぞれがそれぞれの特性やプレースタイルに合わせた環境で己を磨く姿は、いつまで見ていても飽きがこない。


「ホンギャア!ホンギャ」


 隣に置いてあるベッドから甲高い泣き声が聞こえて、私は弾けるようにベンチから立ち上がった。皆の様子に気を取られてすっかり存在を忘れていたが、"彼"もまたこの完璧なる集団の一員である。今はただの赤ん坊の状態だが…

「よしよし、どうしたの?」

 顔を覗き込むと、ピークア・ブーはぴたりと泣き止んだものの、あーあーと喃語を発しながら、必死に何かを訴えているように両手をばたつかせていた。お気に入りのガラガラやぬいぐるみは傍らにある。ミルクの時間には早過ぎるし、おしめでもなさそうだ。ならば、


「これ?」

「あー!うー」

 ベッドの横に置いた『ピーク専用』のボックスの中から、一冊の本を取り出して見せると、ピークは手を伸ばした。まるで「それだ!」と言わんばかりに。

「ピークは本当にこれが好きだねぇ」

 これで何十回目だろうね、と独り言ちていると、バアと音を立てながらピークの顔面を覆っていた手が開いた。あどけない赤ん坊の顔がこちらをじっと見ている。本を広げて挿絵を見せてやるとにっこりと微笑んだ。

「じゃあ、読むよー」
「キャッ、ホギャッ」

 絵本のあらすじは実に単純明快なものだ。一国の王子が捕われの姫を救出して結ばれる。ゆくゆくは"完恐"としてリングを赤に染め上げるであろう彼にこのような話を読み聞かせるのは違和感があるが、自分の上司である男の言う事には、これは言語学習の一環であって話の内容自体は特に深い意味は無いが、とても大切な作業だそうだ。
 ならば戦術書でも読んでやった方が後々を考えてもためになりそうだが、脳が赤ん坊の段階なので内容を理解する事が出来ないらしく、まずは言葉を覚えさせなくてはならない。だからこうやって幼児向けの絵本なんぞを読んで、言葉のイロハを教えこんでやる必要があるのだという。
 勿論、他にも数冊ほどの本を支給されているのだが、ピークはこの話でなくてはいけないらしくて、これ以外のものを読んだ日には泣き喚く上に、表紙を見ただけでもぐずり始める。そうなった場合、皆の顰蹙を買うのは私なので、いつのまにか、私自身もこの話だけを読むようになっていった。

「……そして王子は王女を助けだし、」
「ぶぁ〜〜……オウ、ジ」
「うんうん、王子って言えたね、偉い偉い」
「きゃっきゃっ」

 全く無邪気なものである。

「あうあ、オウジョ!オウジョ!」
「そうだね、王女は助けられて……互いに一目惚れした王女と王女は」
「ヒトメボレ!!」
「…国で結婚式を挙げました。二人は永遠の愛を誓い合いキスをしました…」

 空で言えるくらい何度も音読したラストシーンだが、男たちが汗水流してトレーニングに励むこの空間にはいつまで経っても似合う事はなさそうだ。……そもそも、色恋沙汰なんぞに彼らは微塵の興味もなさそうだが。

「あ、あ」
「ん?ピーク、どうしたの?」
「ガクシュウソノ@……」
「え?え……」

 ふに、と柔らかいものが口に当たった。一瞬で離れたそれは何かよく見えなかったが、次の瞬間ピークから放たれた言葉に私は何もかも理解させらる事になった。

「キャッ、キャッ、キス!キース!」
「え……ちょ、ピークったら……」

 ああ、挿絵の真似をしたのか。流石急成長超人、と割と冷静な分析をしながらピークの顔をジッと見つめた。心なしか表情も、あどけない赤子の顔から成長し始めた様で、若干の変化が見られる。

「だっせぇなあ、赤ん坊に唇奪われてやんの」
「煩い。開きにするよ」
「ピョピョー」

 いつの間に水槽から顔を出していたのか、カジキを象った水生型の超人がこちらを見ながら笑っている。こいつは見映えこそ良いが、口が悪いので少々苦手な奴だ。手を振って追い払う動作をすると、マーリンマンは大袈裟な水しぶきを上げながら再度水中に潜っていった。
 当のピークはというと、水の粒が飛んでくる様が気に入ったらしい。無邪気に笑い声を上げているのが聞こえてきた。

「キャッキャ………ギャアー!」
「えっ!?」

 間を置いてから発せられた悲鳴に慌てて振り返ると、ピークがベッドの中で火が付いたように泣き叫んでいた。その傍らには先刻まで向こうで鍛練をしていた我が上司が立っている。

「ちょっ、武道!何して」
「脳を赤子レベルに引き戻した。それだけの事だ」
「赤子って……元から赤ちゃんだったじゃないですか!まだ言葉を覚えている段階だったのに…」

 私が言い返す前に、武道は有無を言わせぬ目付きで睨みつけてきた。瞳の小さい、血走った目玉には、反論する気を失わせる独特の凄みが感じられる。

「――お前は口を出すな。命じた仕事をまた忠実に実行すればよいのだ」
「は、はい」
「フン、それと、聞かせる本の種類はもっと選ばねばなるまいな?」

 そう言うと、武道は私の手から絵本を取り上げ、目の前で真っ二つに引き裂いた。厚みのある紙で出来たものなので常人には難しい芸当だが、超人にとってはそれこそ赤子の手を捻るよりも容易なのだろう。


「ギャーッ!ギャー!!」


 ビリビリという音に合わせて、ピークの泣き声が一層大きくなっていった。武道は何も反応する事なく、細かい紙切れをその場に捨てると、さっさとその場を後にしてしまった。


 その日以来、私はピークに、簡単な知育本を読み聞かせている。「"あ" は "あんず" の "あ" 」などとストーリー性のない発声をする度に、つまらないのか不満げな顔をされるのが気になったが、武道に怒られるのが嫌だったので無視を決め込んだ。
 ア行カ行と読み進め、サ行に入った頃にはピークはすっかり機嫌を悪くしてぐずり始める。すると今度は皆から苦情が飛んでくるのだ。


「おい、うるせぇーぞ!さっさと黙らせろ」
「だったらあんたが面倒みてよ。そもそも水の中なら音なんて聞こえやしないでしょ」
「ピョピョー。生憎、オレは耳が良いんでね。それに、ガキのお守りなんか真っ平ごめんよ」


 この千枚通し、と野次る前に、カジキ男はまたしても水中に逃げこんでしまった。あまりにも腹が立ったので、今度水槽の温度を上げてささやかな嫌がらせをしてやろうと決心しながら、私はピークの寝ているベッドのストッパーを外した。こうすると四隅に付けられた車輪が動いて、ベッドを自由に転がして運ぶ事ができるのだ。
 手押し車の要領でトレーニングルームを後にする。こうすればちょっとは良いだろう。少なくとも、無責任な苦情を飛ばされる事は無い。


「フギャッ、ホンギャ……」


 ピークも泣き止んだ様だが、まだどこか機嫌が悪そうな目付きだ。面白くもない本を読み聞かせられて相当イライラが積もっているらしい。


「まいったなあ」


 このまま嫌われてしまったらまた武道に睨まれるだろう。下手をしたら解雇されるかもしれない。路頭に迷うのだけは避けたかった。


「ウー、あ。オ、ジ、オウジ」
「はぁ?」
「オウジ。オージ!」


 カタコトな単語を言いながらピークは片手を伸ばしている。ギュッと握り締められたそれに目をやると、何かが指の間から覗いているのが見えた。
 ピークの手に触れると花が咲くように拳が開かれ、小さな紙切れが姿を現していた。それはすっかりくしゃくしゃになっていたが、シワを伸ばしてみると何なのかがすぐにわかった。


「……あの時のやつ、拾ってたんだね」
「あ、あー」
「そんなに好きだったんだ」
「バブ〜」
「……わかった。武道には内緒だけど、あのお話しよう。そしたら、機嫌治してくれる?」
「キャッキャッ!オハナシ!」


 皺くちゃになった紙に触りながら、私は数えきれない程読まされた、あの物語を語り始めた。武道には悪いが、私は暗記が得意なのだ。


(初出:2012.09.11、改訂:2019.05.05)

「2012年にキン29マンのサイトかよwww」と自虐を飛ばしていたら、なんと新章が連載していると聞いて慌てて読み始めた辺りで書いた話でした。新キャラが顔の良い男ばかりだったので毎回目の保養でした。無量大数軍も始祖も大好きなので、落ち着いたら全キャラ制覇を目指して書いてみたいです。
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