追記
2017/02/25 12:09

Age 13



 登山に最適な山にも関わらず麓の町人ですらほとんど登ってくることがない山。2合目辺りを通り、山を越えてしまえば国の境い目で、山を越えずにさらに登り詰めた8合目。
 ここは縁切寺だ。


 縁切寺とは、横暴な夫から妻が逃げこむ場所である。つまり離縁をしたい妻が駆け込んでくる逃げ場である。
駆け込んだ妻の話を和尚が聞き、妻方の縁者を呼び出して復縁を勧める。その復縁が上手くいかない場合に調停による離縁を行う。
大半は調停で離縁するが、それさえも上手くいかない場合には、妻は寺入りとなり、足掛3年の義務を負い、寺務めとなる。そしてそれが終わるとようやく離縁が成立する。これは数年も離れていれば妻と夫の関係ではなくなるという考えによるものらしい。

 世俗から切り離された存在(そういう存在をアジールと呼ぶと和尚は言っていた)であるため、訪問客はほぼ居ない。時折縁切り故に駆け込む女とそれを追う夫が居るのみだ。
縁切寺だから、女人のみが立ち入りを許された男子禁制の場だった。居るのは離縁を望む妻達と住職と尼、和尚2人、そして俺と離縁を望む女の乳児だった。


 詰まるところ、住職と和尚と俺の4人は男だった。
男子禁制とはいえ住職と和尚は寺務めだから問題無しと見なされたが、俺はただの男の餓鬼で問題だと咎められる可能性が高かった。
そこで住職は俺に迫った。俺が8歳の時だ。
坊主になるか大人になるまで女として寺務めをするか、どちらかを選択しろ。どちらも拒むなら致し方ないと。

 致し方ないというのは常識で考えるならば追い出すということだろうが、良い意味でも悪い意味でも此岸とは切り離された場所がここだった。
俺は、拒むなら殺すという真意を正しく受け取った。尼はそれに気づいてないが和尚は恐らく、真意に気づいていた。
 そんな住職の下で坊主としてこき使われるのは御免被った。だから俺は、13になる今も女として過ごしている。顔立ちは年相応と言われるが体つきは骨張ってきたから出来る限り体型がわからない服をよく着ている。
俺が男だとばれたところで咎めるのは寺務めの女ぐらいしか居ないのも事実だが、ばれたら厄介なことになる。5年前の致し方ないという発言は、恐らく有効で、住職は寺務めの女に分からないことがあれば俺に頼れと言うのだから。未だ頼られたことはないが、このことから俺は年頃の女として扱われていると思って間違いなかった。
所作なんかがまるっきり男でも、住職がそれを咎めることもないが。

 女として過ごす。とはいっても伸う伸うと時間を潰してはいない。寺務めの女とほぼ同じ扱いなのだから。
 俺の務めは、寺入りをして半年になる妻の女児の世話と和尚の炊事の手伝い、そして侵入を試みる男の始末だった。その他も雑多に使いを任されるが基本的にはこの3つを全うしていれば住職にとやかく言われなかった。
男の始末をするようになった昨年からは、怒鳴ることさえやめて俺を褒めさえするのだから気味が悪い。
俺に始末の方法を5年もかけて仕込んでいる最中は一言も褒めやしなかったのに。









「フェル。お前また山を下りただろ」


 もうすぐ1歳になる女児を膝に抱えて蜜柑を剥いていると、和尚が呆れた顔をしてやって来た。昨日の話か。

「麓までだ。山を出ちゃいない」
「それでも下りたことは下りたんだろう。どうしてだ、この間も町に近づくなと怒られただろ?」
「町には下りてない」
「は? ということは国境の方に下りたのか!?」
「昨日は嫌な気配がしただろう」

和尚は理解できないという顔をする。

「まさかそれを見に行ったというのか?」
「そうだ。いい加減気分が悪い。その原因を明らかにして出来るものなら根本を取り除ければ不安も減る」
「確かにそうだが……お前、あの気配が人間だと思っているのか? 根本を消せるなんて本気で…」
「当然、人間じゃないだろう」

剥き終えた皮を書き損じた和紙に乗せ、中果皮とじょうのうを取っていく。これらがついていると乳児は消化不良を起こす可能性があるらしい。蜜柑自体、食べ過ぎも避けるべきだが、女児は蜜柑を食べさせると機嫌が良くなるからよく食べさせていた。なにより蜜柑なら境内で採れる。柘榴や葡萄は山を国境の側へ少し下りた中腹辺りで採れるが、採る手間も食べさせる手間も大きいので自分が食べたい時に採りに行き、食べさせていた。

「人間じゃないと推測できるならどうして見に行く? 危険すぎるだろ」
「俺が死んだところで構いやしないだろう。俺の命を俺がどう使おうが勝手だ」
「死んだところでって…! 心配すると言っているんだ!」
「それも含めてだ。手前が俺を案ずるのも手前の勝手だ、その心を聞き入れるかどうかも俺の勝手だ」
「お前は寺の人間だろう、だから、」
「俺は完全に寺入りしたのではないから聞き入れない。だが、俺も早死にしたいわけじゃない。原因を明らかにして、どうにかなるなら解決したい。どうにかならないなら報告はするつもりだった。文殊知恵と言うように情報共有は大事だろう。それなら満足か?」
「……勝手にしろ! お前は本当に可愛げがない!」

女の素振りをしているだけなのに、可愛げなんてものを求められても応えるつもりはない。それとも、俺を若衆とでも思っているのか。
だとしたらなかなかに気分が悪いが、そうではないだろう。子供らしく聞き入れろといったところか。思えば、和尚の言うことなどろくに聞いたことがなかったか。何故だと問われれば簡単なことで聞き入れる気がないからだ。

「あーぅー」

女児が蜜柑に手を伸ばす。俺が剥き終えた橙を手渡せば、無心に食べ始めた。寄越せと意思表示すれば手に入ると認識した子供のことを、甘やかされたと考えるかそうでないか。
子供だから仕方がないと言うのならば、俺も住職に寺を寄越せと言っていただろう。だがそれを口にしなかったのは、それが無知故に為せる所業なのだと知っていたからだ。

「にしてもババイに蜜柑ばかり食べさせていないか?」
「女児が好むからだ。食わせないと泣く」
「……おい、ババイのことくらい名前で呼べよ。覚えてないわけじゃないだろ?」
「ここに女児は1人しか居ないのだから女児でいいだろう」
「ならお前は小僧だな」
「ああ、そうだが」

和尚は煮え切らない顔をした。俺の返答に不満があるのは判ったが果たしてなにに対して不満なのかは分からない。
表情の豊かな男だ。もう1人の和尚は人の良さそうな微笑みと困った笑みばかりを浮かべるし、住職は喜怒哀楽の前者2つしか持ち合わせていない男だから、この和尚との会話は面白味がある。内容が面白いかは別の話だ。

「またお前はそういうことを言う!」
「そういうこと? 小僧の話は初めてだろう?」
「そんなことを言ってるんじゃない! ああやっぱり可愛くない!」

女児は頬を膨らませながら和尚を不思議そうに見ている。けれど俺がまた蜜柑を1つ差し出せば直ぐ様目をそむけた。

 この和尚と出会ったのももう8年前で、当時も落ち着きのないそわそわした男だった。今の方が落ち着いてはいるけれど、なにも変わってない。他の尼達も、住職さえもだ。
 懐かしくは思わない。あとどれくらいの間、女として寺務めできるのかが分からない以上はそろそろここを出る必要さえ感じている。懐古することは、一切なかった。


 5年前の寺務めの女になるか、坊主になるかの選択よりも前に、俺は選択肢を与えられていた。
これは住職と俺しか知らない選択で、初めて住職に与えられた選択肢だった。

 寺に迷いこんだ5歳の俺は、住職に売られるか寺に務めるかを問われた。当然どちらも望まないなら住職に殺されていただろう。
完全に寺入りして坊主にならなくても寺務めといえるかを尋ねれば、住職は大笑いして好きにしろと言った。結果、俺はその3年後の8歳で再び選択を迫られ、こうして生きている。

親は知らない、どうせ俺を置いてどこかへ行ったのだろう。気味が悪い餓鬼云々は物心ついた時から俺を指す言葉だったのは知っている。なにが気味の悪さを出しているのかは知らないが、和尚の可愛げがないという言葉に通ずるものがあるのかもしれない。子供には可愛いげが必要だから。
ただとりわけ関心がないから、どうでもいいことだと言えた。


「フェル! 夕飯の山菜が足りないから採りに行ってくれないか?」


申し訳なさそうな笑みを浮かべたもう1人の和尚がやって来た。そういえば薺(ナズナ)と山葵くらいしか残っていなかった気がする。昼飯を終えて少し経ったくらいだから、まだ時間は未の刻の辺りだろう。少しゆっくり採集しても支度には間に合うだろう。

「分かった。ムカゴか?」
「ああ、それならミズと、あと目ぼしいものがあればそれも頼む」
「分かった、向かおう」

橙の皮を和紙で包んで屑籠に入れた。女児を俺の座っていた座布団に座らせれば必死に手を伸ばしてきたが無視をした。


「ギティ。今日の夕飯はなんだ?」
「山菜粥だ。明日は釣りだから、今日のうちに野菜を食べないとな」
「ああ、そういや明日は魚か、今日はともかく明日が待ち遠しいな!」


煮え切らない顔をしていた和尚は笑顔になった。釣りで、魚が食えるだけで楽しくなれる辺りは単純で分かりやすい。

「あーー! えうぅ、ぇう、」

山菜採りのかごを取りに行こうとすれば、女児が泣き出した。上を向いて、畳を両の手で叩き、足で畳と空を蹴る。愚図るなんてものじゃなく、全身で不満を訴えている。

「フェル、連れていってやれよ」
「山菜採りに邪魔だ」
「お前はババイのことが邪魔かもしれないけどババイはお前が必要なんだよ!」

実の母親よりも必要としてくる辺り、女児も複雑な心をしている。母親と離された時は喚かないくせして。

「バキットの言う通りだよ。ババイはおじさんの僕達だと泣き止まない。年齢的に離縁待ちの父親を思い出すのかもしれないね。ババイの父親は、子供にも手を上げるような不法な男だったし」

片方の和尚は俺に山菜の籠を背負わせて、もう片方は俺の腕に女児を押し付けた。
女児の世話がいくら俺の仕事とはいえ、作業の邪魔でしかない。

「ならば女児を寝かせてから行こう」
「駄目だ、離れたらお前が居なかったらまた泣くだろ」
「泣かせておけばいいだろう。それも學ばせるべきだ」
「なっ、お前は鬼か!」
「ならば鬼らしく、寝かせずに置いていこう」

今度は女児を地面に置いて、そのまま寺門へ向かった。振り返れば呆気に取られた和尚達が居るだろうが、そんな顔を見るために振り返ることすら億劫だ。



「おいフェル!」



呼びかけには応えない。背中越しに聞こえてきた泣き声にも応えるつもりはない。どうせ今日の午後は和尚のどちらかは暇なのだろう。幾ら和尚を毛嫌いして女児が泣いたとしても、お守りの人間は居るのだから問題はない。どうせ泣き疲れて眠る。それまでの辛抱だろう。
 伸ばした髪を耳に引っ掛ける。動き辛い女物の袷は、草に触れて鬱陶しかった。





〜〜




 和尚等は恐らく町の方へ採りに行けと言ったのだろうが、そちらよりも町とは反対側の国境へ下りた方が山菜はよく採れる。
だから俺が山菜を採りに行く時はいつも国境側へ下りていた。当然今回も。

 山女(アケビ)はこの季節はよく採れる。虫がついているかを念入りに確認して、付いていれば払い落とし、それから籠へ放り込む。
国境の手前に川があり、土に養分が行き渡りやすいせいか果物もこのあたりでよく採れる。
熟す直前の葡萄を見つけて籠へ放り込み、熟れているものは手にとって皮を剥いて口に放り込んだ。
瑞々しくて甘いそれと苦くて渋い種子とを口の中で分けて種子を吐き捨てた。
 もう一粒と思ってさらに皮を剥いていたその時、禍禍しい気配を感じた。
この嫌な気配は、近頃度々感じているものと同じだった。

「…下流か」

気配はここからさらに下流に行ったところにあると思えた。
ここを少し下りればさらに国境へ近づくことになり、危険度は高くなる。俺はこの辺りまでしか下りたことがないから、この先は道も知らない。だが川を頼りにここまで戻れば寺まで帰れるはずだ。

 下りる以外の選択肢は、俺には無かった。死の危険は確かにあったしそれも理解していたけれど、好奇心が打ち勝ってしまった。見に行かないと気が済まなかった、それだけだった。









 川に沿って岩の上を下りていく。風景はあまり変わらないが、川の流れは緩やかになっていたからかなり下りてしまったのかもしれない。


「!」


それでも歩いていると川の終着点を見つけた。そこは池になっていて、生い茂った木々のせいでまだ明るい時間のはずなのに薄暗かった。透き通った水なのに底が見えない。
でも、薄暗さと池の存在に驚いたんじゃない。

 池に浸かっている人間が居た。加えて、その人間は既に俺の存在に気づいていて、じっとこちらを見ていた。
これを驚かずにいられるだろうか。

 水浴びをしていただろうその男は赤い髪をかきあげて池の淵まで歩いてきた。近づく距離に少し焦りを覚えたが、淵には衣服と手拭いが置いてあって、池から出るだけだとわかると安堵した。
男は髪を拭くが、池から出てくる様子は無かった。水浴びを終えたのに何故だろうと眺めながらも、嫌な気配が強くなっていたことに気づいた。

「…済まないがお尋ねしたいことがある。禍禍しい気配を感じるのだが、君もその覚えはあるか?」

 このような気配の立ち込めた薄暗い場所でよくも水浴びが出来るものだと思った。まさか、この男自身が禍禍しいのだろうか。それならば人間であるまじき……否、俺はまだ人間を知らない。俺はあの嫌な気配を魔物由来だと思っていたが、もしかすると人間なのかもしれない。







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