まだ少し不安定な南風が吹き、地面からは様々な植物の芽が出てきている。空では小鳥が遊び、溶けた雪が下に落ちる音が遠くから聞こえてくる。
そんな実にのどかな山の中を、私は尾浜勘右衛門に肩を抱かれつつ歩いていた。

「ねぇねぇオハマカンエモン」
「何?あ、勘右衛門って呼んでね」
「何処行くの?」
「まぁいいじゃん」
「何で私の肩にオハマカンエモンの手があるの?」
「気にすんなって。ほらまだちょっと肌寒いし。女の子は体冷やしちゃいけないんだよ?あと俺の事は勘右衛門って呼んでね」

ちっとも噛み合わない会話を交わしながらもお互い上級生ならではの足の速さを発揮して、私たちはどんどん山中を進んでいく。
しばらく歩くと、急に視界が開け、私たちの目の前には一面の桃の花が広がった。そこかしこで噴き出すように桃の花が咲いていて、私は隣にいる尾浜勘右衛門を見上げた。

「すごいね!すごいきれい!ほらほらあそこ見て、勘右衛門!」
「んー?どれどれ………って、あ!名前ちゃんが俺の名前呼んだ!」
「あ、ホントだ。呼んじゃった」
「やった!すげー嬉しい!」

勘右衛門は私の両手を握ってぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。…前にも一回だけ名前呼んだ事あるのに変なやつだ。
でもどうしよう、勘右衛門といるとすごい楽しいかも。妙に嬉しくなってきて一緒に飛び跳ねながら大笑いしていると、急に視界がぐるりと廻った。
花びらで足を滑らせた私を助けようとした勘右衛門もろとも地面へ倒れ込んでしまったのだ。

「いってぇ…名前ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だけど目にゴミ入った…」
「え、どれどれ?」
「あ、見なくて大丈夫なんで」

倒れ込んだ時にかばってくれたらしい勘右衛門は現在私が下敷きにしてしまっていて、顔がものすごく近い。
この状況で前科持ちの勘右衛門に目のゴミを見てもらうほど私は忘れっぽくはないんだからな。
そう思いつつ涙がゴミを流してくれるのを待っていると、その様子を見ていた勘右衛門がぽつりと呟いた。

「…なんか最初に会った時思い出す」
「あ、勘右衛門泣いてたよね」
「実はさ、俺もあん時目にゴミが入ってたんだよね!」
「………はい!?」
「なのに何か勘違いした名前ちゃんが色々してくれたからさ、優しい子だなあ、もう一度会いたいなあって思ったんだ」
「わ、私の気遣いと手拭いを返して!」
「気遣いは返さないけど手拭いは今度返すね」
「くっそぉ…」

まぁまぁそう怒らないでと言いながら起き上がった勘右衛門は肩にかけていた袋の中からおむすびやらお団子を取り出した。
今朝早起きをして食堂のおばちゃんのお手伝いをして、そのお礼につくってもらったのだそうだ。
朝から飲まず食わずで弱っていた私は大人しく勘右衛門の隣に座り直して、倒れ込んだ時に少しつぶれてしまっていたおむすびとお団子を食べた。
おばちゃんのつくるものは本当においしい。黙々と食事を胃におさめつつ、隣であぐらをかいてお団子を食べている勘右衛門の横顔を見る。
何考えてるんだろうなあこの人。その視線に気がついた勘右衛門はにっこりと笑った。

「名前ちゃんさ、俺の事きらい?」
「へっ?き、きらいじゃないよ!」
「じゃあさ!」

彼が何か言おうと身を乗り出した瞬間、谷の向こうから突風が吹いてきて桃の花がざぁっと音を立てた。
そして風にさらわれた何百何千の花びらのかたまりが飛んできて、私たちの顔やら髪、服にいたるまで一気に覆いつくしてしまった。
息ができないし、口にも入った。頭をぶんぶん振ってから、顔についている花びらも落とそうとしていると一足先に花びらを落とし終わった勘右衛門が手伝ってくれた。

「あはは。名前ちゃんって結構間が抜けてるよね」
「うるさいなぁ、もう…」
「いや、可愛いと思うよ」

私よりも大分大きな手で器用に花びらを取ってくれていた勘右衛門はふっと真顔になって私の顎に手を添えると、顔を近づけてきた。
わー、そんな、唐突な。でも、いやじゃないのは何でだろう。
私は勘右衛門の服のすそを指で軽くつまんで目を閉じようとした。その様子を見た勘右衛門はあいている方の手を私の腰にまわして更に密着してきた。
これだけだったらすごく良かったと思う。雰囲気も場所も最高だったと思う。
なのに、互いの口が触れるか触れないかの時に勘右衛門の手はこともあろうに私の腰の下、つまりお尻をさわったのだった。
すぐに目をクワッと開いた私は今までの人生の中でも一番キレのある動きで、「そいっ!!」というかけ声と共に、奴を遠くへ投げ飛ばしたのだった。
勘右衛門のばかやろう。






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