へし切長谷部がひとの体を得てはじめに知ったのは、痛みだった。この世に刀として生まれ、多くの人間と共に過ごしてきた。長い年月を重ね、魂を得た。けれどそれはまだかたちを定めずに漂って、希薄なものだった。半ば眠ったままのうっすらとした存在だった彼は、遠くから己を呼び、希う声を聞いた。訳もわからずそちらへ引き寄せられ、ひとつ所に集められてかたちを成した。
あたりを満たした光と花吹雪の中から一歩、二歩。踏み出すたびに焼きつくような痛みがへし切長谷部に襲いかかる。何百年とかけて少しずつ降り積もっていた思いがいちどきに体の中で暴れていた。痛む胸をぎこちなく手でおさえて顔を上げると、少し離れたところでこちらをまっすぐに見ていた存在と目が合う。その瞬間、へし切長谷部はどうして自分がここに呼ばれたのかを理解した。人間に振るわれなくなりどれほどの時間が経っただろう。目の前にいる人間は確かに自分を必要としている。それも戦う道具として。
「へし切長谷部、と言います。主命とあらば何でもこなしますよ」
自然と口からこぼれた言葉と初めて聞く自分の声は、けれど驚くほどすんなりと体になじんだ。それを聞いた新しい主はこちらの手を取り、よろしくと言って笑った。
途端に激しくなった胸の痛みに顔をしかめると大丈夫かと心配され、顔を覗き込まれる。添えられていた手をそっと外して半歩下がり、長谷部は口角を上げた。
「大したことじゃありません。ただ、この辺りが痛むんです」
胸に手をやり、どうしてなのでしょうと尋ねると何故か主はすこし顔を曇らせた。俺の胸が痛むのは心というもののせいらしい。心というのは目には見えぬくせに確かに存在し、ひとがひとであるためには欠かせないものなのだと、教わった。ならば人間とは皆このような痛みを常に感じて生きているのだろうか。
だとしたら随分面倒な生き物だ。今はひとの形をとっているとはいえ自分の本性は刀であるのだから、そんなものは本来不要なはずだ。捨てることはできないのだろうかと、口を開きかけてすぐ噤んだ。きっと聞けば答えてもらえるのだろうが、今はまだいいと判断した。理由は特にないのだけれど。とにかく何もかもわからないことだらけで、へし切長谷部の胸の痛みは未だおさまる気配がなかった。痛みの理由を彼が知る日はまだ来ない。