ガチャンと音を立てて扉の鍵が閉まったあとに残ったのは静けさだけでございました。ナマエはさすがに肩身が狭いのでしょうか、しばらくの間視線を床にさまよわせておりましたが、やがて満面の笑みを浮かべてわたくしの顔を見ました。 彼女がこの顔をする時は大体があまり好ましくないことを考えている時なのですが、この笑顔を大変魅力的だと捉える男性も世の中には少なくないようで、わたくしはそのたびに世界の広さを痛感する次第でございます。
「…ノボリ、共犯だね」
「はい?」
「私のこと匿ったから」
「はぁ、そうですか」
「ぼくノボリに拉致されたから被害者」
「クダリ頭いい、私もそういうことにしよう」
「でもナマエなんでノボリのとこ来たの?…あ、思い出した、きみ友達いない。気がきかなくてごめん」
「それね、クダリにだけは言われたくない」
「ぼくは友達いる、いないのはノボリ」
「二人とも少し静かにして下さいませんか。…でないとわたくしが殺人事件を起こしてしまいそうな気分です」
「ノボリ目がこわい」
「本気の目だ」
きゃあきゃあとはやし立てる二人を視界に入れぬようにしながらわたくしはバスルームへ向かいました。普段は喧嘩が絶えぬくせにこういう時だけは結託してわたくしをからかうのですからたちが悪い。友人がいない…少ないのは三人とも同じではないですか。心なしか頭痛がしてきたように思います。洗面所の鏡に映ったわたくしはなるほど二人が言ったように凶悪な目をしておりました。さて、どうしたものでしょう。…ひとまずこの事態の説明をしてもらうことが一番でしょうか。かすかに痛む頭を支えながらリビングへ入りますとナマエがソファの上で膝をかかえてテレビを見ていましたので、わたくしはその隣へ腰かけました。一体いつの間に着替えたのか、わたくしの寝巻のTシャツに袖を通してすっかりくつろいでいた彼女はこちらをちらりとだけ見て、またすぐ前へ向き直りました。
「クダリはどうしました」
「明日の準備してくるって。今日は泊まるって言ってた」
「そうですか。あなたも今夜は泊まるのでしょう?」
「うん。…痛い、何で殴るの」
「今日の仕返しです」
「女に手をあげるなんてさいてー」
「女性…?この部屋には見当たらないようですが」
「ノボリはそういうデリカシーに欠けることばっかり言ってるからだめなんじゃない」
「だめとは?」
「もてるのに彼女できても長続きしないの」
「そういえばそうでしたか」
すっかり油断しきっていたナマエの頭にげんこつを落とすと思いのほかにぶい音がしました。そして間をおかずにわたくしの手はじんじんと痛み始めました。そう、うかつなことにその時まですっかり忘れておりましたが彼女は類い稀なる石頭の持ち主なのです。たいして力を入れなかったにもかかわらずこの威力です。なんとおそろしい。わたくしはただささやかな仕返しと、ポケモンの技を人間にかけてはいけないということを彼女にわかってほしかっただけですのに。とうのナマエは無言で手をさすっているわたくしのことなど素知らぬ顔で「さいてーノボリの歌」なるものを即興でつくって歌うという憎らしいことこの上ない行動をとっていましたが、目はテレビから離そうとしません。彼女は普段ほとんどテレビを見ませんのでこれは大変にめずらしいことでした。
「…ニュースですか」
「今のところそれっぽいニュースはやってないからまだばれてない…のかな、時間の問題かな」
「なんの説明もせずに逃げるものですから心配しました」
「うん、ごめん」
「明日で構いませんからきちんと話を聞かせてください」
「……ありがと、ノボリ」
ずっとふざけた態度をとってはいましたがやはりそれなりに気を張っていたのでしょう、わたくしにもたれかかり糸が切れたように眠ってしまったナマエをどうしたものか思案に暮れておりますとリビングのガラス戸に人影がうつりました。…妙なところで遠慮深いと言いましょうか何と言いましょうか。
「そんなところに立っていると風邪をひきますよ」
「入るタイミングつかめなかった」
「いつもそんなもの気にしないでしょうに」
「だってナマエ、ちょっとしょげてた。いつもならもっとすっごい悪態つく」
でしょ?と肩をすくめて笑うクダリの方が、わたくしの目には余程落ち込んでいるようにうつりました。日頃からけんかばかりしている関係が邪魔をして面と向かって心配しているのだと言えなかったのでしょう。無理もない話ですが難儀な事です。…ともあれ明日になりましたらナマエから詳しい話を聞き、そして速やかに真相究明!でございます。日頃から色々な迷惑を…いえ、人生の妙味をわたくしへ教えて下さる彼女へのお礼として眠りこけているナマエをこのまま警察署へ連れて行ってさしあげるというのもたいへん魅力的で、わたくしその誘惑に今にも負けてしまいそうですが…いくら性格がねじ曲がっているとは言いましてもナマエはわたくしどもの大切な友人です。たとえどういう結果になるにせよ手は尽くしたいと、そう思いました。
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