住宅街の中にある小さな喫茶店で待ち合わせた。目の前が公園のこの店はコーヒーがおいしいと評判で、昔から近所の人間に愛されているらしい。秋の日につつまれてそこだけ切り取ったように明るいテラス席に久々知さんは座っていた。太陽の光を一身に浴びて目を細めていた彼はこちらに気がつくと律儀に立ち上がって会釈をした。
久々知さん。すみません、お待たせして。
いえ、時間ぴったりですよ、大丈夫です。
でも少し待ったんじゃないですか?
テーブルの上には空になったカップと、文庫本が伏せて置いてあった。そちらへ目をやると久々知さんは眉を下げてやわらかく笑う。すこし困ったようなこの笑い方は彼の癖なのだろうか。あらためて注文を済ませてから椅子に座ると、風が公園の木を揺らした。
何だか面白かった。いつもはスーパーや駅からの帰り道に偶然会って立ち話をするだけだったのに、こうして待ち合わせをしてふたりでコーヒーなんて飲んでいる。ふふふと笑い声をあげると久々知さんはきょとんとした。視線で問いかけられてわたしは口を開いた。
こうやって久々知さんとお茶してるのが、面白いなあと思って。
…あの、そのことなんですけど。最近、考えてたんです。
………?
名字さんに初めてお会いしたのは冬で、もうすぐ一年が経ちますけど、まだ俺はあなたのことをほとんど知らないんです。…名字さんも俺のことを、知らないですよね。
…はい。
出会い方が普通じゃなかったですし…なんとなくふわふわと今まで来ましたけど、あなたと、話がしたいと思ったんです。だから今日は、こういう場所で会いたくて。
何でもいいんです。今日は色々話しませんか。と小さく、でもはっきりと言って久々知さんはコーヒーを口に運んだ。一息に話したせいかすこし頬が赤い。わたしはといえば彼のまっすぐな眼差しを受けて、その力強さや誠実さ、に胸を打たれて、ほとんど呆然としていた。清涼という言葉がよく似合うこの人と、初めてちゃんと向き合っている。
…そうですね。お話しましょうか。あらためてそう言われるとちょっと難しいですけど。
………ですよね、すみません…。
いえいえ。あ、でも、そういえば。
なんですか?
わたし、久々知さんが酔っぱらうとどうなるのかは知ってますよ。そう言ってふふんと笑うと久々知さんは一瞬ぽかんとしたあとにお腹を抱えて笑った。そのときの彼は困ったような笑顔はしていなくて、久々知さんはこういう風にも笑うのだと初めて知った。
こうしてひとつずつ知っていることが増えていく。
(了)
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