やられました。轟く雷と豪雨のなか帰ってきたわたくしを待っていたのは、からっぽの部屋とテーブルの上に置かれたナマエからの書き置きだけでした。あれほどひとりでどこかへ行かないようにと、わたくしが帰ってきたら今回の件について詳しく説明をするようにと言い含めておきましたのに。呆然とその場に立ち尽くしていたわたくしの横をクダリが平静な様子で通り過ぎ、書き置きを手にしました。この二日の間、わたくしのプライバシーは著しく侵害されている気がいたします。願わくばわたくしに平穏を。そしてナマエとクダリには天罰を。わたくしがささやかな祈りを天へ捧げておりますと、クダリが紙片を指先で遊ばせながらこちらを振り返りました。

「これ。迷惑かけてごめん、ありがとうって」

それを聞いてわたくしは正直なところ面食らいました。確かに迷惑はかけられておりますがそれがなんだというのでしょう。そんなものはわたくしと面白いバトルのひとつもしてくだされば帳消しにいたします。友人ではないですか。そんなつまらないことを気にしてわたくしどもの前から姿を消したというのであれば、それは実に彼女らしくない行動でした。それとも今度ばかりは本心からそう思ってこの書き置きを残したのでしょうか。もしそうなのだとしましたら本当に。

「…馬鹿ですね、ナマエは」
「でも下の方にちっちゃく、どこかの住所が書いてある」
「……………」
「ここにいるから迎えにこいってことかな」
「そのようですね」

わたくしは少しく感傷的になっていた数秒前までの自分を恥じました。そもそもナマエが自分の身の安全を確保せずに動くわけがなかったのです。彼女は危ない橋を渡る時は何重にも保険をかけるタイプの人間です。そしていつも何食わぬ顔をして勝利をさらってゆくのです。わたくしは彼女のそういうところがとても好きです。そしてそのナマエがこうして外へ出たということは、勝算があるからなのでしょう。そう、彼女はやはり人を殺してなどしていないのです。では昨日は何故ああも混乱してわたくしのところへ逃げてきたのか?彼女は一体何をもって自分のことを人殺しだと断じたのか。全てはここで考えても仕方のないことです。

「では行きましょうかクダリ」
「うん、わかった」
「おや、めずらしく素直ですね」
「早くおわらせてすっきりしたい。じゃないと仕事中もナマエのこと考えちゃう。ぼく迷惑してる」

口元にはいつもの笑みをはりつけ、眉間に深くしわを寄せたクダリは何とも言えず愉快な表情をしておりました。それこそ思わずわたくしが笑ってしまいそうになるほどに。いつもナマエからは表情筋が永久凍土に埋もれているなどと揶揄されるわたくしですが、わたくしとて笑いたくなるときはあるのです。たとえば双子の弟が昔から変わらず持ち続けている、幼なじみの少女への可愛らしい執着を目の当たりにしたときなどに。今やわたくしもクダリも少年ではなく、ナマエも少女ではなくなりましたが。果たして彼女はいつかクダリのこの気持ちに気がつくのでしょうか。いつまでたっても静まりそうにない春の嵐の中、わたくしどもは外へ踏み出しました。





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