遠くの方からつめたい風が吹いてきて、まだ夕方前だというのに空が真っ暗になった。
これはくるなと思っている間にぽつぽつと始まり、ほどなくざんざん降り出した。花散らしの雨だ。どうしてこの時期は雨がよく降るのだろう。子供の頃は桜が散ることが悲しくて、雨が降るたび神様に意地悪をされたような気持ちになった。

今年はまだお花見行ってなかったのに。

恨みがましくつぶやいてみても雨は威勢良く降り続けている。
ベランダの窓ごしに外を見て、それから目を閉じて想像する。枝や幹から白くてやわらかい花のかたまりを噴き出したような桜の木。きっと今頃、花は水を含んで、重たそうに枝がしなっている。どこまでも途切れずにつづいていく、花の並木。限界をこえるぎりぎりまで彫刻のように動かずにいて、ある一線をこえたとたんにかたまりがほどけて、花びらを吹き散らすのだ。そこまで考えたらたまらず桜が見たくなった。雨も最初の勢いを失って小降りになっていたし、そろそろやむかもしれない。椅子の背にかけっぱなしにしていたパーカーを羽織って外に出ると真っ黒だった空は灰色に変わっていた。

人影のない公園は静かに雨音だけを響かせてしんと冷えている。
お酒でも持ってくればよかった。雨だけど。
ふらふらと視線を上に漂わせながら歩いていくと、少し離れたところに傘をさしてひとりで立っている人が見えた。きっと桜を見に来たんだろう、雨なのに酔狂な。
勝手に抱いた仲間意識と好意をあらわすためにあえてその人には視線を向けずに横を通り過ぎようとすると、不意に呼び止められた。

名字さん!
…久々知さん?

驚いて振り向くと、ぺらぺらしたビニール傘に夥しい桜の花びらをはりつけて、久々知さんが目をまるくして、立っている。

久々知さんもお花見ですか?
はい。桜は散りかけくらいが好きなんでちょうどいいかと思って。
…私は満開が好きなので散らないうちにと思って。

言って、お互いになんとなく笑って、しばらく黙って桜が散るのをふたりで眺めていた。
帰り道は同じだから、散りかけの桜の魅力というものをぜひ聞いてみたい。
久々知さんのことだからきっと真面目にていねいに懇々と、話してくれるだろう。
たまには誰かとするお花見というのもいいものだ。

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