ある日きがついたらわたしはひとりだった。
おかあさんも、おとうさんもいないし、友だちだっていなかった。
園長先生はいつもおこっていて、大きなこえでどなっていて、だれかが何かしっぱいするたび、つめたい顔でこうおっしゃった。
「いいですか。あなたたちはみなしごなのです。世間様の温情でこの施設は成り立っているのですよ。
じぶんの立場をわきまえて、一刻も早く社会に貢献できる立派な大人になって、そして少しでいいから私にも恩返しをしてくれると嬉しいんですがね」
おせっきょうのあとはちびた鉛筆で、「わたしはだめなこどもです」とか、ほかにもいろんなくだらないことばを書きとりしなくちゃいけなくて、
すこしでもいやそうにするとじょうぎで手をぴしゃっとたたかれた。そのたび、わたしはみじめでくらい気持ちになった。だから、園長先生のことはきらい。
あのころのわたしはいつもじぶんのつま先を見てばっかりで、毎日かさかさの心だった。あの三にんぐみがくる夜までは。
あの日は夜がむらさきいろをしていて、わたしはなんだかねむれなくてベッドの上でおつきさまの光を見てた。
そしたらとうとつに園長先生のへやから悲鳴が聞こえて、ものがこわれるような音がした。
こわくなってタオルケットをかぶってふせた途端、へやのとびらがそっと開いて、黒いぼうしに黒いマントの背の高い三にんぐみがするする入ってきた。
三にんぐみは部屋のはじっこのベッドからじゅんばんにまわって、わたしと同じようにタオルケットをかぶってふるえてる子になにかひそひそささやいた。
みんなあんなにふるえてたのに、三にんぐみのことばを聞いたとたんにベッドからおりて、うれしそうにへやをとびだしていく。
何がおきているのかわからないけれど、たぶんとっても素敵なことがおこっているんだって思った。
三にんぐみはさいごにわたしのベッドのよこに立ち、ぼうしのしたからじっとわたしのことを見て、三にんそろってこう言った。
「ここを出て、みんなでいっしょに暮らそう」
わたしはなんにも言えなかった。園長先生のいないところに行けるチャンスなのに、舌がふるえてうまくうごかせなかった。
三にんぐみはしばらくわたしが何か言うのをまって、わたしが何も言わないのをみるとすこしこまったように相談しはじめた。
ここでへんじをしなかったら、置いていかれてしまうかもしれないと思った。そしたら、明日からもずっとここで暮らすことになる。ありえない。
役立たずの舌のかわりに、必死で眉間にちからをいれて三人を見た。心臓がどきどきしてなみだがでた。わたしが見ているのに気がついたひとりが、
両手をのばして、おいでと言ってくれた。わたしはもう舌どころか体じゅうがふるえてしまって、でも勇気をだしてその人に飛びついた。
軽々わたしをうけとめた三にんぐみの黒いマントは、みためよりずっとやわらかくていいにおいがして、温かだった。
うれしそうに笑い声をあげた三人のぼうしの下からはきれいな金髪がのぞいていて、わたしはマントにつつまれたとたんうそみたいに深くねむってしまった。
人に抱きしめられるのなんて生まれてはじめてだったし、それがあんなに安心することだなんて知らなかった。
ぱちっと目をあけてあたりを見回すと、いつもの自分の部屋でほっとする。なつかしい夢をみたせいか、ドキドキしている。
あれから三にんぐみと、わたしと、数えきれないくらいのわたしと同じようなこどもたちは、本当にみんなで一緒に、三にんぐみのお城で楽しく暮らしたのだ。
おそろいの赤いマントに赤いぼうしをもらって、はじめてできた大切な家族とのせいかつは、夢みたいだった。
成長した他のみんなはどんどん結婚して、お城をでていって、お城のまわりにむらをつくったけれど、わたしは相変わらずお城で暮らしていた。
お城で暮らしている間に、友だちも好きな人もできたりしたけれど、わたしは三人のそばを離れたくなかった。あの夜から、わたしの世界の全てはあの三人だった。
赤いワンピースに赤いマント、ぼうしをかぶって部屋からでると、外はとってもいい天気だった。庭でちょろちょろ遊んでいるこどもの頭を撫でながら薔薇園へ行く。
この薔薇園も、三にんぐみがわたしたちにくれたもの。水やりはみんなで順番にやっているけれど、虫とりや剪定なんかはもうずっとわたしがやっている。
薔薇はことしもきれいに、そして真っ赤に咲いている。
花の調子をみながら歩いていると、遠くのベンチにすわっている黒いぼうしを三つ見つけて、そっとうしろから近付いた。
昔よりほんのすこしだけ細くなった三人に抱きつくと、いっせいに六本の腕がのびてきてわたしを抱きしめかえしてくれる。
「やあ、おはようナマエ」
「薔薇の妖精かと思った」
「今日もいい天気だね」
あいさつのキスをしながらいっせいにしゃべるものだから、誰がなんて言ったのかごちゃまぜになって、いつも笑ってしまう。
三にんぐみは、むかし強盗をしていたなんて信じられないくらい、底なしにやさしい。わたしがここに来たばかりのちびだった頃に言ったわがままも、全部かなえてくれた。
新しいえんぴつだって、沢山の本だって、三人が強盗するときに使っていた真っ赤な大まさかりだって。
この薔薇園だって本当はわたしがほしいと言ったものだ。ばかなちびだったわたしは、三人がどこまでわたしを許してくれるのかためしていたのだ。
けれど三人が怒ることはなかったし、ある日わたしはおそろしいことにきがついて、一切わがままを言わなくなった。
「ナマエ、最近なにか不便を感じることはない?」
「そうだよ、昔みたいにほしいものを言ってごらん」
「好きな人はいないのかい?君がずっと城にいてくれるのは嬉しいけれど、少し心配だよ」
「あなたたちこそ、わたしにしてほしいことはないの?小さな頃からしてもらってばかりで、わたしもお返しをしたいよ」
わたしは三人に与えられるばっかりで、わたしじしんには何も返せるものがないのがおそろしい。あの日きがついたおそろしいことっていうのは、そういうことだ。
わたしの頭を優しくなでる三人の手をつかんでほおずりをすると、三人はいっせいに笑いさざめいて、もう一度わたしを抱きしめた。
三人のさらさらした糸のような金色の髪の毛が光に透けて、わたしは天国にいるようなきもちになる。
「ナマエ、ナマエ、君は優しい子だね」
「君たちは、ずっと奪うばかりだったわたしたちに与えることを教えてくれた」
「そう、今まで散々奪ったかわりに、今度は惜しみなく与えるのがわたしたちに出来ることなんだよ」
「それなのに君たちときたらまるで望むことが罪だとでもいうように」
「こどもだったら当たり前のわがままもほとんど言わない」
「だからどうかもっとよくばりに、そして幸せになっておくれ」
「わたしたちはもう、君たちからたくさんもらっているのだから」
すこし悲しそうに話す三人の声をきいて、どうして最初に会った時にふるえがとまらなかったのか、初めてわかった。
わたしは、きっと、とてもうれしかったのだ。生きていていいんだと、初めて思わせてくれるひとたちに会えたことが。
そしてなにより、ひとを愛せるってことが、うれしかったのだ。
そんな簡単なことにきがつくのに、ずいぶん時間がたってしまった。
三人の髪を透してみる光がやけにまぶしくて、わたしの目からはぼろぼろ涙がおちた。
「それじゃあ、わたしとずっとずっと一緒にいてください」
それがわたしのいちばんのおねがいなの。
しゃくりあげながらそう言うと、すてきな三にんぐみはほんとうに幸せそうに笑ってくれた。